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05:めでたしめでたし

 アケト第1月、ネフェルトは嫁いだ。美しき谷の祭から数ヵ月後のことだった。これはこの時代ではごく普通の流れだと言える。何せ数週間のうちに婚姻まで終わらせるということも稀にあるらしいからな。家同士の婚姻とはいえ、それはあまりに早い。数週間で持参品を整えるのはかなり骨が折れることだろう。ネフェルトは、日々を持参品の準備に追われながら、それを想像してふるふるとかぶりを振った。


 前日は母親と共に持参品をひとつずつ確認して回った。今回の婚礼にネフェルトが持参する品は、ムトの時とほぼ同じだ。着慣れた仕立て済みの衣服が4枚。儀礼用の上等なものは1枚。装身具は日頃から身につけていたもののみで、新調はしなかった。香油は気に入りの乳香を4瓶。それぞれをしまう箱を数個。箱のひとつには良い亜麻布が8枚入っている。あとは寝具を一組。椅子を一脚。

それからビールを4樽に葡萄酒が6樽。小麦と豆が1樽ずつ。山羊が2頭。これがネフェルトの財産の全てだ。これらは、婚礼日の早朝にロバの背に積まれて新郎の邸へと運ばれていった。この時代にはさ、荷車がないのさ。荷車があれば、荷物の運搬ももう少しラクになりそうなものだけれどね。私は時代に干渉しようとは思っていない。この時代に存在しないのならば、あるものだけで暮らせばいい。幸いネフェルトの家は運搬用のロバに不自由していなかった。


 婚礼の場には、両家の親族が集まった。パセルらは毎日顔を合わせる距離に住んでいるから当然として、ムトも祝いに足を運んでくれた。主役と言っていい新郎と新婦はまだまだぎこちなく、ただの賑やかしい宴会だったが、華やかで良い婚礼だった。まるで他人事のようだって?


 今世の夫は、意外にも話好きな男だった。初対面の祭りの時、そして婚礼時は相当に猫を被っていたようだね。さまざまなことに興味を示し、楽しそうに語って聞かせる様子は好ましかった。もっと別の時代に生まれていたら、発明家だの冒険家だのになっていても不思議はなかっただろう。私が見てきた様々な物事を語って聞かせてやれば、どれだけ喜ぶだろうかと想像するのは楽しかったよ。

 そうだね、例えば鉄道を見たらどんな顔をするだろう。いや、それは刺激が強すぎるかな。馬車ですら充分驚いた顔が見れそうだ。灯りはどうだ?ガス灯に蛍光灯にLED、懐中電灯を見せただけで腰を抜かすかもしれないね。


 冷たいものも食べたことがないだろう?アイスクリームはとても旨いんだ。この男に見せたら観察しているうちにみるみる溶け出しそうだなと思った。そうそう、冷蔵庫というものがあるんだよ。何日も肉や魚を生のまま保存できる箱だ。想像も出来ないだろう?冷凍庫には氷だって入っているんだ。水が固まるのさ。信じられるかい?そんな話をネフェルトの口から話して聞かせてやれないことは残念だ。話すことへの制約なんかはないよ。変人を通り越して悪魔にとりつかれたとでも噂されては敵わないからね。話せないのではなく、話さないだけさ。特にこんな紀元前の時代では、ね。


 夫は特に天文学への興味が強かった。現王が建造されたアブ・シンベル神殿の話は何度も繰り返し聞かされたよ。うん、知っているよ、実際に見たことはないけれどね。あれはずっと先の未来まで大切に残る素晴らしい神殿だ。この時代に高度な天文学が存在していたことの証明にもなったんだよ。

 私に天文学の知識はないが、話ならいくらでも聞かせておくれ。この時代の夜空は大変美しい。驚くほどたくさんの星が見える。それをひとつずつ追いながら話をしよう。


 星座が見える。けれど、今の時代に星座の話は聞かないな。まだ星々を繋いで夜空に巨大な絵を描く発想はないのかもしれないね。なのに夫は言うんだ。


「ネフェルト、あの星たちを見てごらんよ。まるで双子のようだとは思わないか?」


「そうね、私にも双子のように見えます。仲のいい星なのかもしれませんね」


 あれは後にふたご座と呼ばれるようになるんだよ。あなたの見立ては正しかった。もしかすると、人類で初めてふたご座と呼んだ人物かもしれないね。今世は古代エジプトで最も有名なファラオのひとり偉大なるファラオ、ラムセス2世が治世する時代だ。時代に名を刻むのはファラオと、その周囲の僅かな人間だけだが、こうして名も残らぬ人物多くの支えや小さな発見の積み重ねの先に歴史がある、そう私は思うよ。


 時間のある時には、夫から文字も教わった。それまでは家族の名前やアメンくらいしか読めなかったんだ。新しいことを覚えるのは楽しいことだった。自分で言うのもなんだが、わりと教え甲斐があるだろう?物覚えがよい自覚はあるのさ。


 夫との間には子宝にも恵まれた。この時代に、産んだ子供らが全て成長するのはとても珍しいことらしい。ネフェルトが産んだ2人の息子たちは10歳を超えた。ネフェルト自身もまだ充分に若いと言えるが、父も母も既に亡くなった。嫁ぎ先の義父母も数年前に続けて亡くなり、夫が既に第一祭司の後を継いでいる。ネフェルトの生涯も残りは決して長くはないのだろう。まあ、それでも私は死なないのだけれどね。

お読みいただきありがとうございました。

この話は紀元前1240年代、エジプト第19王朝をイメージした創作です。


次の転生先でお会いできましたら幸いです。(10/10の午前7時に転生予定です)

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