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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
第三章 衆合地獄篇

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衆合地獄 39

 それは、在りし日の記憶。


「アイドル?」


「うん。目指してみない?」


 狭くて暗い部屋の中、ロールケーキに刺さった二本の蝋燭だけが、辺りを微かに照らしている。その灯りを囲む、赤毛と青毛の双子の姉妹が、二人きりで十五歳の誕生日を迎えたその日。アイドルになってみないか、などと。赤毛の妹は、ふとそんなことを口にした。


「えーっ、急にどうしたの?」


「昔から思ってたの。お姉ちゃん、すっごく可愛いでしょ? これを活かさないのは勿体ないなぁと思って」


「なにそれぇ?」


 青毛の姉は少し照れくさそうに微笑んでいる。確かに彼女は妹の言う通り、絶世の美貌を有していた。まだ日の目を見ない蕾だが、ふとしたきっかけでもあれば、彼女が世界へ羽ばたく逸材であろうことなど、妹でなくとも誰でも想像がつくほどに。


「ほら、配信サイトってあるじゃない? これからの時代はテレビよりそっちが主流になっていくと思うんだよね。実際、一部のメディアは既に注目し始めてる。そんな時代の変わり目に、颯爽と現れるネット発のアイドル。しかも超可愛い……これは売れる。絶対に注目されるよ! 波に乗るなら今しかない!」


「おぉ……我が妹は商魂たくましいねぇ。でもそう上手くいくかなぁ」


「大丈夫、ぜーんぶ私に任せてっ! とりあえず目標は武道館で単独ライブ! その頃には印税もがっぽがっぽ入ってきて、ゆくゆくはふたりで優雅なタワマン暮らしよっ!」


「あはは……壮大だぁ」


 そのきっかけが、まさに今日だった。途方もない将来設計を妹から熱心にプレゼンされ、苦笑を浮かべながらも――姉は姉でその提案には思うところがあったようで。頭の中で静かに、偶像と成った自身の形を思い描いていく。理想という骨組みを、理論で肉付けしていって。蝋燭の灯の中に、未来の姿を夢想する。


「……もし、わたしがアイドルとして有名になったらさ」


「うん?」


 大前提として、夢を現実に出来る者はそれほど多くない。夢の程度にもよるが、ましてやアイドルなどという幻想は、夢もまた夢のお話である。夢は見なければ夢にもならない。そして夢を見るには、きっかけが必要である。彼女はこの日、きっかけを手に入れてしまった。この時、赤毛の妹が発した言葉は、迂闊だったとしか言いようがない。


「みんな、わたしを見てくれるってことだよね?」


「そりゃあ、まあ……そうなるね?」


 そう、この時はまだ誰も気が付いてはいなかった。それは誰よりも身近に居た妹でさえ見落としていた、異常性。天才などという言葉すら生温い程の、怪物じみたポテンシャル。絶世の美貌などは彼女の異常性の表面的な部分でしかなかったことを。その見落としが、全ての始まりだった。


「そうしたら……もう誰も傷付かなくて済むのかな」


 彼女は夢想する。己の未来を。辿るであろう結末を。


「わたし達みたいに、お父さんやお母さんがいない子達もさ……お義父さんやお義母さんみたいに、喧嘩ばかりしちゃう人達もさ……」


 彼女の願いは元より他人の為にあった。世界中のどこまでも届いて、誰かの頬に流れる涙を拭うことが出来る――そんな歌声が欲しかった。しかしそんなこと、出来るはずもない。夢を叶える方法を、彼女は知らなかったのだ。だからずっと、諦めていた――今日この時までは。


「寂しさも悲しさも、怒りも憎しみも、忘れちゃうくらい……何も手につかなくなるくらい、わたしに釘付けになってくれたら……」


 かくして撃鉄は起こされた。彼女という銀の弾丸が地獄に向けて放たれるまでの五年間、やがて世界の情勢は一変し――現世は正史より逸脱する。


全人類みんな、幸せになれるかな?」


 それは、在りし日の記憶。

 偶像という枠組みからも超越した――あるいは、正しく偶像そのものと成った――怪物少女の前日譚。

 決して奇跡などではない、辿るべくして辿った軌跡。

 終わりの始まりの物語。


 ◆


「みんなーっ★ 今日は来てくれてありがとーっ★」


 酩帝街中央区の中央広場には巨大なドーム型ステージが存在する。普段は一般開放されており、アーティストは事前に予約をすることで自由にライブを行なう事ができる。しかし今日に限っては、いつもと様子が異なっていて――


