21. 罪滅ぼし
レイはアルマのアパルトマンを出ると、脇目も振らずカーライルの屋敷へ戻った。
教師であるリアムは、夕方になっても学園に留まっていることが多い。なのに学園へ戻らなかったのは、もしかしたら今日は屋敷に帰ってきているかもしれないと思ったからだ。今朝、リアムが同僚の女性と食事に行くと嬉しそうに話していたのを思い出したのである。正装するために一旦帰宅する可能性はある。
案の定、執事のルーカスはリアムが屋敷にいることを教えてくれた。
「兄貴、頼みがあるんだが」
準備中のリアムの自室に堂々と足を踏み入れ、二人の侍女に為されるがまま服を着せられている兄へ、単刀直入に切り出した。
「なんだい、帰ってくるなり挨拶もなしに。僕の弟はそんなに礼儀知らずだったかい?」
「イーゼル街で知り合いが襲われた。そいつは無事だったんだけど、心配だから巡回を増やすよう衛兵隊に要請してほしいんだ」
忠告を無視して進めてくる弟に、一瞬リアムはさらに何か言おうとし――思い直したか、満面の笑みで頷いた。
「いいとも! 可愛い弟の頼みなら、なんだって聞こうじゃないか!」
「え。マジ? じゃあ週に一回やってる恋文朗読会とかいう怪しい集会やめてくれる? あのせいで知らない奴に話しかけられるの、恥ずかしくて仕方ないんだが」
「ええっ、あれをやめろだって? 馬鹿なことを!」
リアムは大仰に驚いてみせると、大真面目な顔で人差し指をピンと立てた。それから、出来の悪い生徒に言い聞かせるように続けた。
「いいかい、レイ。あれはね、僕という芳しい花を取り合う蝶たちの美しい舞を皆で分かち合おう、とっても素晴らしい企画なんだよ? 中止だなんてとんでもない!」
「微塵も理解できねぇ。つーか、勝手に手紙を読まれる方は嫌だろうに」
「大丈夫! ちゃんと本人に許可は取ってあるし、何なら彼女らも参加してるから!」
「救いようがねぇな……」
兄を中心とした高貴な方々の奇妙な趣味は、レイには到底理解できない。解りたくもないが。
リアムは、苦々しい表情を隠そうともしない弟にふわりと微笑んだ。
「まあ、冗談は置いとくとして」
「こっちは冗談じゃないんだが」
「君にはセドリック王子という最高のコネ――もとい御友人がいるのだから、そういうことは殿下に頼めばいいんじゃないのかい? そっちの方が早いだろう」
「…………」
お巫山戯をやめて正論を言うリアムに、レイは思わず黙りこくった。
兄の言う通りである。セドリックはどちらかと言えば温和な性格だが、友情を頼みに無茶を通すような人間ではない。ただし正当な理由のある頼み事ならば、出来る限り聞こうとするだろう。無理のない範囲で、という条件は付くけれど。セドリックに直接頼めば、リアムが要請するよりも早く衛兵隊を動かせる。
しかしレイには、セドリックにあまり頼りたくない理由があった。
一つは、知り合いというのがアルマであるということ。事情を説明する際、彼女の名前を出さずに通すのは無理だ。もし隠そうとして不審な点を見せれば、セドリックは動かない。第一、セドリック相手に隠し通せる自信もない。
アルマの名前を聞いて、セドリックがどう思うか。パーティーでのこともアルマのことも、セドリックは許したわけじゃない。ただ気にしないようにしているだけだ。もともと関わりの薄い人間だし、もうすっかり忘れているかもしれない。
だが、クラリッサを貶めようとしたアルマのことを、セドリックが不愉快な人間のカテゴリーに放り込んだのは事実だ。下手に記憶を刺激してアルマへの不快感を呼び起こすのは、レイにとって愉快な展開ではなかった。
その点、アルマに悪印象を持っていないリアムなら安心である。
もう一つは、レイ自身の問題だった。
かつてレイは、セドリックに己かクラリッサの近衛騎士になってくれないかと打診されたことがある。
それをレイは断ったのだ。即答で。一も二もなく。
爵位を継げない三男坊なんて、そこらの平民と変わらない。にもかかわらず、王子本人に否を叩きつけた。それ自体に問題はなくても、周りがこのことを知れば、レイは恩知らずだと捉えるだろう。彼自身最低だなと思っているし、セドリックは意外に思うかもしれないが、多少引け目に感じている。
――セドリックとクラリッサは、レイの命の恩人だ。
両親や他の大人たち全てから見放され、見殺しにされかけていたのを救ってくれた。誰にも気付かれないまま死んでいくはずだったのを、あの二人が見つけてくれた。欠陥を抱えるレイの体を癒やすため、知恵と労力を絞り出してくれた。
そんな彼らを守りたくないと言ったも同然だ。もちろんそんなつもりないし、傍で仕えることだけが守ることではないとレイは思っている。
だが、打診を断ったことが心に引っ掛かり続けているのは確かだった。
この上セドリックの権力を当てにしようなんて、身勝手が過ぎるだろう。
一方、そんなレイの心情を、リアムはほとんど正確に読んでいた。彼は――彼だけは――近衛に関する打診があったことを、レイの口から聞いていた。なので、レイがセドリックに対して負い目のようなものを感じていることも、薄々だが察している。
「ま、いいか。お前が僕にお願いなんて、滅多にないことだからね。頼ってくれて嬉しいよ、レイ」
そう言って、多くの女性を虜にしてきた美しい笑みを弟に向ける。
それに対して、レイは安堵と感謝の篭もった素直な微笑を返した。
「ありがとう。兄貴」
リアムは、言葉を失った。
――あのレイが、ありがとう!? 笑った!?
