等活地獄 6
等活地獄では、瓦礫や有刺鉄線のバリケードで区画を分け、それぞれの場所に十六小地獄と呼ばれる文字通り十六の勢力に所属した怪異達が棲んでいる。そしてその区画の中で『中央区』と俗に呼ばれるその場所は、十六の勢力のどこにも属していない一般怪異の集まる中央都市だった。
ガラクタで作られたハリボテの違法建築郡、その路地裏で息を潜めるように静かに棲む者も居れば、表通りで怒号を喚き散らし『異能』を好き放題に使って暴れる輩も居る。特に後者の、所謂マナーのなっていない連中に対しては、中央区の治安維持を担う組織『屑籠《ダストシェル』の見回りによって取り締められることが多い。
彼らがこの地獄という場所で比較的安全に暮らしていけるのは、中央区に聳え立つ廃校舎を根城とする『屑籠』の存在あってこそだった。
「へい、パス!」
さて。ここはそんな中央区から外れた、南区と外界の境目にあたる広場。そこでは赤い空の下、黒い大地の上を無邪気に駆け回る、少年少女達の微笑ましい姿があった。
「ドリブルっ! ドリブルっ!」
「あっ! やべえ抜かれたっ!」
「パス! へいパス!」
「ねえ~っ! 待ってよぉ~っ!」
広場には廃パイプのモニュメントがおあつらえ向きに設置されており、子供達はそれをサッカーゴールに見立て遊んでいた。転がる球を足先で操り、ゴール目掛けて一直線に走っている。
「いくぞぉぉぉおおおお~~~~っ!」
「来ぉぉぉおおおお~~~~いっ!」
「パスッ! パスパスッ! へいッ!」
「ねぇ~え~っ! それ返してよお~~っ!」
一人の少年が勢いよく蹴り上げたその球体は、空中で曲線を描き、キーパー役の少年の手をすり抜けてそのまま網の無いサッカーゴールの中へと吸い込まれていく。
「よぉぉぉおおおお~~~~しっ!」
「あ~……キーパー何やってんだよ~」
「パぁぁぁああああっス!!」
「ね……ねぇ……! み、みんなぁ~……っ!」
歓声上げる少年達の中でしかし一人、その少女だけは今にも泣きそうな声で何かを訴え掛けていた。少女の訴えに「なんだよ~うるさいな~」と口を尖らせる少年達。彼らの手の上には、先程蹴り上げたサッカーボールが――
「そ……そろそろ私の首、返してよお~~っ!」
――否、少女の首が乗っていた。首は少年達を精一杯に睨みつけ、抗議の声を上げている。
「え~いいじゃん、もうちょっとだけ」
「目が回るの! くらくらするの~っ! もう返してよう!」
「デュラハンの取り柄なんて首が取れることくらいなんだからさあ、おれらの暇つぶしに貢献しろよな~っ!」
「それに蹴られても痛くないんだろー? だったら別にいいじゃん!」
「そういう問題じゃないよ~! 目が回って、もう、もう……」
首のない少女の体は覚束ない足取りで今にも倒れそうに体を震わせていた。一方で少女の首はそれと連動するように顔を青ざめて、そして――
「――おえっ」
「うわっ! こいつ吐いた!」
「ばっちい~っ!」
首から下はどこにも繋がってはいないのに、少女の口からは吐瀉物が吐き出されたのだった。
「うえぇ……かえして……わたしのくび、かえしてよう……」
とうとう涙が溢れ出した少女を前にして、しかし、子供というものはどこまでも残酷になれる。そもそも彼らが本当に見た目通りの子供なのかどうかも定かではない。怪異は歳を取らないからだ。
「くくっ……えぇ~? どうしよっかなぁ~」
悪戯っ子などという表現すら生ぬるい、まさに悪魔そのものの邪悪な笑みを浮かべる少年達。その邪悪さは、紛れもなくこの地獄で生きる怪異の一員のそれであった。
「オイ、クソガキども」
不意に降ってきたその声に、少年達は我に帰ったように一斉に背後を振り返る。赤い髪、赤いスカジャン、赤いマニキュア、全身に赤を纏うその少女は、どこからともなく現れ、少年達の背後を取っていた。
「うわっ! 出たッ!」
「妖怪血まみれ女だぁ~~~~っ!」
蜘蛛の子のように散る少年達見下ろすその赤い影こそ、『屑籠』の幹部にして組織の実質的な精神的支柱。皆に「ちり」と呼ばれ慕われる紅少女である。
「オマエら、九十九のこと見なかったか」
「つくも……? あ~」
ちりの言葉に子供達は互いに目を見合わせるも、誰もピンとは来ていない様子で。
「知らないよなー」
「うん」
「そもそもどんな顔してたっけ?」
「そういえばおれ、見たことねーや。つくも」
