3.3
翌日の昼休み、第二コンピュータ部の面々とその友人達は談笑しながら持ち込んだ大きな段ボール箱に漫画やゲーム機を詰め込んでいた。
第二コンピュータ部の廃部を惜しむ、ゲームや漫画をよく借りに来ていた多くの暇人たちが、彼らに同情の言葉をかけた後も作業を手伝ってくれた。ゴミ箱から溢れる菓子の袋や鼻をかんだちり紙をゴミ袋に押し込みながら、了一は一年半過ごした部室が無くなることをようやく実感した。
それでも、彼は暗い顔をせずに友人達と笑いながら馬鹿な冗談を言い合う。彼ができることといえば、それぐらいしかなかった。
漫画とゲームは持ち主がある程度はっきりしていたので、本人の元に返却することに大した手間はかからなかった。一番の問題は大きなブラウン管テレビで、部室で作業をする人にだれか欲しい人はいないかと桜が呼びかけたが、大きすぎるそれを誰も引き取ろうとしなかった。
結局、隣の水泳部に無理やり寄付することになった。
「悪いね、手伝ってもらって」
桜が、部員ではない彼らの友人達に謝辞を述べる。
「別にいいよ。暇な時に遊ばせてもらったから、これぐらいはするよ」
短髪の男子学生の言葉に、その場にいた友人達が全面的に同意した。それを見た了一は、この部活も案外好かれていたんだな、とほんの少し嬉しくなった。
三十分ほど作業して部屋の物もあらかた梱包し終えた時、部屋の扉が誰かにノックされた。了一は小田がまた見下した態度で嫌味と笑えない皮肉を振り撒きに来たのかと思い、その扉を睨みつけた。桜も彼と同じ気持ちを抱えながら、できるだけ明るい声で開いてますよ、と告げた。
だから、部屋の扉を開けたのが学生課に勤務する人の良いことで有名な青年だとわかると、部屋にいる者は皆拍子抜けしてしまった。
「えっと、第二コンピュータ部の方々ですよね?部長の七原さんはいますか?」
彼は不思議そうに頭を掻きながら桜を呼んだ。
「七原は僕ですけど……何かあったんですか?」
「何かあったというよりは、何もなかったと言った方が正しいですね、うん」
「と、言いますと?」
桜はドアの前に立つ男が喉に小骨が引っ掛かったような曖昧な事を口にするので、詳細の説明を促した。すると学生課の彼は、突然部屋にいる全ての人たちに対して深々と頭を下げた。
「すいません!廃部するのは第三コンピューター研究部でしたっ!」
「第三って……そんなのあったのかよ!」
了一が思わず大声を張り上げ、ベタな突っ込みを入れる。
「あぁ、それは一年生が今年立ち上げた部活で、何でも夏休みの間に学内のインターネット回線を不正利用したとか何とか……」
彼はおどおどしながらも必死に第三コンピュータ部の説明を始めたが、誰ひとりそんなものは聞いていなかった。彼らはただ、安堵と喜びの表情を浮かべていた。
その夜、段ボールが積まれたままの部室では深夜まで飲み会が開かれた。学生課も、彼らの大声には目を瞑っていてくれた。
ソファーで横になっていた了一の鼻に、台所からケーキの甘い香りが漂ってきた。
暫く寝ていたらしく、壁に掛けられた時計の短針が一目盛り進んでいる。彼はソファーから立ちあがり、体を伸ばして大きなあくびをした。
「あ、おはようございますリョーイチさん。出来上がる頃に起きるとは相変わらずいい度胸をしてますね」
仮眠から目覚めた了一に、ケイは相変わらず辛辣な言葉をかけた。いつもと変わらない彼女の反応が、夢から覚めたことを思い出させた。もっとも夢の内容などすでに忘れていたが。
「うるさいなぁ……若葉ちゃん、ケーキはできた?」
ケイと話しているとさらに酷い事を言われそうだったので、了一は台所でこげ茶色のクリームをスポンジに楽しそうに塗りつけている若葉に話しかけた。
「ハイ、今ちょうどイチゴをのせるところですなんですよ」
彼女の口元には、ケーキに塗られたクリームと同じものが頬についていた。どうやら、味の保証はされているらしい。
「チョコクリームか……美味しそうだな。よし、折角だから俺が気合いを入れてコーヒーを淹れよう」
流石に何も仕事をしないままケーキにありつくわけにはいかなかったので、了一は自分にできそうな仕事を見つけ、コーヒー用のケトルに水を入れ、ガス代の上に置き火をかけた。
「あ、私苦いのはちょっと……」
ただブラックコーヒーは甘党の彼女には好ましくなかったらしく、笑いで誤魔化しながら了一に遠慮をした。
「大丈夫。牛乳もあるからコーヒー牛乳も作れるよ」
「あ、それお願いします!」
「りょーかいしました、隊長殿」
彼はふざけた口調で若葉をからかいながら、冷蔵庫から一リットルパックの牛乳を取り出した。大きなマグカップを食器棚から取り出し、ガムシロップ二つ、コップ半分の牛乳の順番で注いで行く。
「リョーイチさん、私には何かないんですか?」
若葉と一緒にケーキの飾り付けをしていたケイが、了一に飲み物を催促した。
「何かって……お前が口から摂取できるのはオイルだけだろ」
「それぐらいわかってます。だから早く持ってきて下さい」
「わかったよ、仕方ないなぁ」
頑として態度を変えないケイに、了一はあっさり折れてしまった。
普段とまるっきり立場が逆だなと笑いながら、了一は作業場にオイルを取りに入って行った。散らかった部屋を見回し、目当ての物を探す。アルミ棚の一番上に置かれた大きな四リットル缶を手に取ると、甘い匂いが漂う食卓に戻った。
「ホラ、持ってきたぞ」
ドン、という鈍い音と一緒に、オイルの缶が食卓の上に置かれた。それを見て、若葉は思わず苦笑いを浮かべた。
「まさかその大きな缶に直接口をつけて飲めという気ですか?」
ケイは一瞬眉をひそめると、早速了一に抗議を開始した。
「いちいち細かいな、お前は……」
彼は文句を言いながらも食器棚から汚れてもいいようなコップを探す。
「私はそのコーヒーカップがいいと思います」
しかし、ケイが指さしたのはアルミのマグカップではなく了一自慢の高価なコーヒーカップだった。
「油汚れでひどい事になるぞ?」
「私が洗うからいいじゃないですか」
「はいはい……」
四リットル缶の口を開け、真っ白なコーヒーカップに琥珀色の液体を注いでいく。色だけ見れば新手のお茶に見えなくもなかったが、その匂いは自分がオイルであることを主張し続けていた。
換気のために窓をすこし開け、了一はコーヒーを淹れ始めた。ケーキとオイルに負けないように、コーヒー豆も自身の香りを醸し始める。
台所に設えられた小さな窓から空を見上げる。
相変わらず、白い太陽が輝いていた。