準備期間(その2)
4月24日、金曜日。
SNSにて中津江嫁とメッセージアプリのID交換をした恵子は、毎日のようにメッセージをやりとりしていた。
メッセージアプリでは、新たな偽名『武井琴実』を名乗り、お互いユーザー名ではなく名前でのやりとりを続けた。
すると、ここでも恵子(壊)の謎のコミュニケーションスキルが発動したのか、たった1週間にも関わらず『コトちゃん』『サキちゃん』と呼び合う仲にまで発展していた。
ちなみに偽名は、本名の『とみたけいこ』のアナグラムである。なお、SNSのユーザー名の『ケト』も、姓と名の最初の文字をとったものであった。
期は熟した、と判断すると、ライブチケットを譲る話を切り出す。
とある事情でライブに行けなくなったこと、そして、ライブを全力で楽しめる人に譲りたい、というメッセージを送った。
また、こちらもとある事情で、自分が予約したホテルに泊まってほしいこと、そして、自分がチケットを譲る『もう1人の人物』と行動を共にして全力で楽しんでほしい、という条件を付け加えた。
嫁にとっては得でしかない話なので、さすがにチケットの値段は、正規の2割増しの値段で譲ることにした。
当然ながら、嫁は「全力で楽しんできます!」と快諾したのであった。
午後9時半。
いつもの時間に、ニューケッチャンとなって2回目の動画を投稿した。
なお、この動画からは解説・コメント・突っ込み要員として、予定どおり2人のイラストキャラを導入した。
顔だけのそのキャラは、SNSの絵師に作成依頼した男の子と女の子の2人で、声は、実況動画や最近CMでも耳にする、ゆっくりなボイスを使った。
結果、主演のケッチャン(恵子(壊)=ぶっ壊れ)、イラストの男の子(恵子をイメージ=正常寄り)、女の子(恵子(壊)をイメージ=ぶっ壊れ)という、ぶっ壊れ率66.7%動画がこの回から開始されたのであった。
4月25日、土曜日。
恵子はこの日、氷山駅から新幹線に乗ると、都心近郊のとある場所へと向かった。
今日は側方神起の1人、ペジュンの誕生日らしく、『みんなでお祝い会をしよう!』というSNSでの呼び掛けに応じ、参加することにしていたのだ。
当然ながら、恵子の目的は『ペのお祝い』ではなく、『ライブチケットを譲るもう1人を探すこと』であった。
小洒落たバーで開催されたお祝い会、祝われる本人がいないにも関わらず、会費10,000円という挑戦的な価格設定であったが、おそらく演出やら景品やらにお金をかけているのであろう。
参加者約30人の男女比は3対7くらいで、思ったより選択肢(男性)が多く、開始前からスペシャルスナイピングケイコズアイを光らせていた。
チケットを譲る人物の条件は3つあり、1つ目は『嫁と”推し”が同じであること』。
2つ目は『5月15日のチケットを入手できず泣いた人』、そして3つ目は『できるだけ若い高身長な男性』であった。
今回のお祝い対象の『ペ』が都合良く嫁の推しであるため、とりあえずこの会場にいる時点で条件クリアとして良いだろう。あとは見た目が嫁の好み、『ペ』に近いほど良い。
でも、そんな都合よく、身長185cmくらいで、すらりとしてるけど筋肉質で、色白でKPOPアイドルっぽい人がいるわけ...
