9 Memories Lock Force
しなやかなはずのリボンが硬度をもって地面に傷を作るが、傷は数秒でなくなった。
その様子に優希が呆然としているとリボンの先は空中へと移動していく。
目で追えば、染めた金髪をポニーテールに結んだ黒いつり目の女性がいた。
リボンの先を手に持ち、強気な笑みを浮かべて見下ろしている。
「あたしがいること忘れないでよね」
デニムのショートパンツにカラフルなシャツを纏い、束ねた髪を揺らしながら言い放つ。
「凜子ちゃん……」
笑顔の凜子とは反対に春陽は明るい表情を消して空中を見つめる。
「あの人は……?」
関係が分からず春陽に問いかける優希。
凜子はその様子を眺め、やがて鼻で笑った。
「あんたが新入りってわけね」
「――!」
目の前にリボンが見えた瞬間、優希の視界が大きく揺れた。
体が不安定になり、後ろからお腹にかけて腕が回されている。
前方で視界の高さが同じになった凜子が渋い顔をしていた。
「大丈夫?」
「春陽先輩……!」
羽ばたく音に優希が顔を後ろに向けると、春陽の背中から大きな純白の翼が覗いて見えた。
「これが春陽のキューブの力なんだ」
「――ほんと嫌な羽根。でもあたしだって負けてないから……!」
風を切ってリボンが迫る。
しかし、春陽は優希を後ろから抱きしめた形で器用にかわしていく。
やがて他のメンバー達を見渡せる高さまで上がり、春陽は高度を保ったまま翼を動かしている。
凜子は距離を置いて再攻撃の機会を狙っているようだった。
「優希ちゃん気をつけて。北上さんや凜子ちゃんはロックキューブを持つ春陽達とは考えが反対の組織、Memories Lock Force(メモリーズ ロック フォース)の人達なの」
「Memories Lock Force……」
優希は最初にMemories Defense Forceの話を聞いた時、メモリーズキューブと共にロックキューブの名前を聞いていたことを思い出す。
春陽は凜子の様子から、紅夜と治臣、奏太、薫の様子も見ながら空中を移動する。
「メモリーズキューブよりロックキューブの方が力が強いこともあるんだ。だから、メモリーズキューブの力を破って思い出に鍵をかけることが出来てしまう時もあるの」
「鍵がかかってしまうともう思い出せないんですか?」
「人に言われて思い出すことはあるよ。でもね、すぐに忘れてしまうし自発的に思い出すことはないの。まわりからはただ一時的に忘れていたり、辛いことを乗り越えたんだと思われるけど、ロックキューブの力で鍵をかけた対象の思い出は閉じこめられていて、ないのと同じようなものだから……」
「春陽!」
話しながら高度を下げていると薫の大声が聞こえ、背後に人の気配を感じてすぐに春陽の体に衝撃が走る。
春陽の体は弧を描いて飛ばされ下降していく。
それと同時に優希の体も急速に落ちて行った。
(落ちる……!)
耳元で聞こえる風の音と感じる重力に優希は目を閉じてしまう。
地面への衝突という未知の痛みに恐怖しているとふいに何かが体を受け止めた。
「……?」
(痛くない……?)
優希が恐る恐る目を開けると、誰かの腕で横抱きされていることに気づく。
風に揺らされた長い黒髪が頬をくすぐり、優希は顔を動かした。
「美原さん……」
――腕の持ち主は紅夜だった。
「間に合ってよかった」
紅夜は声を震わせながらも腕はしっかりと優希を支え、地面へと向かう。
地面へと足をつけ、優希を立たせると鋭く上方を睨みつけた。
「やっぱりお前か、山下冬馬」
紅夜の視線の先にはブレザーを着た少年がいた。
耳が隠れるくらいのウェーブがかかった茶髪を揺らし、茶色がかった垂れた目が緩慢に瞬きをする。
「ボクのことー、忘れてもらっちゃ困りますよぉ?」
長い棍棒に継手を挟んで長さの違う棒がついた武器――フレイルを持ち、冬馬は後ろをちらりと見た。
飛ばされた春陽は翼を使い、地面への衝突を回避して奏太の近くに立っている。
「不意打ちしたのにー。つまらないなぁ……」
ゆっくりとした話し方の内容とは対照的に表情は楽しげだ。
「でもまぁいいか」
冬馬はにんまりと笑って紅夜と優希を見る。
敵対関係である相手に焦る様子もない彼に紅夜が訝しむ。
――理由はすぐに判明した。
「薫さん!」
奏太と春陽が叫び声をあげて名を呼ぶ。
(東雲さんが挟まれてる!)
