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怪物少女の無双奇譚《フォークロア》  作者: あかなす
怪物少女の夢想偽譚 第一章 叫喚地獄篇

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叫喚地獄 12

 九十九達が『四方結界』に辿り着く、少し前。


 第四階層の奥深くに隠された、四人の王たちにのみ入室が許された待機部屋。血のように赤い地獄の空を遮断する分厚い石造りの天井から、人工的な蒼白い照明が冷ややかな光を床へと投射している。広大な室内の至る所には、解体された人形の四肢や複雑な構造を持つ絡繰りの遊具が無造作に投棄され、彼女たちが何百年と続けてきた退廃的な遊戯の歴史を静かに証明していた。


「侵入者ぁ~?」


 そんな空間の片隅で、間延びした幼い声が空調の低い排気音と混ざり合いながら不規則に空中に溶けていった。

 部屋の中央に無造作に置かれた円卓の盤上には、髑髏や大腿骨の破片を精巧に模した鈍色の駒が散乱しており、癖のある髪を気怠げに揺らす幼女は、ひどく退屈そうに自身の薄い唇を尖らせている。彼女の華奢な骨格をすっぽりと覆い隠す灰色のスウェットは、一歩歩くたびに足の甲を重く擦るほどに過剰な布地を持て余しており、袖口の深い闇からわずかに覗く青白い指先だけが、盤上の無意味な戦局を気紛れに支配していた。


「報告があったの! 第四階層に侵入者! 真っ直ぐこっちに向かって来てるって!」


 重厚な樫木の扉が乱暴に弾け飛ぶような衝撃音と共に開け放たれ、その悲痛な叫び声が、それまで部屋を支配していた和やかな停滞の空気を容赦なく切り裂く。

 入り口の敷居を跨いで勢いよく転がり込んできたのは、頭頂部に豊かな獣の耳を鋭く逆立たせた半獣人の幼女である。彼女の全身を隙間なく覆い尽くす獣毛は、激しい疾走による体温の急激な上昇を受けて大きく波打っており、獣特有の生温かい汗の匂いが室内の乾いた埃の匂いと混ざり合いながら急速に空間の隅々まで拡散していく。


「へぇ~? 珍しいこともあるもんだ。第三階層に酩帝街が出来てから、第四階層こっちに来ること自体難しくなっちゃったのに」


 唐突に齎された危機的状況の報告を受けてなお、灰色のスウェットに身を包む幼女――甲蕾ジアレイの態度は、どこまでも対岸の火事を眺める安全な傍観者のそれに終始している。

 盤上の骨の駒を指の腹で無造作に弾き飛ばすその所作には、彼女特有の陰湿な異能が齎す、危機感の致命的な欠落と傲慢さが色濃く滲み出ていた。


「確かに珍しいけどぉ、そんなに慌てるようなことなのぉ?♡ 虎樹フーシュちゃん?♡」


 盤の向かい側で退屈そうに両手で頬杖を突いていたもう一人の幼女、凰苗ファンミャオが、甘ったるい毒液を極限まで煮詰めたような声音でその言葉を引き継いだ。

 絢爛な金糸の刺繍が過剰なまでに施された豪奢な女児服を身に纏う凰苗は、自身の整えられたツインテールの毛先を器用な指先に絡めながら、嗜虐的な光を帯びた瞳で乱入者の露わな焦燥を舐め回すように観察している。


「あのフィデスさんから直々の出動命令! あたしたち四人で、絶対に食い止めろって!」


 しかし、息を整えるための僅かな時間すら惜しむようにして放たれた半獣人の幼女――虎樹フーシュのその一言は、それまで部屋を支配していた緩やかな遊戯の時間を速やかに凍結させた。

 フィデス。拷问教會の第二席にして、彼女たち獄卒四天王の雇い主。全てを暴く銀の魔女。その忌まわしい名が空気の振動を介して鼓膜を激しく叩いた刹那、盤上に散らばる遊具の乾いた接触音すらも完全に鳴りを潜め、呼吸の音さえもが不自然に抑制される。


「……はぁ~? マジ? あのフィデスが? そんなこと言ったわけ?」


 先程までの余裕に満ちていた甲蕾の顔面に、明らかな警戒と理不尽な命令に対する不快感が複雑に入り混じった険しい皺が刻まれる。安全な地下室に引きこもって一方的に獲物を狩るという生存戦略スタンスが、逆らうことの許されない上位者の命令によって強引に引き剥がされる予感に、オーバーサイズのスウェットに隠された彼女の肩が僅かに強張る。


「ふぅん……♡ それはほんとに珍しいね♡ 退屈せずに済みそう……♡」


 対照的に凰苗の血の気を帯びた唇には、三日月の弧を描くような歪で残忍な笑みが深く刻み込まれていく。彼女の瞳の奥底で渦を巻いて蠢く好戦的な熱は、退屈な日常を破壊してくれる玩具を与えられたことに対する抑えきれない歓喜の現れであった。獲物を自らの用意した巧妙な罠に嵌め、絶望に顔を歪める様を甚振る過程を想像して微かに舌なめずりをするその姿は、絢爛な衣装に包まれた幼子の可憐な外見とは著しく乖離した、醜悪な捕食者のそれである。


