第23話 旅館に忍ぶ影
《旅館に忍ぶ影》
ヴァーダントライン城・客間——
俺たちはヴァーダントラインの街を一通り回った後、また城の客間に戻って来たのだった。
卓を退け、川の字になるよう白い布団を敷いていく——はずだった。
「こう見ると、本当に旅行にでも来たみたいだよなー。」
呑気なことを言いながら隣を見ると、ミオナが敷いていたのは整備用のマットレスだった。
「あれ、それ布団じゃ——ないよな——?」
カチャカチャと手際よくライフルを分解し、パーツを綺麗に並べていく。
そして白いウエスを取り、そのままパーツを磨き始める——。
「おまえ、何やってんだよ——。」
「——?」
何も言わず、きょとんとした顔でただ座り込むミオナ。
「ミオナ! こっちもウエス!」
「はい!」
ユミナの声がする方に、ぽいとウエスを放り投げる。
「さんきゅー。——あ、ミオナ油——」
すると今度は、手元にあった油を手に、ユミナの方に歩み寄っていく。
「はい、ユミナちゃん。」
「ありがと。」
「いや——ありがと、じゃねーよ! お前ら何やってんだよ——!?」
ユミナはブレードを磨きながら、呆れたような目でこちらを見た。
「なにって? ——武器整備だけど?」
そう答えるユミナに、ミオナも静かに頷く。
——これ、俺がおかしいのか……?
そんなふうに錯覚する。
俺は小さくため息をつくと、片隅に置いてあった布団をもう一枚取り出した。
「お前ら、ここでいいかー。いいよな。」
仕方なく、俺は二人分の布団も敷いてやることにした。
埃が舞わないように静かに広げ、俺の隣に敷いていく。
「ちょっと!」
「ん? なんだよ——……」
「あんた、まさか川の字で寝る気? 私たち、レディーなんですけど!」
「えぇ……。」
ブレードを抱える姿は、もはやレディーなんかではない。
ミオナも同じように頷いてはいるが、この狭い部屋の中ではどうすることもできない。
「わかったわかった。——じゃあ俺、入口の方で寝るから、お前らこっちな——。」
その言葉に、ユミナは余計に眉をしかめる。
「なんで一緒の部屋なのよ! あんたは廊下で寝なさいよ!」
「なんでそうなるんだよ——。」
——おまえ護衛だろ? なんで護衛対象を廊下で寝かすんだよ——。
そう思っていると、噂をすればその廊下に、静かな足取りが近づいてくるのだった。
「失礼します。」
襖が開き、昼間の案内人が姿を現す。
案内人は礼儀正しく一礼すると、タオルを差し出しながら言う。
「浴場の準備が整いましたので、どうぞお入りください。」
「おぉ! 温泉!」
俺はつい、テンションが上がってしまう。
しかしユミナの報告によると、浴場は一室だけである。
男が先か、女が先か——それはユミナ次第だ。
俺たちは顔を見合わせる。
「あんた、先入ってきなさいよ。」
「え——?」
ユミナの意外な言葉に、思わず耳を疑う。
いつもなら一番に入りたがるはずのユミナが、今日は譲ってきたのだ。
それが例え、武器整備の途中だとしても、いつもなら真っ先に入っていくはずだった。
「んじゃあ、入ってくるわ——……。」
俺は布団を敷き終えると、ぎこちなくカバンの方へ歩いていき、着替えを手に取った。
「では、私はこれにて——。また何かございましたら、いつでもお申し付けください。」
案内人が出ていき、それに続くように、俺も客間を後にした。
——なんか、これはこれで落ち着かねぇな——。
ユミナの言葉は選択肢ではなく、強制だ。
歯向かえば、とことん言い合いになるのは目に見えているし、
上がるのが遅すぎても、文句を言われるに決まっている。
俺の頭の中では、妙に高速回転を引き起こし、気付くと足早に廊下を進んでいたのだった——。
月明かりが差し込む、不気味な廊下を曲がる。
ただ一人、着替えを持ったまま、足を進めていく——。
昼間に通った時とは、雰囲気がまるで違う。
庭を挟んだ向かいの廊下には、手提げ提灯を持った人影が、同じように歩いているのが見える。
——こんなことなら、あいつらからライトでも借りてくりゃよかったな——。
そんなことを思いながらも、俺はポケットに突っ込んだスマホを取り出し、ライトを付けたのだった。
ずっと持っていたはずなのに、完全に忘れていた。
今のご時世、わざわざ提灯なんか持ち歩かなくても、これがあるじゃないか。
うっすらと照らされる廊下を歩き、廊下の先を曲がっていく。
そして俺は、なんとか浴場へとたどり着いたのだった——。
ガラガラガラ……ッ!
