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126 紫華鬘の事

 久しぶりのフィールドワークへ出かけた逢初(あいぞめ)在仁(ありひと)は、夜半に降った雨で道が抜かるんでいるのを失念していた事に失敗を感じていた。

 「滑るな…(あり)、気を付けろよ。」

平地だが舗装されていないので、足元に注意をしながら歩いた。元々前線の武士であった紅葉(もみじ)はどのような足場であっても慣れたものだが、内勤の二人は不慣れに見えた。人の心配をしている逢初が一番危なっかしいように見えて心配していると、案の定滑ってバランスを崩した。そこへ在仁が手を伸ばし何とか支えたものの、その足元の水溜まりに足を取られて結局連鎖的に転ぶ羽目になった。

 「在…助けるなら助けきれよ。」

逢初が原因で二人して泥まみれになったというのに平気で文句を言うと、在仁は困ったように笑った。

 「申し訳ございません。」

二人共胡粉(ごふん)小隊の支給ジャージだったので、白系に泥が跳ねてエライ悲惨な見た目になった。紅葉が手を引いて二人を立たせると、どこへ行っていたのか道の脇の藪の中から白蓮(びゃくれん)が出て来た。

 「逢初を助けようとしたのだから、感謝こそすれ文句を言うとは何事か。(あるじ)も何故謝る。」

二人を咎めるように言うが、白猫の白蓮も泥だらけだった。在仁がその酷い有様を見下ろして苦笑した。

 「いいえ、俺はいつもそうでございます故、おっしゃる通りと思いましてございます。お助けしたいと思い、つい後先考えず動き出してしまい、返って事を大きくしてしまいます。ご迷惑をおかけしてばかりの身を自覚し、反省させていただきました。」

その言葉に、そんなつもりで言っていない逢初は僅か眉を顰め、紅葉はその謙虚に今日も感心していた。在仁は泥だらけの白蓮を抱き上げた。

 「これはまた、派手に遊びましたね。今日は白蓮も一緒に洗いましょう。」

 「げっ。」

嫌そうな声を出した白蓮に、在仁はやんわりと注意をした。

 「汚れたままでは家に入れませんよ。」

 「…仕方あるまい。」

項垂れる白蓮に、逢初は自身の泥を落としながら気持ち悪そうに言った。

 「おっさんの癖に水が嫌いなのか?」

 「俺は猫だ!!」

 「…中年男性でございます事と、水を厭う事にどのような因果関係がございますか…??」

 「都合良い時だけ猫ぶるなよ、おっさん。」

 「おっさん言うな!!」

 「あの、ですから、中年男性と水嫌いの因果関係…。」

三人の会話がわちゃわちゃになって紅葉は目が回ったが、猫を中心に親し気にする様子を見て僅か心を曇らせた。

猫の中身のおっさんは、やはり一級侵犯の犯罪者なのだと意識すると、どうして良いか分からないのだ。


 ◆


 派手にすっころんだ所為で早めに(かさね)に戻ると、一旦全員がシャワータイムとなった。

大して汚れていない紅葉が軽く泥を洗い流してから、紫紺(しこん)フロアの男性用更衣室の前へ行くと、中からドタバタと激しい音がしたかと思うと細く開いた扉から白蓮が飛び出した。それに驚いた紅葉が白蓮に目を奪われた瞬間に、更衣室の扉が大きく開き、中からびしょ濡れの在仁が出て来た。

 「白蓮っ、まだ乾かしていませんから、お戻りください。」

どういう経緯でそうなるのか、白蓮との格闘の末にTシャツまでびしょ濡れになったらしい在仁が紅葉に気が付くと、恥ずかしそうに笑った。

 「紅葉さん、お早いのでございますね。もうしばらくお待ちくださいますか?」

 「ええ、もちろん…。」

見れば、肌に張り付いたTシャツが在仁の細い体のラインをはっきりと見せていた。あれだけ毎日鍛えていても、やはり痩せているように見えた。それでも周囲に言わせれば相当マシになったというのだから、初めはどれ程だったのだろうかと思う。ようやく均整の取れて来た在仁の体だが、叩き上げの武士である紅葉には貧相に見えた。

