13:【華ガ散ル刻】-①
【彼女との再会】
「――ここは、どこ?」
真っ白で何もない空間。舞は一人佇んでいた。やけに体が軽く感じた。
「……あれ? あの後、どうなったんだっけ」
ふと彼女は思い出す。
休んでいた葉月のお見舞いに行き、寝込む彼女に言葉をかけて帰ろうとしたときに自分は、【月鬼隊】の連絡を受けて、御影の居る所まで駆け付けたはずだった。
そこに居たのは、御影と、ランク五相当の強大な力を持つ、【血鬼祓】狩りを行っていた剣沢宗司と名乗る【吸血鬼】――。
彼に追い込まれ殺されかけた御影を守り、雨昊隊長や秋奈が到着するまでの時間稼ぎをするため自分は戦った。しかし、やはり敵う筈がなく自身の右腕は斬られた――。
「腕、ある……」
舞は自分の腕を掴んでその感覚を噛みしめる。
確かにあの時、彼女の腕は斬られたはずだった。だが、何が起きたのか、彼女の腕は綺麗に生えている。あれが幻覚だったとは思えない。確かに痛みを感じ、流れでる真っ赤な血を見た。なら、何で腕が?
「――死んだのかな、私」
彼女はポツリと呟く。この空間に、傷一つない自分の身体。やけに軽く感じる身体。もしかしたらここは死後の世界なのかもしれない。そう思うのが妥当だろうと。
「結局、私は何も守れずにあのまま死んだなら……なんて情けない終わり方なんだろう」
舞はその場に座り込み、また独り呟いた。
父を殺され、自身の上司すら殺され、更には自分も殺される――。なんと無様な姿か。吸血鬼に対する力を手に入れたのに、結局は吸血鬼に葬られる……。信じがたいが、これが運命、現実なのだと、彼女は思った。
「――こんな場所で何してるの、朝霧舞」
誰かの声が聴こえた。それは彼女にとって聴いた事の在る声だ。舞はちらちらと辺りを見回す。その時、真っ白だったその空間は突如目まぐるしく景色を変え、最終的には轟哭高校の体育館になる。硬い木の板の床がひんやりと舞の尻を冷やした。
「ここは……学校の体育館……? じゃあ、あなたは……」
舞は漸くこの声の主を思い出す。
「――隔野先輩」
「やっと思い出した。私の事をすぐ忘れるなんて、最低の人間ね、あなたは」
ふと、体育館正面のステージ上に彼女――吸血鬼・隔野百合亜が現れる。黒いロングヘアを艶めかしく揺らし、すらっとしたスレンダーなスタイルの彼女は、舞を見下すような目で見つめる。
「なんで隔野先輩が……あなたは死んだはず。私が殺したはず」
舞は彼女を睨みつけた。
そう、彼女は死んだはずだ。あの時、確かに舞が『火超封月』を使用し、完全に砕け散った。だが、彼女は今目の前に存在していた。死ぬ以前の、あの妖艶な姿で。
「ええ。死んだわよ。憎き血鬼祓のせい――つまり、あなたのせいで。私の美しい体はバラバラに砕けて肉片すら殆ど残っていなかったわ……。ああ、なんてムカつく。鬱陶しい。そう、私は死んだ。なのに、私は今ここにいる。あなたの『意識』空間に――」
「私の……意識……?」
舞は沈黙した。
ここは自分の意識の中……? なら、自分の身体が無傷なのも理解しがたい事はないが、ならば何故彼女――隔野が居る?
