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10_ひとりじゃない

 ──数日後、目を覚ましたわたしは、ふんわりと心地のよいベッドの上にいた。


 凪いだ海のような澄んだ青色を基調とした壁紙やカーテンに彩られた室内は、上品さがありながらも、どこか落ち着く雰囲気があった。


 あの日、過去と同じように、わたしはまたもすべての魔力を奪われそうになったが、すんでのところでエバンが助けに来てくれおかげで、こうして命を落とさずに済んだ。


 しかし、魔力切れの限界だったのか、途中で意識を失ってしまったらしかった。


 父と義母、義姉、司祭や教会の聖職者、そして魔塔の管理人だったという金の刺繍が入った白いローブの男などは捕らえられ、今後しかるべき処罰を受けることになるという。


「──俺が油断したせいだ、本当にごめん」


 わたしが目覚めたあとで、エバンは自分の過去、そしてわたしを助けるために時間を巻き戻したことなどをひとしきり語り終えると、苦しげに顔をゆがめた。


 わたしは信じられない気持ちで、エバンを見つめる。


(昔、孤児院にいた男の子のエバンで……、あの黒猫もエバン……)


 孤児院にいたエバンとは、あの嵐の出来事で別れてから、六年の年月が経っていた。


 当時十歳だった男の子は十六歳になり、まだ少年らしさは残るものの、少しくせのある黒髪に、吸い込まれそうな金色の瞳のどきりとするくらい立派な青年になっている。


「──エバン……、のせい、……じゃない」


 わたしは声を発するも、もどかしいくらいにいまはかすれた声しか出ない。


 エバンは心配するように、わたしの顔をじっと見つめ、


「……無理してしゃべらなくていい。魔力切れでずっと眠ったままだったんだ、回復にはまだ時間がかかる」


 そう言う彼の目の下には、うっすらとくまが見える。


 わたしが目を覚ましたとき、エバンはわたしの枕元にいた。おそらくずっとそばにいてくれたのだろう。


 そのとき、コンコンとドアをノックする音がした。


 エバンがドアのほうを振り返り、


「──ああ、もう入っても大丈夫だ」


 と声をかける。


 ゆっくりとドアが開かれる。


 そこに立っている人物を目にして、わたしは驚く。


「……カラック、男爵夫人?」


 そこにいたのは、カラック男爵夫人だった。


 死に戻る前、伯爵家で虐げられていたわたしに唯一、やさしく手を差し伸べてくれた人物──。


 男爵夫人は安堵する笑みを見せたあと、足早にわたしに近づいてくると、ベッドの横で膝をつき、両手でわたしの左手をとる。


「無事にお目覚めになられて、本当によかった……。ご安心ください、ステア嬢。ここは我がカラック男爵邸です」


 見慣れない部屋だと思っていたが、まさかカラック男爵の屋敷だとは思わず、わたしは目を瞬かせる。


 状況がのみ込めず戸惑っていると、男爵夫人の背後から、


「……今回のこと、私がもっと早くに感知できていれば、本当に申し訳ありません」


 声がしたほうに目を向けると、男爵夫人の数歩後ろにひとりの青年が立っていた。


 どこか見覚えのある顔だった。


 しばらくして、


「──あっ……」


 わたしは小さく声をあげる。


 わたしが教会へ連れて行かれるとき、馬車の手綱を握っていた御者の青年だった。


 男爵夫人が少し後ろを振り返りながら、


「この者は我が家の使用人なのですが、ステア嬢にもしものことがあった場合に備えて、ウィルクス伯爵家に潜入させておりました」 


 わたしは目を大きく見開く。


「どう、して……、そんなことを……?」


 驚きもさることながら、意図がわからなかった。


 伯爵邸で間者のような真似をしていることが見つかれば、ただでは済まなかっただろう。


 男爵夫人はふっと微笑み、


「ステア嬢が我がカラック男爵家を助けてくださったからです。数か月前のあの日、ハンカチの中に隠された紙片に書かれていた助言で、我が家は窮地を免れただけでなく、王家からの厚い信頼をいただくまたとない機会を得ることができました。このご恩を我が家はけっして忘れないでしょう」