 「おーい。そこで濡れ猫拾ったぞい。」

そこへ愉快そうな声でやってきたのは、乱暴な手つきで白蓮を掴んだ南木(なぎ)だった。

 「南木様!ありがとうございます。白蓮、拭いてさしあげますから、こちらへお戻りください。」

嫌そうな白蓮を抱く在仁のびしょ濡れの様子を見た南木は、眉を顰めた。

 「おや。葛葉クンまでびしょ濡れ。ってかガリガリじゃん。普段何食ってんの?」

 「っ!!目の錯覚でございますよ!ご覧ください、ちゃんと筋肉ついておりますよ!!」

在仁が力を込めて否定して濡れたTシャツを捲って南木に腹筋を見せて来たが、そこに紅葉がいる事に気が付いて恥ずかしくなったのか急いで更衣室へ戻って行った。

 「失礼いたしました。もうしばらくお待ちください。」

扉の向こうから早口の謝罪が聴こえ、廊下に残された紅葉と南木は顔を見合わせて苦笑した。

それから中でドライヤーの音がし始めて、紅葉は隣に立つ南木を見下ろした。

 「葛葉(くずのは)様に御用ですか?」

 「え?ああ、そうなんだ。ま、約束もしてないし、急いでないから待つよ。」

ピンクの髪を雑に結んで、汚れた繋ぎ姿の南木は紅葉より小さいが体つきは安定感があった。武士でない人間から見ても在仁は頼りない体つきなのだと確信しつつ、南木を見つめていると、紅葉は沈黙が段々と気まずくなった。

 「フィールドワークで転んだので、泥だらけに。」

 「ああ。それでこの時間にシャワー浴びてたんだ。」

南木の視線が更衣室の看板の隣にシャワールームと書かれているのに向いていた。南木は派手で明るい人当たりから若く見えるが、紅葉が不意に見る横顔や言動に年上の男性を垣間見る。在仁と話す時の南木はしばしば禅問答のような世界に迷い込んで行く。二人で静かな廊下に並んでいると、ふと、この複雑な思想をした人ならば、紅葉の疑問にも答えを導き出してくれるのではないかと気が付いた。

その横顔を見つつ、紅葉は南木に問いかけてみた。

 「葛葉様は、どうして白蓮を大切にできるのでしょうか。」

南木が紅葉を見上げたのに気が付いたが、紅葉は更衣室の扉だけを見続けた。

 「…葛葉クンが何故蠣崎(かきざき)を赦したのか、それは誰もが持っている疑問だ。葛葉クン七不思議のひとつと言っても過言ではないよね。」

 「やはりそうですか。」

紅葉が思うように、皆在仁と白蓮の関係に疑問を抱いていると知れば、その答えが不明でもそれなりに安心出来た。けれど南木は続けた。

 「けど、ボクの個人的な意見だけど、葛葉クンは案外単純に、謝られたら赦すしかないんじゃないかって、気もするんだよね。」

今度は紅葉が南木を見たが、南木は扉を見つめていた。

 「赦さないって言う選択肢を、知らないんじゃない?」

 「そんな事ありますか?だって、家族の仇ですよ?いくら謝られたって、赦せないって思うじゃないですか。」

食らいつくように問う紅葉が、南木に言っても仕方がない事に気付いて冷静になった。

 「うん、だから葛葉クンも苦しんだと思うよ。」

 「でも赦したんですね。」

それしか知らないから。そんな馬鹿な事があろうか、紅葉は少しずつ憤りが熱を持って来たのを感じた。在仁の家族を殺して在仁を傷付けただけでもとんでもないが、それを謝罪して赦しを乞う事で更に苦しめた。在仁を尊敬し慕う紅葉からすれば、そんな者は万死に値する。白蓮は毎日在仁と共にあり、「主」と呼び、まるで在仁を自分のものであるかのように訳知り顔で過ごしている。その様子を思い出すとフツフツと怒りが湧いて来るのを感じた。

