第0.5シナリオ 屍体がしゃべるな!私ホラーに興味ないから 上篇
第0.5シナリオ 屍体がしゃべるな!私ホラーに興味ないから 上
目を覚ました場所が地下牢であるにもかかわらず、少女は奇妙な懐かしさを覚えていた。天井からぽたぽたと滴る水が、地面に溜まった血の混じる水と混ざり合い、じめっとした音を立てていた。
その静寂の中に、金属の擦れるような音が微かに響いていたが、それすらも少女の喧しい無駄話にかき消されていった。
「ね~ね~、聞いてる?私の話、ちゃんと聞いてるのか~?お兄ちゃんたち~」
牢の外に立つ見張りたちに向かい、何故かじんじんする後頭部を掻いて、少女は相変わらず飄々とした調子で呼びかけていた。
「お前の処分がくるまで、静かにしっ……」と衛兵が言い終える前に、彼の頭が鈍器で叩かれ、そのまま倒れ込んだ。
「なっー…」もう一人の衛兵が叫ぼうとしたが、少女によって肩を掴まれ、口を封じられた。彼女は体をひねると、衛兵の頭を勢いよく地面に叩きつけて気絶させた。
少女は簡単に手錠を外して脱出していた。
「もう手錠は外れてるよ~、って言いたいの~。だから人の話はちゃんと聞こうね~。あ!もう気絶して聞こえないんだ~ごめんごめん~」
そう独り言を言いながら、彼女は手をパチパチ叩いて埃を払い、衛兵の服を剥ぎ取りつつ、自身の傷の確認を行った。
左腕の麻痺感が再び襲い、しびれが広がっていく。
肘から先が動かないことに気づいた少女は、すぐに骨折していることを理解した。刀傷の出血は止まったが、銃創にはまだ弾が残っている状態だった。
『早く取り出さないと』と思いながら、衛兵の制服を素早く着込んだ。サイズはやや大きいが、身長には合っていた。鏡を見る暇もなく、服を体に馴染ませると、「んじゃっ、まずは医務室とか探そっか!」と彼女は明るく言いながら、傷だらけの体を引きずって歩き出した。
「あ~、我が愛刀と銃はここにないよな~。だよな~、わかるよ~、そこまでバカじゃないよな~。ああ~、バカそうなツラしてんのに、クソっ……まっ、こいつらの剣を借りちゃおう!」そう文句を言いつつ、少女は余裕で地下牢を出たものの、誰にも遭遇しないことに違和感を覚えていた。
地下牢の出口付近を見回していると、背後から声をかけられた。
「おい!そこ!何やってる?あの付き物の転移人の見張りはもういいから!早くロビーに回れ!第二騎士団が遠征から帰還したんだ!怪我人が多い!人手が足りない!早く行け!」
少女は真顔で背筋を伸ばし、「はい!私は薬の追加分を命じられているところです!来たばかりの新兵なので、医務室の場所を教えていただけますか?」と答えた。
衛兵は「あそこの突き当たりを左に曲がれ!早く薬を持ってこい!」と指差して走り去った。
「了解っす!サンキュ~」と、少女はニヤニヤしながら手を振った。
医務室に入る前、彼女は薄く笑った。
「ハハハ……こいつらチョロ過ぎ。いいねぇ」
そう内心で先ほどの衛兵たちを馬鹿にしながら、人気のない医務室に足を踏み入れた。
周囲を確認してから、タンス、机、引き出しなどを正々堂々と漁ったが、肝心の薬はどこにも見当たらなかった。
「はあ?確かにアイツの話じゃ、ここが医務室ってことになってたよな。まあ、外の壁に何語か分からない文字があったし、包帯とベッドもある。だったら医務室だろ、常識的に考えて」
独りごちるように呟きながら、机の上に並んだガラス瓶に目を留める。中の液体は緑、青、ピンクと不思議な色をしており、どう見ても薬には見えなかった。
いら立ちを隠せないまま、その少ない瓶を一つずつ手に取り、蓋を開けては匂いを嗅いでみる。しかし中身が何なのか、まったく見当がつかない。
深呼吸をして気を落ち着かせた後、彼女は引き出しからピンセットと包帯を取り出した。
「アルコール、アルコール……ああ、やっぱり無いか。薬すら無いんじゃ、消毒用アルコールなんてあるわけないよな……」
再び大きくため息をつきながら、ベッドの端に腰を下ろしたその時、何かが足元に当たり、ガラスの音が鳴った。
床に転がっていたのはビリジャン色のガラス瓶だった。瓶には文字が書かれていたが、彼女には読めなかった。試しに鼻を近づけると、アルコールの強い香りがした。
「……酒だ。うわっ……飲みたい!すごく飲みたい!けど我慢、我慢……」
歓喜のあまり小声で叫びながら、瓶の中の酒でピンセットを消毒し、負傷していた身体から弾丸を取り除いた。深い傷口にも酒を注ぎ、じりじりとした痛みを堪えながら消毒を終えた。
