婚約
アメリには信じられないことに、星祭りの稚拙なすり替え劇にジェレミーは騙されているようだ。事実を教えた方がいいのかもしれないが、それでジェレミーがおかしな行動を取ると困る。
だったらアメリは黙っているしかない。新学期が始まったことだし、図書委員の誰かが勘違いを指摘してくれるだろう。それで理解すればいいが、その辺りも若干心もとない。
ジェレミーの中でクラウスはアメリを振ってルネッタを横取りした男になっているらしい。それはそれで面白いのだが、それは学園内の噂とは違う。アメリはルネッタに逃げられたヴィンセントをなだめていたということになっていた。ルネッタと友人なばかりに運が悪いと周囲は同情的だ。
一方でクラウスとルネッタは早くに会場を出たせいか、噂にはなっていない。おまけに星祭りの夜に学園内に婚約者がいる男が他の令嬢に手を出したとかで、未だそのネタで盛り上がっている。
アメリとルネッタが二人並んで廊下を歩くなど随分と久しぶりだ。
「最近はすっかり過ごしやすくなっていいですね。しばらくぶりですし、新作スイーツを食べに行きませんか」
例の噂のせいでヴィンセントがあまり寄ってこないらしい。何故そうなっているのかわからないが、ルネッタが言うことには「やりすぎは本当に嫌われてしまいますから」とのことだ。ルネッタにではなく、周囲にである。彼が気にするとは思えないが、周囲の評判というのはそれなりに重要である。
長期休暇の間に街のカフェのショーケースのラインナップは変更済みだ。アメリも気にならないわけではないが、前回の外出があの結果で終わったので気が重い。余計なことはすべきではないとわかっているのだが、美味しいスイーツにショッピングと楽しくなってしまうと気が緩んでしまう。
「クラウス様と行ったら?」
「燃料投下で面白そうとは思うのですが、二人きりというのは恐れ多すぎて嫌ですね」
何も気にしていないように見えるが、彼女でも気を遣うのか。そもそもクラウスは行かないような気がするが。ヴィンセントと行けば? と思うが、口にする気にはなれない。
「キースウッド氏を誘えとは言いませんよ」
「……今一番聞きたくない名前なんだけど」
こっちは遠慮したというのに、ルネッタは構わずぶっこんでくる。
「まだアメリは婚約者になっていないのですよね?」
「と、思うわ」
曖昧な表現になってしまうのは、父親が事実を隠している可能性がゼロではないからだ。
この縁談を娘が望んでいないことを彼は察している気がする。というか、夜会に欠席しようとしたのだから当然だ。父親が乗り気な以上、本人の意志は無視だろう。親子ほどの年齢差があるとか、美女と野獣ほどに乖離があるとかならば別だろうが、ジェレミーを断る理由を作るほうが難しい。美形な上にイケボだ。既に誰かを監禁して噂になっていれば別だが、そんなこともない。
このままでは正式に婚約者になってしまうのも時間の問題だ。
ジェレミーの婚約者になっても、アメリはジェレミーを好きになれる気がしない。アメリが彼を愛せないと言えば、婚約を破棄してくれるだろうか。
「婚約破棄したら、どうなるのかしらね」
「――きっと、クラウス様が雇ってくださいますよ」
(そりゃ、結婚とはいかないわよね)
「衣食住の確保と老後の蓄えをいただけるのならバリバリ働くわよ」
「……アメリらしい」
ルネッタが口元だけで微笑んだ。
(と、いうか)
閉じ込められないのならば、ジェレミーとの結婚は決して悪いことではないのだ。衣食住の確保と老後の蓄え、どちらも手に入る。
キースウッド家は家柄、財力ともに申し分ない。三男なので恐らく保持している領地の一部の管理を任せられることになるだろう。束縛の酷い夫にはなるかも知れないが、ゲームにあるような監禁のされ方はない。むしろ鬱陶しいほどの献身を恐れるべきだろう。
ジェレミーとのハッピーエンドとは異なるが、結婚してしまえばゲームは終わったのも同然だろう。
「ジェレミーと結婚したっていいのかもしれないわ」
「いきなりなんです?」
「よく考えたら、結婚を拒む理由なんかないのよ」
向かいから歩いてくるクラウスを見たまま、アメリは言う。
拒む理由があるなら、アメリがクラウスを好きだということだけだ。
アメリには跡継ぎである兄がいる。アメリが結婚する相手の条件は厳しくない。厳しくないが故に、ジェレミーとの結婚は絶対ではない。絶対ではないが、そうするのが普通なのだ。
クラウスとすれ違い様に髪の毛が引っかかったような気がした。足を止めて振り返ると同じく振り返ったクラウスと見合わせた。
するりと自分の髪がクラウスの指から離れるのを見た。
引き止めたのか。――やっぱり。
「……」
アメリは無言で踵を返し、速歩きでクラウスから離れた。
クラウスが少し目を見張ったのは、見た。
「……アメリ、やっぱり一緒にケーキを食べに行きましょう。気晴らしは必要ですよ」
アメリが横に並ぶと、ルネッタがいつもの無表情で誘った。
「気晴らしなんていらないわ。ただ――どうするのが正解なのか、わからないのよ」
これだけ変わってしまえば、ゲーム上の正解を探すのは困難だ。目指すべきゴールがわからない。そもそもゲーム上のゴールを目指すわけにはいかない。
ゲームの攻略は選択の連続だ。常にこれがどう繋がっていくのかと考えながら選択するのは疲れる。ルネッタの誘いもそうだ。街のイベントが何があったか、何が起こる可能性があるのか。考えていたら嫌になっていた。気にしなければならないイベントはジェレミーのものだけではない。クラウスもカークのもそうだ。そこまでもう覚えていないし、なぞったことがルートエンドにつながるとも限らない。
アメリの納得する愛し方で終わることがゲームのトゥルーエンドだとアメリは解釈している。だったら、ジェレミーと結婚しないままで監禁される――それがどうしてトゥルーエンドになるのか。
(法を犯していると認識させることで、満足する? 苦悩萌え?)
