エピローグ
先日の一件から数日が過ぎた。
学園での私はものすごく微妙な立場に立たされている。
というのも、体育祭の一件で私は悪女……というか、人でなしとして知れ渡った。にもかかわらず、乃々歌ちゃんがまた以前のように私に懐き始めたからだ。
当然、クラスメイトは混乱する。
その結果、私が美優ちゃんに対して手術を受けるように説得したことを、乃々歌ちゃんが暴露してしまったのだ。おかげで、クラスの雰囲気は以前のように戻りつつある。
ただし、完全に戻った訳ではない。クラスメイトが知っているのは、私が美優ちゃんを説得したことだけで、体育祭を途中で抜け出した理由を知らないからだ。
なにか理由があったに違いないという声もあれば、美優ちゃんを説得した件がそもそもの嘘で、乃々歌ちゃんを騙しているのでは? なんて疑惑も存在している。
正直なところ、この状況は悪くない。
私が善人かもしれないけれど、もしかしたら悪人かもしれない。なんて認識されていれば、やっぱり悪人だったんだ――というふうにことを運ぶのがやりやすくなるから。
ゆえに、いまの私が気になるのは六花さんや琉煌さんのことだ。
乃々歌ちゃんは、私が体育祭を抜け出した理由を知らない。ただ、なにか事情があって抜け出したのだと、好意的にとらえているのだろう。
でも、六花さんや琉煌さんはすべてを知っている。
私が明日香さんのお見合いを阻止するために体育祭を抜け出し、それゆえに騎馬戦に出場できなかったこと。それで手術を受けないと言いだした美優ちゃんを説得したことも。
なのに、二人はそのことについて沈黙を保っている。
すべてバラされたら元の木阿弥で、クラスメイトを相手取ってツンデレを演じるハメになるところだったので、私にとっては非常に都合がいい状況ではある。
でも、どうして二人が沈黙を保っているのか分からないのは怖い。
一応、明日香さんには、秋月家のプライドを保つためと説明しているので、それを二人が信じて、その意思に従ってくれている可能性もあるんだけど……
あの二人がそんな建前を信じるかなぁ、と。
もちろん、秋月家のプライドがどうのというのも嘘じゃないので、単純に合わせてくれている、みたいな可能性もあるとは思う。
あるとは思うのだけど、やっぱり思惑が分からないのは怖い。
……もっとも、考えたところで答えは出ない。いつか裏切らなくちゃいけないのは苦しいけど、悪役令嬢としてのお仕事を頑張ろう。
――と、私はアプリに届くミッションをこなしていく。
といっても、この時期は期末テストの成績がどうのという内容だけだ。突発的に読モのお仕事は入るけれど、基本的には勉強をする毎日。
そしてその日は、乃々歌ちゃんから勉強会に誘われた。
「みんなでお勉強をしようって話していたんです。澪さんもいかがですか?」
この子は本当に……と、溜め息をつきつつも、彼女の背後にいる人達に視線を向ける。
背後には夏美さんと水樹さん、それに陸さんがいる。
どうやら、この四人で勉強をする予定だったようだ。夏美さんと水樹さんは焦った表情で、陸さんはなんとも言えない顔をしている。
これ、絶対みんなに相談せずに私を誘ってるでしょ。
「……乃々歌、皆さんの同意は得ているのかしら?」
「え? みんな、かまわないよね?」
絶対そんなことないと思う――と、私の心の声が聞こえているかどうか、彼らは答えない。だけどほどなくして、夏美さんが「私はかまわないよ」と答えた。
それを切っ掛けに水樹さんが頷き、陸さんもそういうことならと同意する。
「ということで、いかがですか?」
苦笑いを浮かべる。いつもの私なら、ここで寝言は寝て言いなさいと突き放していた。