「そう。ここはあなたの意識の中。精神世界とも言うわね」
「じゃあなおさら何で隔野先輩が私の意識に……? 私の意識は、私だけのものでしょ?」
舞は彼女に訊ねると、百合亜は馬鹿にするかのように嗤う。
「はあ? なんでですかって? そんな事、あなたが一番分かってる事でしょう?」
「私が……?」
舞は考えるも、なにも思いつかない。理解出来ない。
「――はあ、ここまで何も覚えていないだなんて。良いわ、教えてあげる。朝霧舞、あなたはね。呼び出したの。そして使ったのよ、私の力を」
「呼び出して……使った……?」
いまだに、彼女が言っていることを理解できなかった。
「そうよ。あの男の吸血鬼に腕を斬られ、死にかけたあなたは力を解放した。そして、今まで倒した吸血鬼の中から【血能】を持つ私を呼び出して、その力を使ったの。同時に、傷を全て急速再生させてね」
「――それって、もしかして……」
「――あなたは吸血鬼になったのよ、一時的にね」
「私が……吸血鬼に……?」
彼女は戦慄した。
百合亜が言う事が本当ならば、自分は一時的に吸血鬼になったという。百合亜の血能を使い、腕すら急速再生させたとなると、吸血鬼の特徴には当て嵌まる。だが、何故吸血鬼に? 何がきっかけに……? 舞は戸惑うばかりだった。
「一体……どうやって……?」
「それは――」
突如、彼女の声がノイズ走ったかのように乱れ、次第に消えていく。同時に、体育館の風景も歪み、テレビの砂嵐の様に乱れ、黒く染まっていく。舞も、徐々に意識が薄れていくのを感じた……。
「――あなた――g――母――で……だ……」
乱れる百合亜の言葉が少しだけ聞き取れた。しかし、それが何を意味しているのか分からなかった。
刹那、舞の意識はプツンと途切れた……。
◇ ◇ ◇ ◇
「やあ、起きたかな」
舞はとある男性の声で目を覚ました。真っ白な天井が目に入る。ゆっくりと舞は体を起こした。白い布団が自分に掛けられていた。周りを見渡すと、直ぐに此処が病室だという事が分かった。そして、自分の寝るベッドの横には、白衣を着たボサボサ髪の眼鏡の男性が座っており、ドアには御影が寄りかかり、自分のベッドの前には雨昊が立っていた。
「ここ……病室? ええと……確か、上喰隊長……?」
「ああ、そうだよ。君、一週間ほどずっと寝ていたんだ」
その男性は上喰狡樹。通称医療・研究班と言われる第9部隊の隊長だった。
「一週間も!?」
舞は思わず布団飛び出そうになってしまった。まさか一週間も寝込んでいるとは夢にも思わなかった。
「あなた、剣沢との闘いを乗り切った後、突然気絶したのよ。死んだかと思って心配したわ」
御影は舞から視線を外しながら言った。舞は視線を御影に向ける。
「み、御影さん……よかった、無事で……ごめんなさい私何も――」
「もとはと言えば単独で戦いを挑んだ私の責任よ。あなたが謝る事じゃない。それに、もしあなたが来てくれてなかったら……死んでたかもしれないし。ありがとうを言うのは私」
「へえ、やけに今日は素直だなあ、御影」
「――うるさいですよ、雨昊隊長」
御影にちょっかいを出したのは雨昊だった。
「最も、俺と星詠も間に合ってれば――って、今更後悔しても遅いか。なんにせよ、目覚めてくれて良かったぜ、朝霧」
「雨昊隊長……そう言えば、どうして遅れたんですか?」
舞は雨昊に訊ねる。
「実はあの時、俺と星詠は一緒に行動してたんだが……偶然、とある吸血鬼に襲われた。名称は『アゲハ』……背中にアゲハ蝶の様なCe粒子の羽を生やしてるからそういう名前になった。推定ランクは5、つい最近現れた吸血鬼でね。なんとか退けて駆け付けた頃にはお前ら二人が工場で満身創痍だったって事だ。悪かったな、遅くなって」