浴場のスライドドアを開け、暖簾をくぐり抜ける。
綺麗な脱衣室。
竹タイルが張られた床や脱衣棚には、埃一つない。
客人用というより、むしろ偉い人が使う場所なのかもしれない。
そんな棚の一角に、脱いだ服を畳み置くと、俺はそのまま浴室へと向かっていった。
再び、スライドドアを開ける。
「寒っ……!」
その先は外だった。
松の木と灰色の岩場で飾られた、庭園のような露天風呂——。
もう春先だというのに、夜のそよ風は容赦なく吹き付けてくる。
腰に巻いたタオルだけでは、心もとない。
ひとまずシャワーを浴びようと、辺りを見渡す。
だが——
——シャワーは……あれ、ない——……?
いくら見渡しても、そのような設備はない。
代わりにあったのは、入口にある冷たい水と、その風呂桶だけである。
——いやこれ……かけ湯ならぬ、かけ水ってことだよな……?
もう我慢ならない。
俺は風呂桶を手に取ると、露天風呂の浴槽からお湯を掬い上げ、存分に浴びるのだった。
「ふぅ——。生き返ったわ——……。」
思わず声が出る。
しかし、床の岩肌は冷たく、吹き付ける風は一向に収まらない。
俺はすぐに足先で湯加減を確認すると、そのまま湯の中へと浸かったのだった。
「生き返りの、生き返りだな——。」
一人で意味の分からないことを呟き、ただ深く、深呼吸をする。
目を瞑り、冷たい岩を枕に、上を見上げる——。
月。
月と星空。
ヴァーダントラインは決してインフラ設備が整った場所ではない。
自然に囲まれ、限られた電気で生活をする、江戸のような街——。
こうやって星空がよく見えるのも、きっとそのお陰なのかもしれない——。
良くも、悪くも。
横を向けば、灯りでスポットされた松の木が、風に揺れている。
けど、お湯に浸かった今の俺には関係ない。
大きな庭の露天風呂で、ただ一人、贅沢にも自然を味わっている。
——来てよかったのかもな——。
そんなことが、俺の頭の中をよぎる。
そして、再び目を瞑る。
月明かりと庭にある少しの灯だけが、俺の瞼の裏を赤くする——。
その時だった。
ガラガラガラッ……!
スライドドアが開く音がする。
——ん——? 誰だよ——?
