後編
しかしそんなある日、「ちょっとお話が」と待ち伏せしていた先輩方に空き教室へ引き込まれ、囲まれてしまった。
彼女たちは一学年上で、エミリオのクラスメイトだ。
「マリー様。あのふざけた転入生、シャロンのことはご存知ですよね?」
「ええまあ……お話ししたことがないので、よくは知りませんが」
「あの者は平民の出のくせに図々しく、学園の男たちに取り入って、自分が学園の主役であるような立ち振舞いで、我が物顔なのですよ。このままのさばらせておいて宜しいのですか!」
「マリー様、ガツンと言ってやってくださいませ」
「なぜ私が?」
「ご発言にお力がございますから。マリー様は公爵家のご令嬢であり、エミリオ王子殿下の婚約者でいらっしゃるんですもの」
そうきたか。
確かに私の父は公爵で、婚約者は王子だけど、私は声を大きくして発言するのが苦手だ。元々社交が苦手で、図書館大好きな人間なのだから、そう察してほしい。
この先輩方のほうが、私よりよほど弁が立つだろう。
「いえ、でも私は、そのシャロンさんの行いを実際見ていませんから、噂だけで判断して動けません」
正論で回避しようとしたところ、伯爵家令嬢のマチルダ嬢が言った。
「では、今すぐカフェテリアにおられるエミリオ王子殿下の所へ行かれて、実際にご覧になられてください。そのような悠長なことを仰っている場合ではないと、お分かりになります」
「どういうことですか?」
「シャロンがいまターゲットにしているのは明らかにエミリオ王子殿下ですよ。ここ四、五日ずっと殿下にくっついて、ベタベタしてるんですよ。きっと狙いは最初からエミリオ王子殿下だったのです。まずは手下を作って、味方を増やし、外堀を埋めるように周りから攻めて」
「えっ!」
まさかそんな、エミリオに限って。
私はカフェテリアへと走った。探すまでもなく、エミリオはいつもの決まった席にいた。エミリオの正面には友人のロバートとダニエルが、エミリオの隣には、噂のシャロンがいた。
息を切らせて突然現れた私に、四人は驚いた顔を向けた。
「やあ、マリー。そんなに慌ててどうしたの? しばらく見かけなかったから、また良い本を見つけてドハマりしてるのかなって思ってたよ。僕に用事?」
エミリオは少しも悪びれず、いつもののほほんとした笑みを見せた。
「あっ!」と小さく声を上げ、ぴょこんと立ち上がったのはシャロンだ。
「マリー様でいらっしゃいますか? エミリオ殿下からお話はかねがね。お会いしたかったんですぅ。わあ、嬉しいなあ。初めまして、私はシャロンと言います。秋にここへ転入してきて、あっ、エミリオ殿下とは蝶々が好きっていう共通点があるんですよぉ。それで意気投合して、仲良くしてくださって。あっ、ここお座りになりますか?」
シャロンが私に席を譲ると、ロバートがシャロンに席を譲って立ち去ったため、私とエミリオとシャロンとダニエルが残った。
「僕に用事があったんじゃないの? 大丈夫?」とエミリオが聞いてくるが、うまく答えられない。空気が重い。遠巻きにこちらを気にしている大勢の視線を感じる。
そんな中でシャロンは天真爛漫だった。
突然「わあ♪」と無邪気な歓声を上げた。
「マリー様のその指輪の蝶々さん、もしかしてエミリオ殿下が発見されたマリーエミリオですか? すごく素敵ですぅ! 綺麗~!」
三人の視線が私の左手の薬指に集中した。
「ありがとう」
ぎこちなく笑うと、隣のエミリオが得意気な顔をした。
「でしょう。実物はごくごく限られた季節の限られた場所にしか飛んでないからね。でもマリーの指にはいつでもとまっている」
「いいなぁ。本当に素敵ですぅ。殿下ったらロマンチックですね♪ 少し触らせてもらっても良いですかぁ?」
は?と目が点になった。
「駄目」とエミリオが即答した。
「そんなに蝶が好きなら、君には別の蝶がついた何かを贈るよ」
え?と耳を疑った。
エミリオが他の女性に贈り物をすると言ったの? 私の目の前で他の女性に。
まさかエミリオに限って、そんなはずはない。
はっとした。「エミリオに限ってそんなことはない、大丈夫」
この台詞、いつかどこかで……あっ!