彼は懐から写真を取り出し、舞に手渡した。そこに写されているのは、黒いボロボロのフードを被り、青く輝く羽を背中から生やした吸血鬼の姿だった。
「そんなことが――そう言えば、あいつは……剣沢は……?」
舞は写真を掛布団の上に置くと、剣沢についての事を訊ねる。
「あいつは撤退した。他の吸血鬼――いや、真祖と一緒に」
「真祖……⁉」
真祖……古代より存在する強力な吸血鬼たちを総じて真祖と呼ぶ。そのことを舞は思い出した。
「ええ。そして剣沢――あいつも真祖……『真祖十三血鬼』の一人だった」
「まさか本当に真祖なんてのがいるなんて……」
「まあ、それについてだが――東京に潜伏しているであろう真祖は今のところ二体。近々部隊総動員で潜伏場所の特定、そして討伐の計画が立てられてる。当然朝霧、お前も部隊の一人として参加してもらうからな」
「え、あ……はい」
舞は彼の言葉に頷く。
「んじゃ、俺は支部長からお呼びがかかってるからお先に。飯沢山食えよ、朝霧~」
舞の了承を確認すると、彼は手を振りながら病室から出て行った。続いて御影も「外で待ってるわよ」と言い残し一緒に出て行った。病室に残るのは、上喰と舞だけになった。舞もベッドから出て、ハンガーにかけられていた隊服を着る。
「……そう言えば、上喰隊長」と、彼女は彼に話し掛ける。
「どうかしたかい?」、タブレットで舞の状態を整理してた彼が舞に視線を向ける。
「私、変な夢を……隔野先輩――前に倒した吸血鬼が出てきて、こう言ってたんです。『あなたは私を呼び出し、私の力を使った、あなたは一時的に吸血鬼になったのよ』……。私本当に吸血鬼になってたんですか……?」
「成程ね……。うん、正直に言おう。御影君からの報告と、ここへ運ばれてきたときのCe量から言って、君は吸血鬼になっていた」
彼は少し申し訳なさそうな顔をして言う。
「そんな……じゃあ記憶が消えてるのも……」
「一時的に吸血鬼化した反動だろうね。呼び出し、力を使うの部分は良く分からないが君が一時的に吸血鬼になっていたのは確かだ。だが、今じゃ完全にCe粒子の量は通常の数値を示している。一時的なCe粒子の暴走とも考えられるかな。完全に君が吸血鬼になってしまう事は今のところはないから安心しなさい」
「……はい……」
舞は静かに頷く。
「――あまり、力ばかりを求めては駄目だよ、朝霧君」
「え……?」
どういう事、と聞き返す前に彼は既に病室を出て行ってしまっていた。独り舞は病室に残される。彼女はテーブルに置かれていた私物を取ると、自身も病室を出る。
ここは月鬼隊本部ビルの病室のあるエリアの一画だった。彼女はロビーでエレベーターを呼び出すと、直ぐに乗り込んだ。
エレベーターを降り、本部の大きな玄関を出ると、日は落ちてすっかり夜だった。久しく太陽を見ていない様な気がした。
「やっと来た」
玄関から出てくる舞を見て、御影が彼女の傍にやって来て言った。
「そんなに待たせちゃった?」
「少しね。じゃあ、家まで送るから」
「送る? なんで?」
「病み上がりの隊員を一人で帰らせるほど私は冷たくないのよ」
ぶっきらぼうな言い方で彼女は舞に言う。舞は少しだけ微笑むと「分かった」と頷いた。
丁度、ポケットの中にあるスマホを舞は見る。戦闘の際に割れたのか液晶画面の半分にひびが入っていた。そして、待ち受け画面には何件もの不在着信。それは全て葉月からだった。
「ああ、電話しないと……心配してるだろうな、葉月」
そう言って舞は葉月に向けて電話をする。
数コール目で、電話が繋がった。
「あ、もしもし、葉月?」
『舞! やっと連絡来た……。心配したんだから、本当に! 何で全然電話してくれなかったの! 学校にも全然来ないし……』
「ごめん、ちょっと色々あって……」
『色々あったって……。まあいい、ちゃんと舞がまだ生きてるなら……』
「生きてる……?」
