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05_恩返し(1)

 その日の午後、燦々(さんさん)とした陽が差し込むウィルクス伯爵邸の庭園からは、日傘を手に散歩する淑女たちの笑い声が響いていた。


 わたしは屋敷の廊下から庭園を見下ろし、その様子をうかがう。


 義母が主催するお茶会には、ウィルクス伯爵に追随する子爵家や男爵家などの夫人たちが多数集まっている。


 わたしが最初に魔力を取り出されてから三か月ほどが経過し、季節は夏を迎えつつあった。


 あれからもわたしは、定期的に教会に連れて行かれて魔力を取り出され続けているが、出ていく魔力の量を制御できているため、過去よりもずいぶんと体は楽だった。


 しかし、それでもいつまた過去と同じように、命を奪われるまで魔力を取り出されるかわからない。それを思うと、少しも気が抜けなかった。


 過去の記憶では、今日の夜から、わたしの部屋はあてがわれている客間から屋根裏部屋へと移されることになる。


 なぜなら、過去のこの日のわたしは屋敷でお茶会が開かれているとも知らず、廊下に出た際に、義母と義姉が客人を案内しているところに鉢合わせしてしまったからだ。


 庶子であるわたしの存在は、伯爵家の汚点であり、隠すべき事柄。


 それなのに、伯爵家に追随する家門の夫人を招いている席で、質素ながらもドレスを着ていて伯爵家当主と似た容姿を持つ若い娘の存在が明るみになり、義母は遠縁の娘が滞在しているとそれらしい言い訳でごまかそうと必死だった。


 そして、それを境にわたしの境遇は大きく変わった。


『──庶子のくせに、立場をわきまえなさい!』


 これまで抑えていた鬱憤(うっぷん)を爆発させるように、義姉は鬼の形相でわたしをにらみつけ、髪の毛を引っ張り、頬に平手打ちし、体を蹴り飛ばし、罵詈雑言(ばりぞうごん)を絶え間なく浴びせた。


 すぐさま、わたしの部屋は客間から屋根裏部屋に移され、使用人以下の扱いとなり、ろくな食事さえ与えてもらえなくなった。


『もう我慢ならないわ、いいこと? お前はわたくしのためだけにここにいるのよ、生かされているだけでもありがたいと思いなさい』


 義姉が冷酷に笑う。


 突然豹変した義姉と義母の態度に、衝撃のあまりわたしは何も言えず、そのあとは受け続ける暴言と暴力で抵抗する力を失い、ただ言いなりになるしかなかった。


 そのうち、わたしの魔力は義姉のもので、それを奪ったのはわたしなのだから仕方ないなどと、自分を責めるまでになった。


(でも、今度は──)


 わたしはもう一度、庭園を見下ろす。


 義母と義姉は、客人の夫人たちに庭を案内し終えたようだった。


 おそらく、これから応接室へ通してお茶の時間を楽しむのだろう。


 わたしは窓際からそっと離れ、階下へと向かう。


 廊下の奥から歓談する甲高い声が聞こえ、義母と義姉が夫人たちを案内する姿が見える。


 それを確認した上で、わたしは目の前を偶然通りかかったふうを装い、


「──えっ、お義母さま、お義姉さま!」


 驚きをあらわにして声をあげる。


 義母と義姉が唐突に笑みを止め、青筋を立てる勢いで鋭い視線をこちらに向ける。


 客人である夫人たちも、笑い声をぴたりと止め、わたしのほうに目をやる。


 わたしはやや眉根を下げながらも、あえてふわりと微笑み、


「お客さまがいらっしゃるとは存じ上げず、大変失礼いたしました。はじめまして、ステア・ウィルクスと申し──」


「ステア──ッ!」


 義母と義姉がそろって、わたしの名を呼ぶ。


 義母は取り繕った笑みで、


「ほほほ、遠縁の子で、少しばかり預かっているんですの。さあさ、そんなことより、こちらへどうぞ」


 と言って、わたしの横を通り過ぎ、廊下の角を曲がった先にある応接室へと夫人たちをやや強引に誘導しようとする。


 その間にも、義姉が勢いよくわたしに近づき、


「──どういうつもり⁉︎」


 顔を近づけ、怒りが抑えきれない低い声を出しながらにらみつける。


 わたしは驚いた表情で、


「すみません、お父さまは私を娘だと言ってくださったので、ウィルクス伯爵家に恥じないようとっさにごあいさつしようとしたのですが……」


 義姉はわなわなと震えながらも、


「──いいから、さっさと部屋に戻りなさい!」


 周りの目を気にして抑えた声でそう言うと、くるりと向きを変え、後ろでまだ動けずにいた数名の夫人たちに微笑み、


「わたくしへの伝言だったみたいですが、急ぎではありませんでしたわ。さあ、どうぞ、応接室へ。この日のために貴重な茶葉を用意していますのよ」


 と言って、義母たちのあとを追うように足早に廊下の角を曲がる。


 すると、出遅れていたひとりの若い夫人が慌てるように、わたしの横を通り過ぎる。


 と同時に、


「──あ」


 わたしは小さく声をあげる。


 若い夫人は驚いたように、後ろを振り返る。


 わたしは腰を屈め、廊下に落ちていたものを拾うしぐさをしてから、


「こちら、落とされましたよ?」


 右端に船の(いかり)の刺繍が施されたハンカチを差し出す。


「あら、いつの間に……」


 と言って夫人は、ハンカチを受け取ろうと手を伸ばしかけるが、ふと手を止め、


「あ、でも、わたしのではありませんわ」


 手にしていた手提げ袋(レティキュール)の中から自身のハンカチを取り出し、


「わたしのは、ここにありますわ」


 と、わたしに見せる。


 二枚のハンカチに刺された刺繍は、まったく同じ紋様だった。


 それもそのはず、わたしが拾ったと見せかけたハンカチは、あらかじめわたしが用意しておいたものなのだから。


 わたしは、素知らぬ顔で不思議そうに首を傾げながら、


「でもこちらの紋様は、カラック男爵家の家紋ではないでしょうか? たしか先代の王弟殿下が海で嵐に巻き込まれた際に、自らの危険も顧みず船を出し、奇跡的に救出されたという……」


 商人として海運業を生業としていたカラック家は、その一件で男爵の爵位を賜った経緯がある。貴族の家門を継ぐには、魔力の量が重視されるこの国で、魔力も持たない平民に爵位が与えられるのは異例中の異例だが、それほどまでに当時玉座についていた先代の王は、自身のかけがえのない弟を救ってくれたカラック家に感謝したのだ。


 わたしの言葉に、夫人はパッと目を輝かせ、


「……! ええ、そのとおりです! ご存知でいらっしゃるんですか?」


 わたしはにこりと微笑む。


「もちろんです。誰にでもできることではありませんから」


 そのとき、廊下の向こうから足音が近づいてくる音がして、わたしは手にしていたハンカチを夫人に渡す。


 夫人の耳元に顔を寄せ、


「通行税でお悩みですね、この中に答えが──」


 夫人は、はっと目を見開く。


 わたしは唇に人差し指を当てたあとで、素早くその場から立ち去った。



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