天上から光が射したかと思えば、頭上で天使がラッパを吹き鳴らし、紙吹雪や花びらが盛大に舞う。どこからか金色の鐘が鳴り響く音がして、妄想の中のリアムは滂沱の涙を流した。
ちょうどその折、支度を終えた侍女たちがリアムからしずしずと離れていく。
リアムは滲んできた涙を不自然に思われない仕草でさり気なく拭うと、一人掛けのソファに腰掛けて優雅に足を組んだ。
「それにしても意外だね。イーゼル街に守りたいお姫様でもいるのかな?」
心の中では嬉しさで踊り狂いながら、しかし表面上は茶化して言うと、レイは怪訝そうに眉をひそめた。
「姫ぇ? 兄貴さぁ、そんなのが庶民の街を歩いてるわけないだろ。セドリック王子の妹は城から出たことなんかないよ」
「……弟よ。僕以外の前では決して王族を『そんなの』呼ばわりしないこと。いいね?」
もしかすると、この弟にもようやく春が訪れたのかもしれない。そんなことを期待していたリアムは、レイのあまりの朴念仁っぷりについ真顔に戻るのだった。
***
デート相手の屋敷へ向かう馬車のシートで、リアムは目を瞑り物思いに耽っていた。
(あいつのあんな素直な反応、初めて見たかもしれないなぁ)
笑った顔なら、何回かはあるだろう。同じ屋敷で暮らしていても、仏頂面以外のレイを見ることは少ない。不機嫌なわけではなく、その顔がデフォルトなのだ。
おそらく幼い頃に全く笑わない生活を送っていたせいだろうとリアムは考えている。実際に見ていたわけではないので、想像だが。
(弟の存在を最初に知ったのは、いつだったかな)
七年遅れて生まれてきた弟。母はトールスでレイを産み、一方のリアムは早くから魔術の才能を発揮したため、王都で高名な師について学んでいた。
父と三つ離れた兄も領地におり、リアムが家族と会うのは年に数回、父が母と兄を連れて王都へやって来る時だけだ。
そこに不満や寂しさを感じたことはない。滅多に会うことのない家族なんて、リアムにとってみれば他人と大差なかったからだ。たまに会えば魔術の上達にしか興味を示さない父親なんて、どうやって愛せと言うのだろう?
そんな冷たい肉親よりも、本当の親のように叱ったり褒めたりしてくれる執事のルーカスや、陽気な言動で笑わせてくれる魔術の師匠、広い世界を教えてくれる家庭教師たちの方が、よっぽど家族に近かった。
弟が生まれたことは、誰かから聞いたと思う。しかし、前述の通りリアムは自分の家族に興味がなかったので、新しい兄弟のこともすぐに頭の片隅に追いやってしまった。まさか、生まれてすぐ発覚した病のせいで見捨てられたなんて思いもしなかったのだ。
両親は、自分が思っていた以上に人非人だった。
(もし俺がもっと家庭内に目を向けていたら、レイを助けてあげられただろうか)
どれほど後悔したって過去は変えられない。そうと分かっていても、後悔するのも止められない。自分にできるのは、これからレイが進む道を応援することだけだ。
カーライル家が治めるトールス領には、古くから魔物が湧き続ける谷が存在する。そういった魔物が生じるポイントは世界各地に数多確認されているが、トールスが抱える"竜の爪痕"は特に難所として知られる。その難所から町を、人々を守るのがトールス騎士団だ。
レイの目標は、トールス騎士団の一員となること。
言うまでもなく危険な仕事だ。
死ぬかもしれない。挫折するかもしれない。家庭を築けないかもしれない。
しかし、レイはやると決めた。自身の得意分野が武に偏っていると分かった時から、ずっと選択肢にあったのだろう。トールスの生まれなだけに、谷へ向かう騎士の姿は目に焼き付いているはずだし、レイに剣術を教えたのはトールス騎士団の元副団長という話だ。レイがトールス騎士団を目指すのは自然な流れだろう。
レイにはレイのやりたいことをさせてやりたい。
そのためには、両親の介入を防がなければならない。どうやら彼らは、レイの学園卒業後はセドリック殿下の側仕えになると信じているらしい。
まだ言葉も話せないうちから見捨てたくせに、王子と懇意だと知るや否や、ありもしない期待を膨らませる両親には反吐が出る。
両親がレイの進路を知るとしたら、各騎士団への仮入団がはじまる来年の夏だろう。
戦技科では、二年から実地での本格的な戦闘訓練、三年から騎士団の一員としての活動がはじまる。年末から年明けにかけての実地訓練が終わったら、次は希望する騎士団への仮入団試験だ。戦技科の生徒が、最も忙しくなる時期である。そんな時に邪魔なんかされたら、堪ったもんじゃない。
とは言え、既に手は打ってある。だからこうして自分はデートに勤しめるというわけだ。そのうち、レイにも誰か紹介してやろうと思っていたのだが――。
「ふふ、レイもやれば出来るじゃないか。さすが僕の弟」
知らない間に大きく成長していた弟に、ひっそりと喝采を送るリアムだった。