普通に結婚しても監禁はできる。
ジェレミーがアメリのことを好きなら、婚約が叶うならそのまま結婚をすることに何ら問題はない。好きなのに結婚しないというなら、そもそも何が必要なのか。この世界ではジェレミーがアメリを妻にすることに障害は何もないのだ。
そもそもジェレミーが結婚を目指していない可能性も――
パン
ルネッタが自身の体の前で両手を叩いた。思った以上の音量にアメリは我に返る。ルネッタはアメリを覗き込み、ゆっくりと言った。
「でしたら、私とケーキを食べるのが正解ですね」
*****
「一応、あなたに報告をしたほうがよいかと思いまして」
にこやかに話すジェレミーには少し怒りがある。隠そうと頑張ってはいるだろうが、ほんの少し透けて見える。そういうものを読み取るのはクラウスは得意だ。得意にならざるを得なかったとも言う。
「報告などよかったんだけどね。アメリにもお祝いを……いや、やめておいた方がいいのかな。彼女はからかわれるのを嫌うから」
「ええ……そうですね」
偽証は基本的に法がある国ならば罪となる。婚約が王国の承認を得るのであれば、尚更それを偽れば問題となる。
貴族同士の婚姻は婚約の段階から始まっている。婚約を公にすれば当人の後ろ盾が一つ増えることになる。式を上げたほどの効力はないが、つながりを得たということは確かだ。利用しなければ罪にはなるまい。だが、ない繋がりをあるとして振る舞ったらどうなるか――。
考えながらクラウスはジェレミーとの会話を続ける。
「次からは彼女をダンスに誘うのも遠慮したほうがよさそうだね。わざわざ、済まないね」
その牽制だろうと、クラウスは口に出して理解した旨を伝える。星祭りでは見事にジェレミーは騙されていたようだった。実際にクラウスの相手をしたのはルネッタだったが、気づかないとは本当にアメリのことを好きなのだろうか。
自分なら、絶対に間違えないのに。
ジェレミーが立ち去るのを待って、クラウスの隣りにいた女生徒がポツリと言った。空っぽの気位の高さが全身からにじみ出ている。その嫌らしさを隠そうともしていない。公爵家令嬢といってもクレアとは雲泥の差だった。
「次は私と踊っていただけるのかしら?」
「今年はルネがいるからね」
「婚約者ならば譲りますわ。こちらにはいらっしゃらないと」
「公爵家がいいわけじゃない。クレアが良かったんだよ」
「でしたらあの書記の小娘がいいんですの?」
「彼女はルネの友人だから――ちょうどよかったんだけどね」
へそを曲げない程度に、程々に。こういった手合を全員、存在だけで蹴散らしてくれていたクレアが懐かしい。
横にいる彼女の父親はこの国の重役だ。こじれれば外交に関わる問題に発展しかねないのでそれなりに気を遣う。彼女に婚約者はいないことになっているが、内定者はいる。クラウスは運が良ければといったところだろう。政治的なことを考えればクラウスの婚約者というのは魅力的だろうが、かの父親は自分の娘がそれに務まるほどの器だとは思っていないようだ。その認識はクラウスにとっては非常に助かる話だった。
そう、自分の婚約者というのは、並の人間には到底こなせない。
横槍を入れるわけにもいかず、クラウスは様子を窺うことしかできない。もし、ジェレミーの望まぬ相手が婚約者となれば、却って監禁の可能性が高まる。婚約者なら監禁する必要はない。ほとんど自分のものになっている。
監禁されたくないのがアメリの目的なら今の状況はアメリの目的に沿っている。なにひとつ、問題はない。
彼女が愛のある結婚を求めるほど子供にも思えない。
クラウスは星祭りの夜に婚約者ではなく別の女を選んだ男の話を聞いて、自分ならもっとうまくやるのにと思った。本当にやってしまえばよかったと、あれで良かったのだと、何度も繰り返し考えている。
クラウスはポケットに手を入れる。硬い感触に指先が熱くなった。
*****
その報告はジェレミーの笑顔とともにもたらされた。
「ようやく父の許しをいただくことができました。貴方を婚約者と呼ぶことができるようになります」
アメリは絶句して言葉を返すことができない。いきなり、廊下で、ルネッタもいない。周りを歩くのは知らない生徒だけだ。こんな公開告白みたいな状況を目撃して、黙っていられるような生徒はいないだろう。休暇中の話題も尽きて、みんな暇なのだ。
(なんてこと言うの!)
