ex-story1【新堂 紗耶香】南の島の大王は。
本編は完結しましたが各主要キャラに迫るスピンオフです。
今回は記者、新堂紗耶香。彼女が競馬記者となった経緯は? 何故リブライトと加賀のコンビを追いかける事にしたのか? その部分を描いたストーリーです。
作者的にはいつか、キンカメ3×4の活躍が見てみたい。
私が幼い頃、住んでいた家は東京・府中競馬場の近くにあった。
といっても別に両親は競馬関係者だったわけでもない『ごく一般的な家庭』で、普段は近くの幼稚園に通って同性の友達とお姫様ごっこみたいなことをして遊んでいたのだが、日曜日だけは両親とその競馬場へ足を運ぶことが毎週の習慣だったのは覚えている。
「きょおもかめはめは大王ちゃん、つよかったねぇ」
「そうねぇ。強くてカッコ良くて可愛いなんて、ホントに無敵よね」
「よーし! じゃあ紗耶香も大きくなったら騎手になって、カメハメハダイオーみたいな馬で大きなレースに出ちゃうか!?」
その頃の私が特に好きだったのは圧倒的な強さで2つの3歳G1を一気に制してしまったカメハメハダイオー。母が歌ってくれた童謡にでてくる王様と同じ名前なのもあって、すごくキラキラして見えていたからだ。
「みなみの~島の大王は~ その名も偉大なカメハメハ~♪」
そしてレースを見た後、両親と手を繋いで歌いながら歩く家までの帰り道がいつもよりキラキラしていた事も、今でも何となく思い出す良かった頃の記憶の1つだ。
その後、父の転勤に伴って競馬場の無い地方都市に引っ越した私は段々と大人に近付くにつれ、次々と現れる目新しい事に次々に心を奪われていき、競馬の事は段々と忘れていった。
母と父は日曜日、TVでメインレースを観戦しながらカメハメハ大王の仔が出ていた時には教えてくれていたが私はもう、新しい事に興味が移ってしまっていたのだ。
そんな私がもう一度、競馬の世界に連れ戻されたのは社会人3年目。都内の『有名ではない大学』を出て何とか就職できた出版社で『マイナーな男性向けファッション誌の編集』を3年間務めた後だった。
「新堂! お前、子供の頃競馬見てたって言ってたよな?」
「え? ええ。家族で幼稚園の頃、観に行っていた程度でしたけど」
てっきり次号紙面の特集コーナーで競馬場について何か書かされたり、取材に行かされたりする程度の用件かと思って素直に答えたのだがその翌日、連れて行かれたのは社内の別部署で発行している競馬専門紙の編集室。
「いやぁ最近、競馬場もウマ女? っていうの? そういうのを増やしてクリーンで若者が行きやすい環境を作っていこうって流れがあってねぇ。君みたいな若い娘さんの感性で若い層にもヒットする記事をバンバン打ち出していければと思ったのよ」
饒舌な口ぶりでそう話す【編集長】を名乗った胡散臭い男の一声に『そんな都合の良い話があるもんか』と思ったが、適当に相槌を打ちながら編集室内の顔ぶれを見回して納得がいった。
私以外にはいかにも場末の酒場や馬券売り場にでも居そうなおっさんしかいないのだ。当然そんな人たちが若者の興味を引き付けて競馬場に足を運ばせる記事なんて書けるとは到底思えない。今、私に求められているのは革命だ。
そうして翌月から|競馬専門紙『競馬ナイン』編集室が私の職場となった。だが……
「新堂、お前そんな事も分かんないのかよ。ちゃんと競馬見てたんだよな!?」
「まったく、これだから現場も知らん女なんて」
「今回は勝つつもりがないんですか? なんて、よくあの調教師にズバッと聞けたなぁ、女のくせに」
意気揚々と転属して1年近く。ただひたすらに自分の知識不足と認識の甘さを叩きつけられる日々だけが続いていた。この世界に暗黙の了解がある事すら知らずにいた部分も含めて。
競馬場は若手や女性騎手の活躍もあってか、昔に比べたら確かに大学生っぽい男女の集団とか若いカップルや家族の比率が増えて『賭博場』という雰囲気からもっとライトに競馬を楽しめる感じに変わっていた。
競馬以外の時間を馬たちが過ごしている茨城にある美浦トレーニングセンター、略してトレセンの中も最近は女性活躍推進法とやらの影響か、馬の日々の世話をする厩務員さんも女性の姿が少なくは無いと思う。
だけど、完全に閉鎖的な男社会だった名残りは、どうも根強く残っているらしい。