「いやめんどくせぇだけだろ。はぁ~あ、ったく……」


 対して重力に抗うことすら放棄したかのような甲蕾の気力のない生返事。盤上の骨片から視線を外した彼女は、自らの小さな肺に溜まった淀んだ空気を無理やり押し出すように、大袈裟な動作を伴ってやる気の無さそうなあくびを空間へ吐き出す。


「てかさぁ~、ちょっと大袈裟じゃな~い? そこまで警戒しなきゃいけない相手なの?」


 不満の感情を隠そうともしない平坦な声調で紡がれたその疑問は、部屋の硬い石壁に空しく反響し、埃の舞う空気を微かに震わせる。


「だってウチらには龍華ロンファがいるんだよ? 負けるわけないじゃん。てか()()()()()()()()()』だし。ね? 龍華ロンファ


 そうして甲蕾の視線は、部屋の片隅で静かに存在感を放っていた最後の同胞へと向けられた。

 遊戯の輪から意図的に一歩引いた位置で、黒いボブカットの髪を微動だにさせることなく佇むその幼女。彼女の身を包むのは、この殺伐とした地獄の赤茶けた風景にはおよそ似つかわしくない、規律を重んじる学校の制服を精巧に模した直線的なシャツとプリーツスカート。

 一人黙りこくっていた彼女――龍華ロンファは、甲蕾から向けられた明らかな依存の眼差しを、その静謐な瞳で正面から受け止める。


「……うん。……負けない。……任せて」


 独特な間を保ちながらも、彼女の白く細い首は自らの力を誇示するような緩やかな軌道を描いて、重々しく縦に振られた。他者から頼られることによって静かに満たされた事実が、その僅かな顎の動きに雄弁に表れている。


「あはっ♡ そうだよねぇ、甲蕾ジアレイ♡ もし自分が無様に負けちゃってもぉ、龍華ロンファちゃんにお尻ふきふきしてもらえるもんねぇ♡ だから負けても安心♡ よかったねぇ~♡」


 その硬直した依存関係の隙間を的確に縫うようにして、凰苗の口から毒液に浸された挑発の言葉が滑り出した。底意地の悪い嗜虐の光を瞳に爛々と輝かせている。


「はぁ~!? ざっけんな凰苗! んなこと誰も言ってねえだろ!」


 甲蕾の喉から、先程までの気怠さが嘘のように、傷ついた獣の威嚇を思わせる低い声が漏れ出す。過剰なまでに布地を持て余した灰色のスウェットの奥底で、青白い指先が自らの掌に爪を食い込ませるほどに硬く握り込まれる。


「見てろよ。侵入者なんてウチがボコボコにしてやるっつうの」


 冷たい石の床を怒りに任せて強く踏み鳴らし、その鋭い語気は室内の淀んだ空気を一掃した。振り向きざまにスウェットの長い袖を荒々しく虚空へ叩きつけ、扉の向こう側に広がる暗い廊下へと足早に飛び出していく。

 そんな甲蕾の後ろ姿を見送った凰苗の口元には満足げな三日月の笑みが深く刻み込まれ、虎樹は急な事態の進行に狼狽えながらも慌てて短い足を踏み出す。そして龍華は、どこか王者の如き威厳を漂わせながら静かにその場を後にした。


 斯くして物語は現在へと至る。


 ◆


 血文字の『二』が刻まれた鉄の扉を乱暴に押し開き、その向こう側の闇へと滑り込ませた瞬間、黄昏愛の足裏を支えていた叫喚地獄の硬い大地は、唐突にその感触を失った。


 一歩を踏み出す直前まで彼女の網膜に焼き付いていたのは、無機質で手狭なコンクリートの塊に過ぎないはずの建造物。しかしその中に広がる光景は、空虚なほどに広大な地平がどこまでも続く、鬱蒼とした樹海の真っ只中であった。

 見上げれば叫喚地獄の赤黒く淀んだ空は既に存在せず、薄鈍色の天蓋が閉鎖空間の辻褄を嘲笑うかのようにのっぺりと広がっている。外界の荒涼たる風景を強引に切り取って別の位相へと繋ぎ合わせたかのような、物理法則を根本から否定する圧倒的な異常性。

 見渡す限りの視界を埋め尽くすのは、太く捻れ曲がった幹を複雑に交差させる広葉樹の群れ。風もないのに不規則なざわめきを立てる無数の葉の隙間から、奇妙に歪んだ影が地面へと幾重にも落とされていた。


 愛の履くローファーの靴底は、硬いコンクリートの反発を一切受けることなく、柔らかく沈み込む下草と濡れた土の感触を確実に拾い上げている。空間の余白を埋め尽くすようにして生い茂るシダ植物や、複雑に絡み合った太い蔓が、歩行の自由を容赦なく奪い去ろうと足元に密集していた。

