8-7. 返事
月夜の告白の、お返事回です。
「ソユン様のことを、お慕いしております……」
メイメイは、目の前の美しい人に、そう告げた。
きっと、初めて会った時にかき消したはずの淡い憧れは、こうして芽吹く運命だったんだろう。
人付き合いがとびきり苦手な彼女にとって、誰かにもう一度会いたいと望むこと自体、とても珍しいことだった。
そんな彼女が再会を夢みるだけでは終わらせず、必死に追い続けてきた結果、細々とした付き合いはなんとか途切れず今に至る。
その間にしぶとく根づき、今メイメイの中で開花した遅咲きの恋心は、それを言葉にする勇気を彼女に与えた。
「……ありがとう、すごく嬉しいよ」
自分を奮い立たせて伝えた想い。
それに応じたのは、いつも通りの穏やかな表情と、柔らかな声だった。
この告白が躱されてしまうかもという一抹の不安が胸をかすめる。
しかしその予感に反して、ソユンは思わぬ言葉を続けた。
「ただ君も知っての通り、僕は誰か特定の一人と、……どう言えばいいかな、添い遂げることを念頭に置いた付き合い方はしてこなかった。赤毛ちゃんはそういうのをよしとする性格ではないと思っていたけれど。……君は、僕とどうなりたい?」
少し考え込むように口元に指を添え、言葉を選びながらも、彼はメイメイに選択肢を与えたのだ。
予想外の展開に、思わず目を瞠る。
――想いを告げて終わるのではなく、その先を夢見てもいいのなら。
「もっ、もし可能なら! ソユン様と今よりもっと踏み込んだ、……えっと。だから、その……。いわゆる、特別で深まった仲になりたいといいますか……!」
「……男女のお付き合いということなのかな。合ってる?」
少し婉曲に逃げたメイメイの言葉を要約されると、さすがに居た堪れなさが込み上げてくる。
しかし、ソユンはただメイメイの気持ちを真摯に確認しようとしてくれている――現に今のソユンは、まるで悩める部下を教え導くしっかり者の上司のような顔をしてメイメイを見守っている――この状況でそんな色気のない表情をされるのも乙女として微妙なところだが――のだから、今は考えをできるだけ率直に伝えたい。
「はいっ……!」
しかし返事をしてから思ったが、おそらく彼のこれまでの相手はみんな美しく、地位と教養のあるすばらしい人たちだっただろう。
勢いのままでいられたらよかったのに、少し冷静になって考えると、途端に気が弱くなっていく。
メイメイは手を胸の前でふるふると振り、言い訳がましく言い足した。
「もちろんっ、これまでソユン様が親しくされていた綺麗な女の人たちとはきっと比べ物にならないという自覚はあります! なので、こんなちんちくりんには、いわゆるし……親密な触れ合い、なんて想像もできないですよね……?」
「誰かと比べたりしないし、赤毛ちゃんはとても可愛いよ。確かにそういう目で見たことはないけれど……」
「や、やっぱり! ……わたし相手では、そういう気にはならないですよ、ね……」
ひたすら気を遣わせて申し訳ない限りである。
とうとう目まで潤んできて、メイメイはついソユンの言葉を遮るように声を上げてしまった。
そんな彼女の様子に、彼は柳眉をほんのり下げて問いかけてくる。
「考えたことがなかっただけで、変な含みはないんだよ。ただ……、うーん、まず確認なんだけれど、赤毛ちゃんはどんな"親密な触れ合い"を想定しているんだろう?」
「ゔっ! あ、それは……。その、例えば、口づけ……とか」
一気に手汗がにじんできた。
うっすら滲んだ涙すらさっと霧散したような気がする。
清純な相手に、不埒なことを考える悪者にでもなった気分だ。
メイメイにだって、下心がないわけでもないから。
「だからといって、強要するつもりはないんですっ……! いや、確かに憧れはありますがっ! でも、でも本当に、お嫌なら全然っ……」
咄嗟に立ち上がり、身振り手振りを使って言い訳がましいことを口にする。
先ほどまでの閑静な夜の雰囲気なんて、吹き飛んでしまうくらいの動転っぷりである。
「いやじゃないよ。なんなら今もできるし」
「ん゙っ!?」
そんな彼女に、投げかけられた言葉の威力はとてつもなく。
さすがに月明かりの下でも分かってしまうくらい、顔の火照りがすごいことになっている気がするメイメイである。
「ふふ、どうしようか? 今試してみる?」
つん、と唇に指を当てる様子は艶めかしい。
それでいていたずらっぽくもある表情は、メイメイの混乱をちょっとした茶目っ気で解してくれようとする意図を感じる。
おかげで先ほど少し卑屈になっていた心は和らいだが、それはそれ、これはこれだ。
(経験値……、経験値が圧倒的に足りないっ……!! これ、目を瞑って待っていていいやつ!? わ、わたしもまだ心の準備がっ……)
メイメイが年頃の乙女らしくぽっぽと頬を赤らめる前で、年齢が三つしか変わらないはずの彼はさらりと表情を改めて話を続ける。
「そもそも、僕も君のことは好きだよ。君に何かあったら嫌だと思うし、いないと少し寂しい」
滑らかな声が紡ぐ、その言葉はメイメイの心を擽った。
(……ソユン様って本当に、わたしのことを気に入ってくれていた、のかな)
メイメイはソユンと、どんな未来を描きたいのだろう。
以前はただ親しくなりたかった。
今は少し欲が出て、思いを告げたくなった。
それでは、これからは――?
