1-3. 見習い女官、運命の出会い(仮)を果たす
次の話でようやくメインの登場人物たちがちゃんと会話するようになると思います…!
少しでも楽しくお読みいただければ嬉しいです!
そして今日は、廷内の見学、および衣服に関する実務習得の日である。たぶん。
使用人棟は業務内容ごとに散在している。
今日は、今まで過ごした控えの間のある使用人棟から一番遠い棟へ向かう、らしい。
自信がないのは、今余裕がなくて、頭が真っ白になりつつあるから。
「ここから先が、一般女官が使える通路よ。その横の廊下は高貴な方専用だから使用禁止なの。見た目が違うから覚えやすいと思うけど、まずは私たちに許された通路を教えていくわね。……狭いから気をつけて」
「………ふ、ふう、なんだかここまで、やたらと人が多くて……、通り抜けるの、大変、だった……。はぁ、そろそろ人は減ってくる……かな……」
「メイメイ、大丈夫? この先はもっと人が多そうだけど」
「えっ」
「みんな、あの灰色の塀の近くに黒い塔が見えるでしょう? そこを目印に向かっていくと、塀の外側に二階建ての建物があるわ。 それが今日の目的地の洗濯小屋。 小屋というわりには大きくてしっかりした建物よ。 何度か地図でも見せた通り、いつもの控えの間から一番遠い場所だから、……頑張りましょう!」
「は、はーい……!」
「…………はぁい……」
宮廷は常に人でひしめき合っている。
王族、高官、そして訪れた高位貴族が通る専用通路は広く整然としていて、調度品なんかも飾ってあるそうだ。
実に優雅である。
対する使用人は官位によって多少の差こそあれ、遠回りで少し幅の狭い裏道を行き交うことになる。
そして、その人数は先ほどの専用通路を使う人たちよりも多い。
混雑は避けようもなく、今メイメイがいるこの道も、たいへん雑然としている。
長い長い通路の両脇にはいくつも扉があり、そこからの人の出入りも忙しない。
そんな状況なので、一緒に先輩の後ろを歩いていた同僚にも振り返って心配される始末だったが、メイメイは人を避けて歩くので精一杯。
人混みを避けて過ごしてきたツケが回ったのか、先を歩くみんなのようにすいすいと進むことが、メイメイにはとても難しかった。
汗をかきかき、必死の形相で最後尾を歩いていく。
(ふ、ふふふ。私が大出世してこの道を使わずに済むようになるのが早いか、それともこんな道にも慣れるようになるのが早いか、悩ましいところね……。どちらとも叶う日が、意外とすぐ来ちゃったりして、ふふふ……)
出世も慣れもせず、ひっそり宮廷を去る確率の方が高い気がするが、メイメイはそんな不穏な予想をするのをやめておくことにした。
大変な状況だからこそ、現実逃避だ。
できる女になった自分の妄想を楽しむくらいは許されるだろう。
ーーそんなとりとめのないことを考えて気もそぞろだったせいであろうか、メイメイが一人で困難に立ち向かう羽目になったのは。
「わっ」
ふと、先輩女官と自分の間に人が横切ったのだ。
「お、おっと」
さらに、持っていた荷物がすれ違う人と人の間に挟まり、体をくいっと引かれてよろめいた。
(あ、まずいーーー)
そんな数瞬の間のうちに、メイメイは先輩たちを見失ってしまった。
見慣れない場所、苦手な人混みの中、さっそくはぐれてしまったのである。
「あ、はは。迷子になるなんて初めてだなぁ、なんて。はは、………ど、どうしよう…………」
冷や汗が背中を伝う。
知らない場所での単独行動、これはたぶんメイメイがいちばん苦手なやつかもしれない。
「と、とりあえず落ち着いて。確か、塀とか塔とかを目印にって言ってたよね……。あれかな……」
誰に言うでもなくぶつぶつと呟いて通路の側面にあるくり抜き窓を覗くと、ちょうど遠目に長くのびる黒い塀が見えた。
ただの背の高い建物か、それとも塔なのかは判別がつかないが、その奥になんとなく細長い建物もある気がする。
しかし、宮廷には塀で囲まれた区画や用途の異なる塔がいくつも存在する。
そのため、あれが正しい目印なのか、メイメイには判断がつかない。
混乱したメイメイには、先輩の言葉をきっちり心に留めておく余裕がなかったのだ。
「わわっ」
「おっと、ごめんね!」
「あ、大丈夫で………行っちゃった……」
どうしたものかと立ち止まっていると、後ろからメイメイを追い抜いた人と肩がぶつかった。
お構いなくと手を振ってみたところで、相手はもう遠くに行ってしまっている。
大勢の人が足早に行き交うここでぼんやりしていると、人の行き来の妨げになってしまうようだ。
周囲の人に道を聞けたらいいのだが、メイメイは初対面の忙しそうでお固い雰囲気の人たちに自分から話しかける勇気はない。
となると、とにかく進んでみて、いち早くみんなと合流するしかあるまい。
(初めに言われた目的地はかなり遠くにあった気がするから、とりあえず急がなくちゃ……)
「…………ここはどこ」
自力でたどり着いてみせるという最初の判断は、大きな間違いだったのだろう。
いつまで経っても、分岐ばかりの通路をうろうろし続けてしまっている。
もしかすると、同じ道を何度も巡っているのかもしれない。
(というか!いちいち廊下が長すぎるし、隙間からこうして外を見ても草木ばかりで目印が分かりづらいし、あちこちにある扉も変わり映えないくせに場所を表記してないのがいけない気がする! 壁が邪魔で日も差さないから方角もよく分からないし、もう、なんでこんな道になっているの……)
