01:超絶デバフスタート
毎日7時更新。全5話です。
この作品はオムニバス形式、シリーズで公開中の3作品目です。
よろしくお願いします。
話し声が聞こえる。寝ている床は昨夜とさほど違いを感じないが、空気がまるで違う。最初に感じたのはほのかに感じられる爽やかな香り。私はこの香りを知っている。とても好きな香りだ。昨日までの暮らしには存在していなかったものだ。転生したか。
起き上がろうとするものの、瞼が重くまだしばらく目覚めには時間がかかりそうだった。このまま寝ていても問題がなさそうだな。しばし話し声に耳を傾けてみるとしようか。
話しているのは男と女が2人、若しくは3人か。少し離れた位置にいるようでよく聞こえない。しかし聞き覚えのある言葉のような気がする。
そうしているうちに、いくつかの足音が近づいてきた。話し声が少しずつ明瞭に耳に届く。
「この娘が長官ラーモセの末の娘、ネフェルト様で間違いないか?」
「ええ、ネフェルト様でございます」
今世の名はネフェルトか。会話から察するに、下層民ではないようだ。だというのにこの固い寝台。私は少しずつ状況を整理し始めた。しかもこの言語だ。まさか再びこの時代に来ることになるとはな。私はこの言語の記憶も持っていた。今のところの予想、今世もハズレだ。
「まだ起きぬのか。脚でもつねってみてはどうだ」
「何を仰るのです。おやめください、万一痕でも残りましたら、私が打たれてしまいます」
片方はネフェルトに近しい使用人のようだな。もう一方は何者だ?父親と思しき長官ラーモセとやらの使用人とは思い難い。
「ふん、時間を改めるとするか」
去っていく足音がふたつ。そしてすぐそばにも人の気配が残っている。私はゆるりと瞼を上げた。
「お目覚めですかネフェルト様。お腹が空きましたか?」
うん、空いた!と返事をしたいのに言葉が出なかった。「ウー」というおよそ会話として成り立ちそうもない音だけが喉から漏れる。非常に嫌な予感がした。
ネフェルトの身体はいとも簡単に持ち上げられた。最悪だ。赤子ではないか。ここまで幼い身体への転生は実に久方ぶりだ。この愛想のよい女性は乳母だろうか。なんとなくこの女のことは信じてもよさそうな気がした。先程部屋を出ていった方は、要注意だな。
女から乳を与えられた。ネフェルトの身体はそれを必死に求めているものの、私は肉が食べたかった。残念だ。今世も肉を煮込んだシチューとは無縁だ。香草の香るカツレツも恋しい。白いパンも食べたい。
乳を飲み、背中をトントンとされた後、部屋から連れ出された。
「ネフェルト様、お庭に行きましょうか。パセル様とムト様もそちらにいらっしゃいますからね」
それが誰のことかはわからぬものの、話しぶりからネフェルトの家族を指しているような気がする。簡易な服を着せられ、私は女に連れられて部屋から外へ出た。
庭は空気がさらりとしていて心地よかった。今は春か、いい季節だ。ここの夏は最悪だからな。私はかつて相当な下層の暮らしを経験している。恐らく今世と近い時代だったと思う。取り巻く環境はまるで違うのに、なぜかそう感じた。不思議なものだ。
木の下に少年と少女が座っている。近くで静かに2人を見守っている女性は使用人だろうか。
「あ、ネフェルト!起きたのかい?今日も可愛いね」
髪をすっかり剃り上げた少年がニコニコと両手を差し出してきた。ネフェルトの身体は女の手を離れて、少年の胸の中にすっぽりと収まった。
「おはよう、お寝坊さん」
少女の方も揶揄っているようで瞳は柔らかい。この2人は兄姉のようだな。口調が使用人とは違う。返事を返したいものの言葉が出ない。「アーゥ」
少年の膝の上に座らされると、目の前に陶片がかざされた。オストラコンと呼ばれるものだ。
「いいかいネフェルト、これは今日習ったんだ。これがパセル、俺の名前だよ」
パセル少年は大変得意げに習いたての文字を指で指した。読めなかった。
「こっちがムト、そしてこれがネフェルトだよ」
この3人は兄妹と判断してよさそうだね。文字の練習に書いてみせるほど、良好な関係のようだ。尤も3人とも幼いからね。ネフェルトだと指した箇所を眺めてみても、私には読むことができなかった。会話はわかる。けれど以前は文字など生涯縁のない暮らしだったんだ。赤子のネフェルトが、その模様を覚えることはなかった。仕方ないだろう、今は状況を把握することの方が重要なんだ。必要になれば成長してから覚えればよい。
私はパセルの膝の上から見える範囲の周囲を見回してみた。立派な邸だ。見たこともない建築。かつては近づくことすらなかった階層のようだな。少しは当たりか?数年我慢すれば肉は食べられそうだ。
その時、離れた場所からこちらを伺っている男が2人いることに気がついた。どこか値踏みをしているようなその視線にぶるりと寒気がした。