「一ヶ月以内に二回もライブするなんてすっごく久し振りっ★ 最近はちょっと忙しくてサボりがちだったからなぁ……★ みんなごめんねーっ?★」


 この日、中央ドームに君臨し、全ての視線を釘付けにしていたのはたった一人の少女の姿。観客席は埋め尽くされて満員どころか外側の壁に張り付く者まで現れる始末。沸き起こる歓声はまるで雷が落ちたような轟音で、地獄全土に響き渡っていた。


「今日はわたしのソロライブになるけど、みんな楽しんでいってね★ それじゃあ早速……いっくよーっ!★☆★☆」


 地上に咲いた星が歌う。その理念うたごえは、全てを酩酊させ、忘却させ、停滞させる。誰もが悲しむことも憎むこともしなくて済むように――彼女は今日も歌い続ける。


 地獄に天国を堕とした王。盛者必衰の酒吞童子、忘却齎す堕天王。彼女の理想に嘘の介在する余地は無い。そも嘘を吐く必要が無い。ありのままで成功する、そういう星の下に生まれた異常性アブノーマル

 彼女はその異常性さいのうを、全人類みんなの為に使った。他人の幸せの為に自分の人生の全てを捧げる、さながら救世主のようだが――彼女自身の意識としては、少し違う。

 彼女はただ、自分がそうしたいからそうしているだけで。好きだから。愛しているから。だから笑ってほしい。それだけなのだ。


 歌声が響く。どこまでも続く線路の上、等しく広がる赤い空の彼方まで。これは手向けである。これからこの街を出て、旅立とうする者達へ――酩帝街より、愛を込めて。


 ◆


「……お、来たな」


 酩帝街北区、境界付近。九十九が目覚めたその翌日。愛の呼びかけによって今ここに、彼女達は再び集まっていた。


「ちり。久し振り」


「おう。もう大丈夫そうだな」


 ここ数日、拠点には戻らず一人で街をぶらついていたという一ノ瀬ちり。彼女は先に到着していて、後からやってきた愛と九十九を出迎えるように佇んでいる。


「しっかし……すげーな。ここまで聞こえてくるぞ」


 こうしているまさに今、中央ドームにて堕天王・如月暁星がソロライブをしている真っ最中で。彼女を讃える歓声は遠く離れた北区にすら届く程の盛況ぶりを見せていた。


「ライブ、やってるみたいですね」


「最後に観にいかなくて良かったのか?」


「はい。私達は先に進みましょう」


 微かに聞こえる彼女の歌声を背に受けて、黄昏愛の黒い瞳は真っ直ぐ前だけを見据えている。


「そういえば……私、あまり詳しく聞けてないんだけどさ。どうするの?」


「こいつを使う」


 九十九の上げた疑問の声に、待ってましたと言わんばかりの様子で、ちりは自分のすぐ傍にあったソレに手を伸ばした。


「さっきから気になってはいましたけど……それ、台車ですか?」


「あァ、ちょいと拝借してきたぜ。こいつでおまえらを駅まで運ぶ」


 それは現世でも見かける業務用サイズの台車だった。押して運べるように取っ手が付けられている。台の上はその周囲が板で仕切られており、それでも大人ふたり載せても充分過ぎるくらいのスペースはある。台車とは言ったが、それはさながらトロッコのような風貌であった。


「九十九には話してなかったな。実は最後の座標にゴールした時の特典で、オレは酩酊への耐性を獲得したんだ。でもそれは先着一名様限定の代物だった。だからこうして、オレがおまえらを運ばなきゃいけなくなったってわけだ。やれやれだぜ……」


「なるほど……そういうことだったんだ。でも、その時にダメージを負ったって聞いたけど……大丈夫だったの?」


「ん、あァ……そこは豪雪地帯だったんだが、オレとしたことが氷の上ですっ転んじまってよ。ダメージってほどでもねえ、軽い怪我だ。ほれ、今はこの通りピンピンしてるだろ?」