葉月の言葉に違和感を覚える舞。
『ん、いや……なんでもない。あ、そうだ、明日……明日で……いいから……少しだけ、話を……』
「話? 何の?」
『――またその時に……するね、ごめん、ちょっと切る……』
そう言って葉月は一方的に電話を切った。
「何の話だろ……」
「舞、電車来るよ」
会話をしながら歩いていたので、もう既に地下鉄のホームへ到着していた。御影が言ったので、舞はスマホをポケットに戻した。数秒後、大きな音を立てて地下鉄がホームに到着する。ホームに書かれた乗降口のマークに合わせる様に停止すると、プシューという音と共にドアが開いた。中からは多くのサラリーマン、学生達が降りてきた。
彼らが降りると、二人を含めた人々が電車に乗り込む。二人は丁度空いていた席を見つけると、彼女たちはそこに座った。数十秒後、電車はゆっくり動き出し、暗い地下トンネルの中を走り出した。
「…………」
御影はスマホを弄っている舞を静かに見つめる。そして、あの時の光景を思い出した。
紅と蒼に輝く二つの眼、吸血鬼の血能を操り、切断された腕さえ瞬時に修復させ、膨大な量のCe粒子で相手を圧倒する舞の姿。
その姿はまるで鬼神。吸血鬼そのものだった。
『彼女――朝霧舞君の体内のCe粒子量は完全に血鬼祓の隊長・副隊長たちの平均そのものだ。まったく異変が見られない』
御影が上喰に尋ねたところ、返ってきたのは『異常なし』の返答だった。精神的なものはともかく、身体的には異常は見られない。だが、確かにあの時、舞は吸血鬼に近い存在になっていた。どうしても『彼女』と姿が被ってしまうのだ。
――黒刀死織と。
舞も死織も、似ている。とても似ているのだ。自分の身の周りの大切な人たちを守り切れず、力を欲するその姿が。結局のところ、死織は悪に堕ちた。せめて、舞だけは――。
「? どうしたの御影さん、私の顔に何か付いてる?」
御影に見られているのに気が付いた舞が彼女に訊ねる。
「……いや、何でもない」
御影は舞から視線を外した。そして、小さく溜め息を吐いた。
電車が数駅を過ぎ来た時だった。突如多くの乗客の叫び声が電車内に響く。騒然とする車内。二人は一度顔を見合わせ、立ち上がると、前の車両から逃げ込む乗客を見る。
「助けて‼」
「逃げろバケモノだ!」
「こ、殺される……!」
口々に叫びながら、乗客が逃げ込み、更に後ろの車両へと逃げ込んでいく。中には血を浴びた乗客も居たし、腕を斬られた乗客も居た。パニックは更なるパニックを引き起こす。
「……まさか……」
「――吸血鬼?」
二人は逃げ惑う乗客を掻き分けて、前の車両へと移る。その車両は全員が後方車両へ逃げたために誰一人残っていなかったが、乗客たちの荷物が無残に転がっている。
彼女たちはそれを踏みつけながら更に前の車両へ移る。
「うっ……!」
思わず舞は口を押えた。そこには、青く輝く棘に顔面を刺された死体が数体転がっていた。そして同時に、この事態が吸血鬼によるものだと瞬時に分かった。
「――こんな表立って暴れる吸血鬼が居たのね……」
舞は転がっている死体を見ながら冷静に言うと、紅いCe粒子を発生させ、刀へと形成し、それを握った。
「行くわよ、舞」と、御影が言うと、彼女は頷き紅いCe粒子を発生させ形成した刀を握る。そして二人は先頭車両へと移動する。
すると、逃げ遅れた一人のサラリーマンが這いずっていた。
「た、たすけて……」
彼女たちを目視した彼が手を伸ばしてそう言った瞬間、彼は背後に居た黒いボロボロのコートを羽織り、蒼く輝く羽根を広げた吸血鬼に頭を鷲掴みにされた。「あ、ああ……あああ……」と呻く彼。それを見て御影が叫ぶ。
「やめなさい!」
