曇天の霹靂
今年は去年と違って平穏な星祭りだと思っていたが、平穏だったのは星祭りだけだった。何かびっくりするようなことが起こらないゲームというのはつまらないと思う。しかし、人生が刺激的なエンターテイメントである必要は必ずしもない。
星祭りが終わると長期休暇に入る。
アメリは去年と同じく平穏な長期休暇を満喫したが、もう数日で休みも終わり……と思っていたところにアレである。びっくりした、心当たりがない、などと空々しい言葉を並べて、親から逃げるように帰寮したその日が今日である。
一体、クラウスの情報網はどうなっているのか。というか、国の諜報とか勝手に動かしてないのか大丈夫なのかと自分のことよりも心配になる。今自分のことが間違いなく一番の心配事で、それを上回る心配などしなくていいのだが、これは現実逃避だ。逃避ならしてもいい。多分。
アメリが寮の自室に入って数分後に部屋の扉がノックされた。何か忘れ物でもあったかと扉を開けるとルネッタが立っていた。訪問者を確認してから扉を開けたほうがいいですよ、とまたも小言を言われてしまう。
その後、有無を言わさずルネッタに連れられ、恐ろしいほどの手際と圧で校舎に引き入れられたときに予想はできていた。
ルネッタが開け放った生徒会室の扉の先にクラウスの姿を見つけてしまった以上、挨拶くらいはしなければなるまい。
「……ごきげんよう」
「荷解きは私がしておきますね」
「あっ」
そんなの結構です。伝えるまでもなくルネッタは流れるような動作で出ていった。不要だと言う暇も付いていく間もない。荷解きを人に頼まなくてはならないほどここに拘束されるというわけではないだろう。
いつまでも扉を見つめているわけにはいかず、アメリはゆっくりと姿勢を戻した。彼も着いたばかりなのか、私服のまま手前から三番目の机に寄りかかり腕を組んでいた。
「やあ、アメリ。休暇は楽しかった?」
久しぶりのクラウスは今日も美形だった。そして、端麗な顔に浮かぶ笑みが完璧だった。計算しつくされている。これはよくない。
「――最後の最後で台無しになりました」
「台無しにしたのは君なんじゃないの? 今日だよね、夜会」
「だから逃げてきたんじゃないですか!!!」
理由など訊かなくてもわかるはずだ。受ける理由がわからない。しかもクラウスの言い方だと出席しろと言っているみたいではないか。アメリが嫌がる理由が彼にはわかっているはずだ。
「話を聞いてびっくりしたよ。更にびっくりしたのが、君が学園に帰ってきたってことなんだけど。まだ新学期までに三日あるよ」
「クラウス様もいらっしゃるじゃないですか」
「俺は毎年早入りしてる。国だとのんびりできないからね。ちょっとゆっくりしようかなって思ってたのにどういうつもりなの?」
「私のせいじゃないです!」
「ジェレミーに何か言ったんじゃないの? 確かにね、結婚してしまえば監禁を回避できるよね」
「いやいやいや、そういう問題じゃなくないですか?」
「そうかな。家柄も釣り合ってるし悪くないんじゃない? 女主人が家に引きこもりってありえないしね?」
「だってジェレミーですよ!?」
これ以上の説得力があろうか。
アメリが叫ぶとクラウスがにっこりと笑った。
「助けてほしい?」
アメリはぶんぶんと頭を上下に振った。それなのにクラウスは困ったように肩をすくめる。聞いたくせに、だ。
「そう言われても助ける手段なんて持ってないんだけど」
クラウスのあまりの言葉にアメリは絶句する。人でなしにも程がある。
アメリの身の上に起きたことを説明するととても簡単だ。ジェレミーに婚約を持ちかけられた、以上である。正確には、キースウッド家で開く夜会への招待状がアメリの父親宛に届いたのだ。キースウッド家とノーマ家は交流がない。交流がなく、かつ上位の爵位家から夜会の招待状が届き、娘を同伴するようにと書いてあったのならばこの国の貴族社会ではそういうことなのである。
ジェレミーはキースウッド家の三男である。末っ子で兄二人には既に婚約者がいる。伯爵家三男という立場なら相手の家柄などそれほど考慮する必要はない。半分商売人のような男爵家の令嬢ならばむしろよくあるパターンだろう。アメリには兄がいて婿を取る必要はないが、そうであっても社交界に顔が利く伯爵家と縁ができるのは家として歓迎されることだった。
「嫌味なやり方だよね」
「そうですか?」
「しかもタイミングがさ。親を説得するのに時間がかかったとか、休み中に考えて決心したのだとか言うんだろうけれど。折角だから今夜訊いてみなよ」
