03_黒猫(2)
その日の夜、わたしは意を決して、父と義母、義姉が待つ晩餐に参加した。
メイドが身支度を整えてくれたおかげで、それなりの格好になった。過去と同じく、おそらく父からの指示でもあったのだろう。
晩餐用の広々としたダイニングルーム、真っ白なクロスがかけられたテーブルの上には豪勢な料理がずらりと並び、まるで大事な客をもてなすかのようだった。
父と義母、義姉は、わたしに話題を振り、わたしの言葉にあいづちを打ち、いかにも楽しげに会話を弾ませる。
しかしその間にも、値踏みするように鋭い視線をこちらに向けていることに、わたしは気づいていた。
(過去では、この場に必死についていくだけで気づかなかったわ……。緊張と慣れない場のせいで、何度もナイフとフォークを落としたけど、あとになってお義姉さまとお義母さまは、このときのことをことあるごとに持ち出して罵倒してきた。でも今度は、そうはいかないから──)
わたしは亡き母から習ったテーブルマナーを思い出しながら、そつなく食事を進め、当たり障りのない会話でその場をやり過ごす。
けっして侮られないよう、非難されるすきを与えないように、細心の注意を払う。
すると、それが功を奏したのか、父は感心するような視線を向けてくる。
しかし、それに気づいた義姉と義母は取り繕うことを忘れたかのように、
「あら、意外にもそれなりのテーブルマナーが身についているようで安心したわ。ねえ、お母さま」
と義姉はあたかもわたしを心配するような口ぶりで言い、
「ええ、そうね。まだまだですけれど、とりあえず形にはなっているようね」
と義母が続ける。
わたしはわずかに目に涙を浮かべ、
「ありがとうございます。亡き母がわたしが困ることのないようしっかりと教えてくれたのですが、こうして役立つ日が来て、母もよろこんでいると思います……」
と、しおらしく答える。
父と義母、義姉の顔が一瞬凍りつくが、わたしは視線を下に向けたまま、気づかないふりをする。
この屋敷で暮らす限り、じつの母の話題を持ち出すのは許されないと思い込んでいた。
でもいまならわかる。そんなことをしても無意味だ。この人たちは、最初からわたしを家族に迎え入れる気などみじんもないし、わたしの母はメリンダという名の母、ただひとり、それだけは譲れない。
そのあと、食後のデザートを食べ終え、なんとか無事に晩餐は終了した。
部屋に戻ると、どっと疲れが出る。
ソファに身を投げ出すように座ると、膝の上に黒猫のエバンがふわりとのっかってくる。
「あら、まだいたのね」
驚きながら、わたしは声をかける。
晩餐に行く前、エバンが部屋から出ていけるようにと庭に面したガラス窓を少し開けておいたのだが、出ていきはしなかったようだ。
「まあ、まだ外は寒いものね」
そう言いながら、わたしはエバンを膝から下ろし、ソファから立ち上がって窓を閉める。
再びソファに腰を下ろすと、エバンがすり寄ってくる。
その柔らかな毛並みをなでながら、わたしは昨日考えた、今後のことを頭の中で巡らせる。
過去、あの人たちは『家族』という言葉でわたしを縛り、来年の春に開催される義姉のデビュタントと同時に行われる魔力量の鑑定までに、わたしが死なない程度に調整しながら何度も何度も魔力を取り上げていった。
しかし、過去の死ぬ間際、最後の魔力を取り出されたときに感じたことがあった。
(もしかしたら、取り出される魔力の量はわたし自身で制御できるのかもしれない……)
わたしはひとつの仮説を立てていた。
過去では、魔力を取り出されるときに抵抗したことはなかった。
なぜなら、あのときのわたしは、わたしが持つ魔力は本来義姉であるマルグリッドのものだったと繰り返し言い続けられたせいで、義姉に返さなければいけないと思い込んでいたからだ。
愚かにも、そうすることでようやく自分は家族の役に立てるのだと本気で信じていた。
でも最後のあのとき、気のせいかもしれないが、取り出される魔力の量をわずかに減らせた気がした。
しかし、それをつなぎ止められるだけの魔力が体の中になかったせいで、抵抗虚しくすべてを取り出され、命を落とすしかなかった……。
(わからないけど、魔力を取り上げる方法は、取り出される側の意思を無視して、強制的に取り上げられるほどの域には達していないのかもしれない……)
一種の賭けにはなるが、わたしはそこに賭けることにした。
へたに逃げるよりもこのまま伯爵家に留まり、あの人たちに従うふりをしながら、最小限の魔力を取り出させて安心させる。
「そして魔力を温存しながら、時機を見て、あの人たちが絶対に手出しできないような場所に逃げる……、それしかないわ……」
それが導き出した最善策だった。
唯一の母を亡くし、身寄りのないわたしのような子どもが逃げ込める場所は教会と孤児院くらいしかないが、そもそも教会の司祭がわたしと父を引き合わせたのだ。ほかの教会を頼ることも考えたが、どこまで安全かなんてわからないため、危険すぎた。
教会が無理でも孤児院ならと、母と暮らした村にある馴染みの孤児院を思い出したが、孤児院は日頃から教会に世話になっているため、司祭からわたしを引き渡せと言われれば従わざるを得ない。あの司祭なら、孤児院のやさしい院長をだますための理由ならいくらでもでっち上げられるだろう。
「……となると、やっぱり、魔塔に行くしかないわ」
わたしは、ぽつりとつぶやく。
魔塔には魔術師がいて、魔力量が多ければ所属できるといわれているが、魔塔が本当に実在するのかすら誰にもわからない。それほどまでに大きな謎に包まれている。
魔塔を見つけることすら困難に思えるが、一方で、そんな魔塔に逃げ込めれば、父や義母、義姉たちから魔力を狙われることはないだろうとも思える。
なぜなら、魔塔は外界との接触が一切断たれた場所のはずだから──。
そして、わたしはかつて魔術師と思われる、ひとりの老人に会ったことがある──。