だけど――
「そこまで言うのなら付き合ってあげてもかまいませんわよ」
私はそう口にした。いままでのように逃げるのではない。積極的に接して、最後に裏切る覚悟を決めたから。でも、そんな私の返事は予想外だったのだろう。
乃々歌ちゃんはぽかんとした顔になる。
「……え?」
「なに、ダメなの?」
「い、いえ、かまいません!」
……ものすごく嬉しそうな顔をするのね。
いつか、私に裏切られるなんて知らずに。……なんて、ダメだよね。いまからそんな気持ちじゃ、肝心なときに迷っちゃう。私は悪役令嬢、甘い考えは禁物よ。
お人好しの乃々歌ちゃんを利用してやる、くらいの気持ちが必要だ。
そう自分に暗示を掛けて、強制的に意識を切り替える。
「乃々歌、明日香さんと沙也香さんも一緒でかまわないかしら?」
私はそう言って、乃々歌ちゃんではなく、明日香さんと沙也香さんに視線を向ける。
私は悪役令嬢で、いつか破滅する存在だ。だけど、明日香さんと沙也香さんは違う。違わなくちゃいけない。私が破滅するとき、同じ道を歩ませるつもりはない。
だから、先日の件を謝りなさいと、私は視線で促した。
二人は頷き、乃々歌さんのまえに立つ。
「……乃々歌さん、入試の日は申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした」
明日香さんに続き、沙也香さんが深々と頭を下げた。
周囲がざわめくけれど、もはや今更だろう。どうするのと乃々歌ちゃんに視線で問い掛ければ、我に返った彼女は「顔を上げてください」と慌てて口にした。
そんな中、二人はそれって顔を上げ、沙也香さんが口を開いた。
「許して、くださるのですか?」
「許すもなにも、もう気にしていませんから!」
「そう……ですか。感謝いたしますわ」
――と、こうして二人は正式に乃々歌ちゃんから許しを得た。
それを見届けた私は、パチンと扇を広げて見せる。
「それで、勉強をする場所は決めているの?」
「いえ、特には」
決めておきなさいよという文句はかろうじて呑み込んだ。
「なら、財閥特待生の特権で勉強に使える部屋を用意してあげる」
「あ、そこならみんなで勉強できますね」
ありがたいと言った面持ちをするけれど、私が参加するといったときほどじゃない。ほんと、私への信頼はどこから来るのかしら――と、呆れながら部屋を手配する。
そうして、使用許可を取った会議室で勉強を始める。
メンバーは乃々歌ちゃんとその友人、私と取り巻きの二人、そこに陸さんという七人だ。というか、男性が陸さんの一人しかいない。
ハーレムだねって思ったけど、彼はものすごく肩身が狭そうだ。それでも一緒に勉強をしているのは、乃々歌ちゃんのことが気になるからじゃないかなと、私は密かに予想している。
個人的には応援してあげたいけれど、私が目指すのは琉煌さんのルートなんだよね。
もしかしたら、乃々歌ちゃんと琉煌さんがくっつくように、私が立ち回る必要も出てくるのかな? 出来れば、自然にくっついて欲しいんだけど……
そんなことを考えていると、私の視線に気付いた陸さんが顔を上げた。
「澪さん。乃々歌さんの友達が手術を受けるように説得したって本当なのか?」
それ聞いちゃう? なんて思いながら、私は口を開く。
「嘘ですわ」
「――本当だよ」
乃々歌ちゃんが即座に訂正した。
「どっちなんだ?」
「ですから、嘘ですわよ」
「もちろん本当だよ」
きりがない。というか、夏美さんや水樹さんが苦笑いを浮かべている。思惑通り、私のことを素直じゃないなぁ。とでも思ってくれているのかしら?
