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傭兵聖女  作者: 崎ノ夜
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1-02

 ここまで読んで、君が知っておくべきことはただ一つだけだ―― 彼女は一体なんなのか? 02


 「――助けて!」


 夢か、現実か、その声はまるで耳元で囁くように近く、山の向こう叫ぶように遠く聞こえた。


 整った顔が細長い指に乗せていて、紺色の長い髪が滝のように床の絨毯まで流れる。


 カタっと。


 静まり返った部屋が、突然ピクッと動いた手によって物音を立てた。


 スピリトは薄く目を開ける。視界に映るのは木装の天井。紺色の長い髪は冷や汗で頬に貼りつき、胸はまだ浅く上下していた。


 その悪夢の残滓を断ち切るように、廊下から慌ただしい足音が響いた。


 部屋の外で足を止めた者は、むやみに扉を開けようとも、ノックしようともしない。ただ、不安を振り払うように両手の指を擦り合わせている。


 その音が鬱陶しくなったのだろう。スピリトはかすかに息を吐き、長く伸びる声で言った。「……なんの用ですか?」


 許しを得たと判断したのか、男はようやく口を開いた。「楼主さま……また、遊女が消えました」


 スピリトはどうでもいいというように小さく笑い、キセルの端を「カッ」と窓枠にあてた。「……清々しいほどの夜空ですね」


 星の一つもない夜空には、手を伸ばせば触れられそうな満月が懸かっていた。


 月は三つある。


 一つは最も大きく、冷たい白光を放つ。

 その隣に寄り添うもう一つは、白光にかき消されるように淡く輝く。

 最後の一つは夜に溶け込んだかのように黒い──だが、見ようとすれば確かにそこにある。地上の光に染まった空よりもなお深い黒をしているからだ。


 窓から落ちた焦げた煙草の灰は風にさらわれ、歓声と喧噪に耳を塞がれた街から、ゆるやかに逃げていった。


 ゆらり、ゆらり──。

 灰の滓が涼しい風を汚しながらも、流れに乗って運ばれていく。王都地上の喧囂などどこ吹く風とばかりに、灰は地面と並行する小さな穴口をすり抜け、さらにその奥の狭い檻の隙間をくぐって、地下牢へと落ちた。


 牢の中には、ゴミのようにボロボロになった団子虫のような塊がうずくまっている。


 よく見れば、それは──ひとりの人間だった。


 その服は元から黒なのか。それとも、汚れが積み重なった結果、黒く染まっただけなのか。


 そんな中、一行の文字でできたマークが、雪よりも潔白に見えた。


 『 Snow World 』


 まさに、先ほど豪華な宮殿で倒れていた少女だった。


 ほとんど夜風に散って消えた煙草の灰が、少女の鼻先にふわりと落ちた。

 その瞬間、霊光を宿した双眸がかっと見開かれる。


 少女は、かすかに動く鼻先でカビ臭い空気を確かめた。冷たい床に頬をぴたりと押しつけ、その湿り気と冷たさには、もう完全に馴染んでいる。


 そして──誰にも気づかれないほど僅かに口角を上げた。


 それは、頭の内側であの囁きがよみがえったからだ。まるで耳元に吹き込まれたかのように鮮明に。


『檻の外側と内側──その差は、心臓の音がこの世を響く時点で決められた』


 その言葉は、彼女にとって“目覚まし時計”のようなものだった。だから彼女はどんな状況であっても、笑っていられる。


 意識はとっくに戻っていたが、もう一度瞼を閉じて、両耳を澄ませて後ろから聞こえる退屈そうな声を聞き取った。


 男二人の声に加え、左上からは微かに足音と人の話し声が聞こえる。つまり、檻の外に出たとしても、上へと続く出口にはまだ衛兵がいることが分かった。


 情報を集め終えたら、彼女はこれくらいなら余裕だと判断し、身を起こそうとした。しかし、背後で手錠をかけられた両手のせいで思うようには動けなかった。


 それでも邪悪な笑みを浮かべ、この甘い拘束を嘲笑った。


 ゆっくりとこっそり身を起こし、囚われの身でありながらも獲物を狩るような鋭い瞳で、檻の外で机を囲みトランプをしている二人の衛兵を見つめた。


 指を動かし、手首をねじると「ガラッ!」と手枷にじんわりとした振動が伝わる。そこで彼女はようやく左腕の骨が折れていたことを思い出した。


 そして、彼女の口から甘くハチミツのような声が響いた。性別を判別できないその声は言った。


「はいは~い、こっち見て~」


 少女は笑った。


 先ほど「映画館」にいた時とはまるで別人のように。


 光に照らされ揺れ動く黒影の如く、彼女は続けてからかうように言う。


「……ん?黙ってろって?まあまあまあまあ~、そんなつれないこと言わないでよ~、お兄ちゃんたち~。ほら!」と、揺れる手錠がカラカラと綺麗な金属音を鳴らす。


「大怪我してる人に手錠なんて、大袈裟だと思わない?だからさ~、少しは話に付き合ってよ!」その揺れる光に照らされた顔には、場違いな笑顔が浮かんでいた。


 衛兵の話を遮りながら、彼女は軽い調子で続けた。


「あれ?関係ないって?え~、だって~私、つまんないから死んじゃうかもよ~。それにさ、目覚めたら地下牢にいた人の気持ちも考えてよ~。やだ~、怖いよ~」




 ここまで読んで、君が知っておくべきことはただ一つだけだ―― 彼女は一体なんなのか? 完


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