16 神隠しの里
さて、大きな手掛かりが見つかったのは喜ばしいことだけど。
すぐさま晴ちゃんの故郷に行くというわけにも行かず、それまでの間、あたしは晴ちゃんの故郷の伝承や、ヒメテングウヅキについて調べていた。
ヒメテングウヅキについては大きな植物図鑑にちょっと載っていただけで、生態についてはよく知られていない、と素っ気なく書かれていただけだった。
けど、図版を見る限り、どうやら例の赤い葉っぱで間違いないようだ。
(エルクの世界の植物がこっちの世界にもあるなんて、不思議……)
やはり神隠しや送還魔法陣と関係してるんだろうか。
異世界についてはエルクもまだ不明な部分が多いと言っていたけれど、意外とこの世界は色んなよその世界と繋がっているのかもしれない。
そんな神秘をあたしは感じたのだった。
「で……その植物がエルクくんの研究に欠かせない代物なんだな。次の日曜日なら、俺が車を出してやってもいいぞ」
兄ちゃんが気前よくそう言ってくれたのはいいんだけれど……あたしとエルクだけじゃなく、晴ちゃんも同行したいと言い出し、兄ちゃんがそれに難色を示した。
「妊婦がそんなに遠出しちゃ駄目だろ、なに言ってんだ」
「遠出って言っても、片道二時間かからないわよ。私も近ごろ運動不足だし、それにあの辺の道って慣れた人じゃないと迷いやすいの」
あたしも晴ちゃんが心配なのは同意見だったけど、晴ちゃんはいつになく頑として同行すると言い張った。
「ねえお願いよ、あなた。私、自分の生まれた場所をもう一度この目で見ておきたいの。この子が産まれたら、子育てでおいそれとそんなところまで行けないだろうし、まだ臨月まで間があるいましかないと思うの。だから、お願い」
そう言って膨らんだお腹をさすり、兄ちゃんに懇願する晴ちゃん。
「兄ちゃん、正直どうなの。晴ちゃん悪阻がひどかったりはしないの」
「いや、俺が言うのもなんだけど、妊婦ってこんなに元気なのかってくらいの健康体だ。その植物調査に時間がかかるようなら、お前たちだけ泊れるような国民宿舎も近くにある」
晴ちゃんはもう行く気満々で、自分の生まれ故郷がどういうところかを、通じないのにエルクに嬉々として語ったりしている。
その顔は十代の少女に戻ったように明るく、故郷をもう一度この目で見たいという晴ちゃんの気持ちは本当のようだ。
「調子が悪くなったらすぐに引き返すからな。それでいいなら同行してもいい。それでいいか、百合花?」
「あたしらは乗せてもらう立場だから、兄ちゃんに任せるよ。エルクもそれでいい?」
「僕も自動車に乗れるんですか! あの、ちょっとだけでいいので、僕にも運転させてもらえませんかねえ?」
「…………………………じゃあ、そういうことで」
※ ※ ※
そして日曜日───。
あたしたちは兄ちゃんの運転する車で、いざ晴ちゃんの生まれ故郷に向かった。
事前に調べて分かったことだけれど、晴ちゃんの故郷の村はもう何年も前に合併していて、住人のほとんどは別地域に移住してしまったらしい。
なので実際に晴ちゃんが住んでいた周辺はまったくの無人で、それでも道路だけは通っていたので車でなら入れるらしい。
まずは地域の伝承について調べたいので、植物採集より先に町役場に向かうことにした。
「資料と言っても、郷土史の他には二〇年ほど前に発行されたこのパンフレットくらいしかありませんがねえ」
アポは取っておいたので、役場の職員さんはすぐにそのパンフレットを見せてくれた。
よくある類の観光パンフレットで、いかにも素人っぽい天狗のイラストが描かれていて、「天狗の里」というフレーズが書かれている。
「天狗伝説、神隠しの里か……郷土史にこれに類するような事例とかは残ってないんですか」
「明治の後期に村の子どもが行方不明になって、一カ月ほどしてからひょっこり帰って来た、なんて話があるようですなあ。その子どもが言うには天狗にさらわれた、天狗の国で暮らしていたそうですが、まあ誰も信じませんわなぁ」
