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(どうしてこんなことに……)
セレナはこれまで体験したことのない数の視線を浴びて、どうしたらよいのか困惑していた。
それもこれも、全てはセレナの隣にピッタリとついて離れないアンリのせいだ。
入寮した翌日、始業式を終えたセレナはクラス分け表に従って自身の教室へ向かった。その途中の廊下で、アンリに捕まった。
アンリと時間をずらす為に早めに起きて支度を済ませて先に学舎へ向かったのがいけなかったのか、始業式後に小走りに追い付いてきたアンリに開口一番「なぜ先に行ったんだ」と咎められてしまった。
謝罪をするも、アンリは相変わらずの無表情で「謝らせたいわけじゃない」と言うだけで、じゃぁどうすればいいのかさっぱりわからない。
しかもクラスも同じで教室まで一緒に来たまではいいが、そこからもずっとセレナのそばを離れないときた。座席は指定ではなく長机に長椅子のため、セレナの隣をちゃっかり陣取っている。
そのせいで、クラス中の視線を集める羽目になってしまったのだ。
王子という普通ならお目にかかれない高貴なお方に皆の視線は集中する。そしてつぎには「隣のやつは一体何者だ?」と視線が移された。
注目を浴びるのは本意ではない。そもそも、男装を隠すだけでセレナはいっぱいいっぱいなのだ。魔法学校でも目立たず騒がずひっそりと過ごすつもりでいたのに。
セレナは堪らず、制服のローブのフードを目深に被って周りからの視線を遮った。すると、視界に手が伸びてきてフードの端をめくられたかと思えば、そこからアンリが覗き込んできた。
「ひっ」
至近距離で彫刻像のような端正な顔に見つめられて心臓がひっくり返るかと思った。
「どうした、気分でも悪くなったか」
驚きのあまり言葉を失うセレナ。無言を肯定と受け取ったのか、セレナの前髪をかき分けて額に手を当てた。
(殿下は、なにをしているの?)
理解が追い付かずに、セレナは固まってしまう。
「熱は……なさそうだな。具合が悪いなら医務室に連れていくが」
「いえっ、大丈夫です! なんともありませんから」
のけぞって、アンリの手から逃れる。
触られた額が熱い。ついでに頬も熱い。
セレナはフードをさらに引っ張って、火照る顔を手で仰いで必死に冷ます。
これまで異性と、というよりも家族以外の人との接触を極力避けてきたセレナにとって、他意のないスキンシップにすら耐性はないのだ。
「だが、」
「お待たせしてごめんなさいねー!」
アンリがなにか言いかけたが、教室に入ってきた先生に遮られた。ざわついていた教室内も一瞬で静まり返り、集まっていた視線も自然と先生に向けられセレナはやっと息ができた。
(お願い、早く終わって!)
初日のオリエンテーションが一刻も早く終わることを切に願った。
*
「あっ、やっぱりカイルのことだった!」
「ほら言っただろ」
何度か休憩を挟みつつ、授業と寮生活のオリエンテーションが終わって昼休憩の時間になると、廊下から目を引く赤毛と対照的な黒髪の頭が二つ中を覗き込んできた。
ギャスパーとジョシュアだ。
「おーい」と手を振ってぴょんぴょん跳ねる元気いっぱいのギャスパーに、セレナは手を上げて答えた。
今朝、寮の食堂で朝食時に顔を合わせたばかりだが、二人の顔を見てセレナはひどく安心した。
昨日知り合ったとは思えないほど、気さくな二人にセレナはとても助けられている。
「知り合いか」
「はい。一緒に昼食を食べる約束をしてたんです」
「そうか」
「……殿下も食堂を利用されますよね? もしよければご一緒にいかがですか?」
「俺も、いいのだろうか」
「もちろんです。二人も殿下とお話したいと言っていました」
配られたプリントを鞄にしまったセレナとアンリは、廊下で待つ二人の元へ向かった。
「二人ともお待たせ。殿下もご一緒してくださることになったよ。殿下、ギャスパーとジョシュアです」
挨拶を済ませた四人は、食堂へと向かう。にぎわう中、どうにか四人テーブルを確保して各々ランチを手に着席できた。
もちろん、セレナの隣はアンリだ。
「オリエンテーション疲れたよね。あんなに一気に言われても、忘れちゃうなぁ僕」
「そうだね。覚えることはたくさんだね」
人懐っこいギャスパーは、アンリがいても臆することなくさっきから一人で喋っている。
「規則が多いのは気に入らないが、ここの飯はどれも美味いな!」
「もう、ジョシュは朝からそればっかり!」
「食事は美味いに越したことないだろ?」
「そりゃそうだけど、オリエンテーション中ずっと『あー腹減った』『食堂のメニューなにがあるかな』って聞かされてた身にもなってくれる? おかげで先生の話が全然入ってこないったら」
二人のやり取りに自然と頬が緩む。食堂にいる今も周囲の視線は突き刺さるようだったけど、二人きりじゃない分、分散されて大分気が楽だ。
「それにしても……ジョシュアはよく食べるね」
