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虚言の庭師  作者:
第1章
4/7

3


3

 自動販売機の灯りが見え、温かいココアを買おうと駆け寄った途端に視界は暗転した。何が起こったのかは定かではないが、良からぬことなのは確かだ。

 視界を黒いカーテンのような布で覆われ、終いには全身をすっぽりと大きなビニールで梱包されていた。ビニールはガムテープでぐるぐる巻きにされ、身体を動かすことができなかった。

 どうやら私は、誰かに運ばれているらしい。両手で私入りのビニール袋を肩で担ぐ何者かは、確実に存在する。

 うう、と低い呻き声を出すと、得体の知れない者の拳が背中に直撃した。ぐふ、と咳き込むとまた拳が飛んだ。私は殴られるのが嫌で唇を噛みながら耐えた。

 静まり返った夜は、男の足音と彼に踏み付けられる砂利の音だけが聞こえた。

 鳥の声も聞こえたような気がしたが、私の妄想かもしれないから考えないようにする。

 車のエンジンの音が聞こえた。男は一旦私を冷たいアスファルトの上に転がす。すぐにまた抱えられ、ごろりと硬い床に横たえられた。

 男が運転席に乗り込んだようで、車は音を立てて走り出した。横になった状態で感じる振動に吐き気を催したが我慢する。だが果てしなく黒く変化のない視界も手伝って、最終的には少し吐いた。

 車が止まり、私はまた男に担がれる。私が男だと断定するのは、彼がが荷物を持つように軽々と私を運ぶからだ。

 カンカン、と階段を上る音がする。鍵の音、扉が開く音。視界が塞がれ次々に響く音たちしか私には感じることができないから、自然と耳を澄ませていた。

 袋に鼻が押し付けられ呼吸がままならない。口呼吸も虚しく息が苦しくなる。嘔吐物で鼻が駄目になりそうだった。早くここから出たいとばかり考えていたような気がする。

 男が私を担ぎ直す時の身体の跳躍により、先刻の振動を思い出してまたもや戻しそうになるも何とか踏み止まった。

 不透明な黒いビニール袋から私が引き摺り出されたのは、それから間もなくのことだった。

 比較的身体の小さな私はまるで分娩されたようにビニールを滑った。饐えた畳の臭いを感じ、そこは外の世界なのだと知った。

 こちらからは薄くなり始めた後頭部が見える。目の前でビニールを小さく丸める男が、私をここへ連れてきた犯人だ。

 その腐った畳と吐瀉物が混ざった不快な臭気からなのか、男は舌打ちをした。

 男は丸まった袋を持って立ち上がり、奥の台所へと歩いていった。

 私は溜め息をつき、今いる狭い部屋を見渡す。しかし自宅と酷似した造りをしており、興味は蝋燭に着火するまでもなく途絶えた。違う所と云えばここがアパートだということだろうか。

 何処にでもあるような1LDK。私はそんな印象を受けた。

 男はいつも裸足で歩き回っているのだろう。まだ新しそうなフローリングの床は彼の足跡で汚れていた。

 男の背中しか見えないために、私はすることもなく部屋を見渡したり、移動する男の背中を追ったりと、忙しなく視線を動かしていた。

 もうかなり遅い時間なのだろう。眠気が襲い、壁に手を付けて欠伸をする。冷えた鉄筋コンクリートが触れ、思わず手を離した。

「眠い?」

 いつの間に戻って来たのか、男はフローリングの上に敷かれた絨毯に腰掛けている。絨毯の上にはテーブルや座椅子、ベッドもあった。小型のテレビも鎮座している。私が座っていたのは絨毯が届かない端だったから、足が少し冷たい。

 私が中年の男を無言で見つめていると、彼はぎこちない笑顔を作った。

「眠いなら正直に云っていいんだよ」

 男の声は不自然に抑揚があり、まるで猫撫で声を聞いているかのようで不安になる。ああいった作った感情や声には、素を隠す作用が自然と働いている。

 だから私は変に気取った声や、お世辞といったものが苦手だった。相手の心が読めないほど、こちらも心をなかなか開けないからだ。

「おじさん、誰」

 座高が高めの男を睨み付ける。

 彼は私の視線に気圧されたのか、だらしなく皺の寄ったスーツを脱ぎ、腕に掛ける。そこから水色のハンカチを取り出して汗を拭きながら云った。

「ユウジ。友達に、次で友二。ユウくんって呼んで欲しいな」

 先程の焦った顔は何処かに吹き飛んだようだ。言葉を放つ彼は既に奇妙な笑顔を浮かべていた。

 そんな男を冷ややかな目で見据えた後、私は彼に様々なことを聞いた。

 自宅の場所を教えると驚いていた。どうやら私はあの旅で、かなり遠くの方まで来ていたようだ。私の住んでいる町はS町というのだが、ここN町まで車で一時間もかかるらしい。

 確かに長いこと電車に揺られていたし、下車した後もかなりの距離を歩いた筈だ。

 何処の駅に下りたのかという質問に答えると、また彼は驚いた顔をした。その駅から私は二駅分も歩いたという。

「雪絵ちゃんは、どうしてこんな所まで来ようと思ったの?」

 先刻彼に名前を尋ねられ、素直に名乗ってしまった。まさか呼ばれることもないだろうと安易な気持ちで答えてしまったが、それは間違いだったようだ。

「別に。家が嫌いだから」

 不意に出た言葉とはいえ、得体の知れない人間に私情を喋ってしまったことの愚かさに気が付いた。口を押さえてからではもう遅い。家庭環境の悪さを伝えてしまったのは紛れもなくこの私だ。

 友次と名乗る男の目には、僅かに微笑が映った。


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