大人しくないジェレミーがこれほどまでに扱いに困るとは……
「私はまだ、家から何も……」
「書状は送ったそうですから、貴方のお父上のサインをいただいたあと王宮に送れば婚約成立ですね」
まるでアメリの父親が断らないと思っているような態度だ。確かに断らないだろう。断る理由がどこにもない。一応アメリに連絡は来るだろうが、それは全て終わった後だ。
「私の、」
気持ちはどうなるんですか?
口には出せない。そんなことを言う令嬢などいない。気持ちなどないのが当たり前なのだ。むしろアメリは羨ましがられる立場だ。愛されて、乞われて、上位の貴族に結婚を申し込まれるなど、普通はありえない。仮令その相手が特に継承するもののない三男坊でもだ。
「知っていますよ」
ジェレミーは屈んでアメリの耳元で囁く。
「僕に気持ちがないことは」
知っているからなのか。こんな暴挙を行うのは。
「少し歩きませんか? 貴方がお疲れでないのなら」
気持ちはとても疲れてしまったが、このまま注目を浴び続けるのは辛い。アメリはジェレミーの後をついて歩く。どこに連れて行かれるのだろうか。疑問に思っているとジェレミーが立ち止まる。
「貴方の行きたいところへ行きましょう。僕は貴方の後ろのほうがいい」
「……この後も授業があるわ」
「お送りします」
アメリの横をジェレミーが少し下がって歩く。従者のような距離ではないが、どちらが主導しているのかわかる絶妙な立ち位置だ。
「もう少し前に来て、横に並んでいただけるでしょうか」
「――嬉しい」
ジェレミーはふんわりと微笑んで、アメリの横に並ぶ。アメリとしては先輩を従えて歩くなど外聞が悪いのでやめたかっただけで、それ以上の意味などない。これでも仲睦まじく歩いていたと噂されるのだと思うと、アメリは落ち着かない。
それがクラウスの耳に入ると思うと気持ちがふさぐ。彼が気にしない態度を取るなら尚更だ。
「彼のことを考えているんですね」
見上げるとジェレミーの目は優しくアメリを見下ろしていた。
「貴方の瞳は彼を追って、彼を求めて。側にいなくても、彼のことを考えているんですね。――僕が代わりになりたい。なれないのは知っています。駄目だとわかっています。だから婚約をしたいんです」
「……」
「貴方が望んでいるのは彼に囚われることなのだから」
ジェレミーの言っている意味がわからないままアメリは声を上げる。
「私とあの人はそういう関係ではないわ」
「でも、そういうふうにしかなれないでしょう? 彼にはそれができるのに、どうしてしないんでしょうね」
ざわりと鳥肌が立つ。
何かがわかった。瞬間的にジェレミーの行動を理解したと感じた。すぐに言語化はできないが、ジェレミーが気づいていることにぞっとした。彼はゲームを知らないはずだ。
「しないわ、絶対に」
「それだと困りますよね」
「困らないわ」
「ええ、だからこれは僕の勝手な行為なんです。貴方を手に入れられるのも、貴方が彼を手に入れても、どちらでも僕は幸せなんです」
「恋破れた私を手に入れるの? 耳障りのいい言葉で?」
ジェレミーがうっとりとアメリを見下ろす。まるで見上げられているかのような錯覚を感じた。
「貴方には僕がいます。何を失っても、僕だけが」
理解できても、理解できない。アメリは眉をひそめる。
「どうして、彼は貴方を好きにならないんでしょうね。こんなにも魅力的なのに」
ジェレミーの熱っぽい瞳を見上げ、アメリは足を止めた。
(とっくに好きになっているんですって)
そう言えたら、どんなにかいいだろう。