その瞬間、サラリーマンの頭がグチャリと握りつぶされ、中の血液と脳がビチャビチャと電車の床に零れた。まるで、トマトを握りつぶしたかの様な光景だった。吸血鬼は頭を握りつぶした死体を思いっきり電車の窓に投げつける。中途半端に窓ガラスに死体が食い込み、死体は死体で見るのも無残な程損壊した。
「あの姿に羽根……もしかして、『アゲハ』……!」
舞は目の前に居る吸血鬼の姿を見て、先ほど病室で見せてもらった『アゲハ』と呼ばれる吸血鬼の姿を思い出した。そして、それは完全に一致していた。アゲハ蝶を思わせる羽根が、少し揺らめいた。すると、吸血鬼の背後に、サバイバルナイフ程の大きさの蒼く輝く棘がこちらに先を向けながら円形にずらりと現れる。
「どうやらやる気みたいね、あっちは。――隊長たちに連絡は?」
御影が刀を構えた。舞も戦闘に備えて刀を構える。
「大丈夫、さっきやっておいたから」
舞は片手にスマホを持っており、既に月鬼隊本部に連絡を終え、そのスマホをポケットに入れる。
「――――」
『アゲハ』が、小さく呻いた。その瞬間、背後に現れていた棘が二人に向かって射出される。この車両はロングシートタイプの為、それをやり過ごせる様な隠れれる場所が無い。御影はそれを見て、影を操り、二人の前に移動させると、そこから影の刃を突き出した。それは床から天井まで伸びており、まるで牢獄の様だった。
その刃がアゲハの放った棘を防ぐ。奴は黙ったまま新たに棘を装填していく。御影が一度刃を消すと、すかさず舞が奴に斬りかかった。アゲハはトンファーの様なブレードを発生させると、それで舞の攻撃を受け止めた。そして舞に向かって羽根を向けると、その羽根の先から針の様な棘を作り出して刺そうとする。
「あっぶな!」
舞はアゲハの身体を踏み台に後ろへステップすると、その針を避けた。針は窓ガラスを突き抜け、地下トンネルの壁を削る。痛かったのか、アゲハはその針を消した。
「――舞、冷静にいきないさい」
御影は舞に向かってそう言うと、彼女を受け止め、刀をアゲハ目掛けて振りかざした。当然、奴は御影の攻撃を防ぐ。その時、御影の背後からにゅーっと現れた丸々とした影が鋭い刃に変わり、アゲハの首を狙おうとする。その時、アゲハは再び伸びる針を出して、窓に突っ込んでいるサラリーマンの死体に突き刺した。すると、彼の血を一瞬で吸い上げて、棘の装填を終わらせた。
「そんなのナシでしょ……!」
御影は刃に変形させていた影を直ぐに防御形態に変化させた。装填された棘は全て御影に向かって射出される。ガギギギと鈍い音が車内に響く。
「今だ――!」
棘が御影に向いている瞬間、舞がアゲハに向かって電流を纏わせた刀で斬りかかる。隙をつかれたアゲハは思わず素手のまま腕を刀に向けた。舞の刃は容易くアゲハの腕を切り落とした。
「――――!」
声にならない声を出したアゲハは羽根を舞たちに向かって一気に振った。軽い衝撃波が二人を車両の後方にまで飛ばした。同時に、血を吸われ干からびたサラリーマンの死体も千切れて舞たちのもとへ転がった。
「ぁ……ぁぁ……あああああ…うあああ。いあああいあい」
ボイスチェンジャーを通したかのような声を出し、アゲハは呻きだした。痛がってるのかと思いきや、既に舞が斬り落とした腕は再生している。では、何処を痛がっているのかと言うと――。
「突然頭を抱えて……何があったの?」
立ち上がった舞が御影に訊ねる。しかし、「分からない」と御影は首を振った。
「とりあえず、今の内に――」
御影が首を斬ろうと刀を構えた瞬間、頭を抱え悶えていたアゲハは瞬時にこちらを向いて、再び羽根を振った。再び軽い衝撃波が彼女たちを襲う。が、二度目なのでなんとか立ったままそれを耐えるが、アゲハに向かって歩くことはできない。そうこうしているうちにアゲハはドアを突き破って、その場から逃げたのだった。
「クソッ、逃げられた……!」
