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 アルフォンスとミストルーンへの暗殺未遂事件の後、厳重な警戒態勢が敷かれるようになった。

 

 アルフォンスとミストルーンには、フローラとパミーナが、絶えず護衛として警護の任に当たり、風呂、トイレ、就寝時も、常に傍らに侍るようになった。

 

 フローラとパミーナの武芸の技倆は、アルフォンスの遙か上をいく。護衛役として、これ以上の適任者はいないが、アルフォンスは不満を漏らした。


「フローラ、トイレくらい1人で行けるよ。恥ずかしいからついて来ないでくれ」

 

 アルフォンスは回廊を歩きながらフローラに言った。


「いいえ、アルフォンス様は、トイレで滑って、頭を打って無様に死にそうなお顔をされているので、お供致します」


「どんな顔だよ! 大体、フローラは心配しすぎだ」

 

 アルフォンスが憤然とすると、フローラはメイド服の裾をつまんで、丁寧に一礼した。


「……失礼致しました。ですが、暗殺は風呂、トイレ、就寝、飲食の時がもっとも多いのです。用心するにこしたことはございません。

 ファルザード王朝の歴代の皇族の内、九人が排泄時に、7人が入浴時に、11人が就寝中に暗殺されました。

 ちなみに毒殺は25人でございます。心配するなと仰せられましても……」

 

 フローラの理知的な美貌には、危機感が満ちていた。目の前で自分の乳姉弟が、殺されかけたのだ。心配するなと言う方が無理である。そして、アルフォンスもそれが分からないほど愚鈍ではない。


「……分かった。警護してくれて、ありがとう……」

 

 アルフォンスは照れて頬をかくと、微笑して軽口を叩いた。


「でも、トイレの中は覗かないでくれよ?」


「承知いたしました。今までは覗いていましたが、これから致しません。ご安心下さい」


「覗いてたのかよ!」


◆◆◆◆


アルフォンスとフローラは、中庭に戻った。アルフォンスは、茶会の最中に中座して、トイレに行っていたのだ。

宮殿の中庭にある円卓には、豊潤な香りを放つ紅茶と、10数種類のケーキやタルトがおかれていた。

 

 春の陽射しが薄絹のように庭園を流れ、涼風が花壇の花々をゆらしている。

 

 一見すると昼下がりの穏やかなお茶会であるが、使用しているカップも、ケーキがおかれた皿も、ナイフ、フォーク、砂糖壺にいたるまで、全て銀食器である。毒殺を防ぐためだ。

 

 中庭にはベルン公国の屈強な衛兵達が、鷹よりも鋭い視線で周囲を見渡している。空気の中に漂うのは、花と紅茶とケーキの香りよりも、衛兵が放つ殺気の方が色濃い。


「おお、アル、フローラ、戻ったか」

 

 ミストルーンの口のまわりには、盛大にクリームがつけられていた。

 アルフォンスとフローラは、お待たせ致しました、と一礼して着座した。


「しかし、せっかくのお茶会なのに衛兵達が多すぎて、なんだか居心地が悪いのう。中庭が狭く感じるわい」


 ミストルーンが口のまわりについたクリームを舌と指でとった。


「申し訳ございません、殿下。なれど、殿下の御身を守るためでございますゆえ……」

 

 フローラが、ミストルーンの口についたクリームをハンカチでふきながら言った。


「うむ、それは分かるがのぉ。トイレにまでフローラやパミーナがついてくるのは、少々恥ずかしい。なんだか幼女になった気持ちになる」

 

 8歳の幼女は自分が幼女であることを否定した。自分では立派な淑女のつもりらしい。


「……す、すみま、せん……」

 

 パミーナが心底、申し訳なさそうに面を伏せた。


「あっ、いや。すまぬパミーナ! そなたを非難するつもりはなかったのじゃ。妾が悪かった忘れてくれ」

 