「たしか、黒い学生服を着てるんじゃなかったっけ?」
元からさほど当てにはしていなかったものの――彼らはそもそも九十九の存在すら記憶に朧げのようだった。
この等活地獄に治安を齎した『屑籠』のリーダーであり、皆がその恩恵を享受しているにも拘わらず、である。そんなあまりにも冷酷な反応に、ちりは途方に暮れたように大きく溜息を吐くのだった。
「そうか……まあいいや。……ところでよ」
ちりは少年達から話を聞き出すことを早々に諦めて――一鋭く伸ばした赤い爪を、おもむろに少女の首に向けていた。
「楽しそうだな。それ、オレにもちょっと貸してくれよ」
此処では弱肉強食こそが全て――子供と言え地獄の住人である彼らには、ちりの言わんとしていることを瞬時に察知する。そして露骨に嫌悪の表情を浮かべるのだった。
「お、おれらが先に捕まえたんだぞ!」
「そうかそうか。だが残念だったな。たった今からそいつはオレのものになった」
「え、え?」
思い掛けない言葉に首無し少女、無い首を右往左往させるように、ちりと少年達の間を交互に視線泳がせる。
「お、おうぼうだー!」
「横暴上等。オマエの物はオレの物、オレの物もオレの物ってな。黙って首置いてけ。置いてかねえなら……」
そう言って指の関節をバキバキと鳴らしながら近付いてくるちりの圧力に、さしもの悪戯小僧たちも引き下がる他無く。
「へ、へんっ! いらねえや、こんなもん!」
少年は悔し紛れに少女の首を放り投げ、踵を返し一目散に逃げ出したのだった。
「きゃあっ!」
「おっと」
ちりは少女の首を胸元で包み込むように受け留める。その隙に少年達はあっという間、遥か彼方。
「ちくしょー! おぼえてろー!」
「おうおう、とっとと失せろクソガキども」
逃げ果せる少年達の後ろ姿に、ちりはもう何度目かもわからない溜息ひとつ。
「あ、あの……」
そんなちりの腕の中で、首の少女は恐る恐る彼女の顔を見上げていた。ちりはこれまた小さく溜息をひとつ吐いて、欠けたピースを嵌めるように、両手で持ち上げた首をそのまま元の身体にくっ付けてやる。
「……オマエもなあ、そう簡単に首なんか取られんなよ」
「うぅ……ご、ごめんなさい……」
首は少女の身体にぴたりと嵌って、すっかり元のヒトのかたちを取り戻していた。自分の首に感覚が取り戻されたことを確認して、ぺこりと頭を下げる少女。
ちりに言わせれば、ついでのおつかいのようなものだった。九十九の居場所を聞き出すついで。ついでに、なんとなく。更に言えばたまたま、偶然、それが目に入っただけ。それ以上でもそれ以下でもない。自分にそう、言い聞かせるように。
「で、だ。今日からオマエは、オレのものになったわけだが」
「は、はい……」
「オレは自分のものを他人に触られるのが嫌いだ」
「……はい」
「だから……まあ、なんだ。オマエ、中央区に来い。中央区はオレら『屑籠』の管轄だ、外界の悪ガキどもも寄り付かねえ」
秩序乱す余所者を受け付けない『屑籠』が、自らの領地に足を踏み入れることを許可する。その言葉の意味に少女は気が付いて、無邪気を象ったような大きな瞳でちりの顔を覗き込む。
「…………いいの!?」
「勘違いすんなよ。『屑籠』は強くなくちゃいけねえ。今すぐは無理でも……いずれはオレらの一員としてコキ使ってやるからな。それまでの間、オレらが一からビシバシ鍛え直して――」
「いっ、妹達も、連れて行っていーい!?」
ヒトの話を最後まで聞けよ、などとは言い出せず、気怠げに首を縦に振ってやると。
「や、やったぁ……! あ、ありがとう、赤いお姉ちゃん……!」
「……ちりだ」
「ありがとう、ちりちゃん!」
その場で飛び跳ねるように喜んだ少女は、ちりの前から踵を返し一直線に駆け出していた。
「妹達に知らせてくるっ!」
「……そうかい。オレぁ先に行ってるぞ」
手を振る少女に短く振り返し、ちりもまた、その場から踵を返すのだった。
こんなお節介は、もう何度目になるのだろう。文字通りの屑籠として、道に転がるゴミを分別して拾い集めるような慈善活動を、ちり達『屑籠』は行なっている。かつては自分達もそうだった。その恩を返すように、『屑籠』の輪は広がり続ける。
しかし、そうしていつの間にか。伸ばした手が届かないほどに。『屑籠』は大きくなっていったのだ。
◆