 ――それはそうだ。放っておけば激痛に苛まれる身体に麻酔を打ち込んで、平静を取り繕っているのだから。


「うん……良かった。流石だね、ちり」


「……………………」


 用意してきた台詞を読み上げるように、つらつらと。ちりは軽やかに嘘を吐く。その薄く貼り付いたような笑みを、愛は黙って見逃すのだった。


「んじゃ気が変わらねえ内に行くか。てめーらは寝て起きたら、次の瞬間にはもう列車の中ってわけだ。まったく羨ましいね」


「ふふ。感謝してるよー。ね? 愛」


「……そうですね。ありがとうございます……本当に」


「……へいへい。いいからとっとと行くぞー」


 こうして――未練も悔恨も、憧れも思い出も、全て忘れられぬまま。彼女達は――北へ。


 ◆


 舗装されていない砂利道を慎重に、二人を振り落とさないようゆっくりと、ちりは台車を押していく。予め地図で確認した通り、駅のある方向へひたすらに真っ直ぐ進んでいく。

 眠気はすぐにやってきた。今回に限っては元より抗うつもりもないからか、体調が悪化するようなことはなく。ただひたすらに、眠いだけ。


「……愛」


 今にもうたた寝しそうなそんな中、九十九はぽつりとその名を呼んだ。


「あの子達は、どうなったの?」


「分身のことですか? 私とひとつになりましたよ」


「そっか……」


 プラナリアの特徴を異能によって再現し生成した愛の分身は、分身というだけあってオリジナルと寸分違わぬ思考回路を有している。死に恐怖を感じることは無く、本体と同化ひとつになりたいと願ったのも、分身の意思によるもので間違いない。


「……でも、話は聞かせてもらいました。料理のこととか、色々」


 そんな分身が、最期の瞬間――これだけは遺しておかねばならないと、自身のオリジナルに託したものがある。芥川九十九と過ごした思い出、その言葉を――黄昏愛はしっかりと、その記憶に刻み込んでいた。


「改めて、私からもお礼を言わせてください。ありがとうございます。分身わたしのことを、大事にしてくれて」


「そりゃあ、大事だしね」


 深い霧の中、肩を寄せ合う二人の少女。


「また愛の手料理が食べたいなあ」


「う……それは、まぁ……善処します」


「ふふ……これからもよろしくね?」


「……はい。あぁ、本当に……不思議なひとですね、あなたは……」


 言葉を交わしている最中、どちらからともなく。意識はゆっくり閉じていって――


「――ッたく。お似合いだな、こいつら……」


 眠りこけた二人の頭上を見下ろしながら、ちりはどこか困ったような微笑を浮かべているのだった。


 ◆


 酩帝街、最北端――駅前。霧で周りの景色がほとんど見えない中、突如として目の前に浮かび上がるその影に、思わずちりは急ブレーキをかけていた。

 それは等活地獄や黒縄地獄にも存在する、猿夢列車の止まる駅。機能していない改札口、その向こう側には三途の川沿いに足場が広がっている。


 ちりは駅の傍で台車を止め、中で眠っている愛と九十九を両肩に担いで持ち上げた。自分よりも身長の高い人間を二人も担ぐのは大人でさえ苦労するものだが、それをちりは軽々……とまではいかないにしても、なんとか担ぐことが出来ていた。


 二人を担いだちりはそのまま改札を通り、川底に沈む線路の前、列車が来るのを待っている。猿夢列車に時刻表の概念は無い。待っていると気紛れにやってくる。これはそういう現象である。

 そんな法則とも呼べない法則の通り、やがてそれは汽笛と共にやってきた。霧の中を進む水上列車。外装は血に薄汚れ、他に乗客は一人もいない。あまりにも有名な都市伝説をモチーフとしたその列車は、けたたましい金切り音を掻き鳴らしながら、ちりの前で停止した。

 自動ドアが蒸気を吐き出しながら開かれる。そこに躊躇いなく、ちりは二人を担いだまま一歩中へと踏み込んだ。


 入口傍のボックス席、対面に愛と九十九を座らせて、ちりはようやく落ち着いたように息を漏らしながら腰を下ろす。まるでそれを確認したように、自動ドアはそのタイミングで閉じられた。

 車体がゆっくりと動き始める。向かうは第四階層。今となっては前人未到の地となってしまったその領域に、彼女達はいよいよ足を踏み入れることになる。車窓より流れていく景色を眺めながら、一ノ瀬ちりは――


