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虚言の庭師  作者:
第1章
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5

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 夢を見た。

 父と母の仲が取り繕えないほどにボロボロになってしまった時の夢だ。

 彼らは私が産まれた時には既に不仲だったし、彼らが業務上以外の会話を交わしているところを見たことがない。

 父は煙草は吸わず、ギャンブルの類いもすることなく毎日定時に帰ってきた。同僚と飲みに行くこともなく、専ら家でテレビを見ながら酒を飲んでいる。

 外面だけは良い、狡猾な男。

 父はそんな性格からか、勤め先で失敗をすると、その鬱憤を家族に撒き散らす。

 私は何度も母が殴られているところを見たことがある。そればかりか、幼い娘や息子の前でもお構い無しに、泣き叫ぶ母の服を無理矢理脱がし、強姦した。その時に見た彼の動きは、悍ましいものとして私の脳裏にこびりついて離れない。

 彼の怒りが爆発する周期は、ある程度決まっていたから、その時は皆彼と出くわさないように行動した。

 私の部屋は、兄の部屋と夫婦の部屋に挟まれていたから、何度も彼と遭遇したことがある。

 酒の影響からか目は充血し、あらぬ方向に蠢いている。目を合わせたら駄目だと解ってはいるが、逸らせない──。

 その結果、しばしば私が被害にあったのは云うまでもない。


 最悪な眠りから覚めた頃には、閉ざされたカーテンの隙間から朝日が射し込んでいた。男はまだ眠っている。

 静かに起き上がり、彼の枕元に置かれた目覚まし時計を凝視する。

 六時半。私が学校に行く時に起きる時間だ。長年の習慣からか、いつの間にか目覚まし無しでもその時間に起きれるようになっていた。それは普通嬉しい事なのだろうが、私にとっては身震いがする程嫌だ。

 普遍的な生活に埋没する恐怖。そんなものを感じた。

 目覚まし時計から目を離し、男を見る。それと同時に、「普遍的な生活」はこの男によって取り上げられたことを思い出す。

 今頃母は眠い目を擦りながら二人分の弁当を作っていることだろう。兄の弁当は私よりも少しばかり豪華だ。唐揚げが一つ多かったり、デザートの果物が別に入っていたりと差別は毎日のようにあった。

 初めは不服だったが、じきに慣れた。母が愛しているのは大人びた私なんかではなく、肌を重ねた自身の息子なのだから。

 最近は随分と(やつ)れた母。もう少しすれば私が自宅に帰っていないことを知るのだろう。

 彼女はどんな反応をするか──取り乱すか、慟哭に暮れるか。或いは家出だと割り切り、ただ帰りを待つだけか。

 そんなことは目に見えている。


 暫くし、友二が起床した。

 彼は絨毯に寝転がる私を見て笑った。

 きっと凍てついたフローリングに耐え切れず、絨毯へ移ったことを察したのだろう。

「おはよう、雪絵ちゃん」

 私はまた体育座りの格好を作る。

 男は私からの返答を待っていたが、無駄だと気が付いたらしく、私から目を逸らした。

 彼はキッチンに向かい、パンと何らかの瓶とマーガリンを持ってきた。それを絨毯の上のテーブルに置き、パンにジャムを塗りたくる。

 ジャムマーガリンパンが二つ出来上がった途端、彼は口を開いた。

「食べないの?」

 腹の虫は正直だ。朝食を目の前にして、ぐう、と大きな音を響かせた。慌てて腹を押さえたため、幸いなことに男には聞こえなかったようだ。

「意地を張るのもいいけど、倒れても知らないよ」

 そう云って友二はおもむろにてらてらとピンクに光るそれを咥えた。あっという間に平らげ、皿の上にはひとつだけパンが残った。

「ご馳走様でした」

 男はついに残りのひとつに手を付ける事はなかった。

 私の為に残してくれているのだろうが、彼はあれだけの朝食で足りるのだろうか。

 そんなことを考えていると、既に彼は身支度を整え終わっていた。髪をしっかりとムースで撫で付けてはいるが、清潔な雰囲気は変わらない。一本外に出れば好印象なサラリーマンとして受け入れられるだろう。

 そんな彼が、中学一年生を誘拐した男だと知ったら皆は頑なに否定し信じないだろう。

 それ程、彼の顔立ちは整っていた。


 友二が出勤し、一人になったと同時にテーブルに走った。苺のジャムがたっぷりと塗られたパンに齧り付く。甘みが口に広がり、至福を感じた。

 指についたジャムを舐めとり、ひと息つく。

 半日ぶりの食事は、腹に住みつく虫を大いに甘やかし満足させた。

 それからはすることがなくなり、部屋を一通り物色した。私は逃走しようという気は残念ながら持ち合わせていなかったから、彼の寝た夜に窓を調べることはしなかった。だが換気の為に窓を開こうとしたら、鍵はびくともしなかった。

 どんな特殊な仕掛けが成されているかは検討も付かないが、私が彼を介さぬ限りここから出られないことは十二分に分かった。

 冷蔵庫はよく云えば、片付いている。悪く云えば、空間が多い。

 友二は必要最低限の食品しか購入しないのか──それとも金銭的に購入できないのか?──、きっちりと一日に使う分の野菜や肉しか置いていなかった。

 彼は昼食は外食だと云っていた。昼は勝手に作って食べろというとこだろう。

 部屋は几帳面なほど片付いており、埃ひとつ見当たらない。壁も真っ白で隙がない。

 我が母は煙草を吸うため、副流煙で壁やレースのカーテンが黄ばんでいることを思い出した。


 完全に手持ち無沙汰となり、その後は殆ど寝て過ごした。余程深い眠りに就いていたのか、男が帰宅したことに気が付かなかった。

 友二はどこか浮かない顔をしていたが、特に気に留めることもなく彼の用意してくれた食事に手を付けていた。

 男が風呂に入り、その後に私もシャワーを浴びた。トリートメントが無くて不満だったが、誰にも見せるわけでもないからと我慢することにした。

 友二が購入してきた子供用のパジャマに着替える。かなり少女趣味だが、文句も云えない。

 彼は今日は私の為に様々な物を用意してくれていたようだ。寝間着もそうだし、布団も出してくれた。少女漫画も一冊だけ渡され、私は嬉々として読み耽った。

 漫画を読み終わる頃には眠気が襲ぅてきた。男も気に掛けてくれたようで電気を消してくれた。

 本日何度目の就寝だろうと考えながら、布団に横になった。


 妙な物音で暗闇の中、目を覚ました。視線を音の鳴る方へ向けると、男がこちらを見ていることが分かった。

 布の擦れる音が聞こえる。そして彼の荒い息──。

 底知れぬ恐怖を感じ、無理矢理瞼を閉じる。

 だが、こんな時に限ってなかなか上手く眠れない。早く朝になることを願い、必死に睡魔を呼び寄せた。



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