7-4 大人になった王族たち
前回の月見酒シーンの続きです!
話は、この幼馴染が部屋に来た時まで遡る。
「殿下、お寛ぎのところ申し訳ございません。少しお聞きしたいことが……」
「そなたならばいつでも構わない、入れ」
「失礼します」
私生活でも礼儀作法を殊更に大切にする男が、彼にしては少しおざなりに入室してきたので、ジフンは新鮮な気持ちでそれを眺めた。
身体を起こして盃に浮かぶ月を飲み干すと、向かいの椅子へ座るよう促す。
「今宵は月が見事だ。酒でもどうかと勧めたいところだが、そんな気分でもなさそうだな。まあ、注いでやるから気が乗れば呑むといい」
「殿下にご用意いただいたものなら、ありがたく頂戴します」
盃を片手にからかうと、律儀に礼を言って受け取るものだから、機嫌を損ねると知りながらもつい吹き出してしまう。
案の定、仄かに恨めしげな表情を向けてきたので、なおさら可笑しくなった。
しばらくはまた横たわってのらりくらりと過ごしたが、今までになくもどかしげな男を見て、話の主導を譲ることにする。
目の前の美しい男は、僅かに唇を噛んで一瞬言いよどんだが、気を取り直して口を開いた。
「殿下、事実無根の噂を耳にいたしました。よくよく辿ると出処はあなたのようだ。それに、男娼も手配したと?」
「お前に隠れて企んでいたというのに、ずいぶんと耳が早いな」
――――王子は男色家で、女には性的不能である。
密かに流した噂は、以前耳にした、ソユンとの仲を勘ぐる役人どもの会話から発想を得た。
ジフンが男と恋仲になるのは、それほど荒唐無稽な話ではないらしい。
(子を成す見込みが失われれば、王としての素質もなくなる。あとは信憑性を高めればいいだけだ)
この優秀な男には、どうせ隠し通せてもあと数日といったところだった。
肯定すると、極端な行動をなさる前に気づくべきでしたと呟かれた。
ジフンを責めもせず、その声はただ悔恨に塗れている。
自分がそうさせているにも関わらず、表情が翳るのをどうにかしてやりたくなって、ジフンは努めて軽く応えた。
「手っ取り早くあいつらを黙らせる手段だ。この程度のことで減るものは何もない」
「このような真似をあなたにさせてしまったのが心苦しいのです」
そう言って目を伏せる姿はひどく労しい。思わず身を乗り出し、慰めるようにソユンの肩に軽く触れた。
「いつも言っているが、そなたは俺のことに関しては気にしすぎだ。そんなに繊細な性格でないことくらい、知っているだろう?」
「お強い殿下でも、これではいずれ心を摩耗させてしまいます。それをただ見ていることしかできない、無能な側近にはなりたくないものですが」
ジフンを大切に想うソユンがいるから、心が折れることは決してない。これからもずっと側にいてくれれば、それだけでいい。
(それでもソユンは、俺のために頭を悩ませ続けるのだろう……)
肩に置いていた手を頬に持って行き、哀しげな目尻を優しくなぞる。こちらの意図を探るように持ち上がった眼差しは、柔らかい。
やはり少しは疲弊していたらしい心が、少し揺らいだ。
「……だったら、そなたが協力してくれればいい」
艷やかな香色の髪を括る紐をほどき、手慰めにすいてみる。繊細な絹糸が、さらりと手から零れた。
その拍子に漂ったのは、自分が送った香だろう。
似合うと思って作らせた袍は要所要所でその身を包み、共に楽しみたいと取り寄せた珍かな菓子はその表情を華やかに綻ばせる。
その様を改めて意識すると、心の奥がくすぐられるような、満たされるような心地になった。
信頼、親愛、そういう単純明快で、しかしながら最も代えがたい何か。
今のような状況が続くのならば、いずれ、ごまかしは通用しなくなる。
側に置くのはソユンだけ。昔からそう決めていた。
家族のような幼馴染、可愛い弟分、何より信頼する優秀な側近。
その多様な関係性の中にひとつ、新たな結びつきが増えたとしても、自分も、この男自身でさえ、損なわれることはないだろう。
確信めいた予感が頭を過ぎった。
「そなたとなら、俺は俺のままでいられる気がするから」
◇ ◇ ◇
そうして一年経つ頃には、ジフンの元に令嬢の姿絵が届くことはなくなった。
諦めの悪い者は養子を打診してくることもあったが、断ればしつこく食い下がることもなかった。
当初の目的は無事達成したのに、今宵も空がいちばん暗く濃くなる時頃に、睦み合いめいたことをした。
ただくつろいで盃を交わしていたはずなのに、自然とそれは始まったのだ。
やがて、空がまた少し明るむ。
昨日の軍事演習で気になることがあったのだと、主が起き上がって枕元の文机に向かう。
肘掛けに身体を預け、ソユンはそれを緩慢に眺めた。
昼に二人で机に向かい合って筆を執る、そんな感覚と変わらない日常の一頁。
かすかな睡魔に身を委ねながら目を伏せて、ひととき、紙と筆記具の立てる音を聞き入った。
さらさら、かさり。
その音が不意に止まる。視線を上げると、こちらを見ていた主と目が合う。
何か悩んでいるような、言いあぐねているような、そんな風だ。
「ジフン様、いかがされましたか」
不思議に思い声を掛けると、いや、と一度呟いて、口をつぐむ。
そして、つと視線をそらして続けられた。
「そなたに、……いわゆる恋慕の情は、抱いていないのだと、思う」
発言の内容もさながら、その戸惑ったような話し方は常にないもので、ソユンは思わず身を起こす。
「ただ、そなたが最も近しいところにいると実感できるから、肌を重ねるのは心地いい」
そこまで言って一度言葉を切ると、美しいぬばたまの髪をくしゃりとかき混ぜた。
ソユンは静かに続きを待つ。
しばらく視線は逸らされたままであったが、一度息を吐き出すと、またそのまっすぐな光が向けられた。
「結果は出たのだから、そなたが厭うならやめてもいい。俺は変わらず他の者をそばに置く気はないが、もし好いた者ができたとてそれを止めはしない」
先日ソユンの実家へ正式に打診された縁談について、耳にしたのかもしれない。
その令嬢は以前からソユンへの想いを公言していたし、家格も近く、ソユンが結婚するのであればちょうどいい相手だった。
ソユンの主は、その現実味を帯びた婚姻の話に思うところがあったのだろうか。
「……貴方が少しでも安らぐのならば、何でもしたい。それが私に起因することなら、望外の喜びです。厭うことなどありません」
きっぱりと告げたソユンに、ジフンが目を和らげた。
――ソユンは、主がそうやって優しく笑う顔が好きだった。
それが見られるなら、何であっても喜んで受け入れるだろう。
「健気なことを言ってくれるな、ソユン。俺はそなたのそういう一心な態度が、どうにもいじらしく感じてならないんだ」
「仰る通り、私の献身はひとえにあなたへ捧げられたものですので、かわいく思ってくださるのならご自身をもっと大切になさってください」
瞳に親愛を乗せて微笑まれた凛々しい武人は、表では見せないほど柔らかな表情で大切な幼馴染に覆いかぶさった。
仰向けになった美しい側近は主を見上げ、その曇り空の瞳を和ませる。
二人の間には、当人たちにも名付けられずにいる、無防備で、大切なもので満たされていた。
そうして今日も、二人の夜は更けていく。
過去編はこれで終わり、次回からは現在のメイメイに視点が戻る予定です。