「…………?」


 ふと、気付く。


 対面に座り眠りこけている黄昏愛。そんな彼女の首から下がったのは、茜色のペンダント。先端が球状のカプセルのようになっていて、中身を開いて確認することが出来る。

 普段は愛自身それを隠すように常に胸元に入れていて、文字通り肌身離さず身につけているような代物だ。恐らく担いだ時の揺れで胸元から零れ落ちたのだろう。珍しくもそれが一ノ瀬ちりの目に留まった。

 ちりはこれまで、それについて特別気にしたことはない。これまでの口振りからして『あの人』の写真が入っているらしいということは、ちりにもなんとなく想像は出来ていたが、どうしても中身を見たいと頼む程の物でもない。


 そう、だからこれは、好奇心ですらなく。偶然の重なった状況下、手持ち無沙汰による気紛れ。あるいは、距離が近くなった今だからこそ。ちりの中でそんな気紛れを引き起こしたのかもしれない。


 自然と手が伸びていた。ちりはそのペンダントを自らの掌の上に静かに乗せる。手に取ってみて初めて解ったが、存外安っぽい質感である。茜色も金属の上から塗っただけの染料由来で、少し力を込めて引っ掻いてしまえば簡単に剥がれ落ちてしまうだろう。先端のカプセルは小さな金具によって留められていて、時計回りに回すと簡単に開くような仕組みである。

 よくこんな物を、これまでの戦闘で壊したり失くしたりせずに守り通してきたものだと。感心すればいいのか、呆れ返る方が正しいのか。判断に困りつつ、ちりはその金具を指先で摘み上げて――それは予想通り、特に苦労することもなく、簡単に開いた。


「……あ? なんだこりゃ」


 しかしその中身までは、予想通りとはいかなかったようで。それを覗き込んだちりは、思わず首を傾げていた。


 中身は写真だった。正確には、それが透明なガラスの中に嵌め込まれている物が入っていた。写真に映っていたのは、ウェーブがかった黒髪の女性――きっと、恐らく、そのはずである。


 断言が出来ない理由は、その女性の顔の部分だけが――黒いクレヨンのようなもので塗り潰されているからだった。


 これが『あの人』だと言うのなら、愛が「顔すらもおぼろげで」と言っていたのも頷ける。確かにこれでは顔が解らない。それが『あの人』かどうかは実際にその顔を見ればすぐに解ると愛は言っていたが、一体何を根拠にしているのか。確かに、何が記憶を呼び起こすトリガーになるか解らない、という意味ではそんな奇跡的な可能性も無いとは言い切れないけれど。

 あるいはそれすらも強がりで、実は自信が無かったのだとしたら――無間地獄の噂に頼りたがるというのも理解出来る。


「……いや。これクレヨンじゃねえな……」


 そんなことよりも、ちりにとって気がかりだったのは。


「…………まさか、血か?」


 酸化して黒くなった血痕によって、それが塗り潰されているという事実。


 死んだ『あの人』を追って、黄昏愛は自らもまた地獄へと落ちてきた。『あの人』とは愛し合っている恋人同士で、再会した『あの人』と地獄で花を見ることを彼女は最終目標としている。その前提があるからこそ、この旅は成り立っている。


 しかし考えてもみてみれば、その前提を組み立てた張本人が記憶を欠損しているのだ。何をどこまで忘れていて、何をどこまで正確に記憶しているのか、当の本人でさえ定かではない。

 しかもそのこと自体、他人に指摘されるまで気が付いていなかった……否、気付いていたのに見ないフリをしていた節すらある。

 まるで、死して尚生き急いでいるような。問題を先送りにして、ただ前だけを見て進んでいるような。前以外を見ることが出来ないでいるような。


 ならば、その前提が。そもそも間違っている可能性だって――――


「…………考え過ぎか」


 危うく良くない思考に舵を切りかけたその前に、ちりはペンダントの蓋を閉じて、身を引くようにそれを手放した。重力に従って垂れ下がるそれは、車窓から射し込む赤い陽光に照らされて、血のように赤くぎらついている。その毒のような輝きからはすぐに目を逸して、彼女は窓の向こうの景色を見た。


 霧を抜け、海を超え、車体は空へと落ちていく。どこまでも続きそうな赤い空は、次第に黒い宙へと変わっていく。夢と、希望と、後悔と。それぞれの想いを乗せた列車は、第三階層を離れ――次の地獄へ。


 幕はもう、上がっている。

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