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SINGER  作者: 嵯峨一紀


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4/5

4.1


第四章


 かつてシンガーは《オール・ユー・ニード・イズ・キル》を見たと時こう思ったという。何であのパワードスーツにはジェットエンジンが無いんだ。だからあんなにトム・クルーズが何回も死ぬんだ。ただシンガーが夢で何らかの敵と戦う時はジェットエンジンが無くても飛べる設定にしてあった。その上自らの肉体を半透明な気体状に変質させ壁を通り抜けることも出来たし手からマイクロ波を射出し敵を内部から熱攻撃することさえ出来た。シンガーはある日白昼の繁華街の交差点で謎のカルト教団の戦闘員に拉致され彼らのアジトに監禁された時それらの特殊能力を用いアジトから脱出し敵を倒すことが出来た。結局彼らの目的は全く分からなかった。ただシンガーが主人公として活躍する為に何らかのそれっぽい悪役が必要だったという理由だけで無意識が想像した組織に過ぎなかったのかもしれなかった。無意識は多少《アイアンマン3》を参考にしたに違いなかった。それは確かだ。ただそれを参考にしたのが無意識かどうかは確かだとは言えない。覚醒時においては自分の空想を空想ではなく現実であると思うことは出来ないが、睡眠時においては脳機能が抑制され知能が低下しているが故、自分の意識的な空想を現実であるかのように思うことが出来る。ただそれを意識的に行なったこと自体を知能が低下している為に記憶することが出来ないからそれを無意識が作り出したものと錯覚しているに過ぎない。目覚ましのベルがシンガーの独自理論においては睡眠時における半意識的空想行為と呼ばれる物を終了させると、彼のヒューレット・パッカードでレンタルDVDを鑑賞しながらコーヒーとお茶を飲む行為を開始する為にシンガーは体を起こした。順番的にはお茶が先だった。彼は四十袋入りの箱から緑茶のティーバッグを一つ取りそれをマグカップに入れてお湯を注いだ。それをする為に一時停止していた《スパイダーマン:ホームカミング》を再生させお茶を飲みながらピーターがヴァルチャーと取っ組み合いしている様子を鑑賞し始めた。見るのは二度目だがその映画は気に入ったし《パシフィック・ハイツ》を見て以来大好きだったマイケル・キートンが演じる悪役もお気に入りだった。その悪役が着るウィングスーツはデザインも良かったが機能的にも理に適っていた。二連プロペラエンジンで自在に飛行出来る上翼があるので高速で移動する際も飛行姿勢を安定させることが出来るしその翼自体を武器にしてスパイダーマンを攻撃することも出来る。両手が自由なのでレーザーガンっぽい武器を持つことも出来るし足の爪状の装置で物を運んだり攻撃したりも出来る。その上トム・クルーズのパワードスーツには無かったジェットエンジンもちゃんと付いていた。だから言っただろ、ジェットエンジンが無いとダメだって。シンガーはその誰の役にも立たない忠告を繰り返すとDVDを止めコーヒーを作りそれを飲みながら歌の練習をした。