芥川九十九は神出鬼没である。一匹狼というにふさわしく、彼女はあちこちへ気ままに、ふらふらと出かけてしまう。その場所を探し出すことは、九十九の側近であるはずの『屑籠』でも困難を極めるものだった。
「ッたく……また一人でどっかふらふらしやがって……」
――あの頃は九十九の居所なんて、すぐにでも見当が付いたのに。
「(……ああ、そういえばそうだ。オレはいつから、あいつのことが解らなくなった?)」
結局手がかりの一つも掴めぬまま日が暮れて、等活地獄にも夜がやってきた。暗黒の空の上には対照的な赤い月が浮かんでいる。
ちりは一人とぼとぼと、廃校舎に引き返してきていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った、虫のさざめきさえ聞こえない怪異の夜。夜の校舎の一室、いつも自分達が屯している教室だけが、蝋燭の灯でぼんやりと照らされているのが外からでも解る。その淡い光だけを頼りに、ちりは夜の校舎に正面から入っていく。
玄関を抜け、階段を一階、二階、三階と登っていき、唯一灯りのついたその教室に足を踏み入れる。その足音に反応して、既に戻ってきていた面々が揃って顔を上げた。
「あ、ちりさんおかえりなさい」
「おう……どうだった」
「いやー、残念ながら」
期待はしていなかったが、流石に骨が折れたとばかりに、揃いも揃って大きく溜息をつく彼女達。ちりが顔をあげ、教室をぐるりと見回してから、ふと気付く。九十九を探しに出た『屑籠』の面子は、全部で七人。戻ってきているのは六人。ひとり、足りない。
「……そういや、あいつどうした?」
「あれ……双葉ちゃんなら確か、北区の方まで行ってたみたいスけど……戻ってきてないスね」
そんなことを話しているうちに、遠くからこつりこつりと、骨で組み上がった階段をゆっくり上がってくる足音が微かに反響して、ちり達の耳元にまで聞こえてくるのだった。
「と……噂をすればか。とりあえず、これからどうするか考えないとな――」
すっかり風通しのよくなった教室の中心で、ちりが音頭を取ろうとした――その刹那のことである。
廊下側から聞こえてきていた足音が不意に立ち止まったかと思うと、開け放たれたドアの向こうからがたりと音を立てて、教室の床に何かが転がった。
床一面に、金の髪がばさりと広がる。黒の特攻服を血に染めたその女の顔は、『屑籠』の面子であればよく見知った顔で――それ故に、ちり達は弾けるようにその場へ駆け寄った。
「おい……おいどうした! 誰にやられたッ!」
「……………………悪、魔」
それだけを言い残し意識失った彼女の右の手首は、根っこからぶつりと、何かに噛み千切られたように、すっかり失くなっていた。
「悪魔、って……まさか……」
静寂が広がる。漂い始めた空気の正体を察し一番に声を荒げたのは、やはり。
「おい、今……九十九の仕業だって思ったろ」
「い、いや……」
「九十九がッ! 仲間に手ェ出すわけねーだろッ!」
ちりの怒号が教室内で残響する。訪れた静寂の中で――
「……でもさ、ちりさん」
誰もが不安に揺れる瞳を、ちりに対して向けていた。
「あたしらには……今の九十九さんの考えてることが、正直……わかんねーんですよ」
だって芥川九十九には、誰にも言えない秘密がある。それは『屑籠』の幹部でさえ知らない、聞かされていない秘密。
「九十九さん……いつも一人で居ようとするし……あたしらのこと、避けてるみたいで……」
――私達は芥川九十九に、本当の意味で信頼されていないのではないか。
「ウチら、あの人の舎弟名乗ってますけど……最近じゃあ、あの人とろくに話したことも……」
そんな噂を耳にするようになったのは、いつの頃からだったか。
「それに……今の等活地獄を仕切ってんのは実質ウチらじゃないすか。あの人じゃない」
一体誰が、そんなことを言い始めたのだろうか――
「ねえ、ちりさん。ウチら本当に、あの人の……芥川九十九の仲間、なんすかね」
咄嗟に持ち上がったちりの拳は――けれど結局、力なく落ちていった。
「……もういい。ここから先は、オレ一人で探す」
「ちりさん……一人でこの広い等活を探し回るのは……何週間かかるか……」
「……うるせえよ」
去り際にそう吐き捨て、勢いよく教室を飛び出していった彼女。その後ろ姿を――しかし誰も、追いかけることが出来ずにいたのだった。