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龍種 ドラゴンシード  作者: 字由奔放
星満ちる世の事
1125/1134

9 胡桃の事2

 約束の時間に胡桃(くるみ)を迎えに来た(かなめ)は、全く想定していなかった夫婦の修羅場に直面していた。

 「ど、どうしたんですか?お二人とも…。」

リビングには、号泣しながら口論する在仁(ありひと)茉莉(まつり)、途方にくれた胡桃。テーブルには大量の料理が並んでいて、まったくの手つかずだった。

要はそれを見ながら状況を判断しようと、夫婦に尋ねた。

すると二人は要に訴えた。

 「在仁が私のつわりを共感して奪ったの!返してって言っても()めてくれない!」

 「茉莉はこれから出産て言う大変な事を迎えるんだから、つわりを肩代わりするくらい、させてくれても良いと思いませんか?」

うーわー…。意味不明さに辟易とした胡桃は、反応に窮していた。しかも要を巻き込んでしまっている事がたいへん申し訳無かった。こうなった地点で要に連絡して時間を変更して貰うべきだったのだ。ああ、どう謝ろうか。

とりあえず要に迷惑をかけられないと思った胡桃は、やんわりと口を挟んだ。

 「紫微星(しびせい)様はお体が健康ではないので、他人の不調を背負うのは如何なものかと…。」

 「ほらぁ!胡桃様も駄目だって!」

 「この程度の不調は元気の内でございます!何てことはございません!」

 「不調慣れを誇らない!」

 「茉莉はずるい!俺だって赤ちゃん産みたい!」

 「ほらぁ!言い出したじゃん!絶対に言うと思った!」

意味不明な喧嘩がヒートアップしているのを聞いていたら、胡桃は頭が痛くなってきた。

何故、在仁が出産したがるのか。何故、茉莉はそれを言うと思っていたのか。もう、何なんだこの二人は。

思えば、茉莉の妊娠からこちら、在仁と茉莉は口論が耐えなくなった。ひっきりなしに言い合っているが、それを深刻に受け止めていなかったのは、このような犬も食わない意味不明な内容だからだ。

胡桃がもう放り出したくなって言った。

 「ストップ、ストップ!もう、訳分かんない事で揉めないでくださいよ。大人気ない事言ってないで、早く仲直りしてください。」

 「「やだ!」」

 「…やだって…。とりあえず、まずつわりの所有権は茉莉様ですから。」

 「つわりの所有権って何でございますか!」

 「つわりは妊婦のものだから、私のものって事。だから在仁の主張は通らないの!つわり泥棒だよ!」

 「つわり泥棒?酷い!茉莉が俺を泥棒って言う!酷いと思われませんか?胡桃様!」

板挟みの胡桃はお手上げであった。

 そこへ、ずっと黙って聞いていた要が二人の前に膝を着いて言った。

 「まず、落ち着きましょう。感情的になられては、話し合いになりませんよ。深呼吸しましょうか。」

無関係な部外者の立場だからなのか要は冷静で、二人も大人しく言われた通りに深呼吸した。

 「どうしてこうなったのか、教えてくださいますか?茉莉様。」

要が茉莉に問うので、茉莉はぎゅっと服の裾を握りしめて答えた。

 「私の赤ちゃんね、術力器官がとっても強いんです。だから、たくさん食べないといけなくて。でも私、朝からつわりで気持ち悪くて、食べられなかったんです。そしたら、在仁が共感して私の不調を肩代わりしちゃったんです。赤ちゃんの為だって分かるけど、私そんな事して欲しくないんです。」

 「でも、それは…。」

 「紫微星様。今は茉莉様がお話くさだっておりますから。」

要がやんわりと在仁を制止すると、在仁は青い顔で黙った。明らかに不調だ。ただでさえ昨日は慰霊祭で疲れが溜まっているはず。共感して負を肩代わりする行為自体が、在仁に負担をかける。ひよこは限界かも知れない。

