5話 武士女王 国民にも食べさせたい。
王女ミューシの朝は、最近少しだけ変わった。
「おはようございます、殿下」
「うむ。おはよう」
「……」
侍女が一瞬、固まる。
「どうかしました?」
「い、いえ……」
ミューシは首を傾げた。
「本日の朝餉は?」
「白米と味噌汁、それから焼き魚でございます」
「うむ。それは良い」
「……完全に武士ですね」
「何か言いました?」
「何も」
ミューシは気にせず食卓へ向かった。
自分ではまだ気づいていない。
だが、以前の上品な王女口調は、日に日に薄れていた。
朝食を終えたミューシは、すぐに境界の扉へ向かった。
「殿下。本日の目的は?」
護衛騎士が尋ねる。
「寿司ですわ」
「寿司?」
「ええ。日本には、魚と米を組み合わせた料理があるそうです」
「おにぎりとは違うのですか?」
「どうやら別物のようですわ」
ミューシは日本で買った料理本を開く。
そこには、美しく並べられた寿司の写真が載っていた。
「……まあ」
ミューシの目が輝く。
「なんて綺麗なのでしょう」
「宝石のようですね」
「ええ……」
ミューシは写真から目を離せない。
「これは、ぜひとも食べてみたいですわ」
日本の寿司店。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
ミューシは少し緊張しながら店内へ入った。
「お好きなものをどうぞ」
「では……」
ミューシはメニューを見る。
「マグロ……サーモン……イカ……エビ……」
次々と知らない名前が並ぶ。
「どれから食べればよいのでしょう?」
「初めてなら、おまかせでもいいですよ」
「おまかせ……」
ミューシは少し考える。
「それでお願いいたしますわ」
しばらくして。
目の前に寿司が並んだ。
「……!」
ミューシは息を呑んだ。
小さな酢飯の上に、鮮やかな魚。
あまりにも美しい。
「これを……手で?」
「手でも箸でも大丈夫ですよ」
「なるほど」
ミューシは箸を手に取る。
一貫を持ち上げる。
「では……」
ぱくっ。
「…………」
ミューシの瞳が大きくなる。
「……!」
言葉が出ない。
「殿下?」
「…………美味しい」
小さな声。
だが次の瞬間。
「美味しいですわ!」
ミューシの顔が一気に明るくなった。
「魚がとろけます!」
「ありがとうございます」
「このお米も、いつものお米とは違いますわ!」
「酢飯ですね」
「酢飯……!」
ミューシは新しい言葉を覚えた。
そして次の一貫。
「これは?」
「サーモンです」
「鮭……?」
「はい」
ぱくっ。
「…………」
ミューシの手が止まる。
「これは……」
ゆっくりと顔を上げる。
「なんということでしょう」
騎士が尋ねる。
「お気に召しましたか?」
「……これは危険です」
「またですか?」
「ええ」
ミューシは真剣だった。
「いくらでも食べられてしまいますわ」
寿司を食べ終えたミューシ。
「ごちそうさまでした」
満足そうにお腹を押さえる。
「日本には、こんな料理まであるのですね……」
店員が笑う。
「寿司は日本の代表的な料理ですからね」
「なるほど」
ミューシは頷いた。
「これも異世界で作ってみたいですわ」
「寿司を?」
「ええ」
店員が少し考える。
「魚は新鮮なものを使ってくださいね」
「分かりました」
「あと、包丁の扱いには気をつけてください」
「承知しましたわ」
ミューシは真剣な表情で頷いた。
その日の午後。
異世界の王宮厨房。
「料理長!」
「はい!」
「本日は寿司を作りますわ!」
「……寿司?」
ミューシは日本から持ち帰った酢を取り出した。
「まず酢飯を作ります」
「承知しました」
「そして魚を切ります」
「殿下、それは私が――」
「いいえ」
ミューシは包丁を持った。
「わたくしがやります」
「危険です!」
「大丈夫ですわ」
ミューシは魚を見つめる。
そして――。
すっ。
「…………」
料理長が目を丸くする。
「殿下……」
「何ですの?」
「いつの間に包丁を?」
「日本で教えていただきましたの」
ミューシは少し得意げに笑った。
「これくらいできますわ」
魚を薄く切る。
酢飯の上に乗せる。
そして――。
「完成ですわ!」
王宮料理人たちが拍手する。
「おお……!」
「見事です!」
ミューシは一貫を持ち上げる。
「では……」
ぱくっ。
「…………」
そして眉を寄せる。
「何かが違いますわ」
「えっ」
「日本のお寿司とは違います」
料理長が慌てる。
「申し訳ございません!」
「いえ、謝らなくてよいのです」
ミューシは寿司を見つめる。
「魚は新鮮です。お米も悪くありません」
「では何が?」
「……分かりませんわ」
ミューシは考え込む。
そして――。
「日本の職人に、もっと教えていただきましょう」
翌日。
ミューシは再び日本へやって来た。
今度は寿司職人に、酢飯の作り方や魚の切り方を教えてもらう。
「なるほど……」
ミューシは真剣に聞いている。
「寿司は、魚と米だけではないのですね」
「そうですね」
「温度や包丁の入れ方、それに酢の加減……」
「よく見てますね」
「料理とは奥深いものですわ」
ミューシは感心した。
そして職人が握った寿司を見る。
「……美しい」
職人が微笑む。
「食べてみますか?」
「はい」
ミューシは寿司を口にする。
「…………」
目を閉じる。
「……うむ」
「おや?」
ミューシは小さく頷いた。
「これぞ寿司、という味であるな」
騎士が固まった。
「殿下……」
「何です?」
「今の……」
「どうしました?」
「完全に武士でした」
「…………」
ミューシは黙った。
「……忘れよ」
「はい?」
「今のは忘れよ」
騎士は目を丸くした。
「『忘れよ』って……」
ミューシは顔を赤くする。
「わ、忘れてくださいませ!」
その夜。
異世界の王宮。
ミューシは今日教わったことを料理長へ伝えていた。
「寿司は、ただ魚を米に乗せればよいというものではありません」
「はい」
「一つ一つの工程に意味があるのです」
「なるほど」
「料理とは、奥が深いものですわね」
料理長は微笑んだ。
「殿下は、本当に料理がお好きになられましたね」
「……そうかもしれません」
ミューシは少し照れた。
そして窓の外を見る。
「いつか……」
「はい?」
「この国の人たちにも、日本の料理を食べてもらいたいですわ」
料理長は驚いた。
「王宮だけではなく?」
「ええ」
ミューシは頷いた。
「美味しいものを知ると、人は幸せになりますもの」
その言葉は、王女らしい優しさに満ちていた。
だが。
次の瞬間。
「……よし」
ミューシは立ち上がった。
「異世界寿司を極めるぞ!」
「殿下!?」
ついに「わたくし」すら消えた。
ミューシ自身は気づいていない。
彼女の中で――
王女と武士。
二つの魂が、少しずつ混ざり始めていた。