もしそうならとても都合がいい。
陸さんが「結局のところ、どっちなんだ?」と呟いた直後、私は「好きな方を信じればよろしいでしょう? でも後で騙されたと思っても知りませんわ」と呆れ口調で言い放った。
「……そうか。澪さんにもなにか事情があるんだな。それも考えず、この前はキツいことを言ってすまなかった。許して欲しい」
「あら、なにか言われたかしら? わたくし、記憶にありませんわね」
素っ気なく言い放ってノートにシャーペンを走らせる。
わりとツンデレじゃないかしら? いや、私、あんまりツンデレについて詳しくないんだけどね。でも、後でやっぱり悪人でした――という前振りにはなっていると思う。
なんて考えていると、そのやりとりをじっと見ていた乃々歌ちゃんが口を開いた。
「――澪さん」
珍しく、乃々歌ちゃんの声にトゲがある。まさか、私に嫉妬したの? 乃々歌ちゃんには、琉煌さんのルートに向かって欲しいのだけど。
そんな不安は、次の一言で杞憂だと分かる。
「ここ、私に教えてください」
斜め向かいの席から、陸さんを押しのけるように身を乗り出してきた。
……この子、陸さんに嫉妬してる?
陸さんのルートに入る心配はしていたけど、悪役令嬢のルートに入る心配もした方がいいかしら? いえ、そんなルートは存在しないのだけれど。
私はツンデレっぽく「仕方ないわね。今回だけよ?」と溜め息をついてみせた。
でも……正直に言うと、楽しい。いままでのように、積極的に乃々歌ちゃんを虐める必要がない現状はとても楽だ。いつか裏切ることを考えなければ、だけどね。
そんな不安を断ち切るように、私はノートにシャーペンを走らせ続けた。
そうして、私はツンツンしながらも、ほどほどにデレてみせる。乃々歌ちゃんと交流を持って、直接彼女の成長を促していく。そんな日々がしばらく続いた。
そうして期末試験が無事に終わり、数日経ったある日の昼休み。
私は上位の成績が張り出されている廊下へと足を運んだ。
乃々歌ちゃんの名前は……あった。
危なげなく五十位以内に食い込んでいる。本当はいまくらいがぎりぎり食い込むレベルだったはずなので、やはり乙女ゲームの彼女よりも成長しているようだ。
私もそれに合わせて目標を高くしていたので、ちょうどいい順位差を保っている。
六花さんや琉煌さん、陸さんも相変わらずの好成績だ。
そしてびっくりしたのは、沙也香さんと明日香さんの成績だ。さすがに五十位以内には入っていないのだけれど、前回よりはずいぶんと順位を上げたらしい。
もちろん、一緒に勉強をしたのが原因の一つだろう。
乙女ゲームでは悪役令嬢の取り巻きである二人も、現実ではちゃんと生きている。いつか私が破滅するのだとしても、二人がそれに巻き込まれないように立ち回らなくちゃね。
とはいえ、それを気にするのはずっと先の話。当面の問題は、乃々歌ちゃんを成長させることと、乃々歌ちゃんと琉煌さんの仲を取り持つこと。
いまのところ、あまり接点がない二人だ。
どうやって仲を取り持とうか――と、考えを纏めたくて、私は中庭へと足を運んだ。
そうして木漏れ日の下で木の幹に寄りかかっていると、不意に足音が聞こえてきた。最低限の体面を保つように身だしなみを整えていると、そこに琉煌さんが現れる。
「澪か、こんなところで会うとは奇遇だな」
「そういう琉煌さんこそ、こんなところにどうしたんですか?」
「いや、少し考えることがあったんだが……ちょうどよかった」
琉煌さんはそう言って距離を詰めてきた。
「……ちょうどよかったとは?」
「もうすぐ夏休みだろ?」
「ええ……そうですわね。でも、それがなにか?」
首を傾げようとした私の顔の横、琉煌さんが木の幹に腕をついた。
「澪、付き合ってくれ」
一瞬ドキッとした私はけれど、すぐに『俺と』ではなく『俺に』であることに気付く。これ、知ってるわよ。買い物に付き合ってくれとか、そういう紛らわしいあれでしょ?