 それは身を潜めるための死角を無限に提供する、あまりにもお膳立てされた舞台。此処が敵の姿を視界から隠匿し、奇襲を仕掛けるために設計された『部屋』に違いないと、黄昏愛は静かに分析する。

 この異常な環境の変化を前にしても、愛の瞳には微塵の動揺も恐怖も宿ることはない。ただ行く手を阻む障害に対する冷ややかな殺意だけが、彼女の体内を巡る血液の温度を下げていく。


「ねぇ、お姉さん。『()()()()()』しようよ」


 そんな現実離れした空間の中心に、ただ一人。鬱蒼とした木々の奥深く、ぽつんと取り残されたような小さな影が、愛の来訪を待ち受けるように佇んでいた。


 短い髪を無造作に遊ばせた、年端もゆかぬ幼女である。彼女の華奢な骨格を覆い隠すのは、過剰なまでにサイズを間違えた灰色のスウェット。長すぎる袖口は完全に両手を飲み込み、裾は足の甲を擦るほどに垂れ下がって、その不格好な衣服の余白が彼女の幼さを一層際立たせている。しかしその瞳に宿る光だけは子供特有の無垢な輝きとは無縁であり、他者の苦痛を安全圏から観察して喜悦に浸る、陰湿で底意地の悪い嗜虐の粘液がたっぷりと沈殿していた。


「じゃあ、お姉さんが『()』ね」


 獄卒四天王の一角、名を甲蕾ジアレイ。空洞の底から響くような間延びした彼女の声が、無風の空間を滑るようにして愛の鼓膜を撫でた。


「死ね」


 黄昏愛に対話の余地など最初から存在しない。ただ一度の宣言を終えた直後、黄昏愛の右腕の内部で細胞が爆発的な速度で増殖と変異を繰り返す。


 白く滑らかな肌の表面を突き破り、透明なゼリー状の組織が凄まじい勢いで隆起していく。骨格は柔軟かつ強靭な繊維質へと組み替えられ、腕全体が巨大なクラゲの触手へと一瞬にして変貌を遂げた。筋肉の収縮と同時に生成されたのは、致死性の猛毒を秘めた極太の触針。生体組織の限界を超えた圧力が腕の内部に充填され、目標を定めた照準が甲蕾の額の真ん中へと正確に固定される。


 呼吸の合間すら不要なほどの短い静寂ののち、大気を叩き割る轟音と共に、圧縮されたエネルギーが触針を凶器の弾丸として射出される。超音速で放たれた肉の槍は、対物ライフルをも凌駕する破壊的な推進力を伴って虚空を貫く。射線上の大気が摩擦熱で一瞬にして沸騰し、視界を歪めるほどの陽炎を発生させた。回避はおろか瞬きをする暇すら与えないその暴力は、過不足なく甲蕾の頭部を正面から貫徹する。


 硬質な頭蓋骨が砕け散り、柔らかい脳髄が後方へと撒き散らされる物理的な手応えは、愛の研ぎ澄まされた神経を通して確かに伝達されていた。着弾の余波で周囲の樹木が激しく揺れ、千切れた木の葉が空中に舞い上がる。必殺の一撃。どんな怪異であろうとも、脳の機能を中枢から破壊されれば即座の修復は不可能であり、活動を停止せざるを得ないはずであった。


「へへ~ん! きかないよ~!」


 だがしかし、その幼女の口から放たれたのは断末魔の悲鳴ではなく、小馬鹿にしたような甲高い嘲笑。

 触針が頭蓋を貫き、脳髄を吹き飛ばす物理的な手応えは確かにあったはず。しかし甲蕾の身体からは一滴の血液も流れ出ず、肉が弾け飛ぶ惨状も生じない。貫通したはずの頭部には空洞すら形成されておらず、彼女の輪郭は一瞬だけテレビの走査線が乱れた時のノイズの如く不自然にブレた後、傷一つない元の姿へとあっけなく修復されていた。

 致命的な一撃を完全に無効化してみせた甲蕾は、長いスウェットの袖を振り回し、愛を挑発するような軽快な足取りで下草を蹴り、後方へと遠ざかっていく。


 その不可解な現象を前にしても、黄昏愛の思考が凍結することはなかった。獲物が逃走を図るのならば、追撃して削り落とすまでのこと。彼女は即座に両脚の筋肉繊維をチーターのそれへと造り替えた。大腿筋が異様な隆起を見せ、腐葉土の分厚く堆積した地面を粉砕するほどの踏み込みで一気に前方へと跳躍する。

 弾丸のごとき加速。風を切り裂いて進むその速度は、逃げ惑う幼女の背中をほんの数秒で捉え、その首筋を刈り取るに十分なはずであった。太く捻れ曲がった樹木の幹が視界の横を凄まじい勢いで流れ去り、湿った土の匂いが鼻腔を激しく打ち据える。