五〇代くらいの職員さんは金髪青年のエルクをいぶかしげに見つつ、古い郷土史をめくって見せてくれる。
「その他にも、江戸時代に何件か神隠し事件はあったようですが、あまり詳しいことは……」
元々人が少なかった地域ということと、天狗伝説や神隠しそのものは特別珍しい伝承でもないこともあり、郷土史を研究している人もいないらしい。
「どうする、エルク? これ以上調べても新しい情報は得られそうもないわ」
「まあ神隠し事件に送還魔法が関わっているというのも推測にすぎないわけだしね……僕としては実際に例の植物の繁茂状況を調査したいな」
そういうことなので、あたしたちは晴ちゃんがかつて住んでいた家を目指すことにした。
「体調は大丈夫か、無理するんじゃないぞ」
「ええ、むしろ懐かしい場所に帰ってきて、わくわくしてるくらいよ。さ、早く行きましょう」
本人が言うように、晴ちゃんの顔は血色もよく、車酔いもしなかった。
長時間のドライブでむしろ気分が悪くなりかけたのは、あたしだったくらいだ。
エルクは自動車酔いをすることもなく、初めて乗る自動車に子どものように目を輝かせていて、助手席ではしゃぎっぱなしだった。
「カーナビゲーター? ここに地図が投影されて、行き先までの道のりを表示してくれるんだね、すごい機能だ! わっ、音楽が鳴り始めたよ、すごい、馬とは比べ物にならない早さで、他の車もびゅんびゅん走っていくよ!」
「あの、エルク……もう少し静かにしてくれな……うぷっ」
「百合花ちゃん、大丈夫? これ、冷たいお茶」
と、来る時はこんな感じだった。
おっかしいなぁ、あたしゾウの背中でさんざん揺られても平気だったはずなのに、いまさら車で酔うなんて……しかもエルクは何ともないなんて不公平だ。
「ここらへん、カーナビでもフォローしてない道路だな……おい晴子。この先どっちに行けばいいんだ?」
「右は私道だから、左に進んで。そこを大きく道なりに右カーブ……で、どんつきを左」
一〇年以上来てないというのに、晴ちゃんは故郷の道をよく記憶していた。
そして一軒の古い家屋の前で車を止めるよう、兄ちゃんに言った。
藁ぶき屋根に木の雨戸、これは本当に本物の古民家だ。
「ここが……晴ちゃんのご実家?」
「ええ、本当に懐かしいわ。何もかも昔のまま……とはいかないけれど。ほら、ここの裏から山に入って川の方に遊びに行くの。見てみて」
手招きする晴ちゃんにエルクがついていって、巨木の立ち並ぶ森の奥を覗き込む。
「ふむ……ここらの植生は例の葉っぱが繁茂していた場所に似てる。これは期待できるかもしれないぞ……」
「ちょっとエルク! 勝手に森に入って大丈夫なの?」
「こういう調査が僕の専門だよ、大丈夫!」
そう言ってずんずん分け行っていく姿は、なるほど慣れた様子だ。
兄ちゃんも感心したようにエルクの背中を見送っていた。それからぐるりと廃村となった周囲を見回し、感慨深げにこうつぶやいた。
「ここが……晴子の生まれ育ったところなんだな」
そんな兄ちゃんにそっと寄り添う晴ちゃん。
そのとき、「ザザアアアアアッッ」と突風が吹きすぎて、森からばたばたと鳥が飛び出す。
風に大きく巻き上げられた葉っぱが、まるで雪のようにあたしたちの頭上から降り注いできた、そのときだった。
(あれ───なんだろう)
なんとも言えない胸騒ぎ。
胸の奥がざわざわと落ち着かず、言い知れない不安がこみ上げてくる。
どくんどくんと心臓の鼓動が早まっていく。
「わぁっ、あなた見てみて、つむじ風よ」
「おいおい、あまりはしゃぎ過ぎるなよ」
足元で葉っぱを舞わせているつむじ風を、とことこと追いかける晴ちゃん。
そんな晴ちゃんを微笑ましく見ている兄ちゃん。
ダメだ、なにかがおかしい。なにかが危ない。
微笑ましい兄夫婦の光景に、いやな予感はどんどん高まってくる。
(なに? なにが危ないって言うの?)