胡桃は要の後ろで在仁の様子を注視していた。

 「茉莉様。続きを。」

いつの間にか、この場は要が掌握していた。在仁は大人しく黙っていて、要に促されて茉莉が話し出した。

 「あ、はい。その、そもそも、最近の在仁は一生懸命になり過ぎなんです。不安なのは分かるけど、度を越してるんです。」

ポロポロ涙を零しながら言う茉莉は、珍しくしおらしく見えた。

在仁は茉莉の握った手に手を重ねた。茉莉はその手を振り払わなかった。互いを厭う口論ではないから、仲違いに発展したりしない。

胡桃が二人の手が重なっているのを見ていると、要が穏やかかつ鋭く核心を突いた。

 「不安?不安とは?」

茉莉が言った「不安なのは分かるけど」を、胡桃は出産における一般的な感情だと思った。けれど要は違う色を掴んでいた。

 「在仁は、不安なんです。お父さんになるのが。」

 「茉莉…。」

 「そうでしょ?だから一生懸命、別の事で誤魔化そうとするんだよね?」

問われた在仁の瞳が揺れた。

要は在仁を促した。

 「そうなのですか?紫微星様。」

見つめられた在仁は、泣き顔を歪めて吐露した。

 「だって…。俺の父は、全然良い父ではございません。俺はあの父の子でございます。俺もいつか、子に声を荒げ、理不尽に手をあげるかも知れません。そう思うと、恐ろしくて、不安になるのでございます。」

 「そんな事しないよ。在仁がそんな事する訳ないじゃん。私絶対に無いって断言できるよ。」

茉莉が在仁の手に手を重ねたのが見えた時、胡桃は何も分かっていなかったと感じた。在仁の異常行動は、全部妊娠が嬉し過ぎる所為だと思っていた。過保護な親馬鹿行為だと思っていた。だから呆れながら許容していた。けれど違った。

胡桃は、自分をひどく力不足だと感じた。目の前の要は落ち着いて事実に向き合い、絡まった糸を解いて行く。その背が頼もしくて、恨めしかった。

 「茉莉様は、それに気が付いておられて、どうして今まで何もご指摘なさらなかったのですか?」

要が問うと、茉莉は俯いた。

 「それで在仁の気が済むなら良いと思ったんです。でもどんどんエスカレートしてて、それってどんどん不安が大きくなってるって事かなって思ったら、どうしたら良いか分からなくて。そしたら、とうとう共感までして…。」

泣きながら言う茉莉に、要は優しく頷いた。

 「そうですか。紫微星様。紫微星様の不安を、茉莉様はしっかりと感じ取っておられました。それはお腹の御子様にも伝わります。御一人で抱えず、きちんと言葉にして相談した方が良いですよ。」

 言われた在仁は何も言えずに押し黙っていた。

 要はそんな在仁を見つめてから、再度茉莉の方を向いた。

 「茉莉様。他に、何かおっしゃりたい事がありますか?」

 この際言いたい事は全部吐き出せ。胡桃にはそう言っているように聞こえた。茉莉は少し言葉を詰まらせてから、迷うように言った。

 「在仁は、赤ちゃんができてから、赤ちゃんの事、ばっかり。私よりも、赤ちゃんの事ばっかりなんです。」

涙声で紡がれた言葉に、在仁が驚いた顔をした。潤んだ闇色の瞳で茉莉を見つめると、茉莉が続けた。

 「甘えん坊の在仁が、私に甘えないで、一人で頑張ろうとするの、私すごく寂しいと思いました。赤ちゃんは二人の赤ちゃんなのに。」

 「ちが…違う。茉莉、ごめんね。違うんだよ。父親になるんだから、強くならないと、いけないと、思って。俺、不甲斐ないままじゃ駄目だと、思ったから…。」

宝石みたいな綺麗な涙と一緒に零れた在仁の本音に、茉莉は首を振った。

 「在仁は、私が助けるんだよ。私が守るの。これからもずっとそう。忘れないで。」

 「…そうだね。本当に、ごめんね。俺が、間違ってた。」

ぎゅっと手を握り合った二人のわだかまりが解けたのが目に見て分かった。

 胡桃は何だか物凄くほっとした。在仁の公私に渡る秘書を公言しているが、夫婦喧嘩の仲裁なんか業務外だと主張したい。

 けれど、鎌倉様の側近秘書様は鮮やかな手腕で仲裁してしまった訳で。

 雨降って地固まったと解釈した要は、優しく諭した。

 「紫微星様はご自身の弱い部分を抱え込んで隠してしまうところがありますね。けれど、茉莉様には分かってしまう。隠し切れません。観念して、素直になり、受け入れるべきですよ。これからの為にも。」