「あら……?」


 それにも関わらず、どれだけ愛が脚力を爆発させて空間を削り取ろうとも、前方を走る甲蕾の背中は一向に大きくならない。十メートルほどの距離が、無限に引き伸ばされた鋼の鎖のように縮まることを拒絶している。愛が三歩を踏み出せば、甲蕾の背中もまた同じだけ遠のき、愛が跳躍の幅を広げれば、空間そのものが引き伸ばされて距離を維持し続ける。

 鬱蒼と茂る広葉樹の隙間から、灰色のスウェットが不規則に翻る。甲蕾は逃走の最中にもかかわらず、太い幹の陰に身を隠してはひょっこりと顔を出し、長い袖で口元を覆いながらクスクスと底意地の悪い笑い声を響かせる。


「……ふむ」


 鬼を嘲弄し、徒労感を与えて精神を摩耗させるための悪辣な遊戯。樹海の中、木の後ろなどに隠れては挑発してくる甲蕾の姿は、どれだけ攻撃を加えようとも血液が流れず、どれだけ速度を上げても距離が縮まらない。

 目標への到達が叶わない歪な箱庭の法則性を、黄昏愛の冷徹な頭脳が分析し始めた正にその直後であった。


「おや……」


 視界の完全な死角となる斜め後方の空間から、周囲の淀んだ空気を切り裂く冷ややかな金属の光沢が、明確な殺意を伴って唐突に閃く。何もない虚無の余白から突如として湧き出したその物体の正体は、薄汚れた安物の布地で乱雑に縫い合わされた一体のぬいぐるみであった。


 ボタンで代用された片目は今にも千切れ落ちそうなほど糸が解れ、粗悪な縫い目の隙間からは経年劣化で濁った色の綿が醜くはみ出している。その小柄で愛らしいはずの異形は、自身の体躯にはおよそ不釣り合いなほど鋭く磨き上げられた包丁を布の先端で器用に握り締め、愛の無防備な喉元をめがけて音もなく跳躍してきた。


 殺気を感知した愛は、重力に逆らうことなく身体を低く沈み込ませ、首筋を狙う凶刃の軌道を紙一重の距離で躱してみせる。同時に、先程の迎撃で巨大なヒグマのそれへと細胞を変異させていた右の剛腕を振るい、空を舞うぬいぐるみの胴体へ向けて無慈悲な横薙ぎの一撃を叩き込んだ。


 圧倒的な質量と筋力に裏打ちされた暴力が、粗末な布の表皮を容易く引き裂き、内包されていた汚い綿を粉雪のように空中へと散乱させる。しかし破壊の余韻が空間から消え去るよりも早く、物理法則を嘲笑うかのような異常現象が愛の眼前で繰り広げられた。

 宙を舞い散っていた無数の綿埃が、それぞれが独立した意志を持つ生命体であるかのように空中で静止し、再び一点を目指して急速に収束していく。それらは瞬く間に新たな布の皮膚を自ら形成し、引き裂かれたはずの部位を完全に修復して、全く無傷のぬいぐるみへと蘇生を遂げたのである。

 さらに周囲の空間が水面のように不気味な歪みを生じさせ、その波紋の中から一体、二体、十体と、幾何級数的な速度で同型の異形がその数を増殖させ始めた。


 刃物を持った綿の群れは、背後に潜む何者かの意志によって完璧に統率された軍隊のごとく愛を包囲し、全方位から一斉に襲い掛かる。回避のための隙間すら残さないほどに密集した、鈍色の刃が織り成す致命的な豪雨。愛が最小限の動作で飛来する凶器を弾き落とす中、防御の網の目をすり抜けた一閃が彼女の白い頬を浅く掠め、冷たい皮膚の上に一筋の朱い線を残酷に刻み込んだ。


「これは……」


 それは骨肉を断つには至らないごく僅かな裂傷に過ぎない。黄昏愛の肉体であれば細胞の結合が瞬時に促され、数秒と経たずに痕跡すら残さず塞がるはずの傷口である。

 しかし裂かれた皮膚の断面からは、重く粘り気のある泥のような冷感と、神経の奥底を直接削り取るような微弱な痛覚が、遅効性の毒の如く愛の脳髄を這い上がってきた。


 傷口周辺の細胞が本来の再生機能を強硬に拒絶し、生体組織の再結合が致命的なまでに遅延している。ただの鋭利な刃物による物理的な損傷ではない。その鈍色の金属の表面には、怪異が本能として備える生命の治癒力を否定する悪辣な呪いが深々と込められている。

 薄く開いた傷口からの血液の流出は決して止まることなく、呪詛の放つ物理的な冷気が血管の網目を伝って、愛の体内から熱を徐々に奪い取ろうと機能し始めていた。


「……ああ、なるほど」


 飛来する刃を払い除けながら標的の姿を捉えた愛の漆黒の瞳は、その視覚情報に対して静かな違和感を抱き始めていた。


 超音速で射出した毒針が一切の抵抗なく透過し無効化された肉体。どれほど脚力を強化しても決して縮まることのない相対的な距離。樹林の間を駆け抜けているにも関わらず、彼女の周囲には空気の揺らぎすら生じず、枯れ葉一枚落とす気配さえないという存在感の欠落。