ソユンの優先順位は、以前言っていたように王子が不動の頂点だろう。
それでも、もしかすると女性との付き合い方は、少しずつ変わっていくかもしれない。
いつかメイメイが、特別な一人になれるのかもしれない。
そんな期待を持ってしまうと、いずれそれが外れたときに味わう苦しさはいっとう強いだろう。
しかし、この好機を逃すくらいなら、メイメイはソユンの横に立つ未来を夢みていたいと思った。
もう一度その場に両膝をついて座り直し、拳を握りしめる。
「では……」
声が籠もって、咳払いをした。
「では、わたしを、ソユン様の恋人にしてください……」
慎重に思いを込めて、ソユンの目を見つめる。
優しく凪いで、メイメイを温かく見守る曇り空の瞳。
(いつかそこに、少しでも熱が灯るといいな……)
「いいよ、これからよろしくね」
ソユンは穏やかに了承した。
気づけば月は真上に昇り、廊下も暗くなっていた。
「よし、今日はもう遅いし、身体が冷えてしまってもいけない。細かいことはまた明日話そうか?」
つと空を見上げたソユンがぽんと手を合わせて立ち上がり、優しく提案する。
「はっ、はい! それがいいと思います……!」
メイメイもこくりと頷き同意した。
これ以上は考える余力がない。
諸々、ゆっくり考える時間が必要だ。
ソユンが履物を脱いで廊下に上がってきたので、メイメイも膝を伸ばして立つ。
「部屋まで一緒に行こうか」
そのまま客間まで、とりとめのないことを話しながら、二人並んで歩く。
メイメイはソユンの横顔を眺めながら、夢見心地で相槌を打った。
(こんなにきれいでお優しいソユン様と、わたしが、付き合う……? ソユン様っていいよって言ってくれたんだっけ……。寝て覚めたら夢だったとかにならないかな……)
来るまではもう少し長く感じた道のりも、ソユンと一緒に戻るとあっという間で。
到着してしまった客間の前にて、メイメイはやり場のない手で寝衣の紐をにぎにぎしながら別れを惜しんだ。
「こっ、ここまで送ってくださって、ありがとうございました! それに、今日は、あの……、色々としていただき……。それと、えっと……」
つい恥じらいから下になっていた視線をえいっと持ち上げると、ソユンのことを見つめて精一杯の笑顔を向ける。
「そ、それでは……。その、おっ、おやすみなさいっ、ソユン様! また、明日……っ!」
そういえばこんな言葉は、お泊りの時でないと言わない。
そんな実感にむずがゆくなりながら、メイメイははにかんでお辞儀をした。
「おやすみ、……」
応じたソユンは、ふと何かを思いついた顔をして、寝衣の腰から長く垂れた紐を手ですくい上げる。
そうしてその端に軽く口づけを落とすと、澄ました猫のような表情で微笑んだ。
「僕の恋人さん」
「うわあ……わあ、う、うう……っ!」
やたら手触りのいい絹の掛け布団に潜り込みながら、メイメイは呻いた。
鼓動が耳の中で響いてうるさいし、夜風にさらされたはずの身体はとても熱い。
じたばたしたくなる衝動は、どれをとっても高価そうな寝具を意識することでなんとか収める。
こんなに鮮烈で制御できない嵐みたいな気持ちは、本には書いていなかった。
甘酸っぱくて、きゃっきゃと楽しめるものではなかったのか、恋というものは。
(わ、わたし、今からこんなんで、ソユン様のこ、こ、恋人やっていけるかな……!?)
メイメイは幾ばくの不安と身体に収まりきらない高揚を抱え、空が明らむ少し前にようやく眠りに落ちた。
ちなみにソユンも珍しくわりと驚いています。
なので最初の方はちょっと反応が鈍いです。