御影と舞は突き破ったドアからアゲハの逃げた方向を見る。既に奴は羽根を使い飛行し、地下トンネルのはるか先へ行ってしまっていた。
「羽根使って飛行してって……吸血鬼の定義って何……」
舞がそう言うと、御影がハッとして運転席を見る。そこにいる筈の運転手は既に首から上を斬り飛ばされ死亡していた。運転席へ移動するためのドアはアゲハの棘によって破壊されていたので御影は運転席に移動すると、その死体を退けてブレーキを掛けた。電車はやがてスピードを減速させ、ゆっくりと停止した。
それを確認すると御影は運転席から出てその場に座り込んだ。
「ここまで暴れると……証拠消すのは一苦労ね」
「――だろうね」
そう言って舞は辺りを見回した。その場にはあらゆる乗客の荷物が転がっていた。そして、その中に、先ほどのサラリーマンのものだと思われる荷物もあった。黒い鞄に、社員証。その社員証に書かれている名前――明海人志に、舞が気付く事は無かった。
◇ ◇ ◇ ◇
舞と御影がアゲハと地下鉄内で戦闘してから数時間後。東京湾に隣するとある船場。
そこは輸出入を行う貨物船が停泊し、大量のコンテナが置かれていた。そこに、一人の女性が刀を握ったまま走る。彼女が来ている服は、黒く銀色の装飾が施されていた。それは、月鬼隊に所属するものにだけ配られる隊服・黒鬼だ。
つまり彼女は月鬼隊に所属する血鬼祓という事になる。本来ならば、血鬼祓は吸血鬼を狩る側の者なのだが――どうも、彼女は吸血鬼を追って走っている様ではなかった。鬼気迫る表情で、後ろを何度も見ながら必死に走っている。そして、彼女の背後には黒いボロボロのコートに身を包んだ吸血鬼――。そう、彼女はアゲハに追われていたのだ。
息を切らしてコンテナの間を縫う様に彼女は走っていた。彼女自身、どこに向かっているのか理解していなかった。彼女の優先事項は、あの吸血鬼から逃げ切ること――。無我夢中で、彼女は走り続けた。
幸運な事に、自分を追う吸血鬼はそこまで足が速くなかった。そんな吸血鬼を何故彼女が恐れているのか――。それは、その吸血鬼の殺傷能力の高さにあった。
彼女は自分を除く二人の男性血鬼祓と共にこの船着き場で調査を行っていた。その時に彼女たちはヤツと出会ってしまった。背中から伸びる羽根から放たれる攻撃により、二人の男性血鬼祓は即死、その吸血鬼によって血を吸われてしまった。
運よく生き延びた彼女はすぐさまその場から逃げ出した。当然、吸血鬼はそれに気づき、彼女を追いかけ始め、現在に至る――。
「はやっ、く、にげ……ないと……!」
彼女のスタミナはすでに限界に近かった――。必死の思いで彼女は角を右に曲がる。彼女の視界に入ったのは、絶望だった。
「行き……止まり……っ!?」
そう、彼女の行く手を三個に積まれたコンテナが阻んだ。右側にも左側にも積まれたコンテナがあり、逃げ出す事は不可能だった。彼女はコンテナを刀で斬るが、コンテナの中に積み込まれた何かの材料が拒み、穴を開けることは不可能だった。
立ち往生する彼女の背後に、吸血鬼が現れた。黒いフードにすっぽり包まれ、素顔を見ることは出来ない――が、彼女の二つの眼が蒼でも紅でもなく、紫に輝いていることだけは確認できた。
「ひっ……!!」
一歩一歩近づく吸血鬼に、彼女は恐怖のあまりその場に倒れ込む。そして、失禁したのだろうか、地面がじわじわと濡れて行った。
吸血鬼の背中が、蒼色に輝く。すると、めきめきと優雅な青で彩られたまるでアゲハチョウ様な羽根が生えてきた。
「い、いやあああああ!!」
その翅を見た彼女は、座り込んだまま後ずさりする。完全に彼女は腰が抜けていた。足をバタバタと動かし、這いずって彼女は後退する。しかし、彼女の行く先は行き止まり、背後には殺す準備をする吸血鬼。もはや、彼女の死は確定していた――。