そもそも、琉煌さんには、乃々歌ちゃんとくっついてもらわないと困る。
私は自分を落ち着かせるために、髪を掻き上げて意識を悪役令嬢モードへと切り替えた。
「紛らわしい言い方は止めてくださる?」
「……ん? あぁ、たしかに言葉足らずだったな。澪、この夏休み、俺に付き合ってくれ。今度のパーティーで婚約者が必要なんだ」
うん、そうだよね。
そんなことだと思った……って、え?
「こ、婚約者ってどういうことですか!?」
思わず動揺した私に、琉煌さんはなんでもない顔で答えた。
「婚約者も知らないのか? 将来を約束した二人のことだ」
「いえ、婚約者の意味くらい知っています。そうではなく、私が知りたいのは、なぜそんな話を私にするのか、という意味ですわ。……分かっていて聞いていますよね?」
「澪が適任だと思ったからだ」
「……どういう意味でしょう?」
自らの腕を抱きしめ、琉煌さんの挙動を注視する。
「以前、俺にこう言っただろう? 雪城家の次期当主に取り入る価値はある、と」
私は沈黙した。そんなことあったっけ? と思わず考えて、最初のパーティーでダンスを踊ったときのことを思い出す。
「そういえば、言いましたわね」
「……忘れていたな?」
私は思わずそっぽを向いた。
というか、いまにして思えば懐かしい。
悪役令嬢として、彼に取り入ろうとして嫌われる。そんなスタンスを取りたかったのに、いつの間にか、ツンデレみたいな立場が染みついてしまった。
「どうした? 俺の力を手に入れるチャンスだぞ?」
たしかにその通りだ。その通りなんだけど……それは、私が琉煌さんに迫った結果、嫌われるという展開を期待しての行動だ。琉煌さんの誘いに応じるのは話が違う。
そもそも――
「わたくしのメリットは分かりましたが、貴方にどのようなメリットがあるのですか?」
「……はあ」
ものすごく残念なモノを見るような顔をされた!?
「あの、一体なにを企んでいるんですか?」
「企むとは心外だな。ただまあ、一足飛びの提案だったことは認めよう。正確には夏にあるあるパーティーで婚約者の振りをして欲しい、という依頼だ」
「……依頼、ですか」
「ああ。借りを返してくれるんだろう?」
そう言われると弱い。というか、やっぱり高くついた。
こんなふうに迫れば、私が折れるしかないと思っているのだろう。
でも、琉煌さんは一つだけ勘違いをしている。たしかに、相手が琉煌さんじゃなければ、たとえば六花さんが相手なら、借りを返そうとしたかもしれない。
だけど、琉煌さんは運命の相手だ。
私の――ではなく、乃々歌ちゃんの。
そして、みんなをハッピーエンドに導くための相手。
私が二人の仲に割って入るような真似だけはするわけにはいかない。だから、私は依頼を断ろうと決意した。直後、私のスマフォに通知が届く。
それは、新たなミッションを告げる通知。
それに気付いた私は、琉煌さんに断りを入れてスマフォを確認する。
『琉煌の要求に応じ、雪城財閥の信頼を勝ち取りなさい』
追加されたミッションにはそう書かれていた。
この状況を紫月お姉様がどこからかチェックしているのは今更なので驚かない。でも、なぜ琉煌さんの要求に応じろと言われているのかが分からない。
私は、琉煌さんと乃々歌ちゃんをくっつけるために、ここにいるんじゃなかったの?
それとも、私の知らないなにかを紫月お姉様は知っている……?
……なんて、今更よね。私はあの日、紫月お姉様を信じると決めた。この人なら、きっと雫を救ってくれるって、そう思ったから。
だから、その紫月お姉様の指示だというのなら、私はそれに従うだけだ。そう念じて乱れていた心を立て直し、いつものように髪を掻き上げた。
――さあ、悪役令嬢のお仕事を始めましょう。
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