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就職内定

「聞いたことがあるかもしれないけど、上流貴族用の部屋が学園にはいくつかあってね。そのひとつだよ」


 隠し部屋にしては採光がよく、それでいて木陰の加減で外から見える感じはない。調度品も豪華すぎないが質素でもなく、学生が使うにはちょうどいい塩梅だ。


 アメリも聞いたことがある。確かに自分は学食を利用しているが、昼食時にクラウスを見たことがない。別室があるんだろうと思っていたが、こんな食堂から遠い場所で食事をしているとは思わなかった。


「食事中誰かに見られていると落ち着かなくない?」

「そうですね」


 注視されていなければ平気だと思ったが、クラウスともなれば誰かが見つめているだろう。そうじゃなくてもたった一瞬切り取った垣間見だけで、変な誤解をされないとも限らない。何も気にせず息をつく時間は誰だってほしい。


「早く座って。食事が始められないよ」


 言われるままにテーブルに近づく。どこからか現れた壮年の男がアメリのために椅子を引いた。できる限り上品にアメリは腰掛ける。できるだけ綺麗に見えるように姿勢を正して座り、クラウスを見るとクラウスが小さく笑った気がした。


 近頃クラウスが少し怖い。

 なんというか、目が合わなくなった代わりにキラキラ度が増している。これをルネッタに言って「は?」の一言を頂いたのは記憶に新しい。クラウスを見つけて目で追うのに目が合わないのだ。少し前までやたら目が合うと思っていたらこれだ。気にならないほうがどうかしている。


 その目が合わなくなったクラウスがキラキラしている。説明としておかしいのは自覚している。でもそれがなんだか変だということくらい理解してくれてもいいと思う。

 その変なクラウスが夕食にアメリを招待した。警戒しないほうがおかしい。


「ちゃんとご飯食べてたんですね」

「君たちが食べ過ぎなんだよ」


 アメリの知る限り、クラウスの飲食は一緒に飲むお茶くらいだ。その時大抵お菓子はつままない。少食なのかと思っていた。


「この部屋、クレア様とご一緒してたこともあったりします?」

「そうだけど……どうしてクレアは副会長と呼ばないのに、俺は会長なの?」

「クレア様はもう退学されてますし」

「どうして名前で呼んでくれないかな」


 あれからずっとアメリはクラウスを会長と呼んでいる。元々そうだったはずだ。一体いつから名前で呼ぶようになったのか自分でも覚えていないが、本来いきすぎた呼び方だ。

 恋愛対象だと距離を詰めるならいいのかもしれない。だがクラウスは一国の王子で、アメリは彼と気軽に話していい対象ではない。

 いつか、殿下と呼べたらいいなというくらいに思う距離感が正しいと思う。それに、


「一応私、ジェレミーの婚約者ですし」

「それなんだけど、ちゃんと確認したの?」

 少し小馬鹿にしたように笑う。いきなりの不意打ちに、アメリの笑みが硬直する。


 その件は未だ悩ましい。公衆の面前でジェレミーに婚約者と呼ばれたのはいつのことだっただろう。

 アメリはこの件の確認のために父親に手紙を送ったのだが、未だ返事がない。婚約の話をジェレミーから聞いて、既に数ヶ月が経過している。手紙を送ったのもその頃だ。

 卒業評価のために最終学年が目の色を変えているような時期にもなって、返事がまだ来ないというのはおかしい。


「……返事が来ないんですよ」

「実は嘘だったり?」

「それは……ないでしょう?」


 貴族同士の結婚は場合によっては勢力図を一変させる。そうでなくともお決まりの組み合わせでなければ周りは警戒するし、それによって情勢が変わることもある。それ故に誓約書に国の承認が必要なのだ。

