第1話 私の神様
ドン――。
心臓が、大きく跳ねた。
何気なく見渡した夕方の電車。その車内で、私はその人を見つけた。
ドアにもたれかかり、沈みゆく夕陽を背に俯く男子高校生。
ただ、それだけ。
それだけなのに、目が離せない。
さらりと流れる黒い髪、スッっと通った鼻梁。
窓の外を眺めながら、ときおり唇が小さく動く。
ヘッドフォンから流れる曲を口ずさんでいるのだろうか。
緩めたネクタイ。
そこから覗く白い首筋。
ぞくり、と背筋を甘い震えが駆け抜けた。
……誰?
他校の生徒だ。
こんなふうに誰かに目を奪われたことなんて、一度もない。
その瞬間、不意に彼が顔を上げた。
黒曜石のような瞳が、真っ直ぐ私を射抜く。
――目が合った。
全身の血液が一気に逆流する。
鼓動がうるさい。
耳の奥で、ドクドクと鳴り続ける。
やばい。
このままじゃ、私の心臓が壊れてしまう。
彼は眉間に小さく皺を寄せ、不審そうに首を傾げた。
そして、興味など一片もないと言わんばかりに、ふいっと身体ごと私へ背を向ける。
それだけの仕草。
たったそれだけで、もっと見たいと思ってしまった。
あの冷たい黒曜石の瞳に、自分を映したい。
そんな欲望が、胸の奥で静かに産声を上げる。
小さめの頭。
すらりと伸びた背筋。
男にしては細い腰。
引き締まった尻から、真っ直ぐ長く伸びる脚。
綺麗……。
その後ろ姿から、一瞬たりとも目を逸らせない。
いや、逸らしたくない。
まるで視姦するかの如く、舐めるようにその姿を隅々まで観賞する。
全部、目に焼き付ける。
――ご馳走さま。
あの日から私の世界に色が付いた。電車の中で、登校中の道で、帰宅途中の夕暮れの街角で、彼だけが色鮮やかに私の目に映る。
学校の友達であろうか、彼の名前を親しげに呼ぶ。そこから名前を知った。
「はぁ……『塚原蓮斗』様かぁ……」
たったそれだけなのに、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
名前を呼ぶ、その度に蓮斗様のお顔が思い浮かぶ。
塚原蓮斗様。
たまらない、恍惚感。
もう一度。
塚原蓮斗様。
それだけで頬が熱くなり心臓が跳ねる。自宅のベットの上で身悶えしてジタバタしてしまう自分がいた。
会いたい。1秒でも長く見ていたい。
そして蓮斗様のことを知れば知るほど、もっと知りたくなった。
好きなもの。
嫌いなもの。
笑った顔。
歩く姿。
癖。
何気ない仕草。
知ったと思えば、まだ知らないことが見つかる。
そのたびに胸がざわつく。
もっと、もっと知りたい。
蓮斗様という人を、一つ残らず知りたい。
スマホの画面を開けば、そこには蓮斗様がいる。
その姿を眺めているだけで鼓動が速くなる。
指先でそっと画面に触れる。
ただ、それだけ。
なのに満たされるどころか、心の奥はますます渇いていく。
きっと恋なんて、そんなものじゃない。
これはもっともっと欲深い感情だ。
それでも、この想いを手放したいとは、少しも思えなかった。
放課後。
少し前を歩く蓮斗様の背中を、私は今日も胸を高鳴らせながら見つめていた。
それだけで幸せだった。
視界に蓮斗様がいる。
ただ、それだけでいい――そう思っていた、その時だった。
「……え?」
蓮斗様の足元に、見たこともない紋様が浮かび上がった。
黒とも紫ともつかない、不気味な光。
ゆっくりと広がりながら地面を侵食していく。
その瞬間。
胸の奥で何かが警鐘を鳴らした。
――危ない。
違う。
違う、そうじゃない。
あれは、蓮斗様を私から奪う。
そう確信した。
考えるより先に身体が動く。
「蓮斗様っ!!」
夢中で駆け出し、必死に手を伸ばす。
あと少し。
あと少しなのに――届かない。
蓮斗様の身体が、紋様の中へと吸い込まれるように落ちていく。
「嫌ぁっ!!」
その姿が消えた瞬間、私は迷わなかった。
考える必要なんてない。
蓮斗様のいない世界に、私がいる意味なんてない。
私は躊躇なく、その紋様へ身を躍らせた。
次の瞬間。
足元から世界が消えた。
私は、どこまでも深い闇へと落ちていった。
【塚原蓮斗】
画像はChatGPTに描いてもらいました!




