16. 知らぬは気まぐれ騎士ばかりなり
カンッカンッと、木剣のぶつかり合う激しい音が、訓練場の一画に鳴り響く。
入口から最も遠い目立たない場所で、二人の生徒が模擬試合を行っていた。訓練場には他にも大勢の生徒がそれぞれ稽古に取り組んでいるが、二人の周りには観戦に回っている生徒も多い。というのも、理由は試合をしている二人にある。どちらも学園では知らぬ者のいない有名人なのだった。
一人はレイ・カーライル。戦技科二年にして、既にトップクラスの成績を誇る剣士。
対峙するのは、セドリック・ネア・アセンバーグ。普通科三年。眉目秀麗、文武両道。言わずと知れた、グレイス王国の第一王子様である。
セドリックは鷹の爪のように襲いかかる振り下ろしの一撃を横に躱し、カウンターの突きを放った。一見苦し紛れにも見える反撃だが、セドリックの目は冷静に一点を捉えている。
その視線を、レイは見切った。
風を裂く突きを耳の横スレスレで避け、手首を返して逆にセドリックの喉元を狙う。見切られるのは予想外だったか、セドリックは思わず顔に焦りを出し、大きく後ろに飛んだ。 しかしそれすらも読んでいた――というより、最初からカウンターからの避けまでを狙っていたのだ――レイは、セドリックの手から力が緩んだのを見逃さず、過たず彼の剣を絡め取った。
「ッ……!」
セドリックの木剣が高く天井へ跳ね上がり、一拍後、弧を描いて降下する。中に鉄身の仕込まれたそれは、レイの後方でガンッと鈍い音を響かせると、虚しく床に転がった。
しばし、固い沈黙が観客を包む。畏怖と緊張が入り混じった視線の先にあるのは、片膝を突いたセドリックと、その首筋にぴたりと木剣を添えるレイの姿。観戦していた生徒のほとんどが予想した結末とは言え、王子の首に平然と剣を突きつける伯爵家三男という構図は、見る者に心胆を寒からしめた。
やがてセドリックが両手を挙げ、深く溜め息を吐く。
「参った。降参」
王子の敗北宣言を聞き、レイはさっと剣を引いた。
同時に、周囲の時も動き出す。いくつものどよめきから、生徒たちの興奮が伝わってくる。誰も話しかけてこないのは、負けたのが王子だからだろう。セドリックが勝ったなら、今頃四方八方取り囲まれているところだが、敗者となった王子に言葉をかける勇気を持つ者は、この場にはいないらしい。
ぞろぞろと去っていく観戦者たちの背を尻目に、セドリックは恨みがましげな眼差しをレイにぶつける。
「いや、本気過ぎない? これでも一応王子なんだけど。手加減しようとか、ちらっとでも考えたりしないのかなぁ? 僕の幼馴染君は」
レイは木剣で自分の肩を叩きながら、けっ、と反論する。王子に向かってなんたる態度だ――と、ここが王宮なら即座に非難が飛んだだろうが、幸いというか生憎というか、一応公平を掲げる学園の訓練場においては、レイはどこまでも無実だった。
「怪我させても咎めないって言ったのは殿下だろ。あと、戦技科が普通科に負けるわけには行かないから、本気出すのは当たり前だし」
「それにしたって、中盤花を持たせるとかさぁ」
「んな器用なことは無理」
「だよね」
知ってた、という風にがっくしと肩を落とすセドリック。怪我させても、とは言ったが、どこも怪我はしていない。その辺りはレイもさすがに配慮したのだろう。配慮されるだけの実力差があると言い換えることもできるが。
と言って、セドリックも悔しいわけではない。立場においても剣術にかける訓練時間においても差が出るのは当然だし、セドリック自身、嗜みとして剣術は身につけているが、いざとなれば後ろで守られる身分だということはよく理解している。
立ち会いを申し込んだのは、単なる暇つぶし。それと好奇心に過ぎない。
「殿下、先輩」