この1年の間に何度言われたか分からない「これだから女は」「女のくせに」なんて、普通の企業ならパワハラセクハラで訴えれば明らかに相手の非が認められるような言動に腹を立てても
「やめとけやめとけ。いちいちそんな発言に目くじら立ててちゃこの世界じゃやっていけねぇよ。ケツでも触られたぐらいのモンだと思っとけ、減るわけじゃなし」
と先輩記者にも編集長からもまともに取り合っては貰えないのだ、こんなセクハラ発言付きで。
それでも、女が競走馬の馬房に近付くだけでも塩を撒かれるような時代からはだいぶマシになったらしい。それは一体どの時代の話をしてるんだ? と思ったけれど、それもここ十数年での変化だという。という事は10年前ならそういう競馬関係者も普通に居たということだ。
そんな世界に在って『男女平等』だとか『若者にも受け入れやすい改革』なんて当然通る筈がなく、提案した企画は何ひとつ聞く耳を持たれずに却下され、やらされる仕事と言えば『取材対象とインタビュアーの飲み物調達』だとか『先輩記者が行ったインタビュー内容の文字起こし』とかほぼ雑用のような使いっ走りの仕事ばかり。そんな日々がこの先も延々と続いていく事にうんざりし始めていた頃、ようやく私に単独での仕事が任された。
土曜日の中山競馬場開催。そのレース結果と各レース勝利陣営のコメントを伝えるだけの簡単な仕事だ。
その週はちょうど、阪神・中京競馬場で春の大一番を占う重賞が日曜に行われるため、ベテラン記者組はその2会場に土曜から詰めているのだという。比べて今週の中山開催はそれほど重要度の高いレースも無いし、配属から1年経った新人に任せてもいいのではないか、というのが編集部の判断だった。
そしてそこで私は、運命の出会いを果たすことになる。
中山競馬場、第5レース3歳未勝利戦、芝1800メートル。
1番人気と2番人気が圧倒的な人気を背負ったこのレースを勝利したのは、このレースがデビュー戦となる6 番人気の馬だった。鞍上もこれまでほとんど聞いたことがない同年代くらいの騎手で、横浜騎手や滝騎手のようなベテラン騎手の騎乗に比べればおぼつかないレース取りだったが、何故かその走る姿に無性に懐かしいものを感じた。
これまでの一年間でイヤというほど毎週レースを観てきたはずだったのに何故だろう、その馬の走る姿だけが私には光り輝いて見えたのだ。
「いけっ! あとひと踏ん張りっ!! 頑張ってぇ!!!」
条件反射的にカメラを構えながら声を振り絞って叫ぶ姿に、斜め前を通り過ぎようとしたカップルがガン見してくる。当たり前だ、私もこんなにもなりふり構わない姿を晒すとは思っても見なかった。
だけど確かに、私はそのぐらいあの馬の姿に魅せられたのだ。そう、まるで初めて応援する馬を見つけた時みたいに。
「そっかぁ……そんな事って、あるのね」
興奮を押し殺しながらその日の最終レースまでを見届け、私の心を魅了したあの馬について調べてみると、ヒントになりそうな事はすぐに見つかった。
あの馬、リブライトの母馬であるブリリアントスターの父親は、カメハメハダイオーの初年度産駒ロザリオキングダムのさらに息子で、父・祖父と同じくダービーを制したドゥラエース。父馬であるスカイリットの母親の血を辿っていくと、同じくカメハメハダイオーの仔で牝馬クラシックを制した名牝に辿り着いた。
つまり、何代もの交配を繰り返して孫や曾孫の代でカメハメハダイオーの血が再び巡り会った『奇跡の血量』と呼ばれる組み合わせで生まれた馬だったのだ。
思い返してみれば、あの馬が走る姿の力強さはかつて私が東京競馬場で見た、3歳最高峰のレースを先頭で駆け抜けた姿に似ている気がした。思い立って動画サイトでかつてのその姿を映像で見た時、自然と涙が溢れだした。
私が競馬に興味を無くし、他からの影響を受けて大人になっている間も、挫折に打ちひしがれている間もカメハメハダイオーは脈々と血を繋いでいた。私が子供の頃のように『キラキラしたもの』として競馬を捉えられずにいた間も、競馬はずっとそのままで続いていたのだ。
こうして私は記者という通常業務の傍ら、その馬を追いかける事に時間を費やした。
『Re:bright ―もう一度、輝くために―』
今はまだ公開する場所も予定も無いけれど、いつか多くの人と共有したいと願う1つのレポートを立ち上げながら。




