監禁未遂
右足と左手に錠付きの鎖が嵌められている。服は濡れたドレスのままだが、それ以外はゲームの状況に酷似していた。
生乾きになった生地の感触が気持ち悪い。ワインの匂いに頭がくらくらする。
カークルートのノーマルエンド。タイミングとしては作中の女神生誕祭の日だ。この世界で崇められるすべての根源となる神が生まれたとされる日。それはこの世界の始まりの日と言われている。
この日の一週間後に卒業式があって、三年生は学園を去る。アメリはこの日さえ乗り切れば、ほとんど勝ったと思っていた。
ゲームだとほぼ一年かけて行われていたことが、その半分以下のスピードで進んだことになる。
勿論、ゲーム通りには事は進まず、起きたり、前後したり、起きなかったり――むしろ起こるべきイベントはほとんど発生していない。正直いって、何故カークルートで終わるのか不思議でならない。
(でも唯一、恋愛っぽい進み方だった)
クラウスともジェレミーとも、友人にもなりきれていないような関係だ。でもだからこそ、こんな性急な展開になっているのかわからない。
アメリはその後カークに無理矢理馬車に乗せられ、学外の屋敷の一室に閉じ込められた。目隠しをされなかったのは、土地勘のないアメリが見ても問題ないと思われたが、もう戻す気がないから問題ないと思われたのか。きっとどちらでもあるのだろう。逃げ出さない、逃げられないと思われている。
この用意周到さを見ると、カークは今日決行する気だった。事情があって早まったということではなさそうだ。
手だけでも自由にならないかと手をすぼめてみたりやってみる。映画などで関節を外して抜くというシーンがあるが、どこの関節を外せば抜けるのだろう。利き手ではないから、しばらく使えなくても困らない。
擦れて血がにじむ。痛くてもいい。痛さよりも恐怖が勝って、アメリは手を動かし続ける。
手入れの足りない扉がきしんだ。街で会ったときに見たようなラフな格好のカークが現れる。
「……」
カークはアメリの手を一瞥すると口を歪めて笑った。
「血まみれになるのが好きか? 悪いが医者は呼んでやれないぞ」
「私がいなくなったことに、誰かが気づくわ」
「気づいてどうする? 俺もいないんだぜ。二人で逃げたと思われるんじゃないか? 毎年一組は駆け落ちする馬鹿がいるらしいぜ」
「あなたは馬鹿ではないでしょう?」
アメリはゲームのように、あなたが望むながらそれでも構わない、などとは言えない。あなたが好きだから、何をされてもいいとは言えない。
カークのことは好きではないし、カークが自分を好きだとも思えないからだ。
「――馬鹿だぜ、俺は」
カークは扉に鍵をかける。手錠があるなら意味はないだろうと、アメリは絶望とともに考える。どれだけ逃げ出したくてもできることはもうないのだ。あとはもうエンドロールを待つだけなのだ。
「おまけにろくでもない」
アメリは気力も失って手は動かなくなった。
「それでいい」
カークは昏い笑みを浮かべて、アメリの元へひざまずいた。
「ここに傷を負った女を置いて逃げたことがある。あのときは手が届かなかったが、お前なら手が届くな」
「お手軽だから私を選んだんですか?」
「それだけじゃないな、そんな単純じゃない」
カークは胸元に置いた指を横に滑らせる。ドレスの肩紐がずれる。
(どうせ監禁されるなら好きな人にされるのがよかったな)
「お前がいることに気づかなければよかったかもしれないし、大体お前がクレアの隣にいたのが悪かったのかもな」
逃げないで、ちゃんと恋愛してみればよかった。例えば――彼と。
「講堂でクラウスはお前のそばにいなかったな」
「あの人は関係ないでしょう」
「関係ある。あいつはクレアよりもお前を見ている」
「!」
いきなり頭がクリアになる。
どうやってもカメラのピントが合わない。合わないのにただ見つめるしかなくて、目が疲れてきたときにいきなりパチッと合う。そんな瞬間だった。
「それっ、勘違いです! 会長は副会長のことを好きじゃないし、そもそも副会長は――」
「クレアはあいつを愛してるんだ」
(勘違いが甚だしくて、おまけに無駄に行動力があって、愛が重い!)
クラウスが自分は興味がないが、カークが喧嘩を売ってくると言っていたのはこういうことか。
「だからって私を監禁しても意味ないでしょう。副会長は会長を好きじゃないんですから!」
「好きだからあいつのそばにいるんだろう!」
「だってそれはお仕事ですってば!」
「お前を隠してしまえば、あいつにはクレアしかいなくなる。お前のことは責任取ってやるから」
「なんでそうなる!」
それでか、それで無駄にカークはエンディングでもアメリを口説いていたのか。
(ゲームの内容って端折り過ぎじゃない!?)
カークは実はクレアのことが好きで、でもクレアはクラウスのことが好きだとカークは思い込んでいる。だからクレアの恋を応援しようと、クラウスが好意を持っているアメリを連れ去って、罪滅ぼしに愛してあげる。何故、そこで監禁するという結果になるのかは理解に苦しむが筋は通る。
アメリがカークを好きならば、これはハッピーエンドになる。
――もし、カークのことが好きなら、そんなあなたを癒やしてあげるとアメリは言ったのだろう。
「責任を取るのは私じゃありません。さっき、傷がどうとか言ってましたよね? あれは副会長のことですね」
「見たのか? ――ああ、俺がやった」
「じゃあ傷物にした責任取ってください。副会長はその傷をそれはそれは大事にしてますから」
相思相愛ではないか。何故こんな面倒なことになってしまったのか。素直に好きだと言い合えばそれで終わりにならないのか。公爵家と侯爵家、そこまで障害になるとも思えない。多少あったとしても、その辺はクレアがどうにかしてしまいそうだ。
そしてもうひとつ気がついてしまった。
(アメリも相当病んでる!)