南木はその様子を感じながら、更衣室の中でドタバタと音がし始めたのに気が付いたが、扉が開く気配はまだなかったので口を開いた。

 「そもそもさ、石川(いしかわ)(あざみ)に関してだってそうじゃないか。葛葉クンは一度たりとも怒りや憎しみを口にしていない。三年間も拷問されてたのにだよ?理解できないっしょ?結局そういう人なんだって思うしかないんじゃない?」

 「そんな…。赦されるべきでない人まで赦してしまうのは、いくら葛葉様でも、よくありません。葛葉様がよろしくても、誰も良くありません。」

悔しそうに顔を歪める紅葉を見上げる南木の視線が、ようやく紅葉と繋がった。

 「良い子だね、空気ちゃんは。」

正しい事を正しい、間違った事を間違っていると、はっきりと言う紅葉を南木は好感が持てるなと思った。

その素直な感想に、紅葉は驚いてしまった。

 「…良い子…。」

言われた事のない表現だったが、子供扱いでもなければ雑なあしらいでもなく、南木が本心から人間性を肯定したのだと感じた。紅葉は少し嬉しいような温かさを覚えて、僅か憤りを忘れた。

その時、再び扉が細く開いて白蓮が飛び出した。それを視線で追っていると、扉が大きく開いて在仁が出て来た。

 「白蓮…お待ち…ください。」

もたもたとして困ったように言う在仁は、着替えた胡粉色のジャージのファスナーに悪戦苦闘していた。南木が無言で近付いて手を出すと、在仁はファスナーから手を離した。

 「ファスナー噛んだの?」

 「Tシャツが濡れてしまいましたので、ジャージだけでもと思いましたが、白蓮に気を取られておりましたら、ファスナーが引っかかってしまいました。」

南木が動かなくなったファスナーを直そうとしていると、在仁の説明通りジャージの下は素肌だった。半分ほどの位置で止まったファスナーの中には、太極図紋と痛々しい傷痕があった。南木は話には聞いていたがそれを見るのは初めてだったので、ファスナーに集中するふりをして注視してしまった。

 「直りますでしょうか?貸与でございますので、破損は申し訳なく…。」

 「そうなんだ。」

 「ええ、ランドリールームから洗濯済のものをお借りして、脱いだものをお返しするのです。」

 「共用って事?待って、胡粉て男は葛葉クン一人じゃないか?つまりこれ、レディースて事?ええ、これサイズいくつ?」

 「…俺の足の短さについて言及なさろうと?」

隙間から見える体を見てもやはり痩せているなと言いたかったのに、在仁は誤解して複雑そうにしていた。南木はそれを解く事もなくファスナーを直そうとしつつ、やはり目の前の太極図紋を見てしまった。紅葉がその様子を黙って見ている事に意識をすると、必然的に先程までの会話を思い出した。

 「葛葉クンにとって赦せないものってなに?」

唐突に問うと、在仁が僅かに驚いたようだったが、南木の哲学問答に慣れているのかすぐに落ち着いた様子で考え始めた。紅葉は固唾を飲んでその答えを待った。在仁の表情は無人島に持っていくものを考えているような軽い様子だったが、ぽつりと返した答えは意外なものだった。

 「愚かで無力な己でございましょうか。」

南木が手を止めた。

 「自分が、赦せないの?」

蠣崎は赦せて、どうして何の罪もない自分自身を赦せないというのか。南木の中に、紅葉と同じような熱が灯った。それに気が付いていないのか在仁が答えを続けた。

 「己の弱さを肯定する強さを、俺はまだ持てそうにございません。」

眉を下げた在仁の憂いの表情に、紅葉は何故か自身が傷付いたような気がした。

 「弱さから目を逸らし強きを得ようとする事は、やはり先が見えておりますよ。上限無き強さを求めようとするならば、弱さを否定しては叶いません。それをしては、俺はやはり弱者でございましょう。そのような俺を赦す事は、俺には出来ないのでございますよ。俺の過去に伴う業も背負うべき道も、そのような生半可なものでは越えては行けないでしょう。神にも、辰砂にも、茉莉様にも、俺は顔向け出来ないような者になる訳には参りません。今の俺はまだ、足りぬ者でございますれば、やはり赦せぬという思いは拭えないものでございます。」

