04.はじめての じごく
「…なるほど、殺生のみね。」
吽坊から渡された書類を見て、阿坊が言う。
「それならお前は八大地獄の内の一つ、「等活地獄」に行くことになるな。」
【等活地獄】
想地獄の別名を持つ。徒に生き物の命を断つものがこの地獄に堕ち、アリ・蚊などの小虫を殺した者も、懺悔しなければ必ずこの地獄に堕ちると言われている。また、生前争いが好きだった者や、反乱で死んだ者もここに落ちるといわれている。
この中の罪人は互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺しあうという。そうでない者も獄卒に身体を切り裂かれ、粉砕され、死ぬが、涼風が吹いて、また自然と元の身体に生き返る、という責め苦が繰り返される。ただし、この「死亡しても肉体が再生して苦しみが続く」現象は他の八大地獄や小地獄でも見られる。
「そうか。それで、内容は?」
「どうやら自殺のようだし、“勝手気ままに殺生をした”ってことで「極苦処」にするか。」
地獄は主に八つの階層に分かれており、これをまとめて八大地獄・八熱地獄などと呼ばれている。
さらにそれぞれの周囲には「十六小地獄」と呼ばれる小規模の地獄があり、地獄に落ちた亡者の中でもそれぞれ設定された細かい条件(生前の悪事)に合致した者が苦しみを受ける。
その内容は、犯した罪や大地獄の階層によってさまざまで、今回の極苦処もそのうちの一つである。
「うーん、まぁいいか。行こうぜェ。」
「ククク…そう急かすなよ、すぐに着くさ。」
「早く行こうよォ!パパァ!」
「誰がパパだっ!」
「兄者…いつの間に子供なんて…。」
……。
「着いたか。」
「ここにきた人間は、あらゆる場所で常に鉄火に焼かれ、獄卒に生き返らされて断崖絶壁に突き落とされることになっている。
担当はあそこにいる…なんとかって言う獄卒だ。」
「名前知らんのかい。」
「いいじゃねえか、所詮モブだろ?
それじゃ、俺たちは行くからな。」
「人手不足なんだから、数少ない獄卒の名前くらい憶えておいてやれよ…。
まぁお疲れさん、案内ありがと。ばいばいパパ。」
こうして、1000年に渡る、地獄での生活が始まった――
「だからパパじゃねえっ!」
…始まった。
Side 男
阿坊達と別れた俺は、とりあえず担当獄卒の元へと向かった。
そこかしこから、肉の焼け焦げる臭いが漂ってくる。
見たこともない物体に囲まれているのは、恐らく高熱をもった鉄だろう。
その中心には大きな穴が開いており、その場から逃げようとした人間が、円形の囲いの上に立っている幾人かの獄卒に捕まっては、穴へと投げ込まれている。
「おーい、なんとかさーん。阿坊に言われてきたよー。」
「…罪人か。俺はここの管理を任されている、「ぎゃあああああ」だ。
もう聞いていると思うが、ここは十六小地獄が一つ、極苦処である。」
あ、また一人投げられた。
その時の叫び声せいで、この獄卒の名前は聞き取れなかったが、まぁ知らなくても困らんだろう。
「えーと…じゃあしばらくよろしくお願いします、なんとかさん。」
「俺の名は「もうやめてくれええええ!」だと言っているだろう。」
「んー、なんか周りの喧騒が煩くて聞こえないっス。それに、名前なんか別に知りたくないっス。」
「貴様いい気になりおって…!
よかろう、貴様はこの俺が直々に投げ込んでくれるわっ!」
なんか鬱陶しいおっさんだなぁ。
「おっ、なんとかさんのなんとか投げが久しぶりに見れるぞ。」
「ホントかよ!あれで投げられると、すげえ勢いで飛んでいくからな、初めて見たときは興奮したぜ。」
「なんとかさーん!はやく見せてくださいよー!」
こ、こいつ…部下にまで名前を呼んでもらえないのか…!
