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09_エバン(4)

 そのあと、気づけば俺は、何もない暗闇の中をふわふわとただ漂う存在になっていた。


 魔力のほとんどが失われ、体もなくなり、かろうじて意識だけがうっすら残っている存在──。


 おそらく過去、現在、そして未来に続いていた自分という存在も、もう消滅してしまったのだろうと理解する。


 こうしてかろうじて残っている意識さえも、もう間もなく消えてしまうのは時間の問題だった。


 でも、ステアが無事かどうかたしかめるまでは消えられない。その未練だけが、かろうじて自分をつなぎ止めているとわかっていた。


 それからどのくらい漂っていただろう。


 ふいに、淡い光が目の前に浮かび上がるのを感じた。


「……猫?」


 誰かの声が聞こえた。


 すると、確固とした形のなかった俺の輪郭がスルスルと引力を持つように、猫の形に変わる。


「……黒猫? どこから入ってきたの?」


 さらにその一声で、俺は黒い毛並みを持つ黒猫になった。


 見上げた先に見えるのは、ひとりの少女──。


 少しだけ陽の差す冬の空みたいな落ち着いた銀髪に、やさしげなチェリーブラウンの瞳。


 ──ステア。


 心の中でその名前を呼ぶ。


 ──ああ、ステアだ。


 俺はうれしくて、彼女の足元にすり寄る。


 ステアが俺を不思議そうに見下ろす。


 俺は足を止めて、その顔を見つめる。


 ずっと昔に別れたときよりも成長して、よりかわいくなっている。


 直視できず目をそらしそうになるが、なんとか堪えてじっと見返す。


 すると、


「……エバン?」


 俺はピクンッと耳を立てる。


 ──そうだ、俺の名はエバン。なんで忘れていたんだ。


 徐々に意識が鮮明になる。


「ニャー」


 俺はひと鳴きして、目を細める。


 ──そうだ、俺だよ、ステア。




 そうして俺は猫としての姿を得て、エバンとしての記憶も取り戻したが、魔力はほとんどない状態だった。


 しかし、ステアが俺の額にキスを落としてくれることで、ほんのわずかだが魔力が戻ってくるのを感じた。


 本来、魔力は他人に分け与えたりできるものではないはずなのだが、無意識にせよ、ステアにはそれが可能なのかもしれなかった。


 俺は自分の魔力と引き換えに時間の巻き戻しに成功したが、巻き戻せたのは一年ほどだけのようだった。


 時間をゆがめることが、禁忌とされる理由がよくわかる。


 きっと半端な魔力量で手を出していれば、わずかな意識すらもこうして残ることはなかっただろう。


 過去、現在、未来に自分という人間が存在した痕跡だけでなく、意識までもが一瞬で消滅して、そのすべてが最初から何もなかったかのようになくなっていたはずだ。


 わずかばかり俺の意識が残ったことの影響なのか、それとも過去に戻った本人だからなのか、ステアには俺と過ごした記憶があるようだった。


 だから、俺の名を呼べたのだと思う。


 ステアの額の左側には、俺のせいでけがをさせてしまった傷が跡になって残っていた……。


 黒猫の姿の俺がステアの前に姿を見せられる時間はごくわずかだったが、それでもステアの周りを注意深く観察していると、どうやら彼女はこの屋敷に無理やり連れてこられたようだった。


 ウィルクス伯爵家、この家の当主がステアの本当の父親なのだろう。信じたくもないが、男の髪と瞳の色を見れば血のつながりは明らかだった。


 男には妻と娘がいて、その義母と義姉はステアを蔑み、虐げていた。


 魔力があまりない義姉は、ステアの膨大な魔力は自分のものだと妄信し、ステアの魔力を奪い取ろうとしていた。


 過去に戻る前も、きっと同じ理由だったのだろう。


 いまのステアは、伯爵家の中でうまく立ち回り、取り出される魔力の量も制御させているようだが、不安は残った。


 この伯爵家から助け出さない限り、ステアの命がまた脅かされる。


 しかし、俺の魔力がわずかに回復したとしても、彼女を助け出せるほどの力はなかった。


 ステアは魔塔に救いを求めようとしていたが、時間を巻き戻す前に見た光景、あれはたしかに魔術だった。


 魔術師が関与しているのなら、魔塔も安全とは言い切れない。


 過去に戻ったとはいえ、俺の知る未来と変わっている可能性もある。


 いまの魔塔のあるじが誰なのか、たしかめる必要があった。


 俺は使えるほんのわずかな魔力で、なんとか魔塔の現状も探りはじめた。


 すると、魔塔のあるじは、俺のよく知る白髭のじじいであることがわかった。


 じじいがあるじの座についているなら、魔塔は安全だ。


 そう確信した俺は、風の魔術を使い、わずかな念を込めて、じじいに連絡を取った。


 時間を巻き戻したことにより、じじいは俺が何者かなんて知らない。


 それでも魔塔のあるじだけあって、俺の正体を疑ってはいるものの、ひとまず話を聞く気にはなったらしい。


『魔塔に来い』


 じじいがよこした紙切れには、そう一言書かれていた。


 魔塔に所属していたというなら、当然魔塔の場所くらい知っているから来られるはずだという意図が見てとれた。


 それはそうだ。


 王城の裏庭にある大きな樫の木が魔塔への入り口など、おそらく誰にも想像できないだろう。


 ほかにも王国のあちこちには、大昔の魔術師たちが作ったとされるいくつかの出入り口が隠されているものの、それでもここから向かうなら、王城の入り口が一番近かった。


 紙切れを持ってきたのは、鳥の形を模した炎だった。


 紙切れはすぐに燃えてなくなる。


 ステアのそばを離れなければいけないのは心配だったが、過去でステアがすべての魔力を奪われたのは、来年の春に行われる義姉のデビュタントの前だ。今後のことを考えるならば、冬を越す前にじじいに会っておかなければならない。 


 ステアのおかげでわずかでも魔力が回復しているとはいえ、いまの俺には念を送るだけで精いっぱいの魔力しかない。


 ひとっ飛びで魔塔へ行けるわけもなく、途中で何度も自然の風の力を借りながら、小さな猫の体で魔塔へと向かった。



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