 実は婚約は嘘でした、といって、立場が微妙になるのはアメリより爵位の上のジェレミーの方だ。


「婚約は成立しているとジェレミーがはっきりと言いました。学園中に広まってます。詐称になりますよ」

「それってかなり困る? 学園内だけならそうでもないような気がするんだけど」

「在籍中でもあちこちに顔を出される方はいらっしゃいますし、伯爵家以上なら尚のこと社交界で広まった話が嘘だったというのはちょっとよろしくないかと」

「クレアはやり方次第って言うんだよね」


 それは聞く相手が間違っているような気がする。クレアならもっとうまくやって、アメリに疑念さえ浮かばせないだろう。

 となると、クラウスの指摘は間違っていないようにも思える。


「確かに悪くないとは思うんだけど」

「会長は何かご存知なんですか」


 一体全体どうやって調べているのか、クラウスはアメリが知るより早くアメリのことを知っている時がある。


「アメリは知らないの?」

「会長は私より私に詳しいですよ」

「そうでもないよ」

 クラウスは苦笑いを浮かべた。


「例えば――ジェレミーが持っていた瓶はどうしたの?」


 アメリは目を見開く。


「まだ持ってる?」

「――もう捨てました」

「本当に?」

「疑いならジェレミーに聞いてみてください。勿体ないって言われました」

「死体が腐らない薬だった?」

「そんなことをジェレミーは言っていました」


 恐らくゲームのクラウスが持っていたのと同じ薬だ。


「詳しく話しましょうか?」

「それもいいけど、先に君も知ってる話をしようか」

「ジェレミーの話ですか?」

「やっぱりそれなんだけど、君が彼の名前を呼ぶたびに気になってるから、俺も名前で呼んで?」


 そんなふうに作った笑顔で可愛らしく言われても、普通はグエンバドル公国公太子を名前なんかで呼べないとアメリは思う。

 クラウスはアメリの思考を読んだかのようにニヤリと笑う。

「ルネは俺のことを会長か殿下と呼んでたんだよ。――俺が名前で呼ぶように言う前はね」


 アメリはその瞬間に察する。


「ちょっと待ってください。会長はその頃から私のことを好きだったんですか!?」

「それはちょっと自惚れ過ぎじゃないの?」

「私、美少女ですし」

「それ久しぶりに聞いたな」

 クラウスが吹き出す。


 ナイフとフォークを置いて、クラウスは胸ポケットに手を入れる。

「これに見覚えは?」

 彼がテーブルに置いたのは、アメリがヴィンセントから受け取ったものと同じ小さな小瓶だった。


 アメリは驚いて声も出ない。何度か目を瞬かせて、小さく息を吸い込んだ。呼吸をすれば少し笑えてきた。息を吐くと同時に少し笑う。


「久しぶりに会長が攻略対象だって思い出しました」


 覚えているようで忘れていた。忘れて、ただ好きになっていた。

 覚えたままで好きになっていた時に、監禁するように囁いただろう。それが彼の愛情表現だと思うから。


「私は、それを飲んだらいいですか?」


 自分でもびっくりするような提案をしてしまった。アメリは驚いたが、クラウスを見る限り余裕のある態度をとっているようだった。

 クラウスはアメリが言うなりすぐに瓶を手のひらに隠した。


「駄目。でも――代わりにもし俺が飲んだら、大事にとっておいてくれる?」

「そんな場所はないので……困りますね」


 思わず真面目に答えてしまった。それにいくら好きな人でも顔でも、死体だと思うとちょっと気持ち悪い。

 それに動かないクラウスに興味がないと自覚してしまった後だ。


「そんなことをしたら、きっと私はあなたを忘れてしまいますよ。そしてジェレミーと結婚したら彼を好きになってしまうと思うんです。ずっと好きだ愛してるって言われ続けるんですから」

「それは……」

「私の話には続きがあります。最後まで聞いてください」


 この間のことがある。クラウスには口を挟まないで最後まで聞いてほしい。

 まだ、クラウスが自分のことを好きなら――いつもは願わないことだが――クラウスが少しだけでもゲームのクラウスでいるなら、今の状況は逆ハーレムエンドの手前なのではないだろうか。だったら拮抗したままで卒業すれば、ゲームはそこで終わりにならないのだろうか。