そこへ、明るい薄茶の髪の少年が、天使のような笑顔でやってきた。小柄でヒョロヒョロしているが、これでも戦技科の一員だ。そして、セドリックと親しい人間の一人でもある。レイにとっては、王子を介した友人関係だ。学年は違えど同じ科に所属していることもあり、それなりに会話もする仲である。
なので、親しげに話しかけられるのも不思議はない。ないのだが。
「相変わらず誰に対しても容赦ないねー。レイ先輩は」
「ケヴィン。君も見てたの?」
「途中からですけどね。殿下がやられるとこも、バッチシ目撃しましたよ」
「……できればそこは忘れてほしいな」
「ははは」
王子と談笑する後輩に、レイは冷たい視線をくべた。仮にも友人に向ける目ではない。明らかにケヴィンを拒んでいる。
しかし、天使の容姿と鋼の度胸を併せ持つケヴィンは、ちっとも臆することなくレイへとその可愛らしい笑顔を転ずるのだった。
「レイ先輩~。先輩さぁ、少しは考えてくれた? 例のこと」
来た。警戒心を隠すということを知らないレイは、内心毛を逆立てる勢いで身構える。
「知らねぇ」
「いやいや、知らねぇじゃねぇでしょ。考えといて、って頼んだじゃん」
ふいっと横を向いたレイに、険しさを滲ませたケヴィンが詰め寄る。レイは嫌そうに顔をしかめてケヴィンに目をやりながら、口うるさい女房を振り払うように顔の前で手を振るう。
「引き受けた覚えはねぇよ。お前が一方的に押し付けていったんだろ。大体、オレに何を言えって言うんだ。あいつの家の問題じゃねぇか」
「そんな言い方ないでしょう。友達じゃないですか。冷たい、冷たすぎる!」
「冷たかねぇよ。お前が熱すぎるだけだ」
台詞以上に突き放す物言いに、ケヴィンが一瞬気色ばむ。レイも後輩の顔色には気付いたが、自分の言葉を覆すつもりはない。それを証明するかのように、腕を組んでがんとして視線を合わせなかった。
一触即発の気配が色濃くなったその時、セドリックが二人の間に滑り込んだ。
「なになに? 何の話? 僕の前で喧嘩は止めてくれよ。するんだったら僕も混ぜて」
「で、殿下……」
ケヴィンが気まずそうに言葉を濁す。
レイはセドリックの好奇心でキラキラした顔をジトっと睨んで、面倒くさそうに溜め息を吐いた。それきり口を閉ざした彼が、つまり自分に説明しろと促しているのだろうと察したケヴィンは、渋々セドリックを部屋の隅へと誘った。左手はレイの腕をしっかりと掴んでいる。逃げないように。逃げねぇよ、と心の中で反駁して、レイは後輩の後に続く。
こちらに関心を寄せる生徒たちに声が届かないところまで来ると、ケヴィンは殿下の顔を見上げて少し言い淀んだ。大方、どう言えばセドリックが自分の味方になるかと考えたのだろう。しかし結局彼が口にしたのは、いくつかのキーワードを繋いだだけの要領を得ない説明だった。
「シャーリィがそろそろ婚約者を決めるそうなんですよ。来年、卒業だし。でもあいつ、婚約なんて絶対嫌に決まってるでしょ。だから、レイ先輩に何か言ってもらえたらって」
「あー……、そういうことかー……」
ケヴィンの説明は穴だらけで、レイには後輩の意図が全く読めない。なのに、セドリックは裏の裏まで読んだかのような納得顔をした。それがレイには少し不満だった。
まさか、こんな妙な言い分を支持するんじゃないだろうな。そう懸念したレイは、仕方なく口を開く。
「『だから』の意味が分かんねぇよ。言いたいことがあるならお前が言えばいいじゃねぇか」
「だーかーら! 俺じゃ何言ったって意味ないんだよ! なんで分からないかなぁ!?」
「分からねぇのはお前の方だ。なんでオレがあいつの家の事情に口を挟まなきゃなんねぇんだよ。完全に部外者だろうが。そんな権利ないっつうの」
「そんなことを言ってるんじゃないんだよ! 権利とか資格の問題じゃないの!」
「じゃあ何なんだよ」
「それは……っ」
レイは苛々と息を吐きながら頭を振った。