そして───あたしは違和感の正体に気付いた。
つむじ風に舞う葉っぱの中に混じる赤。
晴ちゃんは気付いてないけど、あれは───あの赤い葉っぱこそあたしやエルクの探している植物。送還魔法陣の触媒となる稀有な成分を含む「ヒメテングウヅキ」だ。
「だめっ、晴ちゃん! そこから離れて!」
「えっ?」
「なに言ってるんだ、百合花───なっ」
晴ちゃんの足元が淡く光っていた。
あの輝きはあたしがこの世界に戻って来た時の魔法陣の光に酷似している。
でもなぜ?
魔法陣もないのに、どうして?
理由はわからないけれど、魔法もしくはそれに類似した現象が起こり始めている。
(天狗伝説、神隠し───天然自然の送還魔法?)
晴ちゃんはなにが起きているのか分からず、立ちすくんでいる。
兄ちゃんはただならぬものを感じたのか、晴ちゃんの元に駆けだす。
一瞬遅れてあたしも駆けだした。
けど、なにもかもが間に合わなかった。
「あな───た──────」
ひゅごっっっっ。
さっきのつむじ風とは比べ物にならない突風が晴ちゃんを包み込んだ次の瞬間、あたしの兄嫁は虚空に消失していた。
「う、そ───」
「晴…………はる? はるッ、晴子ッ!」
慌てて晴ちゃんのいたところに駆け付けるけど、辺りをいくら見回しても晴ちゃんの姿はない。
あたしも晴ちゃんがどうなったか見当はついていても、それでもつい周りを見てしまう。
「百合花ッ、どうなってるんだ、晴子はどこにいるんだっ」
「お、落ち着いて兄ちゃん」
「お前たち、これは何かのいたずらなのか? みんなで俺をからかってるんだよな、な、そうだろう。晴子っ、どこにいるんだ、出てこいよ!」
「兄ちゃん、兄ちゃん!」
がくがくとあたしの肩を掴んで揺さぶる兄ちゃんの顔は、紙のように真っ白だ。
兄ちゃんがパニックに陥るのも無理はない。
目の前で人が、それも最愛の妻、身重の妊婦が忽然と消えうせてしまったんだから。
けど、あたしは知っている。
さっきのは送還魔法だ。
なんで魔法陣もなしに魔法が発動したのかは分からないけど、晴ちゃんは送還魔法でどこかの世界に飛ばされた───「神隠し」にあってしまったんだ。
「エルクッ、エルクーッ! 聞こえたら返事して、戻ってきてぇえっ」
エルクが入っていった森の方にそう大声で怒鳴っていると、やがてガサガサと草をかき分けてエルクがひょっこり顔を出す。
「ユーリ、まずいよ。この森、というかこの辺の地脈はヤバい」
「エルク、それどころじゃない! 晴ちゃんが消えた、たぶん送還魔法!」
あたしの言葉にさあっと青ざめるエルク。
「ど、どうしたんだ、どうなってるんだ百合花! 晴子はどこにいるんだ」
そうか、エルクと話してる時はあたしはエルクの世界の言葉を話しているように聞こえるんだった。
最愛の奥さんがいなくなったことでパニクってる兄ちゃんに、あたしは向き直って大きく息を吸った。
「兄ちゃん、落ち着いてよく聞いて。これからあたしの話すことは、到底信じられないことかもしれない。でも誓ってあたしは兄ちゃんに嘘はつかない。だから、あたしがこの一ヶ月間失踪していた時のことを聞いて?」
「お前の? それはいま聞かなきゃいけないことなのか? ……もしかして、晴がいなくなったことに関係してるのか」
頷くあたしに兄ちゃんはようやく落ち着きを少し取り戻した。
そして───あたしは全てを語った。
※ ※ ※
「なるほど……確かにおいそれと信じられるような話じゃないな。だが、この指輪の力に、目の前で晴がいなくなった事実。信じるよりほかはなさそうだ」
あたしが異世界に召喚されていたこと、エルクという異世界の王子さまと共にこの世界に戻ってきたこと。
そういう信じられない出来事をあたしは兄ちゃんに語った。
語った後、あたしは魔法アイテムである指輪を外し、それを握るよう兄に手渡した。
