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ケモノミチ  作者: たびくろ@たびしろ
ドゥーラン編
21/176

二十一歩目

 どうして、まだ迷っているのだろう。

 未だに掴めないのだ、自身の心の手綱が。こんなにも心は落ち着いているのに、まるで自分自身が暴れ馬になったかのような錯覚にすら陥る。


 チルフは、未だに決断が出来ていなかった。


 そしてキュリオを石で縛り付けてから、それを迫られてしまう。こんな事をしていて本当に良いのか、本当はこんな事をしてはいけないのではないか、と。

 自分達ドゥーラン窃盗団は盗みを繰り返し、挙げ句の果てに一人の少女を人質に取って、とある少年を殺そうとしているのだ。

 そう、倒すのでもなく懲らしめるのでもなく、殺そう(・・・)としているのだ。


「ヒミ姉ッ……! 今、助ける……から!」

「キュリオ……!」


 ああ、そうやって正義の味方のようなセリフを零すな。

 余計に自分の置かれている立場に疑問を覚えてしまう。

 自分がしているのは、たった一人の少女を救う少年の前に登れるはずのない絶壁を創り上げる事だ。それはつまり、じきに二人の命を奪う事に他ならない。


 今まで、人の命なんて奪ってこなかった。


 どれだけ金品を奪っても、どれだけ貴重品を奪っても、命だけは奪ってこなかったのに。今、自分はその一線すら超え、殺人を行おうというのだ。


「くく……ちゃんと押さえといてくれよ、チルフ。これからこのガキには落とし前をつけてもらわにゃいかん」


 意地の悪い笑みを浮かべる、自らの恩人。ヒミの首筋にナイフを突き付け、その度に彼女の心臓を爆発する程に鳴らせる。


 ヒミは既にその瞳に涙を浮かべ、キュリオに悟られぬように必死に声を殺しながらも、その恐怖に押し潰されそうになっていた。その顎はガクガクと震え、その琥珀色の瞳はただ一心にナイフを見つめ、その行き先を想像して更に恐怖を増大させている。

 そんな彼女を見て尚──チルフは、何もしない。ただ、キュリオを拘束し続けるのみ。

 この時チルフは、擬似的に頭を空っぽにしていた。殺すなんて考えない。ただ、恩人に頼まれた仕事をしているだけ。この二人とは何の接点もない、という風に。


 それら全てを、無意識に。


 意識を放棄し、罪の意識を放棄していた。


 ────ヒミは一度、赤い熊に殺されかけるという事態に遭遇した事がある。だがそれ以上に、死ぬという事を初めてここまで間近に実感した気がする。

 この首元に添えられたナイフが後数ミリ振るわれるだけで、自身の首は軽く搔っ切られる。この男、ベルドの筋力さえあれば造作も無い事だろう。


(……助けて……! 死ぬのは嫌、死ぬのは……!)


 心の奥でそう叫ぶも、声には出さない。出来るだけキュリオを心配させぬよう。そう、動揺させてはいけない。

 焦ってしまえば、助かるものも助からなくなる。

 ふと、このナイフが今すぐ、首を掻っ切る錯覚に襲われる。触れてもいないのにナイフの冷たい感触が感じられ、その鋭さが首を透き通るように貫く。この首がごろりと鈍い音を立て地面に落ち、その断面から噴水のようにどす黒い血が噴出する──そこまで考えて、背筋を悪寒が走る。


「……す、……て」


 思わず声が洩れてしまうが、それを誰にも聞こえないように押し殺して抑える。ただ、それは隣のベルドには聞こえていたようで、じろりとこちらを見た後、本当に楽しそうににやにやと笑みを浮かべる。

 最悪の人間だ、と彼女は本能的に察した。こんなものが恩人になどなり得るはずがない、やはりチルフら団員は騙されていると確信する。


 そして、同じ瞬間キュリオは、別の気づきを見つけていた。それは、自身を縛る石の力が弱まっているという事。


(これ……は……)