「……何をですか?」
ジェレミーがそう答えるよ、という意味なのは察したが、嫌味なやり方というのはよくわからない。馬鹿なの? と言いたげな顔でクラウスはアメリを見る。
「夜会じゃなくても婚約に至る前にする手順は他にもあるよね」
「よくご存知で」
昼間にお茶会に誘えばいいのだ。正真正銘のお見合いである。目当ての令嬢が決まっている場合はこちらの方が一般的だ。夜会は主に親が選んだ何人かの候補を、子供を引き合わせたい場合に使われる。
状況だけを見ると、ジェレミーの婚約者候補に選ばれただけという可能性のほうが高いのだ。
「親の候補以外に私の名前を出したとか、そんなのですか」
「俺はそうやって君の警戒心を緩めるためだと思ったけど」
「やっぱり本命ですか!?」
「本命じゃないとでも思ってるの? もうちょっと危機感をもったほうがいいんじゃない?」
クラウスは心底呆れたという態度だ。
(今日も推しが輝いています)
アメリは思わず丁寧語になってしまう。久しぶりにクラウスに会って、浮かれてみたいのにそれが許されないこの状況についつい余計なことをやってしまう。推しとかもうそんなことは関係ない間柄になっているのに。
クラウスだって初恋とか言っていたくせに、長期休暇の間にリセットしてしまったのだろうか。やりそうだ。
ふざけている場合ではないと自分を落ち着かせてアメリは姿勢を正した。
「あなたの意思も確認しないで婚約者に選んですみません、とか言いそうですね」
「言うね。でも絶対そんなことを考えてない」
「……うー」
とはいえ、あのジェレミーが求婚するとか。
好きなのだからこういう手段を取るのが当たり前なのだ。なのにアメリには違和感がある。ゲームのキャラ設定に引きずられているのだろうか。
考え込む様子になったアメリをクラウスは黙ってみている。
「嫌なら行かなくていいけど、そっちのほうが面倒なことになりそうな気がしない?」
「夜会なら穏便なお断り方法として、欠席するのもよくある話なんですよ。当家はキースウッド家とは今まで付き合いがありませんでしたし」
「そうなんだ?」
「クラウス様は私がジェレミーと結婚しても、本当にいいんですか?」
「何が悪いの?」
クラウスは世間話の続きのように答える。不思議そうな顔もせず。
確かにこれで監禁ルートから離れる可能性がある。というか、これで外れると考えるほうが自然だ。自分の花嫁を連れ去って軟禁とか意味がわからない。
「俺は穏便に卒業したいわけ。君もそれは同じでしょ? 痛い思いをしたくないなら婚約者の立場に収まってしまえばいいんじゃない?」
「そうしたら、今度はクラウス様が監禁するんじゃないんですか」
クラウスは絶対誰にも見せないだろう笑顔を浮かべた。――冗談のつもりだったのに。
「誰にそれを言ってるの?」
結局逃げることは叶わなかった。アメリが乗り気でなくとも、父親は乗り気なのだ。それはそうだろう。アメリの立場ならこれは玉の輿だ。
父親がメイドに持たせていたドレスは母親の趣味なのか、淡いピンクのドレスだった。少しふわふわした、正直あまりアメリに似合っていると言えないデザインである。急な誂えのせいかその場で何箇所か詰めることになった。とはいえ生地は上等で、クラウスにもらったアクセサリーがそれほど不自然にならなかったのが幸いだ。
父親と二人でキースウッド家当主であるジェレミーの父親とジェレミーの兄に挨拶をする。お招きいただきまして、うんぬんかんぬん。屋敷を褒め、使用人の質を褒め、夜会の会場を褒め……アメリの笑顔は張り付いたままだ。自分にできる限りの優雅な礼をしてアメリは下がる。離れたところで慌てたようにジェレミーが人をかき分けてこちらに来ているなら丁度いい。
てっきりジェレミーがいるタイミングで挨拶をするのかと思っていたが、よく考えれば父親がジェレミーの顔を知っているとは限らない。壮年の当主がいればその横の青年はその息子だと知れる。確か、長男には婚約者がいたはずだが……と思いつつも、アメリも父親に訂正はしない。
「アメリ……! 来ていただけたんですね」
無視はできない。アメリは立ち止まり父親の腕を引き、ジェレミーを紹介する。学園の先輩で良くしていただいているのだ、と。アメリの招待の相手はこちらだったかと父親は気づいたかも知れないが、そこはおくびにも出さず、アメリを残して立ち去った。我が父ながら流石だ。