 「…はい。さようでございますね。肝に銘じます。」

 やっと在仁が納得して、茉莉も言いたい事を言ってすっきりした様子だった。

 要は立ち上がると腕まくりをした。

 「では、朝食に致しましょう。冷めてしまっていますから、あたため直しましょうね。お二人は座っていてください。胡桃様はお茶を。」

 「あ、はい。」

 完全に掌握している要の行動が早い。

 胡桃は慌てて動き出したのだった。


 ◆


 結局その後も色々とあって、胡桃と要が鎌倉に向かったのは昼過ぎだった。

 「お腹が空きましたね。」

そう言って要が連れて来たのは、鎌倉の隠れ家的な古民家喫茶店だった。知る人ぞ知る的な細道を行って、民家にしか見えない庭に入って行くので、胡桃だけだったら絶対に辿り着けないと思った。

 「コーヒーとサンドイッチ、あとチーズケーキがおススメです。」

 「じゃあ、それで。」

言われるままに座って注文すると、胡桃は想定外の慌ただしさの所為でドキドキもへったくれも無いなと嘆息した。

 本当は、朝イチで鎌倉に来て、紫微星様の屋敷建築予定地の確認と図面を見せて貰い、その後ランチを兼ねて喫茶店へ行く予定だった。午後は何の予定も話していないフリーだったので、お散歩とかショッピングとか、そういうデートを妄想していた。その為に今日は北辰隊の制服ではなく、仕事ともプライベートともとれる感じの私服をチョイスしたのだ。

けれど実際はもう昼過ぎ。遅いランチがスタートであるから、この後屋敷の土地確認と図面を見る事になる。デートはお預けだ。ウキウキした分だけ落胆は大きい。

 「すみませんでした。要様に全部お任せしちゃって。本当に助かりました。ありがとうございました。」

 それよりも、だ。胡桃は夫婦喧嘩を要に解決させてしまった上、その後もあれこれと手伝わせてしまった事が、とても申し訳無かった。

 あのおかしな夫婦喧嘩が終わった後。茉莉は胎児の分まで朝食を完食したが、不調を肩代わりした在仁は案の定食べられず。どのみち茉莉は医者につわりの相談をすべきだったし、在仁も複合的にひよこが活動限界だったので、二人とも診察へ向かう運びとなった。その際に、在仁は「俺も悪かったけど、茉莉に妊婦の自覚がないのも問題だよ。」と言い放ち、また言い合いが始まった。在仁、茉莉、産婦人科医、(ぎん)、と言う謎の面子で話し合い、と言うか口論した結果、胎児の為にも茉莉は食べまくるべきと言うのを前提に置き、在仁は無理のない範囲で共感して良いと言う事になった。その結論を以て、つわりは交代制と言う事になったのだ。

 こんな事があろうか?胡桃は未だに謎過ぎて、折角のデートに集中できていない。

 「ふふ。いえいえ。お役に立てたならば良かったです。しかし何だか、今になって見れば、面白い事ばかりでしたね。」

面白そうに小さく笑う要に、胡桃は余裕を感じた。

 「凄いですね。私なんか全然、面白がる余裕なんか無いですよ。びっくりしちゃって。全然役に立たなかったです。一人だったら、どうしようも無くて。」

 「そんな事は無いでしょう。一人でも胡桃様は胡桃様のやり方で解決しましたよ。私だって、仲裁できるかは分かりませんでしたし。」

 胡桃のやり方とは何だろうか。胡桃は運ばれてきたコーヒーとサンドイッチを眺めながら、何と無くリアルに脳内シミュレーションしてみた。多分あの時、要が現れなかったら、誰かを呼んだだろう。あの二人の夫婦喧嘩を仲裁出来そうなのは、晋衡(くにひら)(あずま)か、もしくは仁美(ひとみ)か。喧嘩仲裁を丸投げしてから、朝食は諦めて医者を手配したはずだ。銀にも連絡して、指示を仰いだだろう。つまりは人を采配すると言うやり方だ。