その時、彼女は自分の隊服のポケットに入れていたスマートフォンに気付く。震える手でそれを取り出すと、月鬼隊へ連絡を取ろうとする。
「早く早く早く早く早く――っっ!!」
何とか電話し、彼女の耳に電話のコールが響く。そして四コール目にしてやっと月鬼隊のオペレーターが通話に出た。
『こちら【血鬼祓国際機関】東都支部【月鬼隊】、どうされましたか?』
「あっ、あの、早く助けをッッ――」
オペレーターの声を聴いた瞬間、安心した彼女は素早く自分に助けを呼ぼうとした。その時、彼女の背後が赤く青く、紫に輝いた。刹那、吸血鬼に生えた翅からおびただしい量の粉やかで蒼色に輝く棘が放たれる。それはスピードを落とすことなく彼女の頭に直撃し、瞬時に頭蓋は棘に切り刻まれ肉片と化した。彼女が握っていたスマートフォンも一瞬で切り刻まれ鉄くずとなり、肘から前の腕もまた肉片と化す。
身体の神経を統制する脳を失い、最早ただの肉の塊となった彼女の身体は、ドサリと音を立てて上半身部分が地面に倒れる。吸血鬼は深くかぶったフードの奥で舌なめずりすれば、ゆっくりと死体に近づき、しゃがみ込むと溢れ出る血を舐め取り始めた。
「この前は一人、一昨日は二人、そして今日は三人――あ、それ以上か。いやあ、日に日にキミは『食欲』が増していくんだね」
積まれたコンテナの上から声が響く。吸血鬼は血を吸うのを止め声のする方を見る。そこには、水色のパーカーを着て、真っ黒なミニスカートを穿き、肩まで伸びた黒髪を靡かしながら紅と蒼の二色の眼を輝かせる少女が立っていた。
「――し……z……か……」
吸血鬼は、その少女の名前を呟く。吸血鬼の声はボイスチェンジャーを通したかのように不透明な声だった。
「正解、どうも静だよ。こっちからしたら何個かある名前の一つだけどね」
そう言って彼女はコンテナから飛び降り、地面に降り立つ。そして、チラリと横たわる惨殺死体を見る。
「へえ、月鬼隊の隊員を殺ったんだ。あははは、あはははははは!! 本当、キミって面白いや! ああ、ダメだ、ゾクゾクが止まらないよぉ!」
恍惚とした表情でいやらしく身体を捻ると、静は再び落ち着きを取り戻す。そんな彼女を吸血鬼は冷ややかな視線で(といってもフードに隠れて見えないが)見ていた。直ぐに視線を彼女から外せば、死体の血を再び舐め始めた。
「キミも漸く『血の味』を覚えたんだね」
その様子を見て静は呟く。
「ボクも最初はキミと同じさ――。飢えを消そうと、色んな物を口に含んでも、胃に入れても、味はしない、喉を通るのに飢えは満たされない。何度も何度も食っても、飢えは消えない。そして、罪悪感に苛まれながら初めて人を殺めて血を啜るんだ。するとね、一瞬で飢えを消し去って、お腹を満たしてくれるんだ。そうなったらもう引き返せない。人を人と思えなくなる。人を、今までいい関係を保ってきた仲間を、友人を、上司を、『エサ』だと認識してしまうんだよ。キミだってそうなんだろ――?」
静がそういえば、吸血鬼は血を吸い終わったのか立ち上がる。そして、ゆっくりとその場を離れ始めた。
「おいおい、無視しないでよ~。まあいいけど。キミがボクの事をどう思おうと、ボクはキミの事が好きだ。あ、別に君が吸血鬼だからってわけじゃないよ?」
へらへらと笑いながら彼女は言う。しかし、依然としてその吸血鬼は静に反応を示さない。
「ボクはあくまでキミの『人間性』が好きなんだから――」
その瞬間、吸血鬼はフードの奥から睨みつけるように静を見る。
「おっと、ごめんごめん。別にキミを煽る心算じゃなかったんだけどね。――そういえば、キミ、月鬼隊でこういう名前を付けられてるらしいよ。背中から生える翅になぞらえて――」
雲に覆われた月が露わになり、静と吸血鬼の二人を月光が照らす。
「――『アゲハ』、だって」