私はこのとき初めて、シャロンがXだったと気付いたのだ。時すでに遅しだ。
「えっ、分かってなかったんですか!?」
翌日一人で政務副長官室を訪ねると、ゾーイにびっくりされた。
「マリー様がXの出現に少しも動じず、ゆったりと余裕を持って構えておられるのは、あの報告書による予習の成果だとばかり。私の思い違いでしたか」
「じゃあゾーイは知っていたの? 転入してきたシャロンが例のXだと」
「ええ、勿論です。だって、まさしく絵に描いたようにXそのものじゃないですか。ゆるふわピンク頭で、平民出身の特殊能力持ちですよね。お気づきにならない方が不思議です」
言われてみればそうだ。
しかし私が抱いていたXのイメージは、もっと小悪魔的だった。あんなに小動物的だとは思わなかった。
そう言うとゾーイは、それもXの特徴ですと言った。
「小さくて可愛らしく、幼さの残る表情や言動。守ってあげたいと庇護欲をそそるのです。高い棚に手が届かず困っていたXをアルフレッド卿が上手い具合に助けたでしょう? アルフレッド卿は背が高いことが自慢ですから、頼ることで自尊心をくすぐることも可能です」
「ゾーイって学園内の事を私よりもよく知っているのね」
「勿論です。殿下の通われる場所ですから。殿下の身の回りで起こる出来事は掌握しておきませんと」
きっと学園内に内通者がいるのだろう。
スパイと言うと聞こえが悪いが、ゾーイへ学園内の情報を流し、報告連絡相談をする生徒が複数名いることは確かだ。
「今のところ順調ですね。順調に『王子の卒業パーティーでの婚約破棄宣言』へ向かって転がっています」
「神の干渉が働いているため、それは免れないということですね……」
「はい。それを回避しようとすればするほど事態は拗れます。ですから殿下の卒業パーティーで婚約破棄を言い渡されることは覚悟なさってくださいませ。必殺の返し技を伝授いたしますので」
「必殺の返し技?」
そんなものがあるなら是非教えてほしい。
ゾーイは一枚の紙を取り出した。
「殿下から婚約破棄を高々と宣言されたら、マリー様はここに書いてある台詞を述べてください。これでXを撃退できるはずです」
私は文面を一読し、それは無理だと思った。
こんなことをエミリオに向かって言いたくない。しかも大勢の眼前で。
「わざわざその時を待って言わなくても、本当にこれで彼女がエミリオから離れるのなら、なるべく早く彼女の耳に入れておけば……」
「いいえ、それはいけません。報告書の三十六頁をご覧になりましたか? 同じく、事前にXに話をしようと接触を試みたがために、嫌がらせと受け取られ、厳罰に処されています。話をしようとしただけで怯えられ、根も葉もない噂を立てられたという事例も多くございます。あくまでも何が何でも、神は卒業パーティーでの断罪劇をお望みなのです」
ですから、とゾーイはずずいと紙を前に押し出した。
「これを淀みなく言えるよう練習しておいてくださいね」
「本当にこれを皆の前で? エミリオに恥をかかせてしまうわ」
「何を仰いますか、周知の事実です。それにいくら神の干渉が働いていて洗脳状態とはいえ、マリー様を悲しませる事をする殿下が悪いのですから」
ゾーイはああ言ったけれど、やはり公衆の面前で必殺の返し技は使いたくない。
それとなくシャロンに伝えるべく接触できないか試みたが、いつも立ちはだかる取り巻きの壁。
エミリオともすれ違いばかりだ。待ち合わせをしているときに限って教師に呼ばれたり、急に時計が壊れたり、デートの約束をしていた日に台風が来たり。
学園で遠目に見たときには、隣にシャロンがいた。
ああ本当に神の干渉が働いている。このままでは確実にアレがやって来る。『王子の卒業パーティーが婚約破棄を申し渡す場になる現象』が。一旦転がり出した運命はそこに収束される。
運命に抗えないまま、遂にこの日を迎えた。
エミリオの卒業を祝うパーティー会場。私は終始ソワソワしていた。
国王陛下もいらっしゃる前で、本当にアレが始まるのだろうか?
本当に? あの学芸会のような事が?