表を通る高貴な人たちが過ごしやすいように、こうして裏道が複雑な遠回りになっているというのは理解しているのだが、今この瞬間に関して言えばもうこの裏道のすべてに納得いかない気持ちで、何だかむしゃくしゃし始めた。
迷子初心者のメイメイは、とりあえず適当に角を曲がってみたり、人が少なく通りやすい通路に進んでいったりと、運任せの一向にたどり着かない冒険に心の余裕を奪われていたのである。
そんな焦燥ともどかしさが、メイメイをちょっと軽はずみにした。
そう、邪魔な横の板壁を、八つ当たりにえいっと押してみたのだ。
壁なんてこうやって取っ払えたら楽だよね、という茶目っ気のようなものだ。
それなのにーーー
「え、うそ…………」
ぱこっと軽快な音と共に視界は一気に開けて、目の前にはきれいに整えられた草木や、黒塗りの塀に囲まれた建物群。
そう、壁板の一枚がメイメイによって押しのけられ、板と彼女が一緒に廊下の外側に転がりでてしまったのだ。
すごい腕力で壁をぶち抜いたみたいな状況だが、運がいいのか悪いのか、ちょうどその一枚だけ接合が弱くなっていたのかもしれない。
そして、その板はメイメイがぎりぎり通り抜けられるほどの幅だった。
嘘みたいな展開に、諸々経験不足のメイメイは混乱していた。
そんな彼女は、もつれるように外に放り出されて瞬きを一回する間呆然とした後、くるりと振り返って板をむんずと掴むと、考える前に勢いよく元の位置には嵌め込んだ。
それがまた冗談のようにかぽっと嵌って、元通りに。
これで器物破損だとかそんな大ごとにはならない。
ざわめく声も聞こえないので、きっと目撃もされていなかったに違いない。問題なし。
メイメイが外にいるから漏れ聞こえていないだけかもだとか、そんなことは今は考えないでいいことにする。
若干錯乱気味のメイメイには、些末なこと。
周りを見ずにその場から走り去ったのは、急いでいるからであって、逃げようとしたわけではないのだ。
(……よし、後はもう、いい感じの最短経路を見つけて、何食わぬ顔をして合流すればいいだけ!むしろ外に出た方が近道になって、みんなより早く着いてしまうかもしれないんじゃない?)
都合のいい想像をしてほくそ笑むメイメイは、仕切り直しにぱっと前を向いた。
しかしながらここで、彼女の追い風ともいえる束の間の強気状態は勢いを弱める。
なぜならば、そこには似たような美しい建物が立ち並び、先程目印にしようとした尖塔のようなものも見当たらなかったからだ。
つまり、手がかりが、何もない。
周りは高い塀に囲まれていて、たとえこの塀の外に行きたい場所があるのだとしても、どうやって出ていけばいいのか検討もつかない。
今回は丈夫な石造りの壁だから、押しても無理。
それに先輩が言っていた建物の特徴をちゃんと覚えていなかったせいで、向かうべき目的地のあたりすら付けられない。
壁抜けという想定外の状況に見舞われ、メイメイはかえって本格的な迷子に陥ってしまったのであった。
とりあえず近場にある建物のどれかに入ってみようかとも考えたが、空室だったらまだしも偉い人が仕事をしているところにうっかり押し入ってしまうといけない。
建物の外をうろついて通行人に助けを求めた方が、はるかにいいだろう。
だから誰かいないかと様子を窺いひそひそと建物の外を歩き回ったのに、人がまるで通らない。
メイメイはただただ立ち尽くし、途方に暮れてしまった。
みんなとはぐれてからどれくらい経過したか分からないが、きっともうとっくに到着してしまっているんだろうという気にもなってきた。
そう弱気になってくよくよと俯いたところで、誇らしげにメイメイを見送ってくれた両親の顔が脳裏に浮かんだ。
メイメイがなんとかやっているようだと分かって喜ぶ彼らの手紙も。
『メイメイなら、きっとうまくやれると信じていたよ』
『初めてのことだらけで緊張するとは思うけど、メイメイは絶対に大丈夫よ』
(……そうだ、せっかくお父さんやお母さんに応援されてはるばる王都まで来たんだから、ここで挫けるわけにはいかない……!まずは落ち着いて……)
短時間で感情の起伏がなんとも激しいメイメイだが、どうにか自分を奮い立たせると、そそくさと目についた軒下に身を潜めることにした。
立ち入ってはいけない部屋に入るのはよくないが、かと言ってこのまま外にいるにしても、さっきから威圧感のある壁や建物に無駄に緊張させられていたので、せめてどこかに隠れたかったのだ。
ありがたいことに、立ち並ぶ建物群から少し離れた比較的地味な建屋を見つけられ、その軒下でメイメイはようやく一息つくことができた。
そしてついでに、愚痴を独りごちる気力まで湧いてきた。
「せめてここに来るまでに、あまりにも人がいないとか静かすぎるとか、そういう異変には気づいてもよくない? 何を考えていたらこんなところで一人ぼっちになるんだメイメイ……。 ひたすらだだっ広い敷地なのに、鳥の鳴き声と風のそよぐ音しか聞こえないってどういうことなの? ………はぁ、現実はなんてままならない! こういう時小説ならーーー」
「……ねえ、そこの赤毛の娘」
情けない顔で頭を抱え、呪詛のようにぶつぶつと呟いていると、背中越しに救世主の美しい声が。
振り返ると、そこにいたのはその綺麗な声に引けを取らないほど眉目秀麗な青年。
ーー恋の始まりか、はたまた運命の出会いか。
その瞬間は状況も忘れ、現れたその姿に目も離せなくなる。
それがメイメイと青年の、不思議な縁の始まりであった。