それは強いとか弱いとか、視点や主旨を変えれば反転するような価値観の問題ではなく、在仁が自身に対して課しているものの重さのように南木には思えた。

 「あんまり自分で背負い過ぎると、疲れちゃうよ。」

蠣崎を赦すなとか、自分を卑下するなとか、南木の中に灯った怒りは色々と言いたがったが、言葉に出来たのは在仁への心配だけだった。

 「赦せないものを赦すのも、逃げたいのに逃げないのも、弱音吐きたいのに吐けないのも、抱え込んでたら疲れちゃうよ。たまには言ったら良いんでない?」

無責任に説教するような立場でもない南木に言える事は精々この程度の事だ。冷静さを心がけて言うと、ファスナーが噛み合う感触がした。

 「さようでございますね。そのようにいたします。ありがとうございます。」

在仁の瞳が動き出したファスナーを見て安堵したように見えた。

 「どういたしまして。」

ようやくファスナーを上げる事が出来た在仁が跳び出して行った白蓮を探すように廊下の先に視線をやると、肩を落とした白蓮が戻ってきた。元より行くところなどないので、当然だ。

 「すまん、主。猫の本能で逃げ出してしまった。」

 「いいえ、何事もございませんでしたか?こちらでは皆様働いていらっしゃるのですから、フラフラとなさってお邪魔をなさってはなりませんよ。」

手を出すと白蓮が素直に在仁に抱かれた。

その様子を見て、紅葉が再び胸の中に熱を覚えた。赦されるべきでない者が赦されて幸せを得る事は罷りならないと。東京の悲惨を経験して、その根源の一旦である樒を憎く思わないはずがない。だが、在仁が大切にしているものを傷付ける事も出来ない。樒に対する恐怖と怒りと、在仁を尊重する気持ちが戦って、ただ拳を握りしめるしかなかった。そんな紅葉の目を見ていた在仁が、汚れたジャージを入れた袋を持って紅葉と南木を誘った。

 「お待たせして申し訳ございませんでした。さ、参りましょうか。」

誘われた二人は在仁に促されるまま、胡粉フロアを目指して歩き出した。先を歩く在仁は、先程の南木の質問を加味して紅葉の目から読み取れた感情を分析してから口を開いた。

 「白蓮は己が罪を悔いております。俺に赦され大切にされる事はきっと苦痛でございましょう。」

言葉の意味を問うように、二人は在仁の薄い背中を見つめて歩いた。

 「己が思うような謗りや憎しみや怒りを向けられる方が、きっと楽でございますよ。相応と思える痛みを与えられた方が、簡単に気が済んでしまわれる。それを罰だと思えるような分かり易いものがございますれば、それで罪を雪ぐ事になると思ってしまいましょう。けれど実際はそのように易くはございません。生きる限り、逃れる事は出来ないものでございます。」

懲役刑や過重労働や死罪があれば、それが相応の罰となるだろう。けれど、被害者からすればそんなものは何にもなりはしない。相手の魂が目に見え手に取れると言うならば、それを取り出し滅茶苦茶に痛めつけて二度と輪廻に還る事が出来ないようにしてやるだろう。だがそれでも気が済み、相応しい罰が終わったとは思えないだろう。在仁の言葉から紅葉も南木もそのように思い、在仁の中にある樒への複雑な感情が僅かながら感じられた。

 「でございますれば、俺がこうして大切に致します事で、周囲の方々からは常に疑問の眼差しが向けられましょう?その視線が白蓮に常に問うはずでございます。罪を忘れてはいまいか、罰から逃れようとしてはいまいかと。己が良心が苦しむ時、罪を意識し罰を求めましょう。その御心と向き合って参られる事こそ、終わりなき罰でございます。」