 動く。腕が僅かながらに。

 動く。脚が動かせるように。


 原因は分からないが、とにかく状況が動きつつあるのは間違いない。幸い、チルフに自覚があるようには見えない。彼女はひたすら視線を下に向け、冷たい瞳を殺している。


 ゆっくりだ。

 ゆっくり、その機会を伺う。


 が──ヒミの頬には既に一筋の涙が浮かんでおり、それを見る度に無力な自分に嫌気が差す。

大体、動けたからどうだ。自分一人では戦う力はあまりに欠如していると言っていい。だからと言ってこの教会を巨人に変えるには、少なくとも後二度か三度は壁に触れなければならない。そんな悠長な事をしていれば、その間にヒミの命はベルドに奪われてしまうだろう。それだけはさせてはならない。


 彼女の母親に約束したのだ。絶対に自分が守ってみせると。例え、自らの命に代えてでも────。


「ベルド……! ヒミ姉を離せ! 僕はどうなってもいいから、ヒミ姉だけは傷付けるなッ!」


 声を無理矢理に張り上げ、腹の底から叫ぶキュリオ。多少拘束が緩んだせいか、それ程までに声を上げるのは難しくなかった。

 が、ベルドは依然としてにやにやとした笑みを止めない。それどころか、とある事を口走り出した。


「……馬鹿が。俺はな、ハナっからてめえらのどちらかを生かそうなんて思ってねえ。この小娘はお前を絶望に貶める為の小道具よ」


 つぷ……と、彼女の首にナイフが食い込む。


「ぃ、ぎィッ……⁉︎」


 苦しみのたうつ声を無理矢理に抑えるヒミ。だがその首からは小さく血が一滴、流れていった。


「や……やめろ‼︎ ヒミ姉に何を……‼︎」

「安心しな、すぐには死なせねえ。お前が見てる前で、少しずつ痛めつけながら殺してやるよ」

「ベルド‼︎ お前ええええッッッ‼︎‼︎」


 今までに見た事の無いようにその赤い双眼を血走らせて叫ぶキュリオ。犬歯が剥き出しになり、荒い息が大きくふーっ、ふーっ、と洩れる。


「っ……、……さ、ん……!」


 ふと、小さな声が聞こえる。蚊が鳴くようにか細い声であったが、その焦った響きは確実にその場全員の耳に入った。




「べ、ベルドさん、んな事……しな、くても……!」




 それはなんと、チルフの言葉だった。

 見れば、彼女は真っ青に顔を青ざめさせ、その唇を震わせながら、必死にベルドに向かっている。その瞳には先程までの冷たい、何かを封じ込めたかのような色はなかった。臆病な子供のような、そんな瞳だった。

 今にも泣き出しそうなその声色で、彼女は告げる。


「殺すこと、ない……だろ? そうだ、懲らしめるだけで。このクニにもう二度と手を出さないように言えば、きっとこいつらも尻尾巻いて逃げ出すって────」


 しかし、ベルドはそんな言葉で動くような男ではなかった。


「……何を言ってんだ、チルフ」

「っ……!」


 その重苦しい一言で、チルフの肩がびくりと跳ねる。一歩後ずさった彼女を言葉で縛るように、ベルドはさらに言葉をかける。


「俺たちはこいつらが怖いからこんな事をしてるんじゃねえだろ。こいつらに襲われたくないって理由ならそれでもいい。だが俺たちの目的は──こいつらに、落とし前をつけさせる事だ」

「っ、で、でも!」

「忘れたのかチルフ。お前はそこのゴーグル野郎に侮辱されたんだろう? あの時の辱めと痛みを忘れたのか?」


 そう、チルフは大衆の前でこのキュリオに、決定的な敗北を見せつけさせられた。あの巨人に弄ばれ、手加減していたとはいえ遥か遠方へと投げ飛ばされた。

 だが────そんな事、もうどうでもいいのだ。


「やだよ……あたし、人殺しになんてなりたくねえ! なあベルドさん、こいつら見逃してやれねえのかよ! いいじゃねえか、落とし前なんて! もうこれだけで十分落とし前はつけさせただろ!」