いたのである。しかも2人。
当人への強い憧れを抱いていそうな20代前半くらいの2人だ。
そのうちの1人とは、偶然にも最初の席が隣で、恵子はここ数日で無理矢理詰め込んだ知識をフル活用し、会話を弾ませた。
だが、途中でライブチケットを入手したことが判明するや否や、もう1人との会話に備えて体力を温存すべく、『無』へと化した。
と言っても、恵子(壊)が関係の無い話をべらべら喋って盛り上げてくれたようだが。
その後、席を移動する雰囲気になったので、もう1人のターゲット、『片桐』に近づいた。
中国地方から新幹線でやって来たというこの男、可愛らしいというか、女の子っぽい。もしかしたら女性とは恋愛関係に発展しないかもしれない。
あわよくば嫁と不倫関係を持たせたい、などとも考えていたのだが、おそらく女性同士、『ペ』の話で盛り上がって終わりそうである。
だが、最大の目的は、『ライブの夜、男性と女性が同じ部屋で過ごした』という事実をつくることである。
逆に、当人達が同じ部屋で気まずさを感じることなく過ごせていいかもしれない。
片桐にライブの話題を振ってみると、チケットを入手できなかった、と目を赤くして悲しむ様子を見せた。
可愛い!じゃなくて、よしきた、と思い、とりあえずその場ではチケットを譲る話はせず、メッセージアプリのID交換とSNSの相互フォローをしたのであった。ちなみにこのときのSNSのアカウントはケトではなく、適当につくっておいた『YatteMikka』を使った。
その後も祝う会は盛大に続いたが、目的を果たした恵子は今後の計画の事を考えることにし、会話を恵子(壊)に任せた。
仕組みがわからないが、別の事を考えながら誰かが自分の口で喋ってくれる、という便利な仕様である。
だが、ここでも恵子(壊)の何らかのスキルが発動してしまったようで、いつの間にか参加者から『ケイコ様』呼ばわりされていたのであった。
この日は素性を晒さないように『八手実華』で参加したはずなのだが...
そんなケイコ様は、最後のビンゴで2番目にあがってしまい、『ペ』の等身大抱き枕を当ててしまったのだった。
景品は後で郵送されるらしく、到着したらそのまま可燃ごみとしてごみ捨て場行きか、それとも中津江家という掃き溜めに送ってやるか、と悩む恵子であった。
帰りの新幹線で早速、入手した片桐のSNSユーザー名を『ケト』アカウントで検索すると、その後1週間ほどかけて、嫁と同じく相互フォローからチケット譲りまでの一連の仕事をこなしたのであった。
5月2日、土曜日。
以前、嫁の素性調査の報告で仁井田からもらっていた『中津江大悟』の浮気写真を利用する時がきた。
恵子は、メッセージアプリのアカウントを新しくつくると、嫁に『旦那の浮気写真』と『あなたの旦那があなたから慰謝料をとるために、探偵である自分に浮気調査を依頼している』というメッセージを送った。
その後、アプリの通話機能によるやりとりをすると、『ライブの夜、男とホテルの部屋に入る写真を撮らせてもらうこと』、加えて『中津江家に監視カメラを仕掛けて、旦那の浮気現場を撮影する』という了承を得たのであった。
5月13日、水曜日。
中津江家に隠しカメラを仕掛ける予定の時間、夫はいつもどおり仕事、そして恵子は市内のペットショップを巡り、可愛い子猫を探し始めていた。
今回は、了承したはずの嫁が疑いを持って待ち構えている、などという最悪の展開も想定し、他人に頼むことにしたのであった。
遡ること3日前、恵子は久しぶりに仁井田に電話をかけると、前回までの依頼の続きと称し、隠しカメラ設置の依頼をした。
嫁からカメラ設置の許可を得ていること、鍵を貸してもらえること、何ならカメラを設置する部屋も打ち合わせ済みであることを伝えると、
「さすがケイコ様ですね!」
と、相変わらずの崇拝ぶりを見せたのであった。
ただし、仁井田には隠しカメラを設置したり、その映像データを外部からも観れるようにする技術は無いというので、仁井田からその道のプロに設置依頼をしてもらうことになった。
その道のプロとは、そう、須藤車用品店の店主である。ということはもちろん、ない。
その日の夜、仁井田からのメールで、カメラの設置が無事完了したという報告を受けた。