言って在仁が振り返った。胸に抱かれていたは白蓮は項垂れていた。

 「俺は確かに白蓮を赦しました。なれどそれは、決して白蓮にとって楽な事ではないはずでございます。」

赦さない、憎いと言われた方が、白蓮には納得が出来て相応の罰だと思えたはずだ。けれど在仁は赦して、しかも手元で大切にしているのだ。白蓮の罪の意識は解放される事はない。

それを示唆された紅葉と南木は言葉を失った。

 「俺を、残酷な人間だとお思いでございましょう。」

この刑罰は終身刑なのだと、二人は気が付いた。決してこの軛から解き放たれることはない。在仁の昏い瞳が一層深い闇を湛えて見えたが、それと同時に清き光は失われる事なく灯っていた。

 「いいえ。そうなさる事は、とても苦しい事のはずです。やはり葛葉様が己の心を犠牲にして、白蓮に罰を与えているように思えます。そうなさる事で更にご自身に呵責を覚えているではありませんか。それではどんどん重くなるばかりです。」

 「葛葉クン、君の清め意志は時にとても痛々しく思えるよ。」

二人がやりきれない気持ちで吐き出すと、在仁は眉を下げ微笑んだ。

 「そのような事はございませんよ。俺は傲慢なのでございます。誰も皆赦しを得る事を望むものでございますが、それが必ずしも救いとなる訳でないと存じておりながら、白蓮を赦す事で己の手を汚す事無く復讐を果たすのでございますから。」

復讐を果たすと口にしながらも、どこか自嘲的に聞こえる在仁の言葉は、やはり儚く消えてしまいそうな危なっかしい雰囲気がした。

紅葉と南木は、皆が在仁を心配するその根源がここにあるのだと知った。

 「葛葉クン、君は清め意思を傲慢だと言ったね。つまりは、君のその利他心も、鴎音(おういん)センセの芸術も、同じものだということだと言ったね。」

南木がかつての在仁の言葉に対して否定的な視線を向けると、それを聞いた紅葉が声を荒げた。

 「そんなのはおかしいです!葛葉様が清き世を求めるのは人々の幸せのためでしょう?もしこの世の理が異なり、人々の価値観が違っていたら、きっとそれに則したものを求めたはずです。」

鴎音の芸術はこの世の理に左右されはしないだろうと。

 「それに、それに…もし本当にそれが傲慢や身勝手だと言うなら、それを貫く時葛葉様はもっと喜びを得るはずです。なのに痛みを感じ、傷を負うではありませんか。そんなのはおかしいです。」

樒を許す事が自己満足ならば、それで苦しむのは違うだろうと。

 「紅葉さん…。」

在仁が戸惑ったように視線を泳がせた。

紅葉は構わず一歩前に踏み込んだ。

 「私、決めました。これからは、葛葉様の心だって犠牲になどさせません。」

まっすぐな紅葉の澄んだ瞳が在仁を貫くように見つめていた。それを聞いた南木が可笑しそうに笑った。

 「あはは、そいつはいいや。葛葉クンはみんなの好意を簡単に無碍にして自ら傷付きに行く、案外薄情な奴だからなぁ!」

南木が言うと、在仁は困ったように微笑み、紅葉は意を決したように顎を引いた。

 「はい。私は、葛葉様から葛葉様を守る護衛になります!」

傷付きながら進む在仁の生き方が、その揺るぎのない清め意思によるものだと言うならば。

声高らかに宣言すると、在仁は面食らってぽかんとしてから笑った。

 「ふふ、何でございますか、それ…紅葉さんは可笑しな御方でございますね。」

柔らかく優しく笑う在仁を見ながら、紅葉は固い決意を抱いたのだった。


 ◆


 書架のソファで膝に乗せた白蓮に顔面を埋めている在仁を発見した智衡(ともひら)は恐る恐る声をかけた。

 「何してる?」

 「…猫を、吸っております。」

動かない白蓮と在仁の異様な姿を見ながら智衡がため息をついて、強引に在仁の膝から白蓮を奪った。乱暴に掴まれた白蓮がぶらぶらとしているのを、残念そうに見上げた在仁に、智衡は呆れた声を放った。