 そして何より、此処に足を踏み入れた直後。甲蕾の口から告げられた『かくれんぼ』の宣誓と『鬼』の定義。加えて『人形ぬいぐるみが追いかけてくる』という要素。


 降り注ぐ凶刃の軌道を的確に見切りながら、黄昏愛の演算能力はこれまでに得られた散乱する情報の断片を統合し、一つの明確な回答へと結びつけていく。


「識っていますよ。その怪談はなし


 ()()()()()()()()。日本の都市伝説、降霊術の一種。それを終わらせる条件は、儀式の主体である『本体』を捜し出し、儀式の終了を宣言すること。

 目前で刃を振るうぬいぐるみは、あくまで本体の意志を受信して動く自動追尾の端末に過ぎない。どれほどの数を破壊しようとも、儀式を終わらせない限り際限なく生み出され続ける。


「私は鬼。なら、見つければいいんですね。あなたのことを」


 この空間で倒すべき標的は当然、異能の発動者である本体。遠くで嘲笑を浮かべながら逃げ回るあのスウェット姿の幼女、甲蕾ただ一人に他ならない。

 しかし、目の前の地平で滑稽に踊るあの幼女の姿は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「どれどれ」


 その疑念を晴らすべく、愛は自らの肉体に対し更なる改造を施していく。

 眼球内部の水晶体の屈折率と視神経の構造を根底から書き換え、暗闇に潜む獲物の熱を感知する蛇のピット器官の特性を、自身の視覚領域へと完全に統合する。

 網膜が新たな情報を処理し始めた瞬間、愛の視界から世界の色彩が急速に抜け落ちていった。代わりに、周囲に存在するあらゆる物体が発する熱量の分布状態が、極彩色のサーモグラフィーとして明瞭に投影され始める。


 愛の周囲に群がり来るぬいぐるみ達は、生命を持たない無機物の塊であるがゆえに、一切の熱を帯びていない冷たい青色の塊として視界に浮かび上がる。

 それは当然として、問題はその次。遠くの樹木の陰に身を隠し、長い袖を振り回して愛を挑発し続ける甲蕾の姿へと、愛はその変異した視線を真っ直ぐに向けた。


「やっぱり」


 そこに赤い熱の反応は一切存在しなかった。生命の営みを示す心臓の脈動も、血流がもたらす体温の放射も皆無。ただ空間の指定された座標に対して投射されただけの、冷ややかな青い虚像が其処にあるのみ。つまりあれは、実体を持たない幻影――いやそもそも、それどころの話でさえなかった。

 周囲に広がるこの鬱蒼とした樹海という空間そのものが、どこを見渡しても生命特有の熱を感じさせない青い景色に満たされている。これの意味するところはつまり、今目の前に広がるこの風景すら、現実の風景を上書きするために被せられた精巧なレイヤーであり、本来の景色ですらないという事に他ならない。

 腐葉土の匂いや木々のざわめきすらも感覚を欺くために構築されたものであり、愛が実際に踏みしめているのは、ただの硬く無機質なタイルの床でしかなかったのだ。

 むしろ物理的な質量を伴った幻影を現出させている部分こそ、この『部屋』の異常性であると言えるのだろう。本体の怪異、ひとりかくれんぼの異能は、本体を見つけ出すまで呪いの人形が無限に増殖するという能力にこそある。


 なら『本体』は、いったい何処に隠れ潜んでいるのか。視界の波長を切り替えるだけでは捉え切れない存在を暴き出すため、続けて愛はとある特殊な生物の器官を自らの細胞に組み込んでいく。

 それはアフリカの濁った泥の河川に生息し、視界の悪さを補うために独自の進化を遂げた生物――()()()()()()()()()()()()()()。彼らが尾部に持つ、微弱な電流を継続的に放出して周囲の電場の変化を読み取る特殊な発電器官。