結界と盾を構える薫を挟む形で治臣と凜子が移動していた。
紅夜がしまったと舌を鳴らし、刀を構えて飛び上がる。
「行かせませんよぉ!」
「――くそ……っ」
冬馬がフレイルを振り回して進路を阻む。
奏太が持つ弓矢ならば遠距離から援護が可能だが紅夜は刀一つ、投げはなってどうにかなる物ではない。
しかも、援護しようと奏太が矢をはなつものの、凜子のリボンが綺麗に叩き落とし敵方への攻撃にいたらない。
武器化が盾の薫は味方の援護が届かない今、防戦一方。
――ついに治臣は二本の刀を使いこなし、薫の背中を結界の壁につけることに成功した。
「彼が彼女の所に行ってくれて助かりました。――さあ、命が惜しければ退いて下さい」
「それは無理な話だ」
余裕のある笑みで距離を縮める治臣に眉を寄せて拒絶を示す。
その答えに治臣は表情を崩し、脇差しを薫の首筋にあてた。
「――何故……? 何故命をかけてまで他人の思い出を守ろうとする……!」
「……っ!」
薫は首筋に痛みが走っても目をそらさず相手を見続ける。
丁寧さが抜け、声を荒げながらも、眼鏡の奥の瞳が泣き出しそうに歪んでいることに気づいたからだった。
「――だったら、そっちは何で命をかけて他人の思い出を閉じこめるんだ? お互い分かってるだろ?」
薫の大きな声が優希を含む全員の耳へと届く。
優希は紅夜と冬馬が悲痛な表情を浮かべていることに気づいた。
(二人ともすごく苦しそう……)
しかし、キューブが覚醒していない優希には何も出来ない。
それが歯がゆくてポケットに入れているキューブを服の上からつかんだ――その時だった。
(――え……?)
キューブが熱を持ち、ほんのりとした温もりを指先に伝える。
そして輝きだした。
「篠崎さん……!」
優希の様子も見ていた紅夜がいち早く気づいて名を呼ぶ。
キューブの覚醒の前兆にみんなが気をとられた瞬間を一人は見逃さなかった。
「――ぐあ……っ!」
キューブの光に気をとられたほんの一瞬、薫は盾ごと払われる。
受け身をとり負傷を免れたものの、結界前は無防備に。
複数の声があがる中、治臣は長い刃を横に振り抜いた。
ガラスが割れるような音をたてて紅夜が作った結界を壊し、そして動く間もない対象者の胸に刃を突き刺した。
「今夜はワタシ達の勝ちです。――あなたの思い出を、北上治臣により封じさせていただきます――」
対象者の体を通り、刺さっているように見える刀身がまばゆい光をはなつ。
光がおさまると女性は目に力を宿して踏切前を去って行った。
「残念でしたね。思い出の保護、どうやら新しい覚醒も上手くいかなかったようで」
目を細めて口元を引き上げる治臣の言葉に、優希はポケットからキューブの入った袋を取り出して中を見る。
キューブは光や熱がなくなり、覚醒前の状態へと戻っていた。
「戻った……?」
目を丸くする優希とは違い、紅夜は思考を巡らせる。
自分の時や薫、奏太と春陽も覚醒が始まればそのまま覚醒を済ませて途中で戻ることはなかった。
――まさか。紅夜が思い当たることは一つ。
「篠崎さん、君は思い出を封じられているのか?」