俺は身体を起こし、入口の方を見た。
徐々に近づいてくる影には、よく見知った立派な一本角が備わっている。
「サイチ——?」
「あ——? あぁ、入ってるって聞いてな。お邪魔するぜ。」
サイチは近くにあった風呂桶を手に取ると、浴槽からお湯を掬い上げ、かけ湯をした。
そして、そのまま風呂の中に入り込む。
「はぁ——生き返るな……。」
——俺と同じこと言ってるし——。
「んで、聞いたって?」
「ん? あぁ……部屋行ってみたら入ってるって言うから、来てみたんだ。
男同士、語り合おうぜ——!」
——なんだこいつ——。
そう思いながら、俺たちは肩を並べて、星空を見上げた。
「昼間はあんな感じだったからなー。もっと案内したかったぜ、クソ。あんの野郎——」
サイチは昼間の重臣のことを、まだ根に持っていたようだった。
「まぁまぁ。俺たちもあの後すぐ帰ったし——誓いの丘?みたいなとこ行ってから——」
「おぉ、あそこ行ったのか? いい景色だったろ。」
あの丘、あの石碑、見渡す限りの水平線——。
あそこの情景は、俺の記憶の中に鮮明に焼き付いていた。
「そうだな——ってあれ、お前も行ったことあるのかよ?」
そう言うと、俺はミオナが言っていた逸話を思い返した。
「そりゃあるさ。……まぁ、総長任命の行事だけどな——。」
「なーんだ。てっきり恋人とでも行ったのかと思ったよ。」
「あぁん? ……ったく、あそこはそういうんじゃねーよ。誓いの丘っていうのは先祖代々なぁ——」
サイチは根っからの武人である。
それ以前に総長という身分であり、恋人の逸話などお門違いという風に語り始める。
「あぁ、分かってるって。ミオナが話してくれたよ。ユミナが行きたがるわけだな——。」
「あー、あいつはそうかもな。ははっ。」
「あははっ。」
温泉の中に響き渡る二人の笑い声。
きっと今ごろ、ユミナは客間でくしゃみをかましてることだろう。
俺たちはそんな平凡な会話を楽しんだ。
「んで——?」
「ん?」
サイチの不意な切り返しに、俺は思わず疑問を返す。
「ん?じゃねーよ。 どうなんだよ、二人とは。」
それはきっと、男女関係の話を指しているのだろうと、俺は察した。
「どうって——俺とあいつらは、そういうんじゃねーよ。」
「あぁ? ちゃんとした仕事就いてるし、強ぇーし——文句ねぇだろ?」
「おまえ変わったこと言うな。——人間と虫人が結ばれる世界なんて、存在すんのかよ。」
「ははっ、それもそうだな。けど、俺だって虫人だぜ? でも、こうやってふっつーに話してるじゃねーか。」
サイチが冗談半分に言う。
「飽くまで恋愛の話だって。俺だってそういう人間関係は大切にしてるつもりだよ。」
「はははっ——。ま、これからもよろしく頼むな、ユウジ。」
サイチは立ち上がると、そのまま入口の方へ歩き出した。
「あ、おまえ逃げんのかよ、聞くだけ聞いといて——」
「ははっ、総長は業務で忙しいからな。俺はそういうの一切ねーよ。——ま、また話そーぜ。」
「……ったく、逃げやがって……。」
変温動物との中間にある虫人は、温度差の影響を受けやすい。
それはユミナとミオナも同じだ。
支部のシャワーでもすぐにのぼせてしまう体質は、きっと同じなのだろう。
俺はもう少しだけ、露天風呂を満喫することにした。
ヴァーダントライン城・客間——
バックパックからドライヤーを取り出すユミナ。
ミオナもまた、コンセントの場所に鏡をセットすると、半乾きの髪を櫛で静かに解かしていく。
そんな中、俺は髪をボサつかせながら、布団の上でスマホを取り出す。
「……あれ、充電ないや……。」
しかし、いくら見渡してもコンセントはない。
部屋のコンセントは二人の布団の近く——ドライヤーのところだけだった。
俺は小さくため息をつくと、髪を乾かす二人の方を見た。
巻いたタオルを取ると、二人の頭からぴょこんと触角が顔を出す。
——人間と虫人が結ばれる世界か——。
サイチと話したことが、頭の中を過ぎる。
半分バカバカしいと思いつつ、もう半分は他生物である以上、仕方のない問題と割り切る自分がいた。
そんなことを考えていると、ふと鏡越しのユミナと目が合う。
「なに見てんのよ。」
「あ、いや、別に——。」
変な人を見るかのような目をするユミナ。
俺は目線を反らすと、そのまま布団に就いた。
「はい、ミオナ。」
「ありがとう、ユミナちゃん。」
ブォォオオ———ッ……!