ヒロインが一番まともと思っていたらそんなことはなかった。
ガンッ
何かをぶつけたような音の後、ドアノブが乱暴に回される。鍵を壊そうとする勢いだ。
カークに心当たりはないらしい。緊張した面持ちで扉を見ている。
「鍵を外してください。誰にも言いませんから。ちょっと二人でいただけだと……」
バンッ
勢いよく扉が開いて、転がるように入ってきたのはアメリもよく知るクレアの使用人だった。
アメリは少し拍子抜けする。
(いやまぁ、そこら辺なのが妥当なんでしょうけど)
「アメリ嬢、ご無事でしたか」
「はい! あの、鍵を外せませんか? えっと、間違えてはめちゃって……」
(うん、苦しいな!)
「これは――どういうことなのです? 私には状況を正確に主人に報告する義務があります」
「お前はだたクレアに事実を告げればいい。俺がアメリをさらって、連れ帰ろうとしたとな」
「そうじゃないでしょう、もう! すみません、副会長にはちょっと二人でお茶してただけって伝えてもらえませんか。あ、明日! 私が明日説明するので」
「嘘つくとクレアは怖いよ?」
気がつくと壊れた扉の前にクラウスが立っていた。闇夜に髪が目立つと思ったのか、珍しく帽子をかぶっている。黒い手袋がアメリの性癖に刺さり、思わずテンションが上がる。
「……どんな絶望した顔が見られるかなって思ったら、元気そうで何よりだよ」
「え? 私、どんな顔してました?」
「カーク、鍵をよこせ」
冷ややかな顔をそのままカークに向ける。カークは俯いたまま立ち上がるが動かない。アメリにもその表情は見えなかった。
「セバスチャン。彼女の鎖を」
「は」
クラウスにセバスチャンと呼ばれた使用人はアメリに近づき、細い針金のようなものでアメリの手足の鎖の鍵を外した。
「失礼致します」
乾いた血が張り付いた手は動かすとまだ痛い。傷は塞がっていないようで動かした拍子に血が溢れてきた。セバスチャンは白いハンカチでアメリの左手首を縛ったが、すぐに真っ赤に染まる。次に上着を脱いでアメリにかけようとしたが、それをクラウスが制す。
「主人の元へ戻れ。カーク、外の馬車にクレアがいる」
セバスチャンはアメリを安心させるように微笑んで一礼をし、クラウスに向き直った。
「よろしいのですか?」
「帰りの馬車をもう一台手配しておいてくれ」
「それはお嬢様から既に指示いただいております」
「さすがは抜かりない」
カークがセバスチャンに促されて部屋の外へ出る。足音が遠ざかると、ため息を吐いたクラウスがアメリの元へ近付いてきた。座っているアメリの前にしゃがみ込み、顔をしかめる。
「ひどい匂いは君か」
「ひどいって、ワインかぶっちゃったんですよ。あー、気持ち悪い」
「痛い?」
「血が出てたら痛いものですよ」
心配していた様子が感じられないのはさすがクラウスだ。
「心配して来てくださったのですよね?」
「いや、クレアに連れてこられた」
「そこは心配していたと言うべきです」
「……君がこうやって監禁されずにいるのには、安心しているよ」
クラウスは手を伸ばしてアメリの頬をなでた。本当に安心したような笑顔にアメリはドキドキする。
「会長って自分のことばっかりですね!」
「こういうヤツだって、知ってるくせに」
確かに知っている。学園の王子様は見せかけの、情に薄いようで世話焼きの、見た目よりずっと人間臭いクラウスを。
「帰りたいけど、どうしようかな」
「馬車はあるんですよね?」
「その格好で帰るの? 傷の手当はしたいよね。やだなぁ、クレアに頼るの」
仕方ないとぼやいて、クラウスはアメリを担いだ。
「そこは姫抱っこじゃないんですか!」
「階段狭いんだよね。それだと足がぶつかる」
「あ、いや、姫抱っこがいいってわけじゃないんですけど……」
「歩かなくていいって言ってるんだから大人しくしとけば?」
「――ありがとうございます」
(別に、会長に助けられたわけじゃない)
すべてを知っていたのはクレアで、クラウスはそこに誘われただけだ。扉を開けたのはセバスチャンでクラウスではない。
(でも嬉しかったんだもの)
「アメリ。どこか辛い?」
「何か、疲れました」
「なんだ。アメリが大人しいと気持ち悪い」
「怪我人にひどすぎませんか」
「よいしょっと」
階段を降りたところでクラウスが抱き方を変える。密着度はさっきと変わらないはずなのだが、妙にドキドキした。リクエストしたわけでは決してない。
「血が付きますよ」
「いい。どうせワインまみれだし」
「それは、なんか、すみません……」
「こういう時くらい気にしなくていいんだよ」
何故、不意に優しいのだろう。
「……会長、これで私を殺す未来はなくなりましたよ」
「そうかもね」
歯切れが悪い。だが、この疑り深さがクラウスなのだ。
「ところで君、いつから俺のこと会長って呼び始めたの? 何で?」
「あ、なんででしょうね……皆さんそう呼んでますし」
「あんまり好きじゃないんだけどな」
「じゃあ、クラウス様?」
「うん?」
(近い、格好いい、近い!)
「……ホント、私会長の顔が好きすぎてやばいです」
「あー、そう」