九章『ショッピング』
「ほぇーーっ、天井が高いですね」
ショッピングモールの吹き抜けになっている天井を見上げながら凛が呆けたような声を出す。
平日だというのに一般客に混じって学生の姿もちらほら見かける。
「ここは、フライングシューズを買ったらそのままテスト飛行ができるようになってるんだよ」
入り口付近で俺が凛に説明している隣で、
「フライングシューズにも色んな種類があるのね」
綾瀬がガラスの向こうに並べられた様々なメーカーのフライングシューズを見物している。集中しすぎておでこと鼻の頭がちょっとガラスにくっついてるのは、大人びていても小学生なんだなって思えて微笑ましい。
「それにしてもこんなところに穹戯の専門店があったなんて知らなかったわね」
ガラスの向こうを眺め終えた綾瀬がこちらに振り返る。
「それなりに地域の人からは知られてるんだけどな」
駅から徒歩十分の圏内にあるショッピングモール内に併設されているここ、『川崎フライング』は秋月先生の知り合いがオーナーを務める穹戯の専門店である。
穹戯をやっている選手の間ではそこそこ有名な店だが、一般客からはショッピングモールの中に穹戯の専門店があるということはそれほど知られていない。
今回は秋月先生から話は通してもらっているのでお金の必要もしなくていい。
「ほら、先に行くぞ」
「わ、わかりました」
まだ天井を眺めていた凛に声をかけると慌ててついてくる。
店に入って少しばかり進むと見知った男性がカウンターに座っていた。
「お久しぶりです。川崎さん」
「やあ、本当に久しぶりだね。渚くん」
俺が声をかけると、こちらに気付いた川崎さんが軽く手を挙げる。
「渦根から話は聞いてるよ」
川崎さんはそう言うと凛たちの方を見る。
「きみたちが渚くんが教えている鷺沢女学園の生徒だね」
「今日はよろしくお願いします」
「ああ。こちらもよろしくお願いするよ」
凛がぺこりっと丁寧にお辞儀するのをみて、ニコッと笑うと店の奥を示す。
「それじゃあ、こっちが穹戯用のフライングシューズだよ」
綾瀬が困惑した表情で、
「これもそうなんじゃないの?」
先ほど見ていたフライングシューズの方を指差す。
川崎さんは首を振る。
「それは通常のフライングシューズだね。飛ぶことを除いたら普通の靴とそこまで性能は変わらないからね。店先に置いてあるのは穹戯をしない人用なんだ。それに穹戯用のフライングシューズはメンブレンの調整が必要だから通常のフライングシューズよりも少し大きなつくりになってくるんだよ。だから店先には置きづらいんだ」
言い終わると川崎さんは店の奥へと消えていく。
俺たちもその後について行った。
「結構な種類があるのね」
綾瀬が店先に並んでいた靴の二倍の数はありそうなフライングシューズを見ながらため息を漏らす。
「フライングシューズを製造しているほとんどは海外のメーカーだからね。それに、海外では穹戯は結構盛んに行われてるから穹戯用のフライングシューズの製造の方が通常よりも多くなるんだよ」
「でも、こんなに数があると迷っちゃいますね」
凛はフライングシューズを見ながらうんうん唸っている。
「まあ、穹戯用のフライングシューズは通常と違ってそれぞれにメンブレンの張り方に特徴があるからな」
「特徴ですか?」
「メンブレンの張り方には三種類あってスピーダー、ファイター、オールラウンダーという風にそれぞれの特徴ごとに別れてるんだよ」
俺の解説に川崎さんがうなずく。
「そうだね。スピーダーは他と比べて前方向のメンブレンが敏感になっていて、初速を犠牲にして最高速を上げているんだ。逆にファイターは最高速を落として初速を上げている。そしてオールラウンダーはその両方ともにバランスを取ったメンブレンの張り方をしているんだ」
「うーん、むずかしいです……」
頭を抱えて唸っている凛に苦笑する。
「初めのうちはひと通り触ってみて、自分に合うタイプを探していけばいいよ」
「で? 私たちはどっちを選べばいいわけ?」
「そうだな……どうやってポイントを稼ぎたいかによるかな」
「ブイタッチでポイントを取りたいか、ドッグファイトでポイントを取りたいかって訳ね」
「まあ、決められないなら相手によって戦略を変えれるオールラウンダーにするってのも、ありだな」
「だとしたら、私はファイターにするわ。 相手を攻めるのは好きだもの」
そう言うとファイター用のフライングシューズのコーナーに綾瀬は歩いていく。
「わたしはとりあえず、オールラウンダーにしてみます」
凛もオールラウンダー用のコーナーへ行って、フライングシューズを眺め始める。
「よいしょっと」
その姿を側にあった椅子に座りながら眺めていると川崎さんが声をかけてきた。
「なかなか良い子たちじゃないか」
「そうですかね……」
そうして俺の横に立つ。
「本当に意外だったよ。また、きみとこうして会えるなんてね」
何だか含みのある言い方だ。
俺はため息を吐く。
「秋月先生から聞いてるんでしょ?」
「そうだね。大方の事情は聞いてるよ……」
そこで不意に言葉を区切ると、どこか遠くを見るようにして言葉を続ける。
「戻ってくる気はないのかい?」
「ええ、俺はもう選手をやめたんで……」
「そうかい……」
川崎さんは残念そうに言葉をこぼすと、凛たちに声をかける。
「フライングシューズを決めたら、次はフライングスーツのための採寸をするからね」
「はい、わかりました」
「分かったわ」
「フライングスーツの完成まで二週間ぐらいかかるらしいから、それまでに競技用のフライングシューズに慣れていかないとな」
「はい。届くのが楽しみです」
「……まあ、私はどうでもいいけど」
綾瀬は興味なさそうに言うが、そんな二人の手には大切そうに今日買ったフライングシューズが握られている。
夕暮れ時。俺たちは駅へと続く道を並びながら歩いていた。
あれから、フライングシューズを購入したのちフライングスーツの採寸に取りかかったのだが、測る箇所が多く予想よりも時間を奪われてしまったのだ。
俺は二人の前で足を止めると、後ろへ振り返る。
「週末から本格的に練習を始めたいと思う。それと個人にあった練習メニューも組んでるからそのつもりで覚悟しててくれ」
「がんばります!」
手を胸の前で握って気合を入れている凛の横で綾瀬が驚いたような顔をする。
「私のも組んでくれたの?」
「あたり前だろ? 俺はお前のコーチなんだぞ?」
「……そう、ありがと……」
照れ臭そうにぷいっと視線をそらす。
「あ、そうだ。練習は昼から始めたいと思うんだが、予定は空いてるか?」
「望むところじゃない!」
「別にわたしも大丈夫です」
「ならいいんだが。集合場所はまた後日に詳細な場所を送るよ」
「いつもの浜辺じゃないんですか?」
「言っただろ? 本格的に始めるって。ちょっと場所を変える必要があるんだ」
っと、話しているともう駅前まで着いてしまった。話しながらだと十分の道のりも早いものだ。
「それじゃあ、気いつけて帰れよ」
「コーチも気をつけてください」
「そうね。職質されないように気を付けなさい」
俺はそんな二人の背中が改札の奥に消えるのを見届けると、
「さて、帰るか」
ゆっくりと踵を返す。
問題だった綾瀬の件も無事に片付き、これから夏の大会までに向けて本格的な指導ができる。
その上でセコンドとして彼女たちとの関係を少しずつ築いていかなければならない。
物事は順調に進んでいる。
他の問題など起きようはずもないのだ。
ーーその思い込みが。
大きな過ちだったと、すぐに知ることになる。