ドライヤーを手にした二人が、バサバサと髪を揺らす。
「ちょっとユウジ。あんたも手伝いなさいよ。」
「え、俺——?」
ミオナの髪は、俺やユミナに比べたらまあまあ長い。
その髪を乾かすには、ドライヤーを二機使ったとしても、相当の時間がかかる。
俺は布団をめくって立ち上がり、二人の方へ歩いていった。
「三つあればな——。」
「そんな持ってないわよ。文句言うなら、口でふーふーしなさいよ。」
「いや、ふーふーって、意味ねーだろ——。」
俺は櫛を渡されると、ミオナのドライヤーを応戦したのだった。
中央の襖を閉めて部屋を分け、客間の照明を消す。
機構支部の時と同様、レディーの皆様とは事実上の別部屋である。
雲に隠れては現れる月明かりが、部屋の中を薄く照らしだす——。
俺は一人布団に横たわり、明日の帰りと、本部への報告内容を頭の中でまとめていた。
そんなことを考えて、一体どれぐらい時間が経っただろう。
暗い天井を見渡し、妙な胸騒ぎを落ち着かせるため、静かに深呼吸する。
畳に敷かれた布団は、廊下の奥から伝わる振動を直に受け、それは少しずつ増えているようにも思える。
——これも夜行性の影響なのか——。
そんな時——。
廊下の方から、何やら気配を感じる。
——誰か、歩いてきてる——……?
案内人にしては、妙に速い足取り——。
音もなく、ただ段々と迫り来る振動。
しかしそれは、またすぐにどこかへ消えていったのだった。
——あれ……気のせい、か——?
廊下の方に移した目線を、静かに天井へ戻していく。
すると——
廊下の逆側——ユミナとミオナがいる襖の方に、うごめく黒い影が視界に入る。
その影に気付いたのは、俺の目の前に近接ブレードが突き付けられたからだった。
——TEXS……!?
そう思った矢先、影が静かに言い放つ。
「……静かに——。」
「……っ!」
声にもならない悲鳴。
恐る恐る影に目線をやると、そこには忍者のような黒装束を纏った女の姿——。
——女の忍者……?
忍者は続ける。
「今宵、あなたをツバルが仕留めに来ます。今すぐ逃げてください——。」
それだけ言うと、俺を跨ぎ、廊下の襖の方へと歩いていく。
——ツバルさんが、俺を……?
だが、その正体も、内容も意味がわからなかった。
隣で寝る二人が起きないよう、俺は静かに問い返し、それを引き留める。
「……お前は一体何者だ。なんでツバルさんが——?」
足を止めた忍者が、ゆっくりと振り返る。
「——今宵、あなたは私を見ていない——でも、これは夢じゃない——。」
そんな言葉に、すかさず俺は言い返す。
「……ツバルさんが襲ってくる理由なんてない——夢に決まってる——」
「——そう。なら——……。」
忍者が再び俺の首元にブレードを突き付ける。
そして、静かに俺の上に身を乗せる。
「——動かないでくださいね——動いたら斬ります——。」
そんな中、ふと俺の中で、どこかで聞いた声だと気づく。
——だが、どこで——?
アヤカやサヤカ、サユキ、ましてや案内人——どれも違う。
何より、この細身の体形はヴァーダントラインの甲虫系とは明らかに違う。
女は俺に覆いかぶさるようにすると、静かに枕元に手を付ける。
そして、耳元で囁くように続ける。
「——夢なら、ここで何をしても、皆には黙っておきますよ?——」
腰元に馬乗りになる女性に、俺は思わず、唾をごくりと飲み込む。
こういう体験のない俺にとっては、刺激が強いものだった。
「——ほら——存分に味わってみたくないですか——」
「くっ……!」
尚も首元に突き付けられている刃。
目を細め、脳裏に浮かぶユミナやミオナの顔——。
しかし、顔を近づける女と目が合う。
優しそうな、黄色くて綺麗な瞳——。
こんな状況で、俺は一体何を考えているのか。
絶体絶命だというのに、思考は自動的に、違う方向へとすり替わっていく。
俺に選択肢など残されていなかった——。