 そこで一度言葉を切ったあとで、ふと苦しげな表情を見せ、


「……そのために、ステア嬢をあの伯爵家から救い出せるよう動いていたのですが、思うようにいかず、結果的にはこんなことに……。本当に申し訳ありません」


 そう言って、深く頭を下げた。


 わたしは慌てて、


「──そんな……、頭を上げてくだ……さい! わたしは、ただ……、男爵夫人のお役に立てれ……ばと……、思ってしただけで……」


 かすれた声で精いっぱい声を張る。


 本当にそのとおりだった。


 過去の恩を返したにすぎない。


 虐げられていたわたしに、なんの見返りもなくハンカチを差し出し、助けてくれた男爵夫人の行動に、過去のわたしがどれほど救われたか、言葉では言い表せない。


 男爵夫人は柔らかく微笑むと、


「心からの感謝を──」


 と言った。


 胸がじんと熱くなる。


「わたしの……、ほうこそ……」


 過去に助けてもらったからだと言えないのがもどかしかった。


 それでも最大限の感謝を込めて、男爵夫人の手を握り返す。


 そこで、ふと思い出し、男爵夫人の背後に立つ御者だった青年に目を向ける。


「あの……、もしかして……、塗り薬をくださった……のは、あなたですか……?」


 ずっと気になっていた。


 義姉に叩かれた日の翌朝、塗り薬が屋根裏部屋の廊下に置かれていたことがあった。


 青年は、複雑な表情で眉を落として、


「あのときは、その程度しかお嬢さまのお力になれず、本当に申し訳ありません……」


 その言葉の裏には、わたしが置かれている境遇を察しながらも、かばえなかったことへの謝罪も含まれているように感じた。


 しかし、伯爵家に潜入している身なら当然だろう。


 表立ってわたしをかばえば余計な疑いをもたれ、それがもとで男爵家とのつながりを突き止められれば、最悪男爵家も追求されてしまう。


「気にかけ……て、くださって……、本当に……、ありがとう……、ございます」


 わたしは感謝の気持ちを伝える。


 青年は少しだけ心苦しさが消えたように微笑み、男爵夫人もやさしく笑う。


 ややあってから、男爵夫人は名残惜しそうに静かに立ち上がると、


「まだ目覚められたばかりなのに、あまり長話をしてはお体に障るでしょうから、私たちはこのあたりで失礼いたします。どうぞ、ゆっくり休んでください」


 男爵夫人と使用人の青年が出ていき、部屋の中には、わたしとエバンふたりきりになる。


 話したいことはいろいろあるが、何から話せばいいのかわからない。


 わたしは視線をさまよわせながら、言葉を探す。


 すると、ふいにエバンが手を伸ばし、わたしの前髪をそっとよける。


 確認するように、わたしの額の左側に視線を向け、


「……傷跡、残ってるんだな」


 悲しげに目をふせる。


 過去に、エバンがわたしの前からいなくなる原因にもなったあの嵐は、幼いエバンがわたしを守ろうと魔力を暴走させてしまったことで起こった。


 そのときにわたしは額に傷を負ったが、そのことをエバンはいまでもひどく悔やんでいるようだった。


 わたしは両手でエバンの手をとって、正面から彼を見つめる。


「傷跡……なんて、気になら……ない、本当よ……!」


 話したいことはたくさんある。でも、それよりも──。


「──エバン……。過去……も、いまも……、助けてくれ……て、ありがとう……」


 わたしはありったけの感謝を込めて、笑った。


 エバンがいなければ、過去のわたしはあのまま死んでいただろう。


 そして、時間が巻き戻ったあとも、わたしひとりでは助かったかどうかわからない。


 エバンはぐっと堪えるように唇を噛みしめたあとで、安堵するように深く息を吐き、わたしが握っていないほうの手で顔を覆う。


 彼の指先がかすかに震えている。


「……エバン?」


 わたしはエバンの顔を覗き込む。


「……本当に、よかった」


 エバンは、震える声音で言った。


 わたしはぐっと言葉に詰まる。


 両手を伸ばし、エバンをぎゅっと抱きしめる。


 最愛の母が死に、じつの父はわたしを道具としか見ていなかった。義姉や義母からは虐げられ、魔力を取り出され、二度までも命を奪われかけた。


 誰もわたしのことなど気にかけていない、いらない存在なのだと感じていた。


 でも、そんなことはなかった。


(過去の死ぬ間際、わたしの手を握ってくれたのはエバンだったのね……)


 あのときに感じた、あたたかなぬくもりを思い出す。


 わたしは両腕に力を込める。


(わたしは、ひとりじゃなかった……)


 これ以上ないくらいのしあわせをわたしは噛みしめる。


「エバン……、本当に、ありがとう──」



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