第3話『二人の距離は極めて近く限りなく遠く』
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【星間連合帝国 衛星ジオルフ 士官学校宿舎】
≪PM15:21≫
部屋の中にあったものが無くなると広く感じるのは、急に出来た空間を視認して脳が戸惑ってしまうのが一因らしい。しかし元から狭い部屋の中のものが一切無くなっても、それほど広くなったとは感じないものである。士官学校を卒業したリオ・フェスタがそう思いながら、空っぽになった部屋の中を眺めた。
「あーギガ疲れた……これで七年過ごしたこの部屋ともお別れか」
部屋の中にあるのは備え付けのデスクとベットのみで、リオは最後の感触を確かめるかのようにベッドに倒れ込む。前髪が目元を隠すので彼女は顔を振りながら前髪をズラすと天井を仰いだ。
ベッドで横たわるリオは同じくベッド上に転がっているバッグに手を伸ばすと、中から端末を取り出して指先で操作する。すると二次元ディスプレイが浮かび上がった。
「……これが、これからの私か……」
端末から浮かび上がった二次元ディスプレイを人差し指の上でクルクルと回しながら彼女は小さく溜息をつく。そして再び指で摘んで固定すると、そこに書かれた文章に今一度目を落とした。
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卒業証書
リオ・フェスタ殿
国歴3379年 8月14日付けを持って士官学校を首席卒業とする。
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任命書
リオ・フェスタ殿
国歴3379年 8月16日付けを持って帝国軍 予備少尉に任命する
配属先は帝国軍 監査部 とする。
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「監査部か……不名誉除隊にならなかっただけマシか」
リオは自嘲気味に鼻を鳴らして呟く。そして掴んでいた二次元ディスプレイを指で弾くと、宙を漂っていたディスプレイはパッと消え去っていった。
これからの生活に不安と不満を感じながらリオは寝ころんだまま背伸びをする。そして「よし」と一言置いて体をゆっくり起こしあげると、開けっ放しにしていた扉に浮かぶ人影に気付いた。
「うわっ! びっくりしたー! 何もう、いるなら言ってよ」
そこに立っていた白い軍服の青年を見てリオは驚きのあまり深呼吸する。そして驚愕から微笑みに切り替えると立ち上がって青年に歩み寄った。
「おーこれが戦皇団だね。うん、ウィロー君メガ似合ってんじゃん」
扉の前に立つ純白の軍服を纏う青年……同期生のガルガロン・ウィローの姿をリオは視線を上下させながら讃える。しかしガルガロンの表情は変わらずに機械のように口だけを動かした。
「純白の軍服は帝国軍の誇りである戦皇団の証、そこに入団するには軍内で皇帝陛下直々の勲章を賜り、尚且つ上官五名以上の推薦、そして士官学校卒業時に次席以上の成績であることが条件になる」
「君は士官学校卒業と同時にその全てを満たした訳だ。メガ凄い事だよ」
「本来なら君も一緒にそうなる筈だった」
無表情から怒りと悲哀の籠った目で見つめてくるガルガロンにリオは少し困ったような表情を浮かべる。そして彼に背を向けてベッドに転がる端末をバッグに仕舞いながら話を変えた。
「みんなは? 卒業式後から配属まである二日間はどっか行くんじゃないの? ほら、先輩たちが言ってたじゃん。その期間は最後の夏休みだって」
「先輩方はそうだっただろうな。だが僕らがそんな気になると思うか?」
「まぁそっか。二ヶ月も卒業式がズレ込んじゃって、こんな暑いシーズンじゃね。運が無いよねー私達、羊海炎上戦がなければ普通に六月に卒業できたのに」
リオは努めて明るくそう告げるとバッグを手にして再び彼の方に向き直る。するとガルガロンは真剣な面差しのままリオの方に歩み寄ってきた。
「炎上戦か……軍事惑星のクリオス星の反乱は他の星とはわけが違う。僕等のような士官学生まで戦場に駆り出されたんだからな。おかげで多くの同期生が逝った」
「そうだね……その分、ウィロー君がみんなの分も頑張らなきゃ」
「違うだろ……僕ら二人で頑張るべきだったんだ……!」
ガルガロンは歯を食いしばるようにそう告げる。強く握りしめられて震える彼の拳を見たリオは小さく微笑みながら彼の肩をポンと叩いた。
「うん。だから私も頑張るよ。君とは別の場所でだけど」
