等活地獄 7
目を閉じると、思い出す。
廃校舎の屋上はお気に入りのスポットだった。見渡す限りの赤い空、燦々と照り付ける黒い太陽。それは芥川九十九にとっての原風景であり、見ているだけで心安らぐ風景であった。地獄でこんな事を想う人間なんて、恐らくどこを探しても彼女以外にいないだろう。
そんな、ある日のこと。
「九十九さんッ、小地獄の野郎共が攻めてきました……ッ!」
彼女が屋上にひとり寝転がっていると、静寂を破り雪崩れ込むようにやってきたのは、以前に十六小地獄とかいう怪異の群れに襲われていたところを助けて以来、よく顔を見せるようになった名も知らぬ怪異の一人だった。金の髪に特攻服を纏うその女怪異は、いつしか芥川九十九の知らぬ間に彼女の子分を名乗るようになっていた。
そんな彼女が血相変えて、九十九に助けを求めている。彼女とは殆ど面識は無い。勝手に自分の子分を名乗る赤の他人だ。
嗚呼、けれど――
『弱いオレ達がこの地獄で生きていく為には、力を合わせないといけない。オレ達は仲間だ。仲間の居場所を守る為に、オレ達は力を合わせて戦わなきゃならないんだ。オレがオマエにそうされたみたいにな。だからオレは仲間を見捨てない。オマエも、そうであってくれ――』
――仲間に助けを求められた。芥川九十九にとってはそれだけで十分だった。
「わかった。後は私がなんとかする」
「お、お願いします……!」
屋上の上から跳躍一つで飛び降りて、グラウンドに着地と同時、校門の目と鼻の先までやってきていた敵の群れ目掛けて九十九は一直線に駆け出した。そうして九十九は、まるで無駄な所作のひとつもなく、淡々とこなすように、目の前の百は下らない怪異の大群をものの数分、一匹残らず叩きのめしてしまうのだ。
その一部始終を見届けた誰かが言った。芥川九十九はやはり、普通じゃない。
◆
「九十九さぁん! やべーっす、またあいつら、今度はお礼参りだとか何とか言って、この前の何倍も数揃えて攻めてきましたぁっ!」
ある日のこと。今度はまた別の、見慣れない女怪異が、屋上にやってきていた。本人の知らないところで芥川九十九の子分を名乗っていた彼女達は徒党を組み、その組織は屑籠と呼ばれているらしいことを、九十九が知ったのは更に数年後のことだった。
「……わかった。後は私がなんとかする」
「しゃっす!」
千を超える大群を一人残らず叩き潰して、血溜まりの上に芥川九十九は立つ。その見るもの全てを震え上がらせる程の強さは地獄中に知れ渡り、彼女をこの地獄の王と持て囃す者まで現れ始めた。
その一部始終を見届けた誰かが言った。芥川九十九はやはり、特別なのだ。
◆
「わかってんだろうなァ……? 俺らはあの芥川九十九率いる屑籠の一味だぜ? 舐めた真似してっと――」
「……何をしている」
ある日。中央区の路地裏で、九十九はそれを偶然見かけてしまった。一人を相手に複数で嬲る、屑籠の末端の構成員達。彼らはかつて他の勢力に襲われていたところを九十九に助けられた者達ばかりだった。
「あ……つ、九十九さん……」
「こ、これは……へ、へへ……こ、こいつが、俺らのシマに勝手に入ってきやがったから……お灸を据えてやろうと……」
目も当てられないほど痛々しく腫れ上がった顔をして道端に転がっているその怪異は、確かに十六小地獄の一味だった。屑籠は、弱い者達が身を寄せ合って出来た組織だ。それがいつしか必要以上に力を付けた彼らは、今度は自分達が他勢力を蹂躙するようになっていた。
「な、なんすか九十九さん……あ、あんただって、散々やってきたことでしょ……!」
「あ、あんた……俺らのボスだって自覚あんのか……!?」
芥川九十九の知らない間に、屑籠は肥え太り、大きく、強い組織になっていた。もはやその規模は、ちりを始めとする七人の幹部達でさえ、こういった末端のやっていることを細かく把握し切れてはいない程に。
これも誰かが言っていた。芥川九十九には、心が無い。
◆
「ちり、その怪我は……!」
……ある日。地獄で最初に出会った幼馴染、赤い少女のちりが傷だらけで屋上にやってきた時は、普段は冷静な九十九も思わずその心臓を跳ね上げさせていた。
「ん、ああ。こんくらい平気平気」
「平気って……血だらけじゃないか」
「大丈夫だって、これほとんど返り血だから。ま、有名税みたいなもんだな。はは……」
初めての親友。初めての仲間。かけがえのない彼女が、自分の隣で屈託なく笑っている――傷だらけの身体で。
誰かが言っていた。芥川九十九には、誰にも言えない秘密がある。
◆
「…………私の、せい?」
気付いた時には、何もかもが手遅れだった。
思い起こせば、事の発端は全て自分にあった。自分のせいで、誰かが傷付く。仲間が傷付く。親友が傷付く。
それでも。求められるから、それに応えてきた。戦うことを求められた。王として振る舞うことを求められた。それが仲間と慕ってくれる皆の助けになれるなら、それ以上のことはないと思っていた。
そう、思っていたはずなのに。いつからだろう。どこからだろう。何かがおかしいと思い始めている自分がいる。
いつからだ? どこからだ? 何がおかしいと感じている? 間違いだったのか? 私が頑張れば皆が幸せになれると思い違いをしていた? 本当は私のせいで誰も彼もが不幸になっているのか? 私がしてきたことは何だ? 私は何をするべきだった? 何もしないほうがよかった?
……こんな思いをするくらいなら、仲間なんていらない。独りでいい。
私に求めるな。私に近寄るな。鬱陶しい。みんな、消えてなくなればいい――!
「違う……そんなこと、望んでない……!」
……ならお前は今、何を望んでいる?
◆
その日以来、芥川九十九が学校の屋上に訪れることは無くなった。