 「御館様もよくやっている。だが、よくやる気になるな。これが元は誰だか忘れた訳ではあるまい?」

 「猫は猫でございます。」

眉を下げた在仁の微笑みを見てから、諦めたように智衡が白蓮を在仁に放り投げた。軽やかに着地した白蓮が再び在仁の膝に収まると、在仁はその毛並みを撫でた。

智衡が贈った薄い色の着流し姿は在仁の聖人感を助長していて、智衡は我ながらナイスチョイスだなと思った。在仁の私服は黒ずくめで暗い印象なので智衡的にはアウトだ。元々姿勢が良く教養高く品の良い所作の在仁には和装がよく似合った。これならばいつどこで見られてもイメージを壊す事はないと確信。しかし、猫を吸うのはいただけない。

 「人前でやるなよ。」

 「聖人は猫を吸いませんか?」

真面目に問う在仁に、智衡は吹き出した。

 「ふっ…多分な。」

雇用契約書を交わしてから何故か在仁が聖人キャラに積極的になった。契約書にそのような項目はなかったはずだが、どうしてだろうかと思うと智衡は面白くなった。そして智衡は、ローテーブルに置かれた紙に書かれていた演算を見て首を傾げた。

 「何をする気だ?」

白蓮を抱き寄せた思案顔の在仁が答えた。

 「皆様の理想の清め人となるためのサービス精神を…。」

在仁のサービス精神は(あだ)(ばな)の厳罰期間に鍛えられた。周囲の望む八歳を演じたあの演技力を思い出せば何とかなる気がした。

 「キラキラしてるな…。」

 「光のエフェクトでございますが、何かもう少し工夫がございますれば、より皆さまがお喜びくださるものと愚考いたします。」

智衡の誕生日パーティーの時に清め()を響かせた後、逢初の勧めで光が飛び散る術を自己演出した。在仁は子供だましと思いつつ半信半疑でやった事だが、意外と好評だったので進化版を作ろうと思ったのだ。だが、それを聞いた智衡は些か行き過ぎではという気もした。

 「…手品師じゃないんだから。」

 「では不要でございますか?」

純粋な疑問をぶつけてくるので、智衡は少し考えた。清め人が使う浄化は、よく知る智衡から見ても奇跡のように見える。そこに光が飛び散る様は美しかった。タネを知ってしまえばわざとらしい限りだが、案外悪くないように思えてきた。

 「じゃあ、こういうのはどうだ?」

考えてから勝手に手を加えると、在仁の目が輝いた。

 「流石はお兄様。ではこういたしましょう。」

楽しくなってきた二人は、しばらくああてもないこうでもないと言って術を改良していたが、ある程度形が出来上がったところで、在仁がはたとして動きを止めた。

 「…お兄様、俺に何かご用でございましたか?」

 「あ、忘れてた。」

智衡が言って苦笑いをした。

それから気を取り直して言った。

 「和田家へ後ろ盾の礼に行きたいと言っていたろ?日程の調整が終わった。」

聞いた在仁が身を乗り出した。

 「いつでございますか?」

 「来週だ。」

智衡は初めから四月末か五月と言っていた。来週はもう四月末なので予定通りである事を思えば、東京の復興も和田家の持ち直しも順調という事だろう。

知将(ともまさ)義将(よしまさ)の笑顔を思い出すと、早く会いたいと思った。晋衡(くにひら)が慕うあの温かさは、既に在仁にとっても大切なものだ。これからは少しでも力になりたいと思いながら安堵する在仁に、智衡が満面の笑みを向けた。

 「在仁、派手にぶちかまして来い。」

 「御意の通りに。」

恭しく礼を取る在仁に、智衡は満足げに頷いた。

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