ピラフを大盛にして、トッピングにチキンカツレツをチョイスした上に、パスタまで頼んでいた。それらを流れるように口に放り込んでいく様は見ていて感心してしまう。本当なら、もっと肉付きをよくしたいセレナもたくさん食べるべきなのだが、元々食が細くて食べたくても食べられないからうらやましく感じる。
「このくらい序の口だぜ」と胸を張るジョシュアの隣でギャスパーは「ジョシュの取り柄はこの食べっぷりくらいだから」と肩をすくめた。くるくるの赤毛が肩の上で弾むのを、可愛いなぁとセレナは微笑ましく見ていた。
しかし、さっきからアンリが一言も言葉を発していないことに気づき、「あ、二人は幼なじみだそうです」と付け足す。
「そうか」
「殿下の食べてるオムライスも美味しそうですね」と、今度はギャスパーが話しかけてくれたが、「あぁ」の一言で撃沈。
基本的に寡黙な人なんだろうなとセレナは今日一日一緒にいて理解する。
(うーん、話が弾まない……)
「えっとー……、あ! そ、そう言えば! さっき、教室に来たときに二人が話してた“やっぱり僕のことだった”ってどういう意味?」
気になっていたが、タイミングが合わなくて聞けずにいたことを思い出して尋ねてみた。
「あぁ、あれはね、殿下のそばにいる生徒がものすごーく美人だって僕たちのクラスで噂になってたんだよ」
「びっ……美人て……僕は男だよ……」
恥ずかしさのあまり、セレナは再びフードを被った。
「あはは、カイルってば照れてる可愛いー」
「んで、これまた美丈夫の殿下と並んでるから、別世界過ぎて誰も近寄れないってみんな嘆いてる」
「そんな風に思われてるなんて……」
アンリがかっこいいのは納得だけれど、自分に美人などという形容詞は似合わないし、そう言われることには慣れていない。増してや、自分がそばにいるせいで近寄りがたい雰囲気を作ってしまっているのは、なんだかアンリに申し訳ない気持ちになった。
「殿下……、あまり僕と一緒にいない方がいいかもしれません……」
「俺は別に構わない」
「で、でも……みんな殿下とお近づきになりたがってるんですよ?」
「俺は魔法を習いにここに来た。仲良しごっこをしに来たわけではない。――君は俺がそばにいたら迷惑だろうか……」
「迷惑だなんて、そんなわけありません!」
(注目を浴びるのだけは勘弁だけど……)
そんなことを言えるはずもなく。
周りも日が経つにつれて興味も薄れていくだろう。
そう思って諦めるしかなさそうだ、とアンリの態度を見て思った。
「でも……今日の噂で思ったけど、カイルはできることなら殿下のそばにいた方が良いと思うんだ」
「……? どういうこと?」
「その、ね……」
きょろきょろと周りを警戒しながら、ギャスパーはこちらに身を乗り出して声を潜める。
「可愛かったり綺麗だったりする生徒は、男でも性欲発散の相手に狙われることがあるとかないとか」
「っ」
セレナはぎょっとして目を見開いた。女の身ならまだしも、男でもそんな心配をしなければいけないのかと怖くなる。女の自分が襲われたら、抵抗してもその力の差は歴然だから無意味に終わってしまうだろう。
「僕の兄さんがここの卒業生で、過去にもそういうことがあったって聞いたことがあるんだ」
「それは、俺も小耳にはさんだことある。しかも、ほとんどは低階級の生徒が狙われて、泣き寝入りだって聞いたな」
「ひどい……」
「酷い話だよね。まぁ、カイルは爵位は高い分、そうそう手が出せないと思うけど、用心したに越したことはないよ」
「ギャスの言う通りだ。お前は殿下のそばにくっついてろ……って、まぁ殿下が許してくれるならの話ですけど」
二人の視線が向けられたアンリはゆっくりと頷いて、「問題ない。はなからそのつもりでいる」ときっぱりと言い放った。
「え……」
(はなからって……一体いつから?)
セレナの頭の上にはてなマークが浮かぶ。まだ出会って二日しか経っていないのにと、不思議に思ったが今の論点はそこではないなと頭から打ち消す。
セレナからすれば、王子という絶対的立場にいるアンリに後ろ盾についてもらえることほど安心なことはない。だけど、王子にくっついて、挙句の果てに守ってくれなんて頼んでいいのだろうか。
(いや、だめに決まってる。殿下をボディガード代わりにするなんてだめ)
「さ、さすが殿下! 話が早い。な、なぁ、ギャス」
「う、うん、そうだね! 殿下がついててくれれば僕たちも安心だなぁ~」
二人は、予想外のアンリの返事にたじろぎつつも、当事者のセレナを置き去りにして話を勝手に終わらせようとしているではないか。セレナは焦って前のめりに訴えた。
「で、でもっ、殿下には殿下のご都合がありますから!」
「俺は構わない」
「ほら、殿下もこう言ってくれてるんだ。ありがたく頼んでおけばいい」
「そうだよカイル。くれぐれも一人で行動しちゃだめだからね」
「そんな……」
多勢に無勢とはこのことで、セレナはそれ以上の反論を許してもらえなかった。