 愛はその生体メカニズムの構造を解析し、全身の皮膚表面へと網の目のように展開させ、自らの肉体を巨大な生体レーダーへと変貌させた。


 空間の全方位へ向けて、微小な電気信号の波紋を規則的なパルスとして絶え間なく放ち、その反射を全身の毛穴に備わった受容器で繊細に受信していく。

 視覚や聴覚といった一般的な感覚器官とは全く異なる、空間そのものの歪みや物質の密度の違いを『電場の乱れ』として脳内で知覚する、研ぎ澄まされた第六感。

 愛の放つ探査の波紋は、無限に続くと思われた偽りの樹海を透過し、実体である白いタイルの表面を抜け、さらにその直下に広がる未知の階層へと深く浸透していく。

 そんな彼女の拡張された感覚器官は自身の足元の地中深く、分厚いコンクリートの隔壁によって厳重に守られた地下空間から漏れ出してくる電磁波の脈動を正確に捉え切った。


「……あら。ふふ……」


 ミツケタ。


 分厚い床の向こう側に潜む標的の座標を完全に特定した愛の唇に、あらゆる感情を綺麗に削ぎ落とした、冷ややかな笑みが浮かび上がる。

 もはや四方から迫り来るぬいぐるみの刃を躱す労力すら不要だと、愛はその歩みを意図的に停止させ、その場に彫像のように静かに立ち尽くした。その無防備な肉体へ向けて無数の刃が容赦なく降り注ぎ、黒いセーラー服の生地を引き裂き、透き通るような白い肌に再生を拒絶する呪いの傷を次々と刻み込んでいく。痛覚が脳髄を苛み、冷たい血液がタイルの床を汚していく。

 そんな無抵抗に見える静止の裏側で、愛の『攻撃』は既に完了していたのである。


 愛の靴底と接する、無機質な白いタイルの僅かな目地の隙間。そこから、愛は自身の血と肉を細胞単位で分離する。微細な変異を加えて生み出された無数の生命体が、黒い滝のような奔流となって床下の暗闇へととめどなく零れ落ちていく。

 それは、鋼鉄をも砕く強靭な大顎を持ち、あらゆる建築資材を食い破る習性を持つシロアリの大群であった。愛の細胞の一つ一つから際限なく分裂し、瞬く間に数百万という規模に膨れ上がったその軍勢は、主が抱く殺意を共有するひとつの巨大な群体として機能していた。

 彼らは一切の羽音も足音も立てることなく、強酸の分泌液でタイルの目地を溶かし、その下層にあるコンクリートの基礎を鋭利な顎で執拗に削り取っていく。


 無数の微小な顎が重なり合って奏でる貪欲な旋律は、地上でぬいぐるみが振るう凶刃の狂騒に完全に掻き消され、地下で悦に入る甲蕾の耳に届くことは決してない。

 生み出された黒い軍勢は、愛の第六感が示した軌道を地下へ向かって正確に描き、分厚い防音の隔壁を容易く貫通して――無防備な本体の隠れ潜む密室へと向けた侵攻ルートを、猛烈な速度で掘り進めていった。


 ◆


 剥き出しのコンクリート壁に囲まれた地下の暗室は、外界の喧騒を完全に遮断した淀んだ静寂に支配されている。壁面に据え付けられた巨大な液晶モニターが放つ青白い冷光だけが、この閉鎖空間における唯一の光源であった。

 無数の電子機器が発する冷却ファンの低い唸り声が空間の底を這い回る中、高機能なゲーミングチェアに深く身体を沈み込ませた甲蕾は、画面越しに繰り広げられる惨劇を眺めて身体を細かく震わせている。


 メインモニターに映し出されているのは、完全に動きを止めた侵入者、黄昏愛の姿。四方八方から押し寄せるぬいぐるみ達の凶刃を避けることもせず、ただ無防備に立ち尽くす黒セーラーの少女。彼女の衣服は無惨に引き裂かれ、呪いを帯びた刃がその肌を何度も突き刺し、鮮血を散らしている。

 反撃の意志すら喪失したかのようなその姿は、甲蕾の歪んだ自尊心を極上の甘露で満たしていった。


「え~、ひょっとしてもう諦めちゃったの? つまんないの~」


 スウェットの袖に籠もった甲蕾の声には、他者の絶望を安全な場所から消費する絶対的な優越感がたっぷりと滲んでいる。

 自分の姿は決して見つからない。どれだけ強大な力を持っていようとも、この隔離された地下室に辿り着くことなど不可能。相手はただ幻影を追いかけ、無限に湧く手駒に削り殺されるだけの無力な存在。

 その陰湿な勝利の確信に酔いしれ、甲蕾は手元のコンソールを操作してぬいぐるみの攻撃頻度をさらに引き上げる。


「ほらほら、もっと足掻いてみせてよ。じゃないと、すぐにお肉のミンチになっちゃうよ~?」


 四方八方から押し寄せる布と綿の異形たちが、抵抗を諦めた侵入者の肉体を容赦なく刻み、純白の肌を赤黒く染め上げていく。画面の中の少女が血に染まっていく様を、瞳孔を開いて凝視する甲蕾。