「チルフ……」


 キュリオは、ぽかんとただチルフの言葉に耳を傾けていた。


「商人から金盗んで、それでコソコソやってきゃいいじゃねえか! なんだってこんな……人殺しなんてやんなきゃなんねえんだよ! あたしは嫌だ! なあ、お前らもそうじゃねえのかよ⁉︎」


 急に、チルフは何も無い空間、教会に光の入らない闇の向こうへと声を掛けた。すると──その向こうから、気まずそうに俯いた少年少女が十何人程、ゆっくりと現れる。


「なあ、どうなんだよ。コル、ジェイス、グルダ! 他の奴らも! こんなの嫌じゃねえのかよ!」


 すると、彼らはもじもじしながら、目線を合わせようとしない。何かがおかしい、彼らはこんな非人道的な事をやすやすと認める程肝の据わった連中ではない。それは、彼らと誰よりも側にいた彼女が良く知っている。


「────何も言えねえよなあ。俺の言う事を無視するなんて、こいつらに出来るわけがねえ」


 ベルドは笑いながら、不敵な笑みで言う。


「考えてみろ、チルフ。お前らを養ってるのは俺だ。もしも俺がお前らを見捨てりゃ、途端にお前らはスラムのゴミに逆戻りなんだぜ? 誰がお前らに人権を与えてやってると思ってんだよ」


 ドクン‼︎‼︎ と、彼女の鼓動が速度を増す。


「……ベルドさん。なんで……あんたは、そんな……」


 拾ってくれた時の記憶が、流れ込む。

 スラムの隅で汚れ、横たわっていた彼女に手を差し伸べてくれた彼。餓死寸前だった彼女らにも、存在する価値があるのだと自覚する事が出来た。

 ────一生ついていこう、そう決めたはずだったのに。


「優しいあんたは、あたし達を救ってくれたあんたは! どこに行ったんだよ!」


 だが、彼は言い放つ。




「俺か? 俺は、最初からお前らを利用する事しか考えてなかったんだよ、スラムのゴミ共が!」




 瞬間、チルフは自身が真っ白になる感覚を感じた。今までの自分の全てが崩壊し、存在する意味を失ったような。まるで、これから進んでいくハズの道が、今まで進んできた道が、まるごと崩壊していくような──そんなイメージが、彼女の脳裏を突き抜ける。


「……そん、な……」

「ベルド……! やっぱり、あなたは最低です!」

「うるせえ!」


 思わず言葉で噛み付いた彼女の黒髪を、纏めて乱暴に掴むベルド。そのままの勢いで、彼女の顔を近付けさせる。


「ヒミ姉ッ‼︎」

「最低だのなんだのって言葉はもう聞き飽きてんだ。俺は知ってんだ。こういう行いをしている奴は、容赦なんてあっちゃいけねえって事をなァ‼︎」


 ぎらりと煌めくナイフを、ヒミの喉元に突き付けるベルド。途端にヒミは声が出なくなり、震えが再び身体を支配する。


「……と、そういやチルフ。お前妹居なかったっけか。朝から居なかったの、お前は気付いてたか?」

「は……? ルーシーの事か? おいコル! 結局ルーシーには会ってねえのかよ! お前一回家に戻ったろ、ルーシーは何処に行った⁉︎」

「し、知らないっす! 探したんすけど、何処にも居なくて……!」


 その言葉に、彼女は目を殺気立ててベルドを睨み付ける。


「……あんたの仕業か、ベルドさん。ルーシーを何処へやったんだ!」


 ギリッ、と歯を食い縛って視線を変えないチルフ。そんな彼女にくくく、と笑って、自身の背後の暗闇へと手を伸ばす。

 そしてその手が戻った時には、ごろりと何かがベルドの足元へと転がった。


「……! あ、ぁ……⁉︎」


 それは──恐怖に目を見開かせ、手足と口を縛られた、チルフの最愛の妹、ルーシーの姿だった。必死に何かを叫ぼうとしているが、口を縛られているせいで、声も出す事が出来ない。


「……べ、」


 ────瞬間、彼女の理性が失せ、怒りが爆発する。




「ベルドおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ‼︎‼︎‼︎」




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