メールには、映像を観ることができるというアドレスが2つ貼られており、試しにクリックしてみると、1つは中津江夫婦の寝室、そしてもう1つはリビングが映し出された。
リビングには、何も知らずにテレビを観てくつろぐ旦那、そして詳しい設置場所を知らないためか自然体の嫁の日常が映し出されている。
予定どおりの場所に設置されたこと、リアルタイムで映像を観れることを確認すると、
「こんな胸糞映像観てられっか!」
という恵子(壊)の発言とほぼ同時に、その映像を消したのであった。
仁井田からのメールには、中津江家の鍵をどうすればいいか、という質問もあったため、
『カメラを撤去するときにまた依頼すると思うから、しばらく持っていて。
依頼の切れ目が縁の切れ目。これでしばらくは縁が切れない、ね』
と、ケイコ様口調で返した。
仁井田が依頼人の、加えて崇拝する人物の素性を明かすことは無いと思うが、念のため接触は避けたい。
今後、空き家を借りる予定なので、その住所宛に返してもらうことにした。
5月15日、金曜日。
午後2時、有給休暇を取った夫と恵子は、氷山駅から新幹線に乗り、約3時間かけてライブ会場近くのホテルへと向かった。
この日やるべきことは、『嫁と片桐がホテルの部屋に入る瞬間の写真を撮ること』であった。
ホテルの広々としたロビーのソファに座り、2人でイチャイチャしていると、ほぼ予定どおりの時間に嫁と片桐がホテルに入ってきた。
チェックインでは、同じ部屋と知ったためか、多少動揺する様子も見られた。だが、ライブで激しく意気投合したのだろう、他の部屋やホテルを探すことはしなかったらしい。
ルームキーを受け取るのを確認すると、夫から嫁への電話で、『部屋に入る瞬間の写真を撮るから、意識しないでほしい』ことを伝えた。
写真を撮るのは恵子の役割だった。電話の相手が男性であると思っているはずなので、女性である恵子がカメラマンになったほうが意識が薄れるだろう。
ロビーに戻った恵子は、夫と写真を確認した。よく撮れてはいるのだが、割とフォーマルなホテルのためか、どうも浮気感が薄い気がする。
よって、念のため考えていたもう1つの計画も実施することにした。
嫁と片桐が、夕食のためホテルを出るのを見送った夫は、またもや嫁に電話をかけると、
『部屋にカメラを仕掛け、一晩中、何も無かったことを証明するための映像を撮りたい。
部屋に忘れ物をした、八手を名乗る女性に取りに行ってもらうから、鍵を渡してくれないか、とホテルに電話をしてほしい』
と伝えた。
ホテルの近くで待機していた恵子は、夫からの電話でホテルに戻ると、フロントで鍵を借り、部屋の中に超小型のカメラを仕掛けた。
嫁へのメッセージで、カメラを設置した位置を知らせると同時に、カメラの回収を任せると、本日の任務は終了した。
この日は、恵子達も別のホテルを予約しており、久しぶりに外泊をした。
恵子がコンビニで買っておいた夕飯を食べながら、持参したパソコンで動画を投稿すると、その後はベッドの上で肩を寄せながら、今後の計画について話をした。
ロビーでイチャイチャできるように、息子が永眠してからは、2人は新婚の頃か、あるいは付き合い初めた頃に近いほど仲が良い。
「あと半年、できる回数も限られてるし、大介の体力が続く限り交尾しておこうぜ!」
という恵子(壊)の下品な提案に恥じらいを持ちつつも、2人はここ2週間は毎晩のように交わっていた。
『性行為』というよりも『生行為』という表現が適切だな、というのがここ最近の恵子の考えだ。
夫の温もりを直に感じると、『生きている』ということを強く実感できた。
死んだら冷たくなるのだから。恵介のように。
夫の愛撫で熱く蕩ける体は、『生きている』ということを強く実感させた。
死んだら何も感じなくなるのだから。
体はもちろん、心もまだ死んでいない。
生きている限り燃やし続けよう。そして、最後は燃え尽きても構わない。
「ねぇ、あなた。良いこと思いついたの。最後の最後、心も体も燃え尽きたら、ね」
「...?」
「文字通り燃え尽きようか。3人、そして家も、全部、燃やしちゃお?」
「...」
「イッツ、焼タイム!なんちゃって」




