5-2 密かな決闘 (後編)
上級生二人が、倒れている一人を抱え上げ、訓練用の棒も回収して、逃げるように離れていく。
「ちょっといたずらしたろ」
そう行ったキクスが、背中に背負っていた棒を手に取った。この時まで、その棒の存在に気付かなかった。
棒にしてはものすごく細い、と見ているうちに、キクスは素早く弦を張って、懐から出した短い矢を番え、即座に射た。
目で追った先で、上級生の一人がつんのめって、転び、それに二人が巻き込まれて倒れる。
キクスが忍笑いをしながら、すぐに弦を外して棒を背中に背負う。棒は、弓なのだ。
「やるやないか、リン。見直したで」
「初めから分かっていたんじゃないの?」
「当たり前やないか。上級生の四分の一は、お前のことを観察しとる。そのうちの半分はお前を敵視して、残りの半分は、興味本位や」
全く知らなかったけど、理由はわからなくはない。
「入学試験のことかな」
「そうや。あれはもう、伝説や」
禁軍師範学校の入学試験は、まずは書類審査で、それを抜けるためには有力な貴族や富豪、政治家、軍人の推薦状がいる。僕の推薦状は先生が書いてくれた。
その次に筆記試験があり、そして実技試験になる。
実技試験は、乱取りなのだ。
よく覚えているけれど、会場は控え室から覗くこともできず、試験を終えたものも控え室には来ずに、別のドアから帰って行っていた。だから、会場に入るまで、誰が何をするのか、わからないのだ。
僕は、試験官の教官の男性と、棒を持って向かい合った。
他には部屋の隅に審判が三人、いただけだ。
乱取りが始まったけれど、僕はこの時、はっきり言って、完璧に近い体調だったし、気持ちも充実していた。
だから、実力以上の力が出た。
気づくと、試験官が床に膝をついて、動けなくなっていた。
審判の一人が試験官を抱え、別の審判が僕に退室するように指示を出した。
終わってみると、何かの冗談のようだった。試験官が手を抜いたのかもしれない、もしくはどこか具合が悪かったのかも。そう思いながら会場を出て、故郷に戻った。
合格通知が来た時に、まずいことになった、と初めて気づいた。先生にも試験のことは報告していて、先生はただ苦笑したのみだったけど、それがどういう意味か、合格通知で理解した。
推薦状は一線の軍人ではない先生で、筆記試験も完璧ではなかった。
しかし実技ではずば抜けていたわけで、もし僕が合格するとすれば、その一点にしか望みはないというか、むしろ、あの実技の結果を前にして、僕を不合格にはできなかっただろう。
つまり、形だけの推薦、そこそこの筆記には、目を瞑る、というのが師範学校の結論で、それにより、僕は学校に入学できた。
この実技試験のことが、噂にならないわけもなかったんだ。
「俺もお前をよく見たんやけど、最初は嘘やと思ったな。全く走れんし、体も細かったしな。どうやったら腕自慢の教官を叩きのめせるか、不思議やった」
「いや、叩きのめしてはいないけどね……」
「剣術を使うとは聞いとったが、実際に見てみると厄介やで。誰に教わったん?」
「故郷に流れてきた、剣士だった先生に」
ふぅん、とキクスが首を傾げた。
「何はともあれ、これで不愉快な連中は寄ってこんな。少しは快適になるやろ」
キクスがポンと僕の肩を叩いた時、駆け込んできた人がいた。
「何をしている!」
僕も顔を知っている教官だった。キクスが直立し、背筋を伸ばしたので僕もそれに倣った。
「自主的に稽古しています」
ハキハキと言うキクスは、さっきまでと態度が違う。僕は緊張しつつ、自分も何か言うべきか、考えた。
そこへもう一人、教官がやってきた。その教官は疑わしげにこちらを見て、周囲を確認し、改めて僕の様子を見ている。それに先に来ていた教官がすぐ気づき、二人で何か話し始めた。
「訓練室を使う許可を与える。学籍番号を言え」
先に来ていた教官がそう言って、こちらを見る。もう一人の教官は苦り切った顔だった。
僕は学籍番号をどうにか口にした。今になって、緊張が押し寄せていた。私闘の最中に教官が来たら、大問題になっていただろう。
二人の教官に頭を下げ、その姿が消えてから、僕はやっと姿勢を戻した。
正直、座り込みたいほど、強烈な疲労が僕を襲っていた。
「うまくいったな」
キクスはまたニヤニヤ笑っている。
「これでこんなところじゃなく、訓練室を使えるんや。万々歳やな」
その言葉に引っかかりを感じ、少し考えた。
まさか。
「あの教官は、キクスが呼んだってこと?」
「そうや。後から来た方は、間抜けな上級生連中が呼んだんやろ。もしもの保険やろうな。自分たちが負けても、こっちだけが罰を受ける、っちゅう寸法や」
「それをキクスが別に教官を呼んでおいて、封じた?」
「そうなるな。文句あるか?」
僕はちょっと真剣になった。
「私闘が長引いたら? 君が呼んだ教官は、どうしていた?」
「あの教官はまともやから、両方を罰したんちゃうか?」
……肉を切らせて骨を断つ、といえば聞こえはいいけど、賭けの要素が強すぎやしないかな。
キクスがポンポンと僕の肩を叩き、
「仲良くしようや、リン。今度は何かの時に、俺の役に立ってや」
と、先に寮へ戻ろうとする。僕も遅れてそれに続いた。
「努力するよ」
部屋に戻って、改めて自分の訓練用の棒を見た。
削るのに長い時間がかかるほど、硬い材料で出来るとはいえ、今日のようなことは想定していない。
故郷で使っていた稽古のための剣に近いように、長さや幅を調整していた。
幅が狭いので、耐久力はそれほどない。
上級生を数回、打ったくらいで折れたりはしないけど、しかし、不安もある。
まぁ、誰かや何かを打ち据える機会は、もうないはずだし、良いだろう。
棒をしまって、僕は汗を流すために浴場へ向かった。
廊下を進みながら、考えていたのは、自分が振った棒の軌跡と、足捌きのことだった。
もっと無駄なく、もっと素早く、もっと鋭く、振れたのではないか、踏み込めたのではないか。そういうことを考え始めると、こういう時は寝るまで、ずっと頭を離れない。
この学校に来て、初めて、本気で戦った。
もちろん、命のやり取りではない。これもキクスからすれば、遊びなのかもしれない。
遊びでも、僕の振った棒は、敵を打った。
その手ごたえが、どうしようもなく明確に、手に残っていた。
遊びというにはあまりに生々しい。
その日はやはり、寝るまでずっと考え続けていた。
(続く)