09_エバン(1)
物心ついたときには、俺は孤児院にいた。
孤児院の院長によると、赤ん坊の俺は孤児院の門の前に置き去りにされていたらしかった。
だから、父親の顔も母親の顔も知らない。
でもそれは俺だけじゃなく、孤児院にいる子どもたちの大半はそんなのばっかりだったから、たいして気になることもなかった。
俺が十歳くらいのとき、孤児院にひとりの女の人が通ってくるようになった。
どうやら、孤児院の子どもたちに文字の読み書きや針仕事なんかを教えてくれるらしく、とんだお人好しのめずらしい人もいるものだと思った。
その女の人は俺たちにいろいろと教えるかたわら、さまざまな面白い物語を聞かせてくれるので、その人が孤児院に来る日をみんなが楽しみにしていた。
その女の人には、俺と同い年くらいの娘がいた。
いつも女の人の後ろに隠れていたけど、孤児院のほかの子どもにからかわれているのをちょっと助けてやったら、やたらと俺に懐くようになった。
名前は、ステアといった。
少しだけ陽の差す冬の空みたいな落ち着いた銀髪に、深みのある赤にブラウンが混ざったチェリーブラウンの瞳をもつ女の子だった。
母親は黄金色の髪に青い瞳だったので、きっと父親譲りなのだろうと思ったが、話を聞くとステアは父親を知らないらしかった。
最初の頃のステアはうっとうしいだけだったが、いくら言ってもついてくるので、そのうち諦めた。
俺はつるむことは好きじゃないが、まあ、子分くらいひとりいてもいいかもしれない、それだけの気持ちだった。
あるとき、俺はひとりで森へ出かけた。
森へは木の実や山菜を採りに行ったり、ときに罠を仕掛けて野ウサギなんかを狩ったりしていたので慣れていた。
孤児院の食事は十分とはいえない。近くにある教会に援助をしてもらっているらしいが、それだけではとても大勢の子どもたちを養えない。
だから院長は、いつも教会の司祭に頭を下げていた。
森の中に入ってしばらくしてから、ふと後ろを振り返ると、ステアがついてきていた。
帰れと何度言っても聞かず、仕方ないので諦める。
早めに切り上げて帰ろうと思ったとき、孤児院をよく思わないガラの悪い連中と出くわしてしまう。
何かにつけて孤児院に罵声を浴びせ、ときには石などを投げ入れるのだ。
面倒なことにならないうちに立ち去ろうと思い、ステアの手を引く。
しかし、連中が素直に見逃してくれるわけはなかった。
連中たちは、俺に殴る蹴るの暴行を加えたあと、ステアにまで手を出そうとした。
「やめろ──っ!」
そう叫んだのは覚えている。
気づくと俺は、不自然に木々がなぎ倒され、円形にぽっかりと開けた場所に倒れていた。
体がズキズキと痛み、とてつもない疲労感からすぐにでも意識を失いそうだったが、なんとか堪えてステアを探す。
ステアは、少し離れたところに倒れていた。
急いで駆け寄って抱き起こす。
小さく息をしているので無事だとわかるが、額から血が出ていることに気づき、俺は蒼白になる。
そのとき、突然炎の輪が出現し、その輪をくぐるように、白い髭の老人が目の前に現れた。
続いて、黒いローブを身にまとった怪しげな連中がぞろぞろと現れる。
俺はステアを背後に隠すようにして身構えるが、すでに体と意識は限界だった。
朦朧とする意識の中、
「……こうなっては仕方なかろう、この少年は連れて行く」
そう言った声が聞こえた。
『ステアは、ステアはどうなるんだ──?』
俺は必死で声を出そうとしたが、それは叶わなかった。
***
次に目覚めたとき、俺は”魔塔”と呼ばれる、魔術師が所属する塔の中にいた。
俺をここに連れてきたのは、”魔塔のあるじ”と呼ばれる白髭の老人だった。
百歳はとっくに超えている老いぼれらしいが、本当のところはどうだか知らない。
この魔塔に入れるのは、一定量以上の魔力を持つ者だけということだった。
なんでも、魔塔ではさまざまな魔術の研究が行われているが、それなりの魔力が必要らしく、研究にはいずれも長い時間を要する。
魔力が多ければ多いほど、特に魔塔では年を取りにくく、長寿命になるともいわれていて、それゆえ魔塔で暮らす魔術師と外界に住む者とでは時間の流れが異なってしまう。
時間の流れが異なれば、乖離が生まれる。
過去には、周りは年老いてゆくのに自分は若いままで、ついには親しい者はみな死に、なぜ自分だけ生きているのかとさいなまれ、心を病む魔術師もいたという。
そのため、いつからか魔塔に入る者は必ず、外界との縁を切ることが決まりになった。
つまり、俺はもう一生ステアとは会えない。
手紙一通送ることさえ、できなくなったのだ。
俺は、勝手にこんなところに連れてきた魔塔のあるじであるじじいを恨んだ。
「なんでこんなところに俺を連れてきたんだ! 俺はこんなこと望んでない!」
じじいは、俺の目をじっと見て、
「──お前が魔力を暴走させたからじゃ。一歩間違えば、とてつもない災害を起こしていた。あの少女が額の傷だけで済んだのは奇跡のようなものじゃ」
その言葉を聞いて、俺はがく然とした。
「……ま、魔力なんて知らない、俺はただ、ステアを守ろうと……」
指先が震える。
「ああ、わかっておる。しかし過ぎた力はときに強大な凶器となる。自分の身だけでなく、他者をも傷つけ、壊す。お前さんが力を制御できるすべを身につけなければ、いくらそうありたいと思っても、何も守れなかろうて」
俺は何も言えなかった。
もしかしたらステアを失っていたかもしれないのだ。
「これからはここで暮らすんじゃ、いいな」
俺は頷いた。受け入れたわけじゃない。でもほかに方法はないのだと、はっきりとわかったからだ。
しばらく、エバン視点のエピソードが続きます!