【下剋上編】 第三段 将軍、たらい回しにされること
【下剋上編】 第三段 将軍、たらい回しにされること
-------------------
将軍位を追われた義材、あの男の後日談を書いておこうと思う。捕らえられた将軍というのがどうなるものか、我もこれまで見たことがなかったので、正直興味深く見ていた。
________________________________________
篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
京にて捕らえられ幽閉されし義材、程なく小豆島へ流されるとの噂立ち候えども、これを察知し、側近の手引きにて京を脱出、畠山政長の領国たる越中国へと落ち延び~~~~~
________________________________________
現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
京都で捕らえられ幽閉された義材は、間もなく小豆島へ流されるという噂が立ちましたが、これを察知して側近の手引きで京都を脱出し、畠山政長の領国である越中国へと落ち延びました。この地で義材は、亡命の身でありながら「越中公方」と称して、なお将軍であることを主張し続けているそうです。
明応7年(1498年)、義材は名を義尹と改めて、越前国の朝倉貞景を頼りました。政元との和睦を図ったとも、あるいは京都奪還のための西進だったとも噂されていますが、真意ははっきりしません。翌年、軍を率いて上洛を試みましたが、近江で六角高頼に敗れ、河内でも政元方に敗れて、ついに周防国の大内義興のもとへと落ち延びることになりました。
こうして下界には、今も京都にあって将軍の位にある義澄と、遠く西国に逃れてなお将軍を名乗り続ける義尹と、2人の「将軍」が並び立つ有様になっています。どちらが本当の将軍なのか、下界の人々の間でも、いまだにはっきりしない様子です。
________________________________________
将軍が二人いる。そう聞くと滑稽な話にも思えるが、当事者たちにとっては命がけの話なのだろう。追われた者が、それでもなお「自分こそが正統」と言い張り続ける。この執念深さを、我は哀れとも、あるいはいっそ天晴れとも思う。この先、この二人の争いがどう転ぶのか、我にはまるで見当がつかない。