 ミストルーンがあわてて謝罪する。


「そもそもじゃ。これは全部シルヴァンが悪いのじゃ。パミーナは悪くないし、フローラも悪くない。そしてわらわも当然悪くない。すべてシルヴァンのせいじゃ!」

 

 銀髪の皇女は、パミーナにたいする罪悪感から責任転嫁をはかった。いささか強引な論調だが、事実であるためアルフォンス達は同調した。


「殿下の仰せの通りです。シルヴァンのせいで、どれだけの血が流れたか……」


 フローラは最早、シルヴァンに敬称を使わなかった。


「……確かに……シルヴァン殿下……が、悪いことしなければ、良かった……です、よね。……怖い人、……です……」

 

 パミーナの半神的な美貌に怯えた表情が浮かんだ。


「ああ、本当に恐ろしい御方だよ。まさか暗殺などという手段を使うとは……」

 

 アルフォンスは少女のような顔を曇らせると、胸中で呟いた。


(シルヴァンという御仁をどうやら計り損ねていたようだ……) 

 

 まさか、暗殺などという手段を使うとは思いもしなかった。シルヴァンという男は、人心や世情、後世の悪名すら畏れない人物のようだ。自らの野望のためには、いかなる残忍卑劣な手段すら、躊躇わずに行使する合理と野心の化身。敵にすれば、これほど恐ろしい相手はいない……。


 アルフォンスは、紅茶を口にふくんだ。そして思惟を続けようとした時、宰相ヴェーラとオルブラヒトの声が投ぜられ、現実に引き戻された。


「若君、一大事にございますぞ」


 オルブラヒトの逼迫した声が中庭に響く。

「どうした?」


「先程、皇帝ラスロー陛下より、若君へ、書状が届きました」

 ヴェーラの老顔は心なしか青ざめている。


「皇帝陛下から?」

 

 フローラが、翠緑の双眸に訝しげな波をゆらした。何故、南部の1領主にすぎないアルフォンス宛に皇帝の書状がくるのであろうか?


「はい。この書状は、若君のみでなく。帝国全ての貴族に配布されたそうです」


「読み上げろ」

 

 アルフォンスの声音は緊張でわずかに震えていた。ヴェーラは一礼すると皇帝ラスローの書状の封を外して黙読した。


「……こ、これは……」

 

 書状を一読したヴェーラが呻き声をあげた。顔から血の気のぬけ、身体が小刻みに震え出す。


「どうしたのだ?」


 アルフォンスが心配そうにヴェーラを見る。


「……失礼致しました。読み上げます。

『昨今の北部総督シルヴァンならびに、南部総督イリアシュの間に出来た騒擾そうじょうにたいして、裁断を下す。

 自らを正義と認められたくば、力をもってすべし。勝者のみが、自らの意を通す権利を有する。汝ら玉座を欲するならば、力をもって予に示せ。予はこの世で最も強き者を皇帝とする。

 ファルザード帝国・第五十七皇帝・ラスロー・ヘイルダム・ファルザード』……」


 ヴェーラが、皇帝の文章を読み終えた後、その場にいた全員が落雷にうたれたような衝撃を受けて佇んだ。


「……なんということだ」

 

 アルフォンスの顔貌から血の気がひいた。恐怖と困惑で全身が震え出す。


「最も強き者を皇帝にするだと……」

 

 アルフォンスは、絶望的な声を発した。

 公式な書状で、『最も強き者を皇帝にする』と、皇帝ラスローが宣告した以上、もはや戦争はさけられない。いや、皇帝ラスローは、戦争を回避するどころか奨励し、シルヴァンとイリアシュを殺し合わせるように仕向けたのだ。


(戦争がはじまる……)

 

 アルフォンスは、黒瑪瑙の瞳を碧空にむけた。未曾有の大乱が海嘯となって大陸全土を覆いつくすだろう。アルフォンスは未来に流れる大量の人血と夥しい死者の葬列を幻視し、身体を震わせた。

 

 ただ1人、書状の内容を理解できないミストルーンが、桃色の瞳に不安を宿して、そっとアルフォンスの服をつまんだ。



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