学園で会っていたときとは違い、ジェレミーはどこか自信なさげで、まるでゲーム内の彼のようだ。俯き、しどろもどろになりながらアメリに告げる言葉を探している。
アメリは事前に読み込んできた攻略ノートを思い出す。ジェレミーとのパーティイベントはある。父親につれてこられたパーティで偶然攻略対象と会うのだ。逆ハーレムルートなら全員と会うが、偶然ではないのでイベントではないだろう。
「私、少しお腹が空いているの。お食事しながらで構わないかしら?」
口元に指を立てて、内緒話のように話す。多分、目は笑っていないだろうなと思いつつ、アメリは微笑んだ。
おすすめはあるかと訊けば、ローストビーフを持ってきてくれた。肉食のイメージなのかなと思いつつ、アメリはありがたく皿を受け取る。
「――美味しい」
純粋なおすすめだった。思わず口をついた言葉にジェレミーが微笑む。
「お口にあったようで何よりです」
「シェフに伝えてほしいくらいだわ。……と言っても、私の賛辞なんて些細なものね」
「いえ、僕の婚約者の言葉なら、とても重いものですよ」
この世界のジェレミーらしい言葉に、アメリはほっとする。いじいじしているジェレミーなど調子が狂う。
「私は何人目の婚約者なのかしら?」
会場を見る限りは父親同伴の妙齢の令嬢が数人はいそうだった。
「貴方だけですよ」
ジェレミーがにっこりと微笑む。内定済みというわけだろうか。それにしては先程の伯爵の対応は普通すぎた。
この辺りは探っておかなければ。手土産くらいは持って帰りたい。出席しなければ辞退で済んだのに。
「こちらもどうぞ」
ジェレミーがワイングラスを差し出す。
赤ワインにはいい思い出がないなと思いながらアメリは受け取った。口は付けない。
「おかしなものは入っていませんよ」
「入れるつもりだったの?」
「帰りたくないのなら、言ってくださいね」
クラウスとは違う意味でこの男も怖い。
「そう言えば、別のグラスをいただけるのかしら?」
「ええ」
(否定しろよ)
――ふとアメリは思い当たる。そんな薬物を持っているなら、クラウスが自分に飲ませる致死の薬をこの世界ならジェレミーが持っているかも知れない。腐敗しないままの死体。それを実現する薬。
(どうせなら、クラウス様に飲まされたいわ)
それもそれで末期だが――どちらが? 無論、両方だ。
アメリはグラスを回しながらジェレミーを伺い見る。
常に当主の側にいないということは、やはりアメリだけが対象ではないのだろう。間違いなく今夜はジェレミーの婚約者を選ぶための夜会だ。
「あなたはそのつもりでも、伯爵様はそうではないみたいね?」
アメリは今しがた伯爵に挨拶をした父娘を見、ジェレミーを見上げた。彼らは主役がここにいることに気づいているのだろうか。ゲームのジェレミーはおどおどとした性格で、社交界にもあまり顔を出していなかったようだ。彼がその設定をそのまま引き継いでいるのなら、彼の顔を知らないで出席した者がいても不思議ではない。
アメリがじっと見つめると、ジェレミーは視線を宙に彷徨わせ、きゅっと目を瞑った。
間違いない。
「粗相をすればよかったわ」
「そんなことをしても僕は貴方を選びます」
ジェレミーが急にアメリの腕を掴み、アメリの手袋に赤い染みを作った。アメリは残念な気持ちで手袋を見る。赤ワインの染みは簡単には取れない。
「……私はあなたを想っていないのに」
呟きのように口をついた言葉にアメリははっとする。見上げれば、ジェレミーが眉間にシワを寄せてアメリを見下ろしていた。
「酷い人だ」
誰のことを言っているのかすぐにわかった。アメリとしては共感するが同情はいらなかった。
「貴方の想いを知っているのに、どうして……そのアクセサリーは彼から贈られたものなのでしょう?」
「あなたには関係ないことだわ」
「やっぱりこうするしかない。こうすれば、どうなっても貴方は幸せになれる。いえ、僕がします」
「何を言っているの?」
一方的なやり取り。まるでゲームの自分たちのようだ。
ジェレミーは下僕で、だからこそ、アメリは彼に囲われる必要がある。下僕でありたい彼のために、女王様になる。
今、彼は勝手な思いでアメリのために何かをしようとしている。
それを受け入れても受け入れなくても、彼が奉仕したいなら成立する彼の世界。トゥルーエンドの難易度が低くて当然だ。どの選択を選んだかなど彼にはあまり関係がない。ジェレミーはアメリを想って、彼女の最善を行おうとする。
『そう言われても助ける手段なんて持ってないんだけど』
これを言ったとき、クラウスはどこまでわかっていたのだろうか。