 ゲームが終われば、アメリは何も気にすることなく、クラウスを好きになることができる。ゲーム補正が入らないぶん、本来遠い人であるクラウスには会えなくなるかもしれない。

 それならそれでいい。それでもクラウスが自分を好きだというのなら、きっと手を差し伸べてくれる。そんな気がする。


「ずっと一緒にいたらジェレミーのことを好きになれるかもしれないけど、きっとあなたのことは忘れられない。いえ、忘れてしまうかもしれない。それが嫌だからジェレミーとは結婚しません。何としても婚約は破棄します」


 クラウスはぽかんとした。限りなく素だ。こんな顔はあの嵐の日でも見たことがない。


「っ、そんなことをしたら、絶縁されて家を追い出されるよ」

 クラウスは面白くもない常識を口にする。まだ、「できると思ってんの?」とか言われていたら冷静だったのだろうが、相当に動揺している。面白すぎてアメリはニヤニヤしてしまう。


「それでもいいんです。私、貴族じゃなくても構わないので。自分のことは自分でできますし、メイドとして採用されれば今までのことが活かせるかもしれませんが、街のお店で雇ってもらうのも抵抗ないんです。選択肢は沢山あるんですよ。読み書きもできるってことで、むしろ選べるかも」


 クラウスからは二の句がない。

 しばらく経ってようやく、世間知らずじゃない? とぼそっと呟いたが、アメリは聞かなかったことにする。世間知らずかもしれないが、逞しさはそんじょそこらのご令嬢と一緒にされては困る。


 クラウスが肩の力を抜いた。行儀悪く、食事中に関わらず椅子により掛かる。疲れたような顔はアメリが初めて見る顔だった。


(まだこの人は私のことが好きなんだな)


 間違いなくそう思う。婚約のせいで、連れ去って監禁したいとか考えていたなら悪いことをした。悩ませていたなら心苦しい。そんな心配をしなくていいように、この人のそばにいる方法がある。


「ヴィンセントは君に話したって言ってたよ。彼は俺と一緒にグエンバドルに来てくれるらしい」

「聞きました」

 アメリはカトラリーを置いた。

「会長は私も欲しがってるって」

「うん」

 言い方は気になるが監禁とかそういう意味ではないだろう。能力ある人に任せるのが勿体ないような雑案件はどこにでもある。雑用係は必要だろう。それならば自信がある。

「来年、王太子付きの政務官募集するんだけど、どう?」


「えっ、いいんですか?」

「格上の貴族に婚約破棄した高飛車お嬢様でも、うちでは関係ないから」

 酷い言い様だが客観的に見たらそうなるだろう。

「会長が困りませんか?」

「困らないよ」


 アメリはガッツポーズをしたいくらいだった。それはいつでもこの人をつかめる場所だ。むしろありがたいほどだ。


「ありがとうございます。あの、後でなかったことにとか、駄目ですからね」

「必要なら書面を用意するけど」

「ください」


 即答にクラウスが笑う。


「このあとで正式なものを用意するよ。やっぱりやめた、というのは聞かないよ」

「それは心配いりませんよ。あ、採用条件もあったら書いておいてください」

「採用条件?」

「ええと、履修科目とか、成績とか……」

「成績は心配してないけど、確かに知っておいてほしいことはあるかな」


 クラウスはしばらく考えていたが、一つ頷いて、食事を再開した。


「家庭教師を用意しようかな」

「そんなに駄目ですかね!?」

「頑張ってくれているけど、立ち振舞が下級貴族丸出しなのはちょっとね」


 そう言われては言い返せない。部屋に入って頑張ってみたのはまったくの無駄だったか。雑に話をしているときもクラウスの食べ方は本当に綺麗だ。


「それに忙しかったら、変な虫もつかないじゃない」


 つかないどころか自由時間もなくなりそうだが、無作法が理由で解雇されるわけにはいかない。一年で足りるのか不安ではあるが、ここは頑張るしかなさそうだ。


「それにしてもすごいこと考えるね。婚約破棄って」

「婚約破棄は異世界転生の華ですから」


 って私もよく知りませんけど、とアメリは笑って言った。

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