「ひひっ! やっぱ楽勝じゃ~ん! なんだよフィデスのババア、こんな雑魚相手に出動命令なんか出しやがって! ったくよぉ~!」


 画面越しに錯覚する鉄錆の匂いを鼻腔で楽しむかのように、甲蕾は細い目を三日月の形に歪ませ、口の端から嗜虐的な喜悦の粘液をたっぷりと垂れ流した。


「見たか! 思い知ったか! この『部屋』の中じゃウチらは最強! 部外者アウェイのてめえらに勝ち目なんかねぇ~んだよっ! ばぁ~かっ!」


 自らを到達不可能な安全地帯へ隠匿し、地上の幻影を通して相手が緩やかに摩耗していく様を特等席から鑑賞する。それこそが甲蕾という怪異の最も好む遊戯の形であった。

 彼女が展開する『ひとりかくれんぼ』の異能は、開始の宣誓を条件とし、隠れている『本体』を見つけ出さない限り終わることのない遊戯を挑戦者に強要する。遊戯の時間が長引けば長引くほど、呪いを纏ったぬいぐるみは際限なく湧き続け、挑戦者を追跡する。ぬいぐるみの刃には怪異が本能として備える自然治癒の恩恵を著しく遅延させる呪詛が深く塗り込まれている。致命傷に至らずとも、絶え間なく刻まれる裂傷の痛みは確実に挑戦者の精神を削り落とす。


 そんな彼女の異能を最大限発揮できるように調整されたのが、この部屋。如月真宵の造り出した作品の一つ。獄卒四天王それぞれに与えられた特別な空間であり、四方結界の要となる。

 甲蕾に与えられたその『部屋』は地上と地下で空間が分かれている。厚い防壁に守られ、そもそも存在自体が隠蔽されたこの地下要塞へ至る道筋など、通常の怪異には用意されていない。それこそ、空間の座標を直接書き換えるような特異な跳躍能力――凰苗の『メリーさん』のような異能――でもない限り、この密室は難攻不落の要塞として機能する。

 挑戦者に所謂『無理ゲー』を強要し、二十四時間という入室制限のタイムリミットをただ無為に浪費させる。その陰湿極まりない持久戦の構造こそが、甲蕾に常勝無敗の栄光をもたらす絶対的な方程式。


 モニターの中で血に染まる愚かな侵入者の末路を眺めながら、甲蕾は自らの無敵性を疑いもしなかった。


「…………あ?」


 だが。彼女のその揺るぎない平穏は、電子音の反復とは全く異なる種類の、極めて微小で不吉なノイズによって不意に侵食され始める。


 最初は頭上の換気ダクトの奥深くから、細かい砂粒が金属の斜面を転がり落ちてくるような些細な摩擦音に過ぎなかった。

 しかしその音は、ほんの数秒の内に幾何級数的な増殖を遂げていく。やがて堅牢なはずのコンクリートの天井を無数の微小な硬器が執拗に削り取る、耳障りな軋みへと急速に変貌していく。


「なに……この音……」


 鼓膜を撫でるその不規則な振動に、甲蕾の幼い眉間が訝しげに寄る。視線をモニターから天井へと移した、正にその刹那。


「――――――――びゃあああああああああああああああああああっ!?」


 分厚い防音材の継ぎ目から、巨大な塊が音もなく、室内の空気中へと流れ込む。それは強靭な大顎を持ち、あらゆる建築資材を咀嚼する微小な生命体の群れ――数百万という単位のシロアリの軍隊が、地下要塞の極小の隙間を縫って、滝のように雪崩を打って侵入してきたのである。


「ひっ……ひぃぃぃぃっ……!? なに……なんなのっ……!?」


 甲蕾の喉から引き攣った悲鳴が漏れ出した。極度のパニックに陥った彼女は咄嗟に後ずさろうとしてバランスを完全に喪失し、キャスター付きのチェアごと硬い床材の上へ無様にも転げ落ちる。長すぎるスウェットの裾が両足に絡みつき、立ち上がるための筋力すら恐怖に奪われたまま、甲蕾は冷たい床に這いつくばって目前の光景を凝視するほかなかった。


 天井から降り注いだシロアリの津波は、床に到達するや否や四方へ散開することをせず、一つの巨大な意思を共有する群像として急速にその密度を高めていく。

 微小な甲殻と触角が複雑に絡み合い、蠢動する黒い山はみるみるうちにその体積を膨張させ、不気味な脈動を伴う歪な肉塊へとその姿を変異させ始めた。

 その冒涜的な再構築の過程で、昆虫の硬質な外殻は白く滑らかな人間の皮膚へと溶け代わり、群体の持つ黒い色素は濡れ羽色に艶めく長い髪の束へと形を変えていく。繊維状に編み込まれた筋肉が骨格を急速に包み込み、漆黒のセーラー服のプリーツが虚空から紡ぎ出されるようにして、新たな肉体を隙間なく覆い隠す。

 ほんの数十秒の内に、甲蕾の眼前に立ちはだかっていたのは、先程までモニターの向こう側で無抵抗に切り刻まれていたはずの、あの侵入者の少女であった。


 彼女の蒼白な肌には傷一つ存在せず、息を呑むような静謐だけがその細い身体を包み込んでいる。ただ、深淵の底を切り取って嵌め込んだかのような漆黒の瞳だけが、床で震える甲蕾の姿を冷徹に見下ろしていた。


「見いつけた」


 愛の薄い唇からそっと零れ落ちたその囁きは、一切の感情を削ぎ落とした無機質な音の羅列でありながら、甲蕾の心臓を直接鷲掴みにして握り潰すかのような、絶望的なまでの質量を伴って地下室の壁面に反響した。


