二十歩目
「……遅いなヒミ姉〜」
すっかり日も暮れ、既に夜と化したドゥーランの街。石造りの街は松明やランプで各々を照らし、相変わらず昼のような雰囲気で賑わっている。
そんな中、例の広場のベンチでひたすらヒミの帰りを待ち続けるキュリオ。周りが賑わう中、一人だけ待ち疲れてだらけている様子が浮いて見える。
隣に座っている酒を飲んで泥酔した男も、これで三人目だ。長い間待ち続けていたせいで、隣が移り変わるのを観察する事になってしまう。
「もう夜だよ……何やってるんだろ」
あれだけ熱心だからといって、この時間まで戻ってこないのはおかしいのではないか。だが、だからといって歩き回ってすれ違ってしまっては困る。
連絡漏れはなかったハズだし、まさか先に宿屋に戻っているとも思えない。小さい木の鳥を創り出して偵察しようにも、この街には木がこれっぽっちもない。流石は石の街、とでもいうべきか。
とにもかくにも、ただ待ち続けていると色んな想像が頭をよぎり、色々と不安がこみ上げてきてしまうのだ。
(一、二回宿屋に戻ったけどヒミ姉が来ていたとすら言われなかった……だとすると、やっぱりまだ聞き込みを続けているっていう事になる……)
単に熱心だから根こそぎ情報を集めているという可能性もある。だがどうしても……心の中から舞い上がる不安に抗えないのだった。
(どうしようか……やっぱり探しに行く? いや、でも……)
悩みこんでしまうキュリオ。が、そんな時、
「お兄さん、ねえお兄さん」
「わっ。ど、どうしたの?」
それは、肌の浅黒い少年だった。キュリオより更に年下で、何やら手紙のような物を持っている。彼は何故かキュリオの前に立ち、その手紙をキュリオに差し出す。
「これ、……知らない人からお兄さんに渡せって……」
「そ、そう……ありがとう」
半信半疑のまま、キュリオはその手紙を受け取り、周りを見渡す。この手紙を渡したというその『知らない人』が居ないか探してみるが、それらしい人物は一人として見当たらない。みな夜になってますます活気付いた商人達だ。
仕方がないか、と息を吐く。姿を見られたくないからこの少年を使って手紙を渡したんだろうし、そもそもその『知らない人』の容姿が分からない以上、誰に目をつけても確証が持てないのだ。
とにかく読んでみようと、その雑な見た目の、折り畳んだだけの紙片を開く。
「────ッ‼︎‼︎」
が、その内容に軽く目を通した瞬間、だるそうで眠たげだった彼の顔が途端に焦りの色を帯びる。その赤色の瞳が揺れ、全身の毛が僅かに逆立つ。
そして彼は勢い良く立ち上がると、その古びた靴で石畳を蹴る。一瞬にして彼の姿は消え、人混みを掻き分けるようにして勢い良く駆け抜ける。
────だが、少年はそれを見ても、何一つ動じない。むしろ事が上手くいったと、にやけてしまう。
そう、彼こそがベルドの計画の、その皮切り役。『知らない人』などというのは全てまやかしで、本当はこの少年もドゥーラン窃盗団の一員だったのだ。
だがそんな事考えもしないキュリオは、その手紙の文面に従う。
その手紙には──『ヒミを助けたければ、街外れのとある場所に来い』という内容。その場所は、手紙に地図で描かれていた。
(まさか……最初から全部、ベルドに知られていた⁉︎ だからヒミ姉は戻ってこなかった……人質になってたから!)
驚く周囲をはねのけて、ひたすら本気で路地を走る。今更周りなど気にしてられない、自分のせいでヒミが危険に晒されているのだから。
(なんで考えてなかったんだ……僕らが動く事は、チルフにも容易に想像できたハズ。それを聞いたベルドが、僕らを狙うかもしれないってことを!)
その上、今日の二人はかなりの頻度で分断していた。二手に分かれていたのだ。
(僕がチルフを倒した以上、あっちも僕には何か力があると思っている。だからヒミ姉を狙って、僕に戦えないようにしたんだ!)