そしてエルクになんでも質問してくれと言った。
やがて兄ちゃんはあたしの理解できない言葉でエルクに話しかけ、エルクも同じ言葉でそれに答え始めた。
兄ちゃんは言葉が通じることに驚き、そして息もつかせぬ勢いでエルクを質問攻めにして、あたしの語ったことを確かめた。
「晴はその送還魔法に巻き込まれて、別の世界に飛ばされてしまったというのか……た、助けられるんだよな、百合花!」
「アリーダ、ディ、ウォードルカ、ユーリ?」
「あー……兄ちゃん、エルクと話したいから指輪返して」
この翻訳指輪、もう一個あったら便利なんだけどな。
「エルク、それでどうなのよ。晴ちゃんがどこの世界に飛ばされたかわかる? 追いかけていくとか、こっちの世界に召喚するとかできないの?」
「ちょっと待って、待って。僕だってさっきこの辺り一帯の地脈を調査しただけだから、そんなのわからないよ。ただ……晴さんが言ってたことは間違いじゃなかった。見て」
と、エルクが示したリュックの中には、ヒメテングウヅキの赤い葉っぱがたくさん入っていた。
送還魔法陣の触媒になる貴重な植物。
「さっきも言ったけど、この辺の地脈はかなりヤバい。自然天然の魔法陣に近い流れを描いているようなんだ。さっき調べたこの辺りの伝承……テングの神隠し? あれは間違いなく送還魔法に巻き込まれた事例だと思っていい」
「晴ちゃんもそれに巻き込まれたってわけね。あのね兄ちゃん。この赤い葉っぱと、この辺りの地脈が自然の送還魔法を引き起こしてるんだって」
「葉っぱ? そう言えば晴が消えた辺りにも散らばってるな……これか、この葉っぱがあれば晴を追いかけていけるんだな!」
そう言って兄ちゃんはヒメテングウヅキの葉っぱを拾い集め始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだそうと決まったわけじゃないし、エルクにもう少し詳しく調べてもらってからの方が」
「馬鹿言うな! 晴は身重なんだぞ、嫁さんと子どもが目の前でいなくなって、じっとしていられるわけないだろう!」
いけない───またさっきと同じ胸騒ぎにあたしは襲われていた。
ざわざわと森がざわめき、吹き過ぎる風が妙に冷たい。
足元に小さなつむじ風が舞い、葉っぱがくるくると円を描く。
「まずい、ユーリ! 地脈の流れが活性化してる!」
「な、なんでよ?」
「この葉っぱのせい、いや僕たちがここに足を踏み入れたためだ。いいかい、この葉っぱに含まれた成分は、人の意識に反応する性質を持っているんだ。イメージ、感情、どうしようもない心の高ぶり……そういったものに反応し、魔法陣の扉を開く」
イメージ、心の高ぶり……そうだ、晴ちゃんは久しぶりに訪れた生家を前にして感情を高ぶらせていた。
それにヒメテングウヅキが反応し、地脈に働きかけたっていうこと?
「どうした、送還魔法とやらはまだ発動しないのか? 俺を晴のところに連れて行ってくれ!」
「兄ちゃんッッッ」
そして今、自然に生まれた送還魔法陣は晴ちゃんを思う兄ちゃんの精神に反応し、再び異世界への扉を開こうとしていた。
(けど、飛ばされた先がどんな世界なのかもわからないじゃない! 大体、どうやってそこから帰ってくるつもりなの!)
でも兄ちゃんの気持ちもわかる。
晴ちゃんはもうじき臨月を迎える妊婦なのだ。
飛ばされた先でどんな目にあうかわからないのに、たとえ一日だって、いや一時間だって兄ちゃんは我慢できないだろう。
「晴─────────ッッッ!」
びゅごぉおおおっっ。
突風が兄ちゃんの体を包み込み、兄ちゃんが手に持っていた赤い葉っぱを放すと、渦巻の中に赤い筋が走る。
そして、次の瞬間…………兄ちゃんの姿もどこにもいなくなっていた。