家同士の婚約に首を突っ込むのは、友人の領分を越えている。普通、家と友情は分けて考えるものだ。シャーリーズが婚約を嫌がっているのは話の流れでなんとなく分かるが、だからってなんで自分が「何か」言ってやらなくちゃならない? そもそも「何か」って何だよ。
ケヴィンが自分に何を期待しているのか、さっぱり分からない。だから、その辺りを明確にしてもらいたい。何度もそう言っているのに、何故かケヴィンは説明を拒む。そんな状況で後輩の意に従うのは、自分を騙そうと罠を張っている中に飛び込むみたいで嫌だった。
何にしろ、これ以上話しても埒が明かない。
(早く帰りてぇ)
帰りたい――そう願ったにもかかわらず、脳裏に思い描いたのは、いつもあの子が待っている小さな庭だった。
入り口に向かって待つのは恥ずかしいのか、アルマは彼を迎える時は決まって背を向けている。彼が来たことが分かると、おずおずと肩越しにこちらを見る。その夏空にも秋空にも映える紫色の目を見るたびに心が解れていく事実など、鈍感なレイは全く気付いていない。彼を知る者がその場を目撃すれば、一目瞭然だというのに。
この時も、レイは知らず穏やかな顔をしていた。が、タイミング良く――悪く、と言おうか――セドリックに話しかけられたケヴィンも王子自身も、レイの僅かな変化は見ていなかった。
「気持ちは分かるけどね、ケヴィン。無理強いは駄目だよ。そういうのは自分で――レイがしたいと思ってやるんでなければ、意味がない。シャーリーズだって望まないはずだ。分かるだろう?」
「だって!」
セドリックの声に我に返ったレイは、駄々っ子のようなケヴィンの抵抗に再び心がささくれ立つ。
基本的に、ケヴィンは誰とでも仲良くなれるという、レイの対極に位置するような性格の持ち主だ。性格と言うより、策略と言うべきか。そこまで大層な思惑を抱えているわけではないだろうが、波風を立てないためか、あるいは己を優位に立たせるためか、人の輪に溶け込むことで安定を得ようという、ケヴィンはそういう奴だった。
対極ではある。がしかし、対立はしなかった。そう、これまでは。ケヴィンはレイとの距離感をも上手く図り、こちらの神経を逆撫でするような真似は謹んでいたのだ。
それなのに、いったい何がケヴィンを焦らせているのだろう。
焦る。そうだ、彼は焦り、苛立っている。そのくらいはレイにも分かる。もともと、彼は悪意や敵意には敏感な質だ。今、ケヴィンに向けられている感情が敵意に属することなど、誰かに問うまでもなく明らかだろう。
シャーリーズの婚約? それが何だって言うんだ。彼女が嫌がっているのであれば、可哀相だとは思う。しかし、なぜ自分が貴族のルールを破ってまで意見しなければならない?
実際のところ、ケヴィンはレイに「決定的な何か」を求めているわけではなかった。多少の思いやり、そして自覚を持ってほしかったのだ。だが、それを直接的な方法以外で思い知らせるのは容易ではなかった。
そしてレイにとっては心外なことに、セドリックも――どちらかと言えば――ケヴィンに近い心情を抱いていたのだった。たとえ、レイの事情を理解しているとしても。
「ケヴィン、一旦冷静になろうか。君がシャーリィを心配する気持ちは分かるよ。とってもね」
「うう、殿下……」
「でもさ、この朴念仁に理解を求めても仕方ないと思わないか? 見なよ。この、さも自分は関係ありませんとでも言いたげな憎たらしい顔を。はっ倒したくなるよね。でも腕っぷしだけはあるからムカつくんだよねぇ」
「…………」
セドリックに煽られたケヴィンが、真っ向から睨んでくる。まさにギロリ、といった感じで。
「レイ先輩が鈍いのが、全部悪い」
「それは同感」
……場を収めてくれるんじゃなかったのか。確かにケヴィンは落ち着きを取り戻したけど。
二対の視線に晒されたレイは、悪い神様の生贄にされたような面持ちで深い溜め息をついた。