が、あの日以来、彼は樹に触れる事が叶っていない為、実際の彼は無力に等しい。自分で戦う事はあまりしない為、今のままでは誰にも勝てない。
それを如何に悟られずにするか、それが問題だ。
(どうしよう……どうしたら助けられる⁉︎)
とにかく、今は走るしかない。だんだん商人の数も減ってきて、今度は普通の市民が増える。が、それすらも少なくなり、華やかな街は一転、荒れ果てた街外れへと姿を変えた。ここだけを見れば、数年前のスラム街から何も変わっていないように見える程の荒れようだ。
(市街地ばかり見てたからチルフが言ってたことが理解しづらかったけど……数年前は、クニ中こんなだったのかな)
初めて見る石の街の裏側に、驚きを隠せないキュリオ。といっても、どうやらここだけが未だに開発が遅れている地域らしいだけで、クニの九割は先程のように賑わっているようだ。
家屋の形は崩れないにしても、内部はひどい荒れようだ。家具は滅茶苦茶、人が住んでいる様子すら感じられない。きっとここの人々は皆、あの賑やかな街へと移動したに違いない。
そんな荒廃した街を進むにつれ、だんだんその目的地の姿が見える。
そこは──既に人が居ない、古びた教会。かなり大きく、全盛期はきっとこの周囲の人間が皆ここに集い、懺悔していたのだろう。神を信じるのはヒミ姉が居たヤマトノムラが最初だった。ここの神話も知りたいし、出来ればゆっくりと教会内を見てみたかったが、今はそんな事をしている場合ではない。
そこに、この手紙の差出人は居る。といっても、既にその差出人の正体は分かっているのだが。
「……入るぞ……!」
その重い扉をゆっくりと開く。扉の前の木組みの階段がギシシッ、と音を鳴らす──その時、
(────しめた!)
この教会は、木で出来ている。つまり、ここならばキュリオも戦えるという事だ。教会自体はかなり巨大な為、ギリギリ木の巨人が創り上げられる。
よく見ると、周囲には木で出来た家がちらほらある。まだ石の加工技術が無い時代の名残なのだろう。
これなら、戦える。
キュリオは勢い良くその扉を開き切った────
瞬間、身体を覆うように石が彼に集まった。
「────ッ⁉︎」
ガガガッ、と組み合わさり、それがまるで石ではないかのように自在に形を変える。しかしその強固さは残っているようで、どれだけもがいても振り解く事が出来ない。
咄嗟の出来事であった為、思わず木の巨人を創り上げる為のトリガーである木片を手放してしまった。
しかも、その石は確実に、彼を締め付けてくる。
「なん、だよ……これェッ……⁉︎」
その時、陰からの声。
聞き慣れた、しかし今までにない力が籠った声。
「どうだよ、アタシの石の力は」
「ッ、その声は……!」
もちろん、その声の主は──チルフだった。ドゥーラン窃盗団幹部、チルフ・シーロウバー。
暗闇に包まれた教会の陰から現れた彼女の碧玉のような色の瞳には、漆黒のような闇と、絶対零度のような冷たさが同時に内包されていた。
「チルフ……ッ!」
突然の不意打ちにいきなり身動きを封じられたキュリオは、どうする事も出来ない。指一本動かすのが精一杯で、もちろんトリガーを失った事により気による攻撃すらも出来ない。
というか、触れたからといって木の巨人を創り出すことは出来ない。少なくとも、あともう少し壁を触れなければ、教会全体を使用することは出来ない。
「……もしも、あんたの能力があたしと同じだとしたら、少し触れただけじゃあの巨人は創り出せない。それ相応の『マーキング』を必要とするはず。だからわざとここにしてあんたを試したが──当たってるらしいな」
冷たく、重い言葉。
彼女の快活さという快活さを全て封じ込められたかのように、彼女の瞳からは暖かさが死んでいた。
「チ、ルフ……ッ! なんで、こんな事……!」
動きを封じられながらも、必死に問い掛ける。
ヒミによって最悪の別れ方をしたチルフだったが、少なくともキュリオを恨む事はなかったはずだ。こうしてヒミを人質に取るような人間だとも思えない。
だとすればやはり────
「……んな事関係ねえ。やるべき事をやっただけだ。あの人が必要ってんなら、な」
その瞳が僅かに生気を取り戻し、そして告げたのちにまた消える。
そして、それに続くように悲鳴が飛ぶ。
「キュリオッ‼︎‼︎」
その声は──もちろん、彼女の声。
「ヒミ姉ッ‼︎‼︎」
そこには、両手両足を縛られ、苦悶の表情で叫ぶヒミの姿があった。そして、その首には短剣──荒々しいナイフが構えられている。
それを構えるのは、筋骨隆々とした190センチメートル程もある巨漢。顔には大きな古傷が残り、見たものを凍りつかせるような鋭い視線を持つ男。
「……お前がッ……ベルド、か……‼︎」
苦し紛れに洩らすその声に、男は答える。
「そうだ。俺がベルド。ドゥーラン窃盗団頭領、ベルド・ガルノフだ」
にやにやといやらしい笑みを浮かべるその男は、ヒミの喉元へとナイフを近づける。『ぃ、ッ……!』というヒミの小さな、籠った悲鳴が僅かに洩れ出し、それは彼女の恐怖を一層促進する。
既に彼らは────窮地に陥っていた。
明日から月曜なのでまた一話更新に戻ります!




