間話 喜びの悲鳴
まさか俺があんな小娘に負けるなんて思いもしなかった。
しかし、小娘は俺の想像を遥かに超える強敵だったのだ。
イカサマにイカサマを重ね、負ける要素がないはずの勝負。
……にも関わらず、負けたのは俺だった。
借金のかたで小娘の従者になった時は、さすがの俺ももう人生が終わったと思ったね。
だが、よくよく話を聞いてみると小娘はワルムズ公爵の娘で暫定聖女らしい。
雇い主が小娘だということと、同僚がガキばかりなことが気にいらないと言えば気にいらないが、小娘だってガキどもだってすぐに成長して大人になる。
もう永久就職しちまったんだし、気長に待てばいいさ。
それにワルムズ公爵家は一代貴族の爵位を気前よく子飼いの臣下に与えることで有名だ。
俺の歳で子飼いと言えるかは微妙かもしれないが、もう一度一代貴族に戻れる可能性もないわけではない。
そう考えれば案外悪い職場ではない気がしてきた。
第一、俺をスカウトするためにわざわざ本人がワルムズ領からイスまで出向いてくれたのだ。
それも弟と間違えたのではなく、この『俺』をスカウトするためにだ。
俺のことを高く評価してくれているのは間違いない。
考えてみれば、俺の十五年の人生でこれほど他人に必要とされたのは本当に初めてのことだった。
思わず涙を見せてしまったのもしょうがないだろう。
明日からシルヴェーヌさまの従者としての仕事が始まるが、本気を出すとするか。
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従者生活初日。
公爵様と会うのは今日が初めてだ。
「お父様。彼が新しく私の従者になったゴドーです。彼の弟はあのゴドー男爵なのですが、弟よりも強くなりたいようなのでビシバシ鍛えてやってください」
さすが公爵様、若いのに随分と貫禄があるな……なんてことを考えていたら、シルヴェーヌさまがとんでもないことを言い出した。
鍛えて弟よりも強くなるだって?
そんなの無理に決っている。
今まで散々努力したが追いつくどころか差は開く一方だったんだぞ。
「シルヴェーヌの従者になったからには、弟より強く、なんて小さなことは言わずに世界最強を目指しなさい。私がその手助けをしてやる」
「ありがとうございます」
あのワルムズ公爵が手助けをしてくれると聞いて、自然と御礼の言葉がでた。
それに、あくまでもそういう心構えで鍛錬をしなさいという意味だと思っていたのだ。
「まずは準備運動からだ。ゴドーは今日が初日だから無理はしなくていいぞ。軽く倒れるまででいい」
準備運動なのに軽く倒れるまで?
意味がわからない。
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準備運動を始めてすぐに、公爵様の言葉の意味がわかった。
ガキどもと一緒に走るくらい余裕だと思っていた過去の自分を殴りたい。
キツイなんてレベルは遥かに超えている。
走り始めた時は、「ガキどもめ最初から全力疾走しているな、準備運動なんだから長時間続けられるようなスピードで走るのが有効なんだぜ」、などと上から目線で思ったりもした。
しかし、三分経っても五分経ってもガキどものペースは落ちない。
ガキどもはまだまだ余裕そうなのに、俺だけに限界が近づいてくる。
せめて表情だけは余裕を装おうと頑張ったのだが、あまりにきつくてそれさえ無理だった。
すると、ガキどもの一人……確かドニスとか言うひ弱そうなガキが近づいてきてこう言いやがったのだ。
「大丈夫ですか?」
心配されたのだ。
この俺が!
遥かに年下で十歳にも満たないガキに!