対して先程の要は全部一人で片付けてしまった。喧嘩を仲裁し解決して、朝食をとらせてから、病院へ行った。診察にも立ち会って見届け、二人を家に帰してから、監視員として佐長(すけなが)紅葉(もみじ)を手配した。そうしてやっと、胡桃を誘って鎌倉へ来たのだ。

どう考えても要の方が優れた解決と思えた。

 「実力の差を思い知りました。」

 項垂れると、要は笑って食事を勧めた。胡桃は空腹だったので大人しくサンドイッチをかじった。

 それを眺めながら、要が言った。

 「私は子どもの頃から頼優(よりまさ)様の御側に仕えております。頼優様はあの通りの性格で、白黒はっきりとしておりますので、まぁ揉め事もそれなりにありました。その後始末をするのは、だいたい私ですよ。」

胡桃はサンドイッチを咀嚼しながら要を見た。

 「働き始めてからも、部署内にはたくさんの人が働いていますから、人間関係のあれこれは少なくありません。今では部下を持つ身ですし、人をまとめるのも仕事です。」

胡桃は要の環境を想像した。胡桃と違って皆で仲良しこよしのアットホームな職場ではない。組織にあって、いざこざはつきものだ。まして要がいるのは鎌倉様の程近く。清和源氏中枢なのだ。そこで働く者は優れているだけでなく、家格も良く身分もしっかりしている。誇りを持って働く精神性は前提としても、源氏内での立場は重要であるから、家格政争の縮図。性格が合わないとかじゃなくて、生家の関係性による不和は少なくなさそう。

 「そんな感じで、私の周りは穏やかではありませんので、喧嘩の仲裁など日常茶飯事と言うか、まぁ慣れてるんですよ。」

 つまり、経験値の差。胡桃は己の足りなさを自覚して要を羨んだが、要との立場が違い過ぎる事を理解して、無意味な妬心だったと気付いた。要に比べたら、胡桃は平和だ。在仁の秘書は激務だが、職場内で喧嘩が発生した事なんか無い。全員が在仁を中心にまとまっているので、在仁さえいれば問題ない。構造からして、職場環境が違い過ぎる。そしてきっと、胡桃の職場は恵まれている。

 「それは、お疲れ様です。」

 「はは。ありがとうございます。」

胡桃の労いが面白かったのか、要はしばらく笑っていた。

 「私の経験上、さっきの仲裁は楽な方でした。茉莉様は素直でシンプルですから、原因が明確です。原因が分かれば解決は早いものです。ただ、対して紫微星様は繊細で複雑な上、頭も口も回りますから、本来の私には太刀打ちできない相手です。ですが私が仲裁に入った時に、何故私がいるのかと問われませんでした。そういう事にまで頭が回っていなかった。だったら私でも何とかなるなと、思いました。」

確かにそうだ。在仁はあの場に要がいる事に疑問を抱いていなかった。それは在仁にしてはかなり視野狭窄。胡桃は要の判断の正しさを理解しつつ、冷静に分析した。

 「紫微星様はとっても意思の強い方です。繚乱として覚醒してからは、今までにも増して積極的で、思いつくままに行動なさって、とても楽しそうです。でも反面、物凄く弱い部分もあって、そこに嵌ると完全に立ち行かなくなります。急に臆病になってネガティブになって卑屈になってしまいます。それを何とか出来るのは、茉莉様しかいません。今回はその茉莉様が、不調でしたので…。」

 「そうでしたか。人は誰しも弱点がありますから。紫微星様も例外ではありませんね。」

 聖人として崇められる紫微星様は、悟りを極めていて精神は既に神格化していると、民は理想を共通認識してしまっている。けれど、在仁は人間だ。要は、実際の在仁が日々ジタバタ足掻きながら必死に生きているのを知っている。以前よりも近しい場所から在仁を見ている。そこには親愛がある。