なんて不憫なんだ…笑いを堪えきれん…。
「ぐっ…えぇい貴様ら黙っとれ!お前も笑うんじゃない!
さっさと飛んでけ!秘技、「ウワアアァァ…」投げ!!」
なんとかさんは、そう言って(何と言ったのかは聞き取れていないが…)俺の体を鷲掴みにし、投げた。
「フフフ…ここへきた人間は、その耐え難い苦痛により大抵は三日で精神が折れる。
せいぜい惨めな姿を見せてくれよ?」
そう呟いたおっさんの声は、もう随分と離れた俺には届かなかった。
なんとか氏に投げられた俺は、彼の部下たちの言った通りもの凄いスピードで、自分が穴の底へと向かっていることが分かった。
このままだと俺の体はまた、着地とともに潰れてしまうだろう。
まぁどうせ元通りになるから、どうでもいいんだが。
そんなことより今は…。
「楽シイイイィィィ!!!」
そう、楽しいのだ。
崖から落ちた時も、奈落――エンマのいた冥界と地獄とを繋ぐ穴――を落ちた時も、これほどのスピードは出ていなかった。
例えばジェットコースターがそうであるように、“速い”というのは楽しいのだ。
いやあ、死んでよかった!
グチャリ――
「…復活!」
こんな簡単に復活できるなんて、便利な体だなぁ。
まぁ痛いけどね。
「つか…熱くね?」
辺りを見回すと、その原因が分かった。
上と同じく、この穴の内部も熱い鉄でできているのだ。
穴の側面は平らではなく、登れるようにでっぱり(もちろんこれも鉄製だ)がついていて、ここから逃れたい亡者共が必死に登っているのが見える。
しかし大抵は熱さに耐えきれずに手を離してしまい、穴の底へと落ちては潰れている。
出口へと辿り着いた者も、上にいる獄卒によって再びここへ投げ込まれているようだ。
「なるほど…終わりの見えない苦痛によって、みな精神を壊されていくわけか。」
地獄の基本はそうなのだろう。
その苦痛の度合いは、階層によって様々だが。
「まぁとりあえずは、この熱に慣れないとな…。」
そう、ここは等活地獄。
私の知識が正しければ、ここで受ける苦痛は地獄の中でも比較的緩いもののはずだ。
ならば、この程度で挫けるわけにはいかないだろう。
「ほかの奴らのように、逃げようとしたらダメだな。
心頭滅却でもするか。」
どうせ逃れられないなら、受け入れればいいのだ。
火はお友達だよぉ!の精神で、頑張ろう。
幸い、落ちてきた時に精神統一の鍛練は積んでいるし、まぁなんとかなるだろう。
Side out
彼は知らない――
ここへ落ちてきて、彼のように心から冷静なままであった人間など、今までほとんどいなかったことを。
大抵の人間は落ちてくるまでの間に発狂するし、そうでない者も地獄へ着いた瞬間に自らの命運を悟り、(当然獄卒達に簡単に取り押さえられるが)暴れまわるのが普通だ。
小地獄を見た時に、挫けてしまう者もいる。
しかし、奈落で孤独と闘いながら何十年も鍛練された彼の精神は、最早常人のそれとは全く別の物になっていたのだった。
そもそも、生前から普通の精神はしていなかったが。
良くも悪くも、彼の精神は簡単に冷静さを“失える”ほど弱くはなかったし、強くもなかった。
彼は自分が他と違うことに苦悩したし、喜びもした。
話が逸れたが、死んでようやく光が見え始めた…というのも、彼が頑張れる一つの要因かもしれない。
ある意味夢が叶ったし、叶いかけてもいるのだ。
――とは言え、彼はまだ長い道のりを歩き始めたばかり。
頑張れ、男!負けるな、男!
誰も知らない――
なんとかさんの名前を。