「包帯も巻いて……はい、終わりっ!さて、この腕をどう固定しようかな……」
周囲を見回したが、固定に使えそうなものはなかった。仕方なく腕を押さえたまま考えていたその時、不意に隣のベッドからかすかな声が聞こえた。
「……うぅ……う……」
それは人の声というよりも、ただの音に近かった。
「……気配はなかったはずだけど……」
彼女の中で、“死体”は人として認識されない。だからこそ、警戒が緩んでいた。だが今は、すぐに腰に下げた剣に手を添え、慎重に白いドレープを開いた。
そこに横たわっていたのは、普通の人なら直視することすらできないような重傷者だった。全身は包帯で巻かれていたが、その隙間からは絶えず血がにじみ出している。左肩から下は、何かに噛み千切られたような跡が残され、腕も手もすべて失われていた。
「おやおや、右目から首筋にかけて大きな切り傷……でも顔はなかなかイケてるじゃん。もしかして、獣か何かと戦ったのかな?」
Snow Worldという世界最強の傭兵団に所属する彼女は、もはやこの程度の傷では動じることすらなかった。冷静に傷の状態を観察し、分析を始めた。
迷うことなく男の下半身を覆っていた絨毯をめくる。
「ん~、右膝から下が溶けてる。生物化学兵器?左足は……うわ、えぐいなこりゃ。完全にアウト。ご愁傷さま~」
片腕が動かないため、空いた手だけで簡単に祈るポーズを取ると、すぐに興味を失ったように彼女は視線をそらした。
男の左足は辛うじて皮膚と血管で繋がっているだけで、完全に壊死していた。
「あ~あ、こんなイケメンが死んじゃったら、きっと泣く女の子も多いだろうに……でも仕方ないよね。怪我するのも、死ぬのも、人生のうちさ~」
男の右肩を軽く叩きながらそう呟いたが、彼女の瞳には一片の感情も宿っていなかった。
「……ろ……かみ……」
男の唇が何かを呟いた。だが彼女は、その内容に耳を傾けることはなかった。
「ハハ、声ちっちゃ!ま、まあいいさ。安心しなよ、お前の死は有意義に使わせてもらうからさ~」
そう言いながら、彼女は男の右手に握られていた簪を手に取った。ナイフの先で青紫色の宝石を器用に掘り出し、再び男の手に握らせてやる。
「このちょうどいい長さの金属棒……私の左腕を固定するのにぴったり。ありがとうね。じゃ、バイバイ!」
腕を固定し、包帯を丁寧に巻いた後、彼女は満面の笑みを浮かべて男に手を振った。
足音が近づいていることに気づいた少女は、反対方向へ走り出した。その際、左腕を見下ろしながら小さく呟いた。「早く治ってくれないと面倒が多すぎる」と。
だが、その背後――医務室の中では、誰も気づかぬうちに、真っ白な光がきらめき始めていた。
「団長!魔法治療師を呼んできました!しっかりしてください……えっ?」現れた下っ端の団員は、あまりの光景に目を見開いた。どう見ても致命的な重傷だったはずの男が、今や完全に癒えた様子でベッドに座っていたのだ。
「な……治っている!?完璧に!?傷跡すら残っていないなんて……」
魔法治療師が男のもとへ駆け寄り、頭から足までをくまなく確認した。その表情は明らかに混乱と疑念に満ちていた。
「さっき、左半身が噛まれて、千切れたって……そう言ってなかったか?」
問いかけられた下っ端の団員も困惑を隠せず、ただ頷いた。
「ああ、確かに……右手以外はすべて失われていた……だが、いったいどういうことだ……」
魔法治療師は慎重な口調で訊ねた。「大丈夫ですか?アキレスさん。痛みや違和感などは?」
団長――アキレスと呼ばれるその男は、自らの右手に握られている魔法石を見つめながら、困惑の表情を浮かべた。なぜか、その石からはまだ冷たい感触が伝わっていた。
彼は首を振り、落ち着いた声で答えた。「いや、まったくない。体は元通りどころか、遠征前より力が増したように感じる……。ウルバニ、お前……まさか、お前が何かを?」
名を呼ばれた治療師――ウルバニは、両手を振りながら強く否定した。
「そんなわけない!不可能だ!魔法治療師として断言できる。魔力や体力をある程度回復させることは可能だが、失われた手足を完全に元通りにするなんて――聞いたこともない!」
彼の口調には、専門家としての確信と、目の前の現実に対する困惑が入り混じっていた。
「とにかく……本当によかったです、アキレス団長……」その場にいた若い団員は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、心の底から安堵したように微笑んでいた。