 その言葉が空気を震わせた瞬間、モニターの画面を埋め尽くしていたぬいぐるみたちの映像が一斉に激しい砂嵐のノイズに包まれ、次の瞬間には不吉な電子音を立ててブラックアウトする。

 ひとりかくれんぼという呪術的遊戯に組み込まれた絶対の法則。隠れている本体が挑戦者の手によって発見された時点で、ゲームは隠れた側の敗北をもって強制的に終了する。愛に見つかったその瞬間、甲蕾の命綱とも言えるその異能の接続が、システムの中枢から無慈悲に切断された。虚空とのリンクが絶たれたことで、地上で展開されていた陰湿な遊戯は完全にその幕を下ろしたのである。


「私の勝ち」


 続く愛の宣言は、勝者の歓喜も優越感も一切含まない、ただの事実の確認。その平坦な響きこそが、甲蕾にとっては如何なる恫喝の言葉よりも恐ろしく感じられる。

 自らの身を守る最大の武器を喪失し、退路の絶たれた狭い密室で、底知れぬ力を持つ侵入者と二人きりで取り残された。その絶望的な状況を脳髄の奥底でようやく理解した甲蕾の全身から、体温が急速に奪われていく。

 ブルーライトの残滓に照らされた彼女の顔面は死人のように蒼白を極め、大きすぎるスウェットの布地の下で幼い肩が小刻みに震え始める。今まで数え切れないほどの挑戦者を甚振ってきた彼女の陰湿な余裕は、文字通り跡形もなく粉砕されていた。


「あ……あぁぁ……ごっ……ごめ……ごめん、なさ……」


 眼前に立つ黄昏愛の黒い瞳には、命乞いを受け入れる慈悲の光も、弱者をいたぶる嗜虐的な愉悦すらも存在しない。ただ、行く手を阻む障害を物理的に排除するという、純粋で冷酷な合理性だけが機械のように静かに稼働している。逆らえば即座にただの肉塊に変えられる。その生存本能からの強烈な警告が、甲蕾のちっぽけなプライドを容赦なくへし折った。


「はい。それで?」


「っ……! こっ……これ……! あげる、から……!」


 甲蕾は激しく震える指先を自身の胸元へと這わせ、衣服の下に隠し持っていた冷たい金属の塊をゆっくりと引きずり出した。それは、第四階層の駅舎を封じる四方結界を解除するための四つの鍵の一つ。

 彼女は床に両膝をついたまま、顔を上げることもできずにその鍵を愛の足元へと差し出す。スウェットの袖口から覗く小さな手が、自身の敗北を認める屈辱と死への恐怖によって、痙攣するように激しく震動していた。


「(こ、こいつ……マジでやばい……っ)」


 愛の放つ圧力に耐えきれず、甲蕾は内なる恐怖を悲鳴のように反芻する。

 この女は、これまでに相手にしてきた有象無象の怪異たちとは根本から次元が違う。物理法則を無視した侵入経路の構築、異能のルールを逆手に取る冷徹な計算力、そして何より、命のやり取りの中で一切の感情の揺らぎを見せないその不気味な在り方。この怪物を前にして、自分は最初から盤上の無力な駒でしかなかったのだという、絶対的な力の差を見せつけられていた。


 自らの敗北が確定した今、甲蕾の思考の片隅に不意に浮かび上がったのは、同じように四天王として別の部屋で侵入者を迎え撃っているはずの同胞たちの顔であった。

 虎樹の過剰なまでに心配性な顔つき、凰苗の挑発的で嗜虐的な笑み、そして龍華の静謐で威厳に満ちた佇まい。彼女たちは、血の繋がりこそなくとも、この殺伐とした地獄の最果てで長年肩を寄せ合い、同じ門番としての役割を共有してきた家族同然の存在である。


「(みんな……大丈夫かな……)」


 この黒セーラーの少女と同等、あるいはそれ以上の異常性を持った怪物が他の部屋にも向かっているのだとしたら。あの無敵に思えた仲間たちでさえ、今の自分と同じように為す術もなく蹂躙されてしまうのではないか。その不吉な予感が、彼女の胸の奥底に冷たい泥のように沈殿していく。


 鍵を手中に収めた黄昏愛は、もはや床に蹲る敗者には一瞥もくれることなく、ゆっくりと身を翻した。その濡羽色の長い髪が、青白い光を受けて妖しく艶めく。彼女にとってこの勝利は、自らの目的を達成するための、ごく当たり前の通過点に過ぎない。


 地下室の冷たい空気に、愛の静かな足音が規則的に響き渡る。残された甲蕾は、ただその足音が遠ざかっていくのを震える背中で聞き続けることしかできなかった。


 ◆


 斯くして黄昏愛は二番目の部屋の主、獄卒四天王・甲蕾に勝利した。

 残る部屋の主は、あと二人。

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