第一章 09 初めての町へ
09 初めての町へ
「あれがタヴィデの町?」
「そうだ。シンにとっては初めての人魚の町だな」
町は、地平線の向こうから顔を覗かせてきたのではなく、遠くてかすんで見えなかった場所が、近づくにつれてはっきり見えてきた、そんな感じだった。開けた土地に多くの建物が集まっている様子が目に映る。
振り返ると、出発した明岩の岩山や、ザーコウオと戦った木陰がかなり小さくなっているのが見えた。いつの間にかずいぶん移動してきたようだ。
「町かー。他の人魚もいるんだよね? 私、人魚を見るのって初めてだよ」
「お前も人魚だろう」
「そうだけど、私の自我は人間の日本人だもん。人魚っていう、ファンタジー世界の住人を間近で見るのは、ここからが本番だよ」
人魚は一体どういう生活をしているのだろう? 楽しみだ。
「あっそういえばさ、この世界の魚ってしゃべるの? 私はあんたとこうして話してるわけだけど、それって人魚の社会では普通のこと?」
「いや、魚はしゃべらんよ。さっき木陰で休んでいるときも見ただろう、ノアタムアにおける魚は、人間の世界における鳥みたいなもんだ」
「じゃあ、あんたに話しかけてる私って、やばい人じゃん!」
「なに、心配するな。わしは人間社会で例えれば、ペットの手乗り文鳥のようなもんだ。連れて歩いても、よく懐いた魚だと思われるだけだし、お前がわしに話しかけても、人間がペットに話しかけるようなもんだ。お前のそんな姿を人に見られても、動物好きの優しい人だと思われるだけだ」
「……友達のいない寂しい人に思われないかなあ……」
「……まあ、あまり大声で会話しない方がいいかもしれんな。わしが神だということが知られても困るし」
「……気をつけよう」
私は気を取り直し、町の様子をよく眺めてみた。
「さっきあんたが言ってたみたいに、確かに中世ヨーロッパっぽい町並みだね」
「うむ。ジューゴの木とサンジュ岩の漆喰によって作られた町だからな」
まだ町の細かい部分まではわからないが、茶色い木の柱と、白い漆喰の壁で出来た建物が並んでいる様子は見えてきた。壁にある窓の数から察するに、町の建物は平屋から三階建てぐらいの高さが基本のようだ。
建物だけを遠目に見ると中世ヨーロッパ風だが、海外の観光地の写真などと違うのは、建物の間を行き来する人影が、地面の上ではなく、建物の窓や屋根の高さを越えて自由に移動していることだった。
「地面の上を歩くしかない人間と違って、人魚は上下左右好きなとこを泳げるんだもんねえ。町の中もああやって移動してるんだ。あ、じゃあ、玄関なんかも、一階にあるとは限らないの?」
「そうだな。人魚の町では、出入り口が地面と接している必要はない。だから、住人が好みの場所に設置するのだ」
「へえ、なんか楽しそう」
「だが、人魚がああして屋根の上までも縦横無尽に移動できるということは、人間の町のような、建物の階による差がないということだ。つまり、一階の窓を開け放つのは不用心だが、二階の窓なら少し安心、ということがないのだな」
「あっそうか、人間だと二階の窓によじ登るのはちょっと大変だけど、人魚なら簡単だもんね。日本だと、建物の一階の窓には鉄格子をはめてる家が多いけど、人魚の町だとそれが一階に限った話じゃないってことか」
「うむ。人魚の町の窓は、どの階にも鉄格子がはまっていることが多い。それか、明かり取りのためにガラスのはめ殺しの窓になっているかだな」
「ガラス窓……。海の中にもガラスってあるの? ガラスって確か、ものすごく熱くしたやつをシャボン玉みたいに息で膨らませたりするんじゃなかった? 水中でもああいうことできるの?」
私はテレビか何かで見た、ガラス加工の様子を頭に浮かべた。
「透明でガラスのような性質を持つので、便宜上、ガラスと日本語訳しているが、ノアタムアのガラスは地上のガラスとは微妙に異なる物質だ。
お前も窓にはめる格子を『鉄格子』と呼んでいるが、日本の窓に使われているのはアルミやステンレスが一般的だろう」
「あ、言われてみれば確かに、鉄だと錆びるもんね。金属だからとりあえず『鉄』って言っちゃってるだけなんだ」
「そうだ。お前のナイフも『鉄製』と日本語訳はするが、地上の鉄とは微妙に異なる金属だ。ノアタムアの通貨の『金』『銀』『銅』も、そういう色の金属だからそう訳しているだけで、地上の物とは少し異なる物質だ。だから水中でも問題なく加工できる」
「ふーん。都合がいいんだねえ」
「そう言うな。ちなみにノアタムアのガラスは、ガーラの砂とラスの砂が原料だ」
「ガーラとラス……まんまガラスじゃん。あんたその名前、今考えたんでしょ」
「やかましい」
そう話しながら泳いでいる間にも、タヴィデの町は近づいてくる。気づけば周りの景色も少し変化していた。
「この辺には、大っきい木は無いんだね」
私は周りを見渡しながら言う。さっきザーコウオと戦った場所のような、高さが何メートルもあるようなジューゴの木は遙か後方にしか見当たらなかった。町の近くは、短めの草が生える平原、といった感じの、海藻の生える平らな海底が広がっていた。
「開けた土地だから町が作りやすかった、という理由と、この辺りの木は町の建物の材料に使われてしまった、という理由と両方だろうな。ここまで町に近づけば、魔物が襲ってくることはまず無いだろう」
「へえ、なんで?」
「魔物の源は人間が使役する精霊のストレスだ。ストレスを発散するには暴れ回った方がいいだろう。だから魔物は、ひと気の無い森や山で人知れず発生するのだ。町などの人魚が大勢いる場所で発生しても、すぐに退治されてしまうからな。
わしらがさっき休憩した場所は木々が茂っていたので、魔物が発生したのだな。だがあまり深い森ではないので、ザーコウオ程度の弱い魔物にしかならなかったのだ」
「ふうん。確かにRPGでも町に入ると魔物は出ないし、フィールドより森や山奥の方が敵が強いもんねえ」
「うむ。RPGでは町とフィールドに明確な境目があって画面が切り替わるものだが、ノアタムアはそうではない。人間の町ならば町を塀で囲って境界線を作れるが、人魚の町に塀があってもあまり意味が無いので、余計に町と町の外の境目がはっきりしない。だが、町だけでなく町の周辺も人魚が多いからな」
そして、ノアタムは斜め上を目で示した。私がその方向を見上げると、ビルの三階ぐらいの高さを泳いでいる人魚が目に入った。私とノアタムはさっきから海底近くを泳いでおり、高さも距離も離れているので顔はよく見えないが、大きなリュックを背負った、いかにも旅装束という姿の人魚だった。
「わーっ! 人魚だ!」
私は思わず声を上げる。この声も届かないぐらいの距離だろう。
「人魚にとって、地面の上の街道という物は必要ないから、町に向かう人魚は全方向から泳いでくる。町の周辺もそうやって人の気配があるので、町から離れたこの辺りから、もう魔物は出ないと言っていいだろう」
私はノアタムの言葉を聞きながら頭上を見回した。よく見れば、町に向かう人魚があちらこちらにいるのが見える。それは一人だったり、数人のグループだったりした。
タヴィデの町も、目の前に迫ってきていた。