祝宴も最高潮の盛り上がりとなったとき、高らかに声を上げたのはエミリオだった。
あ、これもう完全にソレだ。
名前を呼ばれ、壇上に立った。
目の前にはエミリオ、その隣にはシャロンがいる。
「マリー、君との婚約を破棄する。何か言いたいことはあるかな?」
あれ、思ったより口調が優しい。もっと厳しく断罪されると思ったのに。
「あるよね?」
黙り込む私の顔を覗き込んで、エミリオは小首を傾げた。
「大丈夫、遠慮しないで言って。あるよね、言いたいこと」
しつこく問うエミリオにシャロンが横から口を挟んだ。
「エミリオ様ぁ、もういいじゃないですか。異論はないみたいですよぉ」
ばっと手のひらをシャロンに向けて、エミリオは「黙ってて」と短く言った。
それからじっと探るように私を見つめ、その紙の存在に気付いた。小さく折り畳んで、ハンカチと一緒に握りしめていたのは、いざというときのカンニングペーパーだ。
「手に持っているそれだね、見せてごらん」
「これは違います」
「違うなら見せられるでしょ。いいから早く出しなさい」
はいと言ってエミリオは手のひらを上向きに出した。持ち込み禁止の私物を没収する教師のような感じで。
有無を言わせないその感じに、私は大人しく従い、カンペを渡した。
エミリオは折り畳んだ紙を開き、それを一読してふんふんと頷くと、私たちの謎すぎる挙動を静かに見守っている観衆へ向かって話しかけた。
「えー、皆様。気が優しくて恥ずかしがり屋のマリー嬢の代わりに、私が説明いたします。シャロン、よく聞いてね」
今度はシャロンに向き直り、エミリオは私が言うはずだった台詞を述べた。
「君は僕と結婚すれば次期王妃になれると思ってるようだけど、なれないよ。僕は第一王子だけど、王太子ではないからね」
えっ?とシャロンが目を見開いた。
「で、でも、エミリオ様、ご兄弟はいらっしゃらないって……」
「うん。兄も弟もいないけど、いたところで誰も次期国王にはなれない」
「どうしてですか、じゃあ誰が」
「知らない国民がいたなんて驚くよ。今の国王が誰かは知ってるかな?」
「アイリーン様、エミリオ様のお母様ですよね?」
「正解。我が国は女性でも第一子に王位継承権がある。父親が国王であればね」
シャロンは不可解そうな表情で、はいと曖昧に頷いた。多分よく分かっていない。
「だから僕は第一子だけど、王位を継ぐ資格がないんだ。父親が国王ではないからね。女王の子供であって、国王の子供ではない。つまり、男系の嫡子しか王位継承権がないんだ。この国のルールでそう決まっている」
「意味が分かりません。お父様お母様、どちらが国王であっても、エミリオ様は唯一の王子様ですから、王位を継がれますよね?」
「いや、継げないんだよ。今の説明で分からなかったかな?」
「分かりません。じゃあ誰が次の国王なんですか。エミリオ様は国王にならなくて、一体何になるんですか」
「次期国王は母の弟、僕の叔父だよ。ほら、あそこに座ってる」
そう言ってエミリオが手を振ると、ミシェル殿下が手を振り返された。
膝に抱いているのはご令息だ。ミシェル殿下は四十路に近いが、晩婚だったためご令息はまだ幼く、一歳になられたばかりだ。
「抱っこしてる可愛い赤ちゃんが、次の、次の国王陛下。僕の従弟だよ。ちなみに僕はマリー公爵令嬢と結婚して、良き夫となる予定だ。爵位も何もない、ただの虫好きなオタクになるけど、君もマリーみたいに、それでも好きって言ってくれる?」
シャロンはさあーっと青ざめて、エミリオをさっと避けて壇上から下りて、無言のまま会場を出て行った。
呆然とそれを見送っていると、エミリオが私の名前を呼んだ。
「マリー、ごめんね。言い訳になるけど、全て本意ではなかった。この場で婚約破棄を君へ言い渡すまでが神の思し召しなら、そこまではやらなくてはならなかった。ゾーイも言ってたよね。で、ゾーイが君に必殺技を授けたって言うから、何かと思ったら。こんな事か。もっと酷い事言われるのかと思って、ドキドキしたよ」
そう言ってエミリオはカンペを丁寧に畳み直し、胸ポケットにしまった。
それから会場へ一礼した。
「皆様、私事の騒動に付き合わせてしまい、申し訳ございません。どうかお口直しの一杯を。今日のための特別なシャンパンを各テーブルへご用意します。ミル・ソネーユ85年物です」
会場がどよめき、何もなかったかのように賑わいが戻った。
エミリオに手を引かれ、そっと会場を抜け出た。
「エミリオ、じゃあエミリオは、洗脳されてなかったって事ね」
「うん。僕も君に婚約破棄しようなんて言いたくなかったから、何とか彼女に嫌われようと頑張ったんだけど空回ってさあ。マリーに会おうとすると尽く邪魔が入るし、台風まで来るし。あー、これはもうゾーイの言う通り、抗わずに婚約破棄まで行くしかないなって。君に必殺の返し技を授けてるから大丈夫だって言われて」
「そうだったのね。良かった、エミリオ。彼女に蝶のついた贈り物をするって聞いたときには、すごくヤキモチ焼いたのよ。本当に何か贈ったの?」
「リアルな蝶々が数十匹、一面に描いてあるハンカチをあげたよ。喜んでた。多分嘘だと思うけど、一生大事にするって。そんなに好いてくれてたのに、王位継げないって分かった途端にあれかぁ。だけど本当に、僕が国王になると思ってたとは思わなかったな」
「そうね。私もあれで本当に撃退できるのか半信半疑だったけど、ゾーイは流石ね。優秀だわ。あ、ゾーイに報告と御礼言わなくっちゃ」
「ゾーイならさっきの会場の後ろの方にいたよ。出てくるときに目が合って、親指立ててくれたから、Vサイン返しておいた」