その言葉そきいたガルガロンの目は、怒りが消えて悲しみが溢れ出したように見えた。そして彼は声を振り絞りながらリオの肩を掴んできた。
「リオ……君は……何故……何故あんな命令違反を犯した? あんな事さえしなければ今は僕と一緒にこの軍服に袖を通していたはずなのに……」
彼の悲しみの言葉にその言葉にリオは表情を曇らせる。しかしリオが抱くの感情は悲しみに応えるものではなく、自分を理解できない者への不信感に近いものだった。
「私は……別に偉くなりたくて軍に入った訳じゃない。正しいことがしたくて軍に入ったんだよ」
その言葉にガルガロンは目の色を変えて声を荒げた。
「羊海炎上戦で学んだはずだ! 命令違反や裏切りによって多くの同期生が死んだ! 君はそれと同じことをしたも同然なんだぞ!」
背丈のある青年から怒号を浴びせられれば大抵の女性は怯むものである。しかしリオは毅然とした態度で反論した。
「それとこれとは話が別でしょ? 私は人の命を助けるためにあの命令には従わなかった。あのやり方が帝国軍の正義だって言うなら私にとって帝国軍は悪以外の何物でもない」
「そうだろうな! 教官や上層部も君がそういう感情を抱いていると察したから君への評価を改めた! だから君への関心もなくしたんだ! その証拠に伸び切った上にピンク色に染め上げた髪を注意することもしない!」
「これに関しては気に入ってるし。だってメガ可愛いでしょ?」
リオは挑発するようにそう告げるとガルガロンの声量は益々上がった。
「君はたった一度のあの大きな命令違反で全員からの信用を失ったんだ! 目標だった戦皇団入と一緒に!」
その言葉にリオは口をつぐむ。戦皇団への入団を逃す……それは彼女が思い描く目標から大きく反れることになるからだ。そして彼女が命令違反を犯した影響は他にもあった。首席の成績を誇る彼女の命令違反は同期の評判を著しく下げることになったのだ。
目を逸らすリオを見てガルガロンはハッとしたような表情を浮かべる。そして怒りを押し殺すように再び落ち着いた口調で語り始めた。
「リオ……君が私利私欲で命令違反を冒した訳じゃないのは僕は分かっている。誰にも君を責めさせたりはしない。……だから僕はこうやって」
そっと手を握ろうとするガルガロンの手をリオは避ける。そして再び笑顔で顔を上げた。
「そういうのはやめよ。私達の関係もこれで終わり」
「リオ……例え君がどうなっても僕達は一緒になるべきだと証明されているんだ」
「軌跡先導法ででしょ? 遺伝子情報で導き出された公認のカップル。でもさ、君にだっては他にも適した女性がいるでしょ?」
リオの言葉にガルガロンは悲しげな表情を浮かべる。軌跡先導法による婚姻システムは遺伝子情報から適合した異性の候補を提示され、その提示された人物と婚姻契約を結ぶことで国からも補助金が出ることにある。そして遺伝子情報から相性が良いと判断される相手との婚姻によって離婚率は低下し、出生率も著しく高くなっていた事実があった。しかし、提示される異性は一人とは限らない。優勢な遺伝子を持つ人物は複数の人物が提示されるのだ。その事実を知りながらもガルガロンは「そんな事は言わないでくれ」と訴える目を見つめてくるが、リオはさらに言葉を続けた。
「それに軌跡先導法はあくまでも目安。別にその人と結婚しなくたっていいじゃない」
「僕に他の適合者がいるのは事実だ。だがそうじゃない。僕は君だから」
「君はいい男だから。きっと他の人でも上手くやっていけるよ」
リオはそう言ってバッグからペンダントを取り出すと、ガルガロンの手を取りそっと握らせた。
「今までありがと。私は私で自分の夢に向かって生きてくよ。もう私の事は忘れてさ、立派な軍人になってね」
リオは笑顔でそう告げると歯を食いしばるガルガロンを横切った。
悲しくないと言えば嘘になる。ガルガロン・ウィローという男は実直で真面目で誰に対しても平等な優しさを持っている。発想力や先動力、そしてカリスマ性に溢れながらも多くの欠点を持つリオからすればこの上ないパートナーだろう。いや、それ以上に彼はリオにとっては他とは違う大切な人間だったのだ。
ガルガロンに背を向けたままリオは部屋の外に出る。そしてそのまま背伸びをしながら歩き始めた。
「髪でも切ってくかな」
おおよそ軍人らしくない腰まで伸びるピンク色の髪を弄りながらリオは呟く。夢に向かって突き進む最初の一歩に泣き顔は作らない。そのプライドが彼女に涙を流させなかった。
次週12月25日(土)AM10:00
第4話『それぞれの前夜 前編』
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