 胡桃は要の目線を好きだと思った。

 「ですね。」

 サンドイッチを食べきって空になった皿の代わりに、おススメのチーズケーキが置かれた。ふわふわのスフレチーズケーキだった。

 「わ、私これ好きです。」

 「本当に?私もスフレが好きなんですよ。良かったです、チーズケーキは好みが別れるので。」

 胡桃は要と同じものが好きだと知って、嬉しくなった。何だか急にデートをしている気持ちになった。

 「そっか、それで要様はこの喫茶店がお気に入りなんですね?」

 「ええ。レアチーズケーキかベイクドチーズケーキが多いので、スフレを出す喫茶店は珍しいんです。」

 「同感です。」

紫微星様語りでは無く私的な事を共有すると、途端に距離が縮まる気がする。新しい要情報をしっかりと脳内に記憶していると、要が言った。

 「胡桃様がくださったチョコレートブラウニーも、美味しかったです。あれから、ブラウニーも好きになりました。」

 「え?…や、あれは皆で一緒につくったので上手に出来たんですよ。」

バレンタインに要に渡したブラウニーは、仁美を先生にして真珠(しんじゅ)真赭(まそほ)(めぐみ)と一緒に作ったのだ。胡桃一人だったらあんなに上手く出来ない。普段から料理はしないので、手際に自信がない。

その返答を謙遜と受け取ったのか、要はやんわりと首を振ってから言った。

 「実は私、バレンタインにチョコを貰ったのが初めてでして。ホワイトデーを完全に失念しておりました。たいへん失礼しました。」

 「え?初めてだったんですか?」

お返しなんか端から望んでいない。あれはあげたかったからあげただけだ。それよりも胡桃にとって重要なのは、あれが要にとって初バレンタインチョコだったという事だ。

 「意外ですか?私は結構な嫌われ者ですよ。」

 「そんな馬鹿な。要様ですよ?こんなに仕事が出来て、優しくて素敵な人、どうして嫌いになるんですか?」

心底意味が分からなくて声を乱した胡桃に、要はきょとんとしてから笑った。今日は本当によく笑う。もしかして、楽しいのだろうか。

 「胡桃様は屈託がなくて、癒されますね。」

 い、癒される?それはどういう意味だろうか。

 小動物みたいに愛らしい胡桃であるから、癒されると言うのが愛玩か好意か判別がつかなった。けれど、それってどういう意味ですか?なんて訊けない。なんだか心臓が爆発しそうだ。まさかデートがこんな命の危険を伴うものだったなんて、先に教えておいて欲しい。胡桃は息が苦しくなりながら、なんとか平静を装ったのだった。


 ◆


 もう少し、ゆっくりしたかったな。

居心地のいい喫茶店は平日でランチタイムも過ぎていた所為か、空いていて落ち着いた空気が流れていた。静かで、まるで二人きりみたいな感覚がして、胡桃はずっとこうしていたいなと思った。

けれど時間は無慈悲だ。あまりのんびりしていては日が暮れる。

胡桃と違って惜しむ様子の無い要が、あっさりと喫茶店を出て案内を始めたのは、何だか寂しかった。想いの比重が違う気がした。

 「紫微星様の鎌倉拠点となるお屋敷は、利便性を優先すべきと言う事で、転移扉からなるべく近い場所を選びました。」

現実に引き戻すような要のお仕事モードに、胡桃はしっかりせねばと自覚した。仕事、仕事。そう言い聞かせて気持ちを切り替えた。

 「転移扉から近いって言うと、必然的に地龍本家から近い場所って事になりますけど。そんな一等地、よく手に入りましたね?」

 転移扉は地龍本家にある。それは地龍の首都・鎌倉の最中枢。その近くに、すぐに差し出せる土地なんかあるのか?

 胡桃が不思議そうに問うと、要が目の前の更地を指した。

 「ここですか?」

 え?広い。

 胡桃の驚きに、要が微笑んで頷いた。

 「元々あった建物は古かったので、先月中に解体して更地にしました。今は着工待ちです。」

 「更地に…。なんか怪しいですね。」

この立地なので絶対に格式高いお屋敷があったはずだ。古いならば手を加えてそのまま引き継げただろう。なのにわざわざ壊して更地にした?何か訳アリなのではと勘繰ってしまう。