 〈ファイアーマート〉での勤務を終えZZTセリカ前期型のドアを開ける頃にはコーヒーと煙草を買いライターを貰って行ったアリストの男のことなどシンガーの脳の片隅にも無かった。その時は確かにそのアリストがツインターボモデルなのかどうかちょっと気になりはしたが、エンジンを掛けCDプレーヤーが50セントの《ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン》を再生させた頃にはそんな事を気にしたこと自体一切が消滅し脳は奏でられたラップに委ねられギアはバックに入りクラッチが接続されアクセルを踏まれたセリカは再び自由を取り戻した。あるいは行動の自由を再確認したセリカはパーティーと今後を生き抜くのに必要な食料を調達する為スーパーへ向かった。ベーコン、もやし、タマネギ、缶チューハイ、カット野菜。その辺があればパーティーは事足りた。シンガーにはクルマが好きな一般的な俗称として走り屋と呼ばれる人々には友人が一人もいなかったのでどこに行ってどうすればセリカにスーパーチャージャーを付けられるのか見当も付かなかったし、パソコンオタクやガンダムオタクの友人ともここ数年顔を合わる機会はめっきり無くなってしまっていたのでそのパーティーの参加者はもちろんシンガー一人きりである。自宅からやや離れた月極め駐車場にZZT231を駐車すると缶チューハイの至福の一口目をすすりサンシェイドでウィンドシールドをシールドアップしたと同時に電光石火の勢いでPSVITAを起動しながら二口目をすする。50セントを聴きながら缶チューハイを半分位飲んだ時点で《ニード・フォー・スピード モスト・ウォンテッド》が立ち上りマットグレーのポルシェ・パナメーラが全開走行を開始した。酒を飲みながら運転するのは通常国家権力により社会秩序維持の名目で禁止された違法行為でありどこかの頭のいかれた無法者以外そんなことを行いはしないがゲームでなら手軽にアウトローとなり缶チューハイ片手に公道を暴走し警察のダッジ・チャージャーに時速三百キロで体当たり出来る。昨日まではモスト・ウォンテッド7として名の知れたストリートレーサーの操るSL65 AMGとの熾烈な抗争を繰り広げていたのだがちょっとそれにも飽きたので別なレースをチラッと試したりしている内に缶チューハイはすっかり空になり白霧島へと移行する。倫理的にかなり問題があるのでいつかは国家権力によって禁止されるかもしれない仮想空間内飲酒暴走パーティーに区切りを付けるとホーム画面からブラウザモードへ移行しユーチューブの歌詞付き音源動画の中から最近最もお気に入りなシアfeat.ケンドリック・ラマーの《ザ・グレイテスト》を再生すると誰一人聞かせる相手の居ないカラオケ・パーティーが開催された。

 翌朝、シンガーはガンズ&ローゼズの《アペタイト・フォー・デストラクション》を聴きながらスラッシュが好き放題ギターをかき鳴らす様を思い浮かべつつスターバックスへと向かった。スターバックスラテを受け取りシナモンを振り掛け席に着きPSVITAを取り出しプルーライトカット眼鏡を掛けアメリカNBCの《ナイトリー・ニュース》でドナルド・トランプと世界の情勢を確認しお気に入りのボクサーであるミゲール・コットのタイトルマッチを観戦してからPSVITAを鞄に仕舞い《白痴》の下巻を取り出した。既にロゴージンは恐るべき罪を犯しパクられ裁判で有罪が確定した後だった。シンガーは彼が最も好きな小説の終局部を読みながらマグカップを口元へ運びつつその日の未明に催されたパーティーでの奇妙な出会いへと思いを馳せたのであった。そのパーティーはいつものセルフ・パーティーではなくリアル・パーティーだった。ただシンガーはDJがいるような一般的にクラブと呼称されるような場所に通うような人々に友人は一人もいなかったのでただの飲み屋にちょっと行って来ることをパーティーと呼ぶことが出来るのであればの話だが。とりあえず休日なので夕方あたりに起きると銭湯へお湯に浸かりに行ってから買い物しマクドナルドに寄ってバーガー二個を入手しそれをつまみに音楽を聞きながら角ハイと白霧島で完全に出来上がるとその日歌う予定の曲を再度リハーサルした上で《マイノリティー・リポート》でトム・クルーズが着てたようなユニクロの上着を羽織り〈アルテミス〉へと徒歩で向かった。入店しカウンター席に着くとどこかの何かで読んだ透明な酒は体へのダメージが少ないという俗説を頑なに信仰していたシンガーはジン・トニックを注文した。「お待たせいたしました」そう言ってバーテンがジン・トニックを持って来るとそれを飲みながら四連F1カジノ・マシン上部に設置された観戦用モニターに目を移す。チッ、オーストリアGPかよ。モナコGPはもう終わってシンガポールGPとアブダビGPはまだまだ先だな。それにいい加減ジン・トニックにも飽きたな。こんなのただ甘いだけだろ、といった具合の理不尽な不満を心に秘めつつ赤いフェラーリがトップを快走するのを眺めていた。あれってみんなマニュアルでやってんのかな? セリカはマニュアルだったがゲームでは指を上手く動かせないのでいつもオートマだったシンガーはそんな疑問を抱きつつバーテンが持ってきたリモコンに手を伸ばす。そういえばこのバーテンの名前なんだったかな? タケザキさんで良かったっけ。人の名前を即行で忘れるシンガーはそんなことを思案しつつデイビッド・ゲッタの《バッド》を送信したのだった。


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