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05_恩返し(2)

 わたしは急いで部屋に戻ると、どさりっと、ソファに腰を落とす。


「はあ……」


 安堵の息を吐く。


 本当は、過去を教訓に部屋にこもって客人たちと鉢合わせしないことも考えた。


 でもどうせなら、わたしがこの家にいるということを見せつける機会として利用すべきだと思った。


 父である伯爵は、口ではわたしのことを娘だと最初の日に言ったものの、本心からではないのは明らかだった。


 父と義母、義姉は、表面上まだわたしを気遣うそぶりを見せているが、今日を乗り切ったとしても、いずれ近いうちに豹変する。その日が早いか遅いかの違いだ。


 どうせわたしを娘だと公表するつもりはないのだから、いっそのこと噂好きのご夫人たちによって噂を広めてもらえばいい。本当の娘かどうかの事実はどうあれ、噂があるうちは多少、父と義母、義姉の行動を抑えることにはつながるだろう。


「……それに、これでカラック男爵家がうまくいってくれれば」


 わたしはつぶやく。


 カラック男爵家は、海運業で培った莫大な財力がありながら、先代の王弟を偶然助けたことで爵位を得た、いわば新興貴族だという理由で貴族の間では下に見られ肩身の狭い思いをしている家門だ。


 それこそ財力だけならウィルクス伯爵家よりも上だろうに、過去では父や義母、義姉は、いつもカラック男爵家を蔑んでいた。


 そうやって男爵家を下に見ながらも、自分たちにとって役に立つからという理由だけで、つながりを断とうとしないのだ。


 そして、過去と同じように出来事が進んでいるなら、この時期のカラック男爵家は、度重なる通行税の値上げのせいで苦境に立たされているはずだった。


 通行税はウィルクス伯爵領やほかの領地を通る際に人や馬車、荷物にかけられる税だが、なぜかカラック男爵家のみ、多くの税がかけられ、検問も大幅な時間が取られているのだ。


 カラック男爵家を妬むウィルクス伯爵家や追随するほかの家門のいやがらせによるものだが、立場の弱い男爵家からすれば不当な条件であってものみ込むしかなく、打開策を見出せずにいた。


 しかし一年後、王家主導で王都まで続く河川を整備する一大工事が行われ、大型船が運行できるようになったことで、ウィルクス伯爵領やほかの領地を通らずに王都へ直接荷を運べるようになり、カラック男爵家はより発展、通行税で不当な利を得ていた伯爵家は打撃を受ける。


 過去と同じなら放っておいても半年後には、王家からカラック男爵家へ河川運行に適した船の開発に関して異例の抜擢があるはずだが、この段階から男爵家より王家に進言できれば、男爵家の名が高まるだけでなく、その持ち前の手腕も広く知れ渡るだろう。


 そしてこの機会を利用して、通行税に関してさりげなく実情を訴えることができれば、王家からの査察が伯爵家に入る可能性も出てくる。


「……そうなれば、伯爵家の力を削げるかもしれないし、何より、カラック男爵夫人に恩返しできるもの」


 ウィルクス伯爵家では、今日のように義母や義姉が度々お茶会を開いていた。


 過去のわたしは、客人である夫人たちに鉢合わせして以来、来客があるときは必ず屋根裏部屋に閉じ込められていた。


 しかしある日、使用人のいやがらせで裏庭の雑用を言いつけられ、急いで片づけているところを義姉に見つかってしまったのだ。


 案の定、義姉はわたしが言いつけを守らなかったことに激昂し、手をあげたのだが、その場に偶然居合わせたのがカラック男爵夫人だった。


 男爵夫人は事情を知らないにもかかわらず、義姉の手を止めさせ、わたしをかばってくれた。


 そしてそれだけでなく、自身のハンカチが汚れるのも構わず、わたしの口元から出ている血をぬぐい、礼儀をわきまえながらも義姉を非難した。


 格上であるウィルクス伯爵家の義姉に対して逆らうことが、どれだけ自分の立場を悪くするのかわかっていながらも、男爵夫人はわたしにやさしくしてくれたのだ──。


 カラック男爵家の錨の家紋は、わたしにとって唯一差し伸べてもらったやさしさの象徴だ。忘れるわけがない。


「あのとき差し出してもらったハンカチは、結局返すことができなかったけど……」


 過去では、そのあとわたしが男爵夫人に会う機会は二度とやってこなかった。


 伯爵である父と伯爵家に追随する家門の当主たちが、カラック男爵家をさらなる苦境へと追い詰めたからだ。


 それを偶然耳にしたわたしはがく然としながらも、何もできず、ただ祈りを捧げるしかできなかった……。


 わたしは目尻を指先でそっとぬぐったあとで、ポケットからハンカチを取り出す。


 念のため、予備としてもう一枚、同じ刺繍を刺したハンカチを用意していた。


 刺繍は母から教わったのだが、幼い頃から母の刺繍仕事を手伝っていたので、それなりの腕前だ。


 カラック男爵家の家紋を刺したハンカチはずっと手元に残しておきたかったが、誰かに見つかれば、なぜこんなものを持っているんだと追求され、男爵夫人に迷惑がかかる。


 わたしは立ち上がると、暖炉の前に行き、マッチを擦ってハンカチに火をつけ、そのまま暖炉の中へと放り入れた。



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