胡桃の勘繰りに、要は苦笑した。

 「やっぱり、そう思われます?」

 「思いますよ。何か変な理由じゃないですよね?紫微星様を利用しようとしたら、ただじゃおきませんよ。」

むっとして真剣に言う胡桃は、仕事で手心を加える気はないのだ。優秀な胡桃の態度を見て、要は観念したように軽く頭を下げた。

 「すみません。どうかご容赦ください。」

御代官様。「ただじゃおきませんよ」なんて脅すものだから、要がへりくだってしまった。胡桃はその態度がおかしくて少し笑った。

そして二人で少し笑いを交わしてから、要がゆっくりと理由を説明したには、こういう事情だった。

 この屋敷の土地は頼優が北条から買い上げたらしい。北条は昨年、瑠璃番(るりつがい)の件による司法局への罰則金や、連続放火被害者の保護再建費の全額負担などにより、たいへん大きな出費を余儀なくされた。その分の補填として鎌倉の一等地を売ったと言う。

ただ、普通に考えてこんな一等地を売ってしまうと目立ってしまい、北条は財政赤字だと思われてしまう。北条所有の屋敷だった事は周知なのだから、土地を売るにしても、敢えてここは絶対に手放さなかっただろう。けれど、ここに紫微星様の御屋敷が立つとなれば見た目が違う。内々に頼優が買い上げて、源氏として紫微星様へ献上した事で、北条は紫微星様の為に先祖代々受け継いできた大切な土地を捧げたと言う見た目になるのだ。北条の見上げた信奉心を示す事が出来る上、実際は土地ごと売ったので財政補填される。北条にとって良い事しかないのだ。

とは言え、元の屋敷をそのまま残しておくと、北条の屋敷だった事実がずっと付きまとう。何も疚しい事無く土地ごと屋敷を献上したならば、そのまま残して紫微星様に使って欲しいと言うだろうが、実際は売っているのだ。誰にも勘繰られたくない案件であるから、屋敷は壊して新しくする方が良い。

 「で、実際の所、北条家はそんなに困ってるんですか?」

 「そこまでではないかと。ただ、予定にない出費でしたから、予算組みが総崩れになった事は間違いありません。色々総合的に判断したんでしょう。」

 北条は大家門だ。ちょっとやそっとで傾くはずもない。ただ、昨年の出費は普通の家ならば破産する額だったので、多少痛手だったはずだ。胡桃はそれを想像しながら土地を眺めた。

 「この事は、紫微星様には内緒にしときましょう。」

北条に多大な出費を強いた一因は在仁にある。この事を知ったら気に病むだろう。胡桃が言うと、要が深く頷いた。

 「ええ。そうですね。私も緘口令を敷いておきます。」

 どこから在仁の耳に入るか知れない。各所手をまわしておかねば。

 そうして敷地内と、周辺の建物や道路などをじっくりと見て回った頃には、夕刻となっていた。

 時計を見た胡桃は、そろそろ帰らねばと思った。

 「あの、要様。本当に今日はすみませんでした。」

 別れの前に、きちんと礼を払っておかねば。胡桃がお辞儀すると、要は首を振った。

 「そこで謝ると、何だか胡桃様は紫微星様の御姉様のようですね。」

胡桃と要が出かける事を、在仁も茉莉も知らなかった。誰も悪くないのだ。けれど、くだらない夫婦喧嘩に巻き込んだのは事実。胡桃の謝罪は、家族の粗相を謝罪するように見えたのだろうか。御姉様、そう言われた事は、案外悪い気がしなかった。

 「私の方が、年上ですし。正直もう身内みたいに思ってます。放っておけない上司であり、弟みたいな面も、ありますね。」

いつの間にか、そういう距離感まで近付いていた。在仁を、家族のように慕っていた。胡桃が笑うと、要も笑った。

 「分かります。私も頼優様をそのように思います。」

似ている立場だから、分かり合える部分もある。けれど全然違う環境だから、身に着けたスキルも必要性も違う。それでもどこか、近しい気がする。シンパシーを感じる。胡桃は要の中にある何にそれを感じるのか分からなかった。でも、一緒にいて心地よい。まだ、一緒にいたいと思う。

 別れを惜しむ素振りを隠して行こうとすると、要が言った。

 「胡桃様、今日の仕切り直し、できますか?」

 見上げると、要は少し緊張した顔だった。

 「まだ、図面を見て頂いていません。」

 「そうですね。」

今日の予定は完遂されなかった。だからまだ、口実は残っているのだ。

 「もちろんです。私はいつでも。」

 いつでも会いたい。

 そこまでは、言えなかった。

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