俺は実家にいた頃に弟に同情されたり心配された時のことを思い出した。
その度に俺の中の小さなプライドがズタズタに傷ついたのだ。
そのことを思い出すだけで、悔しさと憎しみで体中に力が湧いてくる。
「大丈夫に決まっているだろ」
俺がそう言うと、ドニスの奴は嬉しそうに笑いやがった。
不思議な奴だ。
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二時間ほど経った頃、やっと準備運動が終わった。
なんとか最後まで走り切ることは出来たが、途中から頭が真っ白になってどんな風に走っていたかまるで記憶に無い。
今は大の字になって寝そべっているが、全身の筋肉が痙攣していて体中が痛い。
こんなに何かに必死になったのは随分と久しぶりな気がする。
痛みと吐き気でどうしようもないはずなのに、なぜか悪くない気分だ。
不思議だ。
「初日から最後まで走り切るなんてお前凄いな」
ドニスの兄のデニスだ。
ガキのくせにデニスの物言いは随分と上から目線ではあったのだが、不思議と腹は立たなかった。
もしかすると、腹が立つ余裕さえなかったのかもしれない。
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さっきまで、俺は何かを成し遂げたような気分になっていた。
終わったのはただの準備運動だということも忘れて……。
朝食を食べた後に、型の練習が始まった。
最初は全員で槍の型からだ。
実家にいた頃、槍には特に力を入れていたので槍の型なら少し自信がある。
ところが数分後。
明らかに俺だけが浮いている。
ガキどもの型は俺のそれよりもキレがあって迫力が段違いだ。
ガキどものそれと比べれば、俺はなよなよと踊っているようなものだった。
あっという間に、少しの自信が跡形もなく吹き飛んだ。
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槍、弓、格闘、馬と一通りの型が終わり、昼食の時間となった。
気分がどん底の俺とは正反対に、ガキどもは何やら楽しそうだ。
「ゴドーさん、次は実戦形式の訓練ですがシルヴェーヌさまも合流して手伝ってくれるんですよ」
俺に話しかけてきたのはロロとかいうガキだ。
どうやらシルヴェーヌさまと一緒に訓練するのが楽しみらしい。
他の奴らが楽しそうなのもそのせいなのだろう。
まあ、デニスだけは、昼食に夢中になっているせいかもしれないが。
しかし、訓練なんて毎日やっているだろうに飽きないのだろうか?
「シルヴェーヌさまと一緒に訓練なんて毎日やっているんじゃないのか? どうしてそんなに楽しそうなんだ?」
「楽しいことは毎日経験しても楽しいことなんです」
「ふーん。そんなものなのか。よっぽどシルヴェーヌさまのことが好きなんだな。何か切っ掛けはあったのか?」
「うちの父ちゃんがシルヴェーヌさまのおかげでフサフサになったんです」
ハゲの治療なんて今まで聞いたことがなかったが、あの毒饅頭を食べてもなんともなかったシルヴェーヌさまなら十分にありうる話だ。
そういえば俺の祖父も父も髪の毛が薄かった。
もしもの時はシルヴェーヌさまにお願いするとしよう。
「そうか、それはよかったな」
「はい!」
本当に嬉しそうにロロが返事した。
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実戦形式の稽古が始まった。
俺の相手をしてくれるのは公爵様だ。
対峙してすぐに実力の違いを思い知らされた。
公爵様が軽く殺気を飛ばしただけで、俺の全身の筋肉が恐怖で硬直したのだ。
固まっている俺を公爵様が滅多打ちにする。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……。
あまりの痛みに俺は情けなくも子どものように大声で泣きわめいてしまった。
「シルヴェーヌの従者ともあろうものがそんなに喚くでない」
公爵様はそんなことを言っているが痛いものは痛い。
両手両足は折れているのかピクリとも動かせない。
俺にできるのは情けない声を出すことだけだった。
「あらあら、大丈夫ですか、ゴドー」
シルヴェーヌさまはそう言いながら俺を膝枕して、回復魔法を掛けてくれた。
これではどちらが年上だかわかったもんじゃない。
回復魔法のおかげですぐに痛みは引き、なんとか体を動かせるようになった。
「さっさと立てゴドー。まだ訓練は始まったばかりだぞ」
そんな俺に公爵様は容赦のない言葉をかけてくる。
俺は急いで立ち上がり構える。
回復魔法のおかげか、先ほどのように恐怖で固まることはなかった。
――今度は簡単にはやられない!
だがそんな決意も虚しく、数秒後にはまた情けない悲鳴を上げてしまうのだった。
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一章 獣士回収編 - 終 -
次章は、聖女編となります。
正式な聖女となった主人公が、潜在的な敵を潰し有力な味方を得るために、東奔西走します。
次話 「不倶戴